死刑権

江戸川努芽

第1話「プロローグ」


 今から丁度一年前。

 その日、日本国民のほとんどが、テレビ画面に釘付けとなっていた。

 それは日本にとって、ごく一般的なニュース番組だった。お茶の間では日常的にチャンネルが合わせられ、常に高視聴率を誇っている。

 ニュースキャスターの言葉は、滑舌良く、聞き取りやすかった。

 しかし、大半の人々は、その意味を理解することができなかった。隣にいる者と不思議な顔で目を合わせ、皆頭を抱えていた。


『繰り返します。日本はこの度、死刑にする際は、絶対参加の国民による投票を行うこととなりました』


 その日を境に、日本には死刑権という新たな制度が生まれた。











 須藤龍之介すどうりゅうのすけは、拘置所の前で一服していた。

 この塀の向こうで今、ある男に極刑が下ろうとしている。

 だが、須藤は弁護士であるにも関わらず、彼を減刑することができなかった。


 裁判が行われたのは今から丁度二年前。結果は最悪となり、裁判官が下した判決は死刑。その刑が、今日執行されようとしていた。

 須藤は、何故自分がこの場所にいるのか、不思議でならなかった。


 別に何かできるわけでもない、気付いたらこの場所に立っていた。

 そして無意識に、事件のことを思い出した。


 今世間では、その事件の話題でもちきりだった。それは新聞の一面を飾り、ネットや動画サイトなど、ありとあらゆるところで拡散されていた。

 その事件とは、二年前に不良少年の高校生三人が、深夜に公園で撲殺されたという残酷な事件である。

 犯人はすぐに捕まったが、動機は同じく二年前に、不良少年たちによって自分の息子がリンチ殺人にあったことへの復讐だった。

 犯人の名は丸山勇まるやまいさむ、現在無職。事件が起きる前までは普通のサラリーマンだったが、息子が殺されてすぐに、妻もショックから入院してしまい、精神的に仕事を続けられなくなってしまった。


 仇討ち殺人、そう言えば聞こえはいいが、実際は未成年の少年を三人も殺した凶悪犯である。

 たしかに、その少年らは元々素行が悪く、学校でも札付きの不良だった。しかしまだ未成年、いくらでもやり直せた。


 そして、今日はその丸山に極刑が下る。

 だが、まだここから覆せる可能性はあった。この日本で一年ほど前にできた新たな制度、死刑権によって。


 死刑権とは、文字通り死刑を執行する権利。十八歳以上の国民はみな死刑権を持ち、死刑が行われる日の昼十二時丁度、投票を行って死刑にすべきかどうかを国民が決めるというもの。

 死刑権が生まれてから、今日初めてその制度が試される。


 二年前の裁判で死刑を言い渡され、今までずっとその刑が執行するされることはなかった。だがついに今日、丸山は死ぬ。

 須藤はまるで昨日のことのように鮮明に覚えていた。丸山がどんな思いで彼らを手にかけたのか、彼と最後に会ったあの日のことを。

 奴は自身の罪を悔いていなかった。いやむしろ逆、息子の仇を打てたことに歓喜していた。

 もし、息子が死ななければ、また別の道があったのかもしれない。


 日本を含め、法律とはとても不可思議なものばかりだ、須藤はそれを生業してはいるが、今の法律が全て正しいとは一度も思ったことはなかった。

 例えば、正当防衛や緊急避難は、己や他人の利益を守るためならば、最悪の場合、人を殺しても無罪になるという法だ。

 人間は自然と、殺人行為を最終手段の一つとして捉えている。これはつまり、殺人が悪ではなく、法に触れる殺人が悪だということの証明だ。


 息子が殺されそうになり、それに対して反撃して相手を殺めてしまうことになっても、罪は今より当然、軽くなる。

 だが、息子が殺されてから相手を殺した場合、それは反撃ではなく報復へと変わる。要は、死んだらもう価値はないのだ、守るべき価値は。それが仇討ち殺人の虚しさや儚さをより強調している。


 そんなことをしても、大切な人は帰ってこないのだから。

 ただただ自分が損をするだけ、得られるのは僅かな自己満足のみ。誰も救えない、死んだ人も喜ばない、それほどに空虚なもの。

 ふと腕時計に目を落とすと、投票の時間が迫っていた。


 死刑になるかどうかは、全てがこの国民投票によって決まる。国民全員に死刑を執行する権利を与えたもの、それが死刑権である。

 死刑執行が過半数であった場合のみ死刑が執行され、もし死刑執行が投票で中止になれば、裁判をもう一度やり直すという新たな死刑制度。

 今まで死刑というものに関わってこなかった民衆が、初めて実感する。人を裁くということはなんなのか。


 そしてついに、投票の時が来た。

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