第5話「答え」

 その夜、友永は部屋に篭って例の死刑囚の事件についてずっと調べていた。その動機や、殺された不良少年たちがどういう人間で、彼は何を思ってその三人を殺したのか。


 だが、調べているうちに、やはりこれは単なる感情論であって、正しくはないんじゃないかとも思えてきてしまった。山本の言葉が、何度も頭の中で蘇り、何度も胸に突き刺さった。

 人はどんな理由があっても、ルールを破ってはならない。


 この三人は夜の公園でホームレスをリンチしたり、無差別に同い年くらいの少年を手にかけ、父親とその秘書に何度も尻拭いをしてもらっていた。


 彼らを法で裁くことは不可能な状況だった。だから丸山勇は三人を殺すことを決意した。法で裁けないのなら、自分で裁く。そして丸山は逮捕され、死刑判決が下った。


 同情したくなるような悲しい事件だ。誰も得をしない、不幸が不幸を招き、何人もの人間の人生を狂わせた。全ての発端は殺された不良少年たちだが、彼らはルールを破っても、裁かれないように回避した。山本からしてみれば、彼らは裁く対象にはならない。あくまでも罰せられるのは罪を犯し、それが法的にアウトな場合だけだ。この少年たちは、その法に守られている。彼らは実質、何の罪もない。


 酷い事件だ、ただただ胸糞悪い。


 友永はパソコンを閉じ、ベッドの上に寝転んだ。母親が風呂に入れと怒鳴っているが、彼はそれを無視した。というより、耳に入ってこなかった。友永の頭の中は、死刑権のことでいっぱいだった。


 二年前なら、今頃被害者の不良少年たちに殺された丸山勇の息子は、ちょうど友永と同じ高校三年生になっていた。もしかしたら、大学に進学して同級生になっていたかもしれない。


 それにもし、この不良少年たちを丸山が殺さなければ、新たな被害者が生まれ、その度に揉み消されて被害が拡大する一方だった、という可能性もある。


 それか、逆にそこから事件が明るみになり、彼らが刑罰を受けて更生していたかもしれない。望みは薄いが、それもゼロじゃない。

 だが、確実に見合った刑が執行されるとは限らない。


 それに、そんないつかなんて待っていたら、被害者は今より酷く、それこそ死刑でも片付けられない。


 だとしたら、やはり誰かが罪を犯してでも、彼らを私刑にするしかなかったのか。そんな最悪で最低のことばかり、友永の頭には浮かんだ。

 しかし、それでも死刑はやりすぎなんじゃないだろうか。


 この死刑権による投票は、あくまでも死刑にするかどうかを投票で決め、死刑反対派が過半数を取った場合は裁判がやり直しになるだけだ。たしかに人を三人も殺した人間に罰を与えないというのはおかしい、ただそれでも、死刑は重すぎるんじゃないだろうか。


 それこそ、死刑にしてしまえば罪を償うということはできなくなる。ただ、死という代償で償うだけで、その罪に向き合うとことすらない。

 なら、死刑ではなく無期懲役として、罪の重さを時間とともに感じさせるべきだ。


 模範囚になろうとすれば、当然正しく生きようとするし、丸山勇は本来は人を殺すような人間ではないはずだ。この事件はあくまでも仇討ち殺人、殺戮の意思があるわけじゃない。


 死刑は無理でも、別の方法で罪を償わせる。友永の思考はさらに生温く、安全な方向へと変化していく。その甘さが認められると、勝手に勘違いして。


 友永が感じているほど、人はそう単純ではない。それこそ、民衆は丸山勇の本性など知らないしどうでもいい、要は自分が安全に生きられればいいのだ。


 その場合、どこまで信用できるだろうか、私情で人を殺した男を。

 当然、信じることなどできない。既に罪を犯した人間には、それだけマイナスな面からスタートする。この男は、理由があれば人だって殺すような人間なのだと。


 そうすれば、必然的に信頼関係など築けない。ちらついてしまう、人を殺した過去が、常に。

 人は恐れる。誰しも自分が可愛い、だからこそ楽に、安全に生きようとする。

 友永の苦悩は、それから一週間続いた。







 死刑執行日前日。


 体育館内は一段とざわつき、生徒のヒソヒソ話が絶えなかった。それもそのはず、明日はついに死刑執行日。投票の結果によっては裁判がもう一度やり直しになるが、明日が丸山勇の命日となるかもしれないのだ。


