空からの脅威
戦闘機のお仕事というのは、飛行機と戦うことです。
この時代、空から攻撃できる飛行機の脅威というものは、そんなには考えられていませんでした。当時の飛行機は、人間を一人か二人乗せて一~二時間飛べれば御の字なので、威力のある爆弾のような重いものを抱えて飛べなかったのです。
第一次世界大戦の直前、イタリアとオスマン帝国が戦争をします。このとき、イタリア軍は飛行機と飛行船を派遣しました。飛行機が初めて実戦で使われた戦争です。
そのうち、イタリアの飛行機が手榴弾を敵陣陣地に落とし、世界初の空爆が行われました。イタリア参謀部は「驚異的な心理効果を挙げた」と報告していますから、ビビらせはしましたが、与えた損害はそうでもなかったようです。
空からの攻撃兵器として期待されていたのは、飛行機ではありません。
すでに旅客輸送もやっていた飛行船です。
特に、ドイツには飛行船こそが新兵器となるだろうと私費を投じて研究開発に没頭した有名な人物がいます。
フェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵です。
ツェッペリン伯爵は、ヨーロッパのいろんな戦争に参戦しましたが、若い頃はアメリカの南北戦争に観戦武官として参加しました。
観戦武官というのは、戦争でどのような戦い方がされるのかを見に行く軍人です。第三国からの参加なので、見るほかは求められたら意見を述べることもあります。
積極的に助言したり指揮を取ったりすると戦争に加担しちゃいますから、聞かれたら答える程度でないといけません。
この南北戦争ですが、ちょうど産業革命でいろんなものが発達した時代なので、潜水艦や機関砲、あと初期の
その中に気球部隊があり、若きツェッペリン青年は大変興味を惹かれました。しかし、気球は当時最新の秘密兵器ですから関係者以外は乗れません。残念!
しかし、南北戦争が集結して一年、ツェッペリンはふたたび訪米します。この訪米で探検などする中で、念願の気球に乗ることができました。
この体験が大きかったのか、彼は「操縦できる気球」の研究に熱中します。
副官として仕えていた王様(ドイツ帝国統一前です)に、大型飛行船を軍事利用しようという意見書を出していました。
ツェッペリンはいろいろあって退役します。最終的には中将まで昇進しました。
しかし、退役した後も新兵器飛行船の講義や講演などを行い、募金を集めて飛行船新興会社を創設しました。すごい情熱です。
飛行船もまったく新しい試みですから、度重なる失敗、墜落と不時着、機体の喪失を繰り返します。また、多くの人々がそんなでかいもんが飛ぶわけない、まして戦争に使えるわけないと思っていた時代です。彼は狂人伯爵と呼ばれもしました。
会社が潰れ、妻が故郷の所領を撃って支えてくれた、少女が全財産の銅貨数枚を出してくれたとか、涙ぐましい話もあります。
しかし、伯爵の夢と飽くなき情熱が飛行船の実用化の道を開きました。
祖国が飛行船によって勝利して栄光を手に入れる、すべてはこのためです。
さて、飛行船にはいろいろ種類があります。
飛行船の原理は、軽いガスを袋に詰めて浮かせ、エンジンでプロペラを回して飛行するというものです。
本項はプロペラ戦闘機の歴史ですので、すごく大雑把に言いますと、この袋で飛ぶものを軟式飛行船といいます。
そして、軽い金属で籠を作り、その中にガスの詰まった袋を詰める、骨組みを持つ飛行船を硬式飛行船といいます。
ツェッペリン伯爵が研究したのは、この硬式飛行船です。
硬式飛行船をみんなツェッペリン飛行船と呼ぶこともありますが、そのくらい影響力がありました。
