第4話「投票」

 死刑権による投票が、一週間後の正午ちょうどに行われることが告知された。


 その時間は如何なる場合であっても仕事などは中断し、投票を行うこと。日本国民全員が必ず参加することが義務付けられており、不参加の場合は処罰される。


 身体が不自由な者や警察関係者、十八歳未満の子供や海外旅行者、日本在住の外国人などはその対象ではない。


 学校でも、一部の誕生日を迎えている十八歳以上の生徒は教師や事務員と同様に、授業を一旦やめて投票に参加しなければならない。

 一年前にこの死刑権という制度が作られ、今回初めて試される。


 一番最初に死刑が執行されるかの投票を行うことが決定した死刑囚は、二年前に未成年の少年を撲殺した殺人犯、丸山勇。

 その男が生きるか死ぬか、一週間後の票数で決定する。国民が人を裁くかどうかを判断するという画期的なシステムである。


 そして、当然この制度に困惑する者はいた。

 高校三年生、友永天馬ともながてんまもその一人。


 彼は非常に平凡だった。ごく普通な過程で生まれ、特に際立った幸運も不幸もなく、今は公立の平均的な高校に通っている。

 童顔でメガネ、背もそれほど高くない。当然女子にモテるタイプではなく、むしろ子供扱いされがちで、少しそのことを気にしている。


 本人はもちろん、男らしくなりたいと思っているため、女子に子供のような扱いを受けるのは侵害だった。しかし、勉強もスポーツも並な彼は、それに異議を唱えるほどの発言力や勇気もなく、愛想笑いでかわしてきた。


 だが、別にいじめられているわけでも、友達もいないわけでもない。

 その辺も普通だ。そんな彼は、四月生まれで既に十八歳なために死刑執行に参加しなくてはならなくなり、その告知を聞いた時は酷く憂鬱な気分になってしまった。


 次の日、彼はいつものように学校へ向かうが、ブルーな心はその表情にも酷く現れていた。

 幸せを逃すように、友永はため息をこぼす。


「おいおい友永、景気悪いなぁ。もしかして、昨日のあれか?」


 隣を歩く友人、山本やまもとが友永の曇った顔を覗き込みながら訊いた。


「そうだよ。来週の投票、ほんとどうしよう、山本ももう十八だっけ」

「ああ、だから俺も参加するはめになっちまったよ。けどそんな深く考えることあるか? ニュースじゃそいつは俺らぐらいの歳のガキを三人も殴り殺したらしいし、別に同情することねーだろ。適当に死刑でいいんじゃねーの?」


 普段から軽い性格の山本は、特に死刑権のことを重く考えてはおらず、三人も殺した殺人犯なのだから死んで当然と思っているらしい。むしろそれは普通の思考だ、見ず知らずの人間になど同情することはない、人を殺した重罪人を庇う理由も特にはないのだから。

だが、友永は彼とは全く逆のことを考えていた。


「なあ山本。どうしてお前は、見ず知らずの人間をそんな簡単に殺せるんだ?」


友永の言葉は妙に重みがあった。


「は? 何それ、どういう意味?」

「だって、来週の投票って、俺らの一票がその人を生死を決めるんだぜ?そんな、簡単でいいのかな」

「おいおい、お前ちょっと真面目に考えすぎじゃねーか? たかが一票だぜ? 俺らが入れたところで変わんねーって」


 山本の言う通り、これは十八歳以上の国民のほとんどが参加する投票だ。一見、友永たちの一票にそれほど大きな力はないようにも思える。しかし、それでも人の生死をかけた一票だ、決して軽くない。万人のほとんどは、山本の考えの方が一般的だろう。自分一人が深く考えたところで、この投票に影響などでない。そうやって思考を放棄する。


 他力本願、責任転嫁、だがそれは別に悪いことではない。面倒なことから逃げたくなるのはむしろ人間的だ。

 友永のように深く悩みすぎてしまう人の方が損をする。


 それだけ日本人は、死刑というものを意識せず生きてきた。今更深く知ろうとするなんて無理な話、回ってきたツケ。

 遠い存在、故に気にならない。誰が死のうが、安全なところにいる自分は無関係なのだから。


「ほらもう学校着くぞ、どうせ先生からなんか言われるだろうし、考えるのはそっからでいいだろ」


 いつのまにか校門の前まで来ていた。既に生徒のざわめきが伝わってくる。友永や山本の他にも十八歳になっている者はいるのだ、皆の注目がその生徒に集中していた。校内では、普段話さないような生徒にまで囲まれ、昨日の告知について訊かれている。