 ネットではその話題で持ちきりで、丸山が殺した三人の不良少年の悪事や、息子を殺されたことによる仇討ち殺人のことが多くて取り上げられ、彼を死刑にしてはならないという団体まで出来上がっていた。


 もしかしたら思わぬ展開で票が分かれるかもしれないほどに、丸山を賞賛する声や、被害者の少年たちを蔑む声も多くなっていた。

 そんな中、友永はまだ答えを決めきれずにいた。


 山本は、あれから死刑権については話題にしてこない。今までと変わらず、新作ゲームの話や映画、好きなグラビアの話など、軽くて調子のいい山本らしさが戻った。


 まだ、あの時の言葉が胸に引っかかっていた。

 ルールに情を持ち込んではならないことが、それがどれだけ人を苦悩させ、時間を無駄にさせることが。


 楽に生きることが大人で、利口なのだと。

だが、そう決めつけることすら、友永にはできなかった。


 本当にそうだろうか。本当に、疑問に思うことは幼稚で、愚かなことなのだろうか。

 その日の授業は、何も頭に入ってこなかった。

 ただただ、明日の死刑権のことだけが何度も思考をめぐり、教師の言葉など右から左に抜けていくだけだった。


 放課後、変化は起きた。


 いつもなら一緒に帰る山本が、今日は先に帰ってくれと促し、友永は一人で家路を急いだ。

 一人で帰宅するのは、久しぶりだった。

 山本と帰ることに慣れてしまっていて、妙に違和感があった。


 恐らく、山本は明日のことで悩んでいる友永を察してくれたのだろう。今はまだ、気持ちの整理がついていなかった。


 見ず知らずの男一人の命が、友永にとってはなりより重く、圧をかけてのしかかってきた。

 というより、自分がどうしたいのかすら、友永にはわからなかった。

 ただ一票入れるだけの行為と言えばそれまでだが、友永にとっては重く大きな一票なのだ。

 今、自分がどうすればその答えにたどり着けるのか、友永はその夜、ベッドの上でずっと考えていた。


 その日は、人生で最も朝が遠く、長い夜になった。


 明日、自分は人を殺すかもしれない。自分は感情で答えを先延ばしにしてしまうかもしれない。

 どちらであっても、それが正しいと思えなかった。

 いや、正しい答えを求めること自体がそもそも正しくないのかもしれない。

 だからこそ、山本はルールを守るため、人を殺せば罰する。それだけのことで行動している。

 だが、自分はどうだろうか。この一週間、ただひたすらに頭を悩ませるだけで何もしていない。変に偽善を垂れ流し、無駄に時を過ごし、まるで悩まない周りがおかしいんだと、勝手に勘違いしているだけのガキ。幼稚な子供そのものだ。


「俺に……できること……か」


 友永は部屋の中で一人呟いた。


 答えがないのなら、探せばいい。だが、頭の中では見つけられない。今ある自分の知識ではたどり着けないからだ。

 ならば、やることは一つだけだった。


 悩む時間があるなら、その時間を有効に使えばいい。


 友永は次の日、学校をズル休みした。








 死刑執行日当日。


「おい山本、今日は友永と一緒じゃないのか? 休みの連絡は来てないし、親御さんはもう友永は家を出たって言うし。お前は何か聞いてないか?」

「……いえ、別に」


 担任教師は頭をくしゃくしゃとかきむしりながら、深いため息をついた。


 今日は大切な投票日、もし投票しなければ刑罰が下る。校内からそのような生徒を出すわけにも行かない、そもそも行方不明状態だ、当然捜索する。


 しかし、友永の行方を知る者はいない。心当たりのある場所も特にはなかった。普段から山本と行動しているせいか、彼が一人で向かうところを皆は知らなかった。もちろん教師も、山本も。


