第8話「死刑権」

 その後の裁判は、悲惨なものだった。


 須藤はできる限りのことを尽くして裁判に臨んだが、結果は惨敗。

 次の最高裁で、全てが決まるというところにまで進むが、もはや絶望的だった。

 最初は歓喜していた神崎も、今は須藤と共に事務所で顔を曇らせている。

 この結果は容易に想像できたが、やはり簡単には受け入れられるはずもなかった。


「すみません神崎さん。不甲斐ない結果になってしまって」

「いや、いいんですよ。まだ最高裁が残ってますし。ただ、あの話は本当なんですか?」

「……は、はい」


 神崎が気にしているのは、須藤に話した丸山勇の言葉だった。






 某日。拘置所内、面会室。


 須藤は弁護士として、丸山勇本人から直接話を聞いていた。神崎から依頼を受けたとはいえ、丸山本人にその意思がなければ、当然弁護などできるはずもないからだ。


 丸山はテレビや新聞で拝見した姿とは、まるで別人だった。

 髪や髭は不清潔に伸び、虚ろな瞳には目やにが溜まり、頰はこけ、見るに耐えない状態にまで変貌していた。


「初めまして、丸山さん。私は神崎さんのご依頼であなたの弁護を担当することになりました、須藤龍之介です」

「こちらこそ、どうも初めまして、丸山勇です。そうですか……神崎が。ったく、お節介なやつですね」

「神崎さんは本当にあなたのことを心配なさっています。私もできる限り善処して、丸山さんの減刑を勝ち取るつもりです。それでも非常に重い罪になることは間違いないでしょうけど」


 須藤はまず、避けようのない事実から事細かに説明していった。死刑がほぼ目の前にあることや、上からの圧力がかかっていることなど。しかし丸山は、何を言っても静かに「はい」と返事をするだけで、全く覇気がなかった。


 やはり、自分の死が目の前にある事実がねじ曲がることはないと、既に心が絶望してしまっているのだろうか。須藤はメンタルケアも視野に入れるが、それはすぐに改められることとなった。


「先生、私は別に減刑は望んでいないんですよ。いや、むしろ死刑にしてももらいたいくらいなんです」


 須藤は眼を剥き、己の耳を疑った。


 なんと丸山は自身の死に絶望していたのではなく、死刑にならないことの方に絶望していたのだ。もはやそれは狂気に近かった。


「な、何をおっしゃってるんですか? まだ可能性はあります! もしかして、もう既に心が折れてしまっているのですか?」

「……いえ、そんなんじゃありませんよ」

「でしたら! 何故!」

「私はね、死刑になりたいんです。死にたいんじゃない、殺されたくないから、法に殺してほしいんです」


 須藤は、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。殺されたくないのに、殺してほしい。それでは矛盾している。


 だが、程なくして丸山の真意に気づく。丸山は死にたがりというわけでも、生きることに絶望しているわけでもなく、自分を社会に放流してはならないから、殺してほしいのだ。


 自分が無期懲役に減刑されれば、模範囚として外に出る機会が与えられる。だがそれは、同時にある犯罪の連鎖に繋がってしまう。

 丸山と同じように、丸山によって殺された少年三人の親族から復讐され、それは止まることなく続く。まさに負のスパイラルだ。


 丸山は自分のように、復讐に駆られて過ちを犯してしまう人が出ないよう、それを断ち切るために死のうとしている。

 法によって殺されれば、私刑による殺人はもう生まれない。だからすぐに自首し、復讐の連鎖を止めた。


 丸山の揺れない意思に驚くと同時に、須藤は大きな喪失感に襲われた。


 須藤は今から、この男を弁護しなければならない。それはほぼ有罪確定の状況から無罪を勝ち取ること以上に険しい道のりだ。本人の望まぬよう未来へと導がなければならない、弁護士にとって、これほど過酷なものはなかった。


「先生、神崎は恐らく言っても聞きませんから、このまま弁護してもらって構いません。けれど、私の真意は変わりません。神崎には悪いですが、どうか私を死刑にしてください。お願いします」


 丸山は机に額を押し付けるように、深く頭を下げた。その姿を見て、須藤は言葉を失ってしまう。自分はこの男のために、いったいどうすればいいのだろうか。須藤は歩むべき道を見失ってしまった。






 拘置所を後にした須藤は、このことを神崎に伝えるべきか迷っていた。


 やはり伝えるべきなのだろう。けれど、丸山の言うように、それで神崎が納得して依頼を取り下げるとは思えなかった。

 丸山が法による裁きを望んでいたとしても、神崎は丸山を救いたいはずだ。


 二人の意思が全く合わない、真逆。

 こんな状態で法廷に向かうなど、戦う意思を持たないまま、丸腰で戦場に出向くのと同じだ。


 確実に負ける。


 当然だ、本人の望まぬ未来を勝ち取ることが、弁護士にとって最も難しい。


 無罪にしてほしいと言えば、その意思に沿う、減刑を求められれば、限りなく罪を軽くするだろう。だが、本人にその気がない場合、この関係性は破綻する。

 