 そして当然、それは友永や山本の元にも現れた。

 クラスにつくと、突然背の高い生徒に声をかけられる。


「お前らも例のあれ、参加するんだろ?もう票入れる方決めた?」

「もってことは、黄瀬もか」

「ああ、ちょうど一ヶ月前に誕生日だったからな。ついてねーぜ、正直だるい」


 クラスのムードメーカー的存在、黄瀬晴矢きせはるや。もうすぐ引退だが、今はサッカー部のエースで部長、しかも他校に彼女がいるらしい。まさに勝ち組である。


 友永のような普通に特化した凡人とはえらい違いだ。そもそもあまり話したことがない。意外な人物に呼び止められ、友永は若干困惑する。

 だが、よく言えばフレンドリーで、悪く言えば馴れ馴れしい山本が一緒のおかげで少々助かっている。友永一人なら間違いなく言葉を詰まらせていただろう。


「んで、決めたのか? 票入れる方」

「俺はまあ、多分普通に死刑かな。同情の余地ないし」

「ほーん、友永は?」

「え? いや、俺はその、まだ」

「あれ、決めてねーのか?」


 黄瀬は首をフクロウのように傾げた。


「いやこいつさ、ちょっと深く考えすぎてるみたいなんだよね、まあ気にしないでいいよ」


 山本が間に入り、友永が悩んでいることを伝える。実のところ、山本が思っていることほど単純なことではない。

 友永は今、善悪や法、それらの大きな矛盾にぶち当たっている。彼はまだ社会を知らない子供だ、その疑問を取り除けばどれだけ楽か気づいていなかった。


「友永、山本、黄瀬。お前ら、なに教室の入り口でべらべら駄弁ってるんだ? 早く席につけ」


 現れた担任教師に学生名簿で頭を軽く叩かれる三人、その光景を見たクラスメイトからクスクスと笑われてしまう。

 三人は頭を撫でながらおとなしく着席する。


「えー、もうどうやらだいぶ話題になっているようだが、来週丸山勇の死刑執行が決まった。だが、最後に死刑権による投票が行われる事が一年前に決定しているため、十八歳以上の生徒には必ず参加してもらうことになる。くれぐれも、体調管理に気をつけるように。それと、当然だがズル休みなどもしないように」


 クラスには既に十八歳になった生徒が十数人おり、教室がざわめく。


「先生、どうしても参加しないとダメですか?」


 一人の女子生徒が手を挙げ、担任に尋ねた。


「そうだ。それは国が定めていることだ、決して破ってはならない。皆も困惑してると思うが、これは大切なことなんだ、軽い気持ちではなく、よく考えて投票してほしい。この結果を踏まえて、今後この制度が続くかどうかが決まるからな」


 担任は良かれと思って言ったが、それはさらに友永の心を混乱させた。

 その言い方では、今回死刑が執行される丸山勇は、まるで集団操作の実験みたいじゃないか。

 国民がこの制度に対しどう向き合い、どんな選択をするのか。国は密かにそれを図っているかのよう。


 それがこの制度の狙いなのだろうか。丸山勇が死のうが生きようが二の次で、大切なのはこの国民投票でわかる国民の死刑への理解度や考え方。


 結局、国がやりたいのは人の命を使った実験だ。


 友永は思う、このままでは死刑というものの国民の認識は変わらない。丸山の死が無駄で終わってしまう。

 だが、同時に感じる。自身の無力さを。そんな大層なことを考えたところで、自分はこの死刑権の投票でも何の力もないのだ。


 これはクラスで委員長を決めるような少人数の投票とは違う、国一つが動く。それだけ重要、その一票の責任は大きい。


 だからなのかもしれない。だから皆、その重圧から逃げたくなり、軽く考えようと自分に言い聞かせ、正面から向き合うことを避けている。

 友永は恐怖する。来週、自身がどんな決断を下せるのか。その未来に。


 放課後、友永はいつものように帰り道が一緒の山本と下校していた。

 二人とも部活には入っていない。山本は中学までは野球部だったが、今は帰宅部で暇人だ。やめた理由は単純に飽きたかららしい。中学での三年間ずっとレギュラーだったが、特に目立った成績もなく、そこまで好きでもなかったために引退した。