「ったく、面倒かけるなよなぁ。携帯にかけても出ないし、いったいどこ行ったんだよあのバカは」


 担任教師が愚痴をこぼしながら教卓に戻る。山本は何も知らないと言ったが、少しだけ、感じるものがあった。

 友永がどこに向かったのかが。

 教室の窓から外を眺め、山本は言葉を紡いだ。


「答え……見つけられるかもな」






 都内、東京北拘置所。


 友永は学生服のまま、そこで息を切らしながら立っていた。


「はぁ……はぁ……ここが」


 そこは死刑囚、丸山勇が収容されている拘置所。


 そこには興味本位でやって来た一般人から、その瞬間を封じるためのマスコミなどでごった返していた。


 丸山はまだ、自分が今日死ぬということを知らされていない。


 今、中でその準備が行われ、投票が終わり次第、死刑執行かそうでないかが言い渡される。

 死刑囚は、前日に自殺しないよう、必ず死刑執行をその日の早朝に伝えている。だが今回から設けられた制度、死刑権では、投票で死刑執行が決まった後、死刑囚にそのことが伝えられる。


 つまり今、丸山勇はこの拘置所の中で、今日をまたいつも通りに過ごそうとしている。自分が今日死ぬかどうか決められていることなど、夢にも思っていない。


 死刑囚は人数が多い、その中で誰が次に死刑が執行されるのか、死刑囚にはわからない。

 今、彼は何を思って生きているのだろう。復讐を成し遂げたことを誇らしく思い、悦に浸っているのだろうか。それとも、三人を殺してしまったことを後悔しながら、その罪を償う方法を考えているのだろうか。もしくは、死の恐怖に毎日苦しみ、死ぬのは今か今かと、怯えながら生きているのだろうか。


 それは誰にもわからない。丸山勇本人を除いては。

 どうして友永がこの場所に来たのか、それは単純だった。

 彼は決めたのだ、どうしたいか。


 友永の答えは、死刑を執行するに、票を入れることだった。


 これは、流されたわけでも、山本に共感したわけでもなかった。

 全て、自分一人で決めたことだった。

 彼は単に、丸山勇を殺してあげたい、そう思ったのだ。


 友永は事件を調べていく中で、丸山勇が三人を殺害した後、すぐに警察に自首したことに着目した。


 そのことから、丸山勇は罪を償いたいから警察に向かったのではなく。復讐の連鎖を止めるために自首したのだと悟った。


 丸山が殺した三人にも、大切に思ってくれている家族がいる。

 もし、自分が息子のために三人を殺したと知れば、必ず報復することだろう。

 そうして、また一人復讐の連鎖を生み、断ち切られることはない。


 だが、もし死刑になれば、法が全てを解決してくれる。法によって裁かれれば、これ以上の殺戮は起きない。


 丸山勇は自分のように復讐に走ってしまう人が出ないよう、それを法の力で断ち切ったのだ。

 友永はその意を汲んであげたいと感じた。このまま永遠に答えが出ないのなら、答えが出ている者にそれを委ねようと。


 そして、その死刑執行を見届けるために、この場所へと足を運んだ。

 本来なら、死刑執行の瞬間など民衆にはわからない。ならば、できるだけ近くで、それを肌で感じよう。友永はそう考え、ここにいる。


 刻々と、丸山勇の死刑執行への時が刻まれる。

 まるで体の中に電波時計が埋め込まれているかのようだった。時計を見なくても、今が何時何分何秒なのか、友永にはわかった。

体が、教えてくれている。






 そして迎えた投票の時。

 携帯画面には、死刑を執行するべきか、裁判をやり直すべきかの二つのボタンが表示されていた。片方は赤、もう片方は青。映画のラストシーンのような、苦笑いがこぼれるような妙な演出だ。


 投票はパソコンや携帯電話、学校や市役所、病院と言った特定の施設での投票ボタンなど、あらゆる方法でそれを換算していた。


 携帯電話を持つ者は、皆このためのアプリを強制的にインストールされており、時間になったら投票を行わなければならない。

 友永は迷いなく、死刑執行のボタンに指をかけた。


 数秒、その場が沈黙する。


 この世の時が、止まったかのような、そんな不思議な瞬間だった。

 周りには何人ものマスコミ関係者、警察官、野次馬などが拘置所の前で静まり返っていた。


 もう一度携帯に目を落とすと、画面が切り替わっていた。

 アプリが勝手に落ち、携帯には反射した自分の顔が映っていた。


「……はは、酷い顔」


 友永は独りごちる。


 総票数や、片方にいくつ票が入ったのかなどはわからなかったが、どうやら結果が出たらしい。

 どんな結果であろうと、友永は自分の答えに悔いはなかった。

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