 もはや、ただの商売道具と弁護士だ。ガヤが勝手に騒ぎ、結果を捻じ曲げようと訴える。本人の意思など関係なく。


 もちろん、そんな不完全な状態で臨んでも、最良の結果など手に入るはずもなかった。


 須藤は法廷で完敗し、丸山は死刑となった。


 納得できない神崎は、何度も須藤に丸山との面会を求めたが、特別な事例や親族などを除いて、死刑囚と面会することは不可能なため、それは叶わなかった。


 それでも諦めず、丸山の真意を知るために、神崎は何通もの手紙を書いて送った。

 しかし、返事は一通も返ってくることはなかった。


 須藤は、ある人物から電話をもらい、大急ぎで病院へと向かっていた。


 タクシーを飛ばし、病室へと駆け込む。

そして、思わず目を剥いた。

 目の前の光景に、言葉が出て来なかった。


「……か、神崎さん」


 そこには、腕や足に包帯を巻いた神崎の姿があった。


「い、いったい何があったんですか……?」


 震える声で、須藤は訊いた。


「マスコミに、丸山が仇討ち殺人だということを、被害者の少年に大きな罪があったことを全て告白し、全面的に協力してもらおうとしたんです。ですが、竹村の圧力で、全て潰されてしまったんです」


 神崎は滂沱の涙を流しながら、何が起こったのか説明した。


 どうにか再審請求を可能にするべく、神崎はマスコミの力を利用し、民衆の力を借りようとしたのだ。しかし、竹村に裏から手を回され、最初は協力してくれると言っていたマスコミも、態度を一変させ、誰も神崎には耳を傾けてくれなくなってしまった。


「すみません、自分が変に挑発したせいで、こんなことに。しかし、その怪我はいったい」

「……はは、これですか。実は夜道で後ろから集団に襲われまして、気づいたら路地裏で、こんな状態に」

「ま、まさか……竹村の部下が」


 それはまさに見せしめ行為だった。この事件にこれ以上首を突っ込めば、この男と同じ目にあうぞという、竹村からの脅し。


「国に逆らうって、こういうことなのかもしれませんね。須藤さん、私はこの事件からもう手を引きます。これ以上、丸山のために私ができることなんてない。事件のせいで私が暴行にあったと知れば、きっと丸山を傷つけてしまいます。だからもういいんです」


 須藤は、どう返していいかわからなかった。ただただ、彼の言葉を聞き、下を向いて黙ったままだった。

 そしてそれ以降、神崎は手紙を送るのをやめた。

 神崎から、須藤に何か連絡が来ることも、同時になくなった。








 それから一年の月日が流れた。

 まだ、丸山勇の刑は執行されていない。


 須藤は特に仕事もなく、事務所の喫煙所でタバコを吸いながらネットニュースに目を通していた。


 この国は毎日のように事件は起きている。殺人ですら日常茶飯事だ。

 そして、その九割が知り合いや家族の犯行。無差別に人を傷つけたり、殺したりする事件の方が実は多くない。


 身近な人間ほど最も危険な存在。仲が良くても、蓄積された恨みはその関係性すら凌駕し、襲いかかる。


 だが、中には本人の知らないところで強い恨みを抱かれ、相手が誰なのかもわからぬままにその殺意を向けられる。


 須藤は弁護士だ、人から恨まれることは特に多い。早くて今日、後ろから誰かに刺されてもおかしくない。多くの人間を救っている一方で、同じ数の人間を不幸にする。それが弁護士という職業であり、須藤が志す正義でもあった。


 突如、ドタドタと走る音が響いた。ふとドアの方に目を向けた瞬間、爆発的に解放された。


「せんせー! 大変です! すぐに来てくださいっ!」


 後輩弁護士の木崎が血相を変えて飛んできた。何やら尋常ではない事態らしい。


「何なんだよいったい、まだ吸い終わってないっていうのに」

「タバコなんていつでも吸えます! それよりもこっち! 早く早く!」


 もはや口調すら崩れる。木崎の慌てっぷりは普段の彼女からは想像できないものだった。

 須藤の腕を掴み、喫煙所から無理やり引きずり出した。


 やれやれ、と言った表情で所内に戻る須藤。中では、富山弁護士がテレビの前で苦い顔を浮かべていた。

 須藤は思わず眉をひそめ、首を傾げる。


「とにかく見てください! テレビ!」


 木崎が画面を指差す。疑問符が消えないまま須藤は腰を下ろしてテレビに視線を向けた。


『繰り返します。日本はこの度、死刑にする際は、絶対参加の国民による投票を行うこととなりました』


 その言葉に、須藤は目を丸くし、己の耳を疑った。


「な、なんですか……これ」

「見たままさ。どうやら死刑権と言う新たな制度らしい。国民にも、日本の刑に直接関わりを持たせ、その意味を理解させる。というコンセプトのようだが、とんでもないものができてしまったな」


 口髭を手で撫でながら、富山が難しい顔で答えた。

 それを簡単に理解するほどの学を須藤は持ち合わせていなかった。いかに有能で、かつ優秀な弁護士である彼にとってさえも。

 須藤は言葉を失い、立ち尽くした。


 その日、新たな制度、死刑権が誕生し、その第一号は、丸山勇に決まった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る