第10話「結末」

 世間ではある死刑囚の死刑執行投票についての話題で持ちきりだった。


 三木は小説のネタ探しのため、都内にある人の出入りが激しい駅の近隣でインタビューを行っていた。


 彼女が得意とするのは主に社会風刺で、現実にある問題点なのがネタになっている。

 今回は、死刑権という新たな制度に対する国民の不満や本音、そして今の法や死刑そのもののアナなどを次の作品のネタにするため、道行く人に声をかけている。


 渋谷では赤髪の不良少年含めた合計七名の意見を聞き、それを手帳にメモし、複雑な部分はレコーダーに記録した。


 これを既に十日ほど続けている。死刑執行は明日の正午なため、今日はギリギリまで粘って話を聞こうと考えていた。


「さて、そろそろポイントを変えるとしますかね」


 腕時計で時刻を確認すると、電車に乗ってまた別の場所へと移動する。






 池袋、西口。ウエストゲートパーク。


 十年以上前、この場所を舞台した小説のドラマが放送されていたが、当時この駅前に多くいたというカラーギャングや愚連隊の姿はどこにもなく、平和で落ち着いていた。


 噴水の前に腰を下ろし、キョロキョロと道行く人を選別する三木。


 できるだけ年代などを分け、より多くの人間の意見を聞く必要があった。


 そこに、高そうなスーツに身を包んだそれほど年配でもなく、かといって若すぎない、恐らく二十代後半から三十代前半と思われる男が隣のベンチに腰を下ろした。

 三木はすかさず男に近づき、遠慮もなくレコーダーを顔に向けた。


「すみません。少々お時間いただけないでしょうか。明日の死刑権の投票について、お話を聞きたいのですが」


 男は最初こそ三木を変な目で見たが、どこかの新聞社やマスコミだと思ったのだろうか、やれやれといった気怠げな表情でこちらを半目で睨んだ。


「悪いが、そういうのは断ってるんだ。変なことは書かれたくないからね。仕事柄、少し敏感なんだ」

「これは失礼しました。私、しがない物書きをしております。あなたから聞いたことをそのまま記事にしようなどという気は一切ありません。あくまで次回作の資料に使うだけです。それに実名などは特に聞きませんので、その辺はご心配なく」


 しかし、男の目は猜疑心に満ちており、三木に対する信用は微塵も感じられなかった。

それどころか、男は三木を無視してタバコを吸い始めた。早くあっちへ行けと煙たがっている。


「そうですよね。急に知らない女から声かけられても警戒しますよね。まあでも、一応名刺渡しますね」


 こちらは特に嫌な思いなさせないという意思表示のため、下手に出たような態度で名刺を渡す三木。

 男は身なりからして業績の良い大手のサラリーマンか、重役である専務か副社長、いや若社長ということも予想できる。

 その対応も、自身の迂闊な一言などが今後降りかかってきやしないかと警戒しているからこそだ。それなりに力のある人間でない限り、そういった態度は取らない。


 三木は既にそれを見抜いていた。


 そのため、どうにか警戒を解こうとしていた。こういった世間に良い姿を見せようとしている人間こそ、死刑権での投票が非常に重要になってくる。その一票が身を滅ぼすことにもなりかねないからだ。死刑にするを選べば、恐らく人間性を疑われる。結果がどうであろうと、殺すという選択肢を取った時点で負けてしまうからだ。


「物書きって、そんな人がどうして死刑権のことなんて聞くんだ? 悪いけど、世間にとってマイナスにしかならないことはできるだけ避けるようにしてるんだ。すまないね」

「私は引きません。むしろ、あなたのように世間体に敏感な人の意見こそ至高ですから。でなければ、わざわざ声かけたりしませんよ。警戒されること見え見えじゃないですか。私は単に小説のネタ探しでインタビューを行っているだけです。ですからどうかお願いします。今回の死刑権について、重役的立場からの意見をお聞かせください」


 そんな三木の熱意に押されたのか、男は深いため息をこぼし、タバコを灰皿に捨てると、改めて三木の目を見た。


「嘘は言ってないみたいだな。下の人間がミスをした時や契約を取る際など、私は幾たびも人間の嘘を見てきた。君からはそういったものは感じられない。ただ純粋に、私から言葉を引き出したいだけのように思える。いいだろう、少しくらいなら付き合ってあげよう」

「ほんとですか! あ、ありがとうございます!」

「まったく、君からは不思議な力を感じるな。何故か断れない。おっと、申し遅れたね、私の名は加藤誠也かとうせいや、この会社で副社長として父の仕事を手伝っている」


 加藤は三木のことを信用したらしく、ほのかに笑みを浮かべながら名刺を差し出した。滝本が高校時代に言っていたように、三木には本人が思っている以上に、相手の心を開かせる力があった。


 それは言葉遣いや身振りなどではなく、三木そのものが持つ力だった。

 加藤は、そんな三木の力にあてられたらしく、数秒前とは別人のように心を開き、ペラペラと話して聞かせた。


「実はすごく悩んでいるよ、この投票。何が最善の方法なのか、私にはわからない。まあ、それだけ死刑という事柄に対して我々民衆が無知だったということなんだが」

「そうですね。今までは死刑は裁判や死刑執行の結果だけでしか意識することはありませんでしたから」

「ああ、ずっと国に任せ、民衆は死刑にしろだの、死刑は良くないだの、まるで見知ったように語る。けれど、本当は無視してはならない存在だ。法というものに守られて生きている限りは」

「そしてついに、民衆が死刑に向き合う時が来たんですね」

「そういうことになるな。私もそのせいで悩んでいる。まあ、恐らくは死刑にしない方に票を投じるだろうけどな」

「どうしてですか? 差し支えなければ教えていただきたく思います」

「簡単さ。裁判がやり直しになれば、きっと彼は死刑になる。だが、死刑権の投票はもう今回を限りに行われることはなくなるだろうからだよ。こんな制度、いつまでも続くわけがないからね。今回試しにやってみて終わりさ。そうすれば、我々民衆はまた戻れるだろう、死刑と無縁に生きる当たり前の世界に」


 加藤の考えは模範的で、良く言えば現実的、悪く言えば他力本願。彼個人の個性は皆無だった。


 だが、それが正しい民衆のあり方そのものなのかもしれない。関わりたくないものは避け、国だの法だの騒ぐくせには、いざ自分がそれを考える立場になれば答えを保留にして逃げる。

 言葉だけならば一方的に非難しているようにも思えるだろう。しかし、この行為や考え方は人間として当然であり、簡単に否定できるものではない。


 善人を装っている者ほど、目先のことしか頭になく、国だのなんだのと言って、まるで自分は深く考えていると見せかけているだけ。本性は全く逆、何も考えていないからこそ