 友永は最初、山本に野球を続けることをすすめたが、今は互いに帰宅部で自由な時間も多く、それなりに充実している。正直やめて正解だっただろう。続けていても、別にプロになるわけでも、野球関連の職につくわけでもない。あくまで部活動というだけだ。


 それでも、何か秀でたものを持つことに、友永は羨ましさを感じていた。

 自分には何も備わっていなかったから。


「なぁ、暇だし駅前のゲーセンにでも寄ってかね?」

「え……まあ、別にいいけど」


 二人が好んでたむろする場所は、最寄駅の前にあるショッピングモール内のゲームセンター。そして決まってプレイするのが、対戦アクションゲーム、好みの機体を選び、ネットで不特定多数のプレイヤーと闘うゲーム。台が二つあれば店内対戦も可能だ。


 今日も、てっきりそれで遊ぶものだと思っていた。

 しかし、山本はその台をスルーした。


「あれ? これやんないの?」

「今日は別のにしようぜ。それ飽きた」

「たしかに、たまには別のゲームがいいな」


 都合のいいことにこのゲーセンはモール内とはいえ割と大きい、他にも楽しめそうなゲームはたくさんある。メダルゲームやスマホゲームのアーケード版、麻雀にシューティングゲームなどなど。


 その中から山本が選んだのは、海賊船に乗って冒険しながら幽霊船と激しく撃ち合うシューティングホラーゲームだった。


「面白そうじゃね?」

「ちょっと怖そうだけどな」


 最大二人まで協力プレイが可能で、銃も二つセットされている。一人でプレイする時はワンコインで済むが、二人プレイするには百円玉が二枚必要となる。

 持ってみると中々に重い。画面の操作もこの銃で行うようだ。


 画面に向けると、赤と青のターゲットマークが動き、メニュー選択などができる。

 このターゲットマークを敵に当てて、ボタンを押せば弾が発射される仕組みらしい。


「うおっ!」


 早速プレイしてみると、敵が画面外から突然現れるため少々驚いた。


「何だよ友永、ビビってるとやられるぜ」


 山本がニヤニヤしながら煽ってくる。

だがこのゲームは想像していた以上に怖い。ゾンビやクモなどが倒しても倒しても湧いて襲ってくる。


 敵を倒すのは簡単だが、数が多いため漏れた敵の攻撃を避けられずにどんどん体力を失っていく。これは中々難しい。


「なぁ友永、ゲーム中だけどちょっといいか?」

「え? なんだよ急に」


 少し低めなトーンで山本が話しかけてきた。ゲーム中に煽ったり、わざとポーカーフェイスを崩したりする山本だが、話題を変えたりすることは滅多にない。

 友永は頭の上に疑問符を浮かべた。


「俺は例の死刑囚、やっぱり死ぬべきだと思う」

「は? 今その話すんのか?」

「ああ、こういう時の方がいいだろ。ちょうど口も空いてるし」

「俺は構わないけど、特に苦しい場面じゃねーし」


 というより、別にゲームオーバーになろうがどうでもよかった。二人にとって、このゲームでの勝利など、特にこだわるものでもない。


「友永はさ、見ず知らずの人間を死刑にするなんて、自分にはできないって言ったよな?」

「言ったよ。だって、俺には関係ないことじゃないか。俺はそいつのことを知らない、なのにそいつを裁くかどうかを判断するなんて無理だろ。俺は遺族でも、被害者でもない。ただの高校生なんだから」