骨組みがあると、袋むき出しより頑丈です。頑丈だと何がいいかと言うと大きくでき、大きいほどたくさんものを運べますし、高く長く飛べます。
この硬式飛行船から爆弾を落とす――。これが空からの脅威になるだろうと思われていました。
第一次大戦が始まると、飛行船は敵部隊に爆撃を行いましたが、開戦一ヶ月で四隻喪失と、返り討ちに遭ってしまいました。
爆弾を積めるといっても、後の航空機ほど積めるわけではありません。
それに戦場みたいな目標が隠れたりするところでは、爆弾を無駄にしないよう正確に爆撃する必要があります。
そうなると、敵の部隊に対して低く飛んで爆弾を落とす必要があります。
高射砲持ってる敵部隊からしたら、低くゆっくり飛ぶ飛行船はいい的でした。
また、硬式飛行船が頑丈だといいましたが、あくまでも軟式飛行船や気球に比べてという話であり、悪天候にも弱く、かなりの数を気象によって喪失しています。
飛行船、使えないじゃん! ということにはなりましたが、これは運用が悪かったのです。
なぜなら高く飛べば反撃を受けません。この時代、飛行船は高く飛ぶこと、長く飛ぶこと、多く運ぶことに関しては飛行機よりもアドヴァンテージがあります。
しかし、高く飛ぶと、今度は正確な爆撃ができなくなります。
よって、敵部隊のような、正確な爆撃が必要なく、適当に爆弾落っことしても多くの被害を与えられるものを目標に選びます。
これにうってつけの目標がありました、敵の都市です。
都市のように、非戦闘員を巻き込んで攻撃するというのは、昔から結構ありましたが、これをやると悲惨な殺戮になってしまうので、近代になってからは一応無関係な人々への攻撃はしないよう約束がありました。
しかし、総力戦の時代が幕を開けたのです。国が持てる力をかけて戦う戦争に、無関係な人々なんていない、そういうことになります。
一般市民は働いて税金を収め、その税金で軍隊が兵器を買うようになります。子供も成長すれば兵隊になります。女性も兵器を作りますし、子供も産むでしょう。
かくして、ドイツ飛行船団は敵国イギリスの首都ロンドンを爆撃します。
ドーバー海峡を越えての爆撃は、当時でも危険が伴うものです。反撃されたらいい的である、ここも本質的には変わっていません。
ツェッペリン型飛行船は、何度も何度も飛行実験で墜落しているものの、伯爵が慎重に安全面に気を配ったため、その最中に人命を喪失していないという優れた業績がありました。安全面という点では、この時代だと飛行船のほうが上です。
爆撃は、飛行船の安全を考えて夜が選ばれました。これを夜間爆撃といいます。
イギリス側は、これに対抗できませんでした。
当時、ポンポン砲という対空砲があったのですが、そもそも爆撃とか可能性があるくらいに考えられていたものです。飛行船のスピードは遅いとは言っても時速一〇〇キロはでるわけで、発見しても当時の伝達方法では間に合いません。このポンポン砲も、よく英国面のひとつとしてネタにされる兵器です。
為す術なく上空から爆弾をばらまかれ、ロンドンは大混乱に陥ります。
スペイン無敵艦隊、ナポレオン艦隊も破った栄光ある世界最強イギリス大艦隊がいるかぎりは敵は本土上陸などできず、ブリテン島は安心安全と思われていたのですから、これは大きな衝撃を与えました。当時のイギリスの新聞など見ると、サーチライトを浴びて町を焼き払う、UFOが侵略してきたかのような挿絵が散見されます。
さて、前置きが長くなりましたが、ここからプロペラ戦闘機のお話です。
地上から攻撃できない高度で飛んでくる飛行船に対し、地上から有効な砲撃はできませんでした。
だったら、どうすればいいか? こっちも飛んで撃てばいい。戦闘機の出番だ!
しかし、当時戦闘機は積めるのは7mm程度の機銃です。
これがどのくらいの威力かというと、人間に当たると殺せますが二〇〇メートルを超えるようになった飛行船を破壊するのにはまるで威力が足りませんでした。
実際、モラーヌ・ソルニエ Lに乗ったレジナルド・ワーンフォードというパイロットが撃墜を試みますが、飛行船がバラスト(飛びすぎないようにする重りです)を落として射程外の上空に逃げてしまい、失敗してしまいました。
では、どうしたかと言うと、飛行船の上から爆弾を落としたのです。
これを空対空爆撃といいます。空から空を飛んでいる目標に対して、爆弾を落とすのでこう言います。
世界初の飛行船撃墜の栄誉を果たしたのは、ロンドンで失敗から学んだレジナルド・ワーンフォードでした。ベルギーに派遣された彼は、飛行船の防空機銃をかわして飛び、ツェッペリン型硬式飛行船LZ37に爆弾を落として炎上させます。
実は、この記録については前々項でも登場したローラン・ギャロスだという報告もあったようですが、ワーンフォードで決着したようです。
この飛行船爆撃のように、都市部や生産拠点、人員などを目標にすることを戦略爆撃といいます。
一方、敵の部隊や基地、兵器などの軍事目標は戦術爆撃といいます。
戦争で飛行機が登場し、性能が上がってくると戦術爆撃も行われるようになっていきました。
飛行船と違って小回りが利き、速度も出るので、より正確に爆弾を落とせますし逃げ切れるうえ、飛行船には通じなかった小口径の機銃も、生身の兵隊であれば十分に撃ち殺せます。
爆撃ではありませんが、この機銃掃射も空からの脅威となりました。
また、一九一五年には、飛行機は爆弾だけでなく魚雷で船を攻撃するようにもなりました。イギリス海軍の偵察機ショート184が、オスマン帝国軍の補給艦を搭載した魚雷を投下して撃沈しています。
飛行機は、空が続いている限り、どこからでもやってくるわけです。
これはアジアでも起こりました。
当時、ドイツは日清戦争後の三国干渉によって新に恩を売り、山東省青島を獲得します。ここを東洋の拠点にしたわけです。当時のドイツは植民地獲得競争には出遅れていましたが、ビスマルク諸島などの太平洋の島々、中国に租界などを持っており、アジアにも植民地利権を持っていました。
日本側は連合国として参戦し、イギリスと組んで三国干渉の仇とばかりにアジアのドイツ軍と戦います。日露戦争で勝ったので、勢いもありました。
一九一四年一〇月三一日、現地に駐留して防衛するドイツ軍とこれを攻略しようとする日本イギリス連合軍の間で、青島の戦いが起こります。
このとき、日本側はフランス製のモーリス・ファルマンMF.7の水上機を採用しており、要塞砲に陣地情報(手書きのスケッチですが、十分役に立ちます)を送るドイツのエトリッヒ・タウベと交戦しました。
タウベは戦闘機としてはすでに運動性能に問題が判明していた頃ですが、ファルマン水上機はさらに悪く、翻弄されます。空戦にならなかったといわれています。
しかし、これは日本軍初の空戦の経験ではあります。
さらに日本航空隊は、砲弾を改造した爆弾を軍艦に落としましたが、これは命中せずでしたが、滑走路や通信施設、兵営にも投下して爆撃の経験をします。
ともかく、ここでプロペラ戦闘機のお仕事に、空から爆弾を落とす飛行船や飛行機から味方を守る、「防空」というお仕事が追加されるようになりました。やってくる敵を迎え撃つことから、「迎撃」という場合があります。
また、爆撃機や飛行船を、迎撃にやってきた敵の戦闘機から護る「護衛」も新しいお仕事となります。
飛行船に対して攻撃力が弱かった機銃の代わりに爆弾を使いましたが、ニューポール11などは、威力があって命中もするロケット砲も積みました。一葉半の翼には、ロケットの発射筒をくくりつけるにちょうどいいV字の支柱があったのです。
機銃では壊せない飛行船も、よく燃えるアルミ合金でできているうえに可燃ガスを積んでいるので、一旦火をつけてしまえば燃え上がって落ちていくのです。
プロペラ戦闘機は、戦争が進むに連れて、いろいろなお仕事が増えていきます。
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