 タイミングよく、ゲームクリアの音声が鳴り、第二ステージへと進んでいく。ゾンビの次はクラーケン、海上での戦闘に突入する。そんなことお構い無しで、山本は話を続けた。


「お前さ、俺がこの死刑権について軽く考えてるんじゃないかとかって思ってるよな?それ、半分正解だぞ」

「え? は、半分?」

「たしかに深くは考えちゃいない。けどな、お前が思ってるほど、軽くもないってことさ」


 山本はいつもと雰囲気が違って見えた。普段は飄々として掴み所がなく、軽薄な印象が強い。しかし、今日は違った。山本は真剣な眼差しで言った。


 思わず固まってしまう友永。その瞬間、アラーム音のような耳障りな曲が流れ出した。


「おいおい、お前もうライフやべーぞ」


 気づかぬうちに、友永の体力はレッドゾーンに突入していた。

 そして数秒後、画面にゲームオーバーという文字が表示された。

 友永は慌てて新たに百円玉を投入し、残機を一つ回復させる。


「やっぱ話しながらはきついか?」

「いや、続けてくれよ。やりながらの方が俺には合ってる」


 その根拠などはないのだが、普通に話しても空気が重くなるだけだ。それに、これならいつもの対戦ゲームでいいはず、友永は山本がこのゲームを選んだ真意などを知りたかった。


「俺、多分お前とは逆のことを考えてる。俺は相手がどんな人物であったとしても、人を殺したなら罰せられるべきだと思う」

「それが……自分の手によって、そうなるかもしれないとしてもか?」

「そうだ。そいつにどんな事情があったとしても、同情の余地があろうとも、やっぱり人を殺したら罰を受けなきゃならない。人ってのはルールの中でしか生きられない、そのルールは絶対に犯しちゃならねーんだよ。だから俺は死刑執行に票を入れる。それに今もさ、俺たちはゲームの中で殺し合いしてるじゃねーか。相手が人間じゃなければ、ゲームの中であれば、それは許される。映画やドラマじゃそれこそ情は生まれるかもしれない、けどこれは現実だ。裁かれるべきなんだよ、誰であっても、どんな理由があっても」


 友永は大きな誤解をしていた。山本は単に事を軽く見ていたわけではなく、悩んだ末に自身の考えに結論を付け、その通りに行動しているだけだったのだ。


 この世は疑問で溢れかえっている。人間はそれに一つの答えを生み出そうとするが、それは不可能だ。だからこそ哲学者は答えのないものを考え、それを一つの思考として歴史に刻む。だが、何かに疑問を持ち、変な勘ぐりを持つことは、自分をわざと疲れされているだけだ。疑問という渦中に自身を投げ、そこで永遠と終わらない疑問についてただ考えだけを述べる行為。それは楽じゃない。無駄な体力の浪費だ。


 そもそも疑問に思うだけでは教師に質問している学校の生徒と変わらない、思考が幼い子供のまま、抜け出せていない。人は大人になることで疑問に思う事をやめる。それでどれだけ世界が楽に見えてくるだろう、多数派に乗ってさえいれば人間は疲れない。それが正解、答えのない疑問の模範解答。


 山本はそれを捨て去り、今の世の中で、どう生きれば楽か、どれが多数派なのかということに身を置いて考えている。それが正しかどうかなど、到底自分には決められないから。


「俺は自分の選択が間違ってるとは思っていない。人はそれぞれ違う、お前はお前で悩むといいさ、自分なりの答えが見つかるまで」


 山本は銃を元の場所に戻す。気づけばラストステージを突破し、ゲームクリアの表示が映っていた。


「やっぱり無理か? 見ず知らずの人間の生死を決めるってのは。でもそれがこの国のルールなんだ、逃げられねーよ。結局来週には決めなくちゃならない」


 そう、考える猶予は一週間、たったの一週間しかない。

 友永はまだ決断できずにいたが、山本の考えが理解できないわけではなかった。


 人はルールと共に生きている。それを破る者がいれば罰する。ルールとはそういうものだ。そこに感情を持ち込んではならない。そう割り切ってしまえばどれだけ楽か。人は楽な方に流されやすい、当然死刑を望むだろう。


 だが、それが友永には怖くて怖くて仕方がなかった。誰もが流れる答えに身を任せるのが。


「友永、他にやりたいゲーム、あるか?」

「ないよ。悪い、ちょっと疲れちまった」

「だよな、俺も少し言い過ぎたかも。悪かったな」

「全然、むしろ俺がどれだけ思考が幼いかよくわかった。けど、楽に生きるってのが大人になるってことなのだとしたら、俺はそれが怖いよ」


 山本は何も言い返さなかった。それを否定も肯定もせず、ただ黙ってゲームセンターの出口へと向かった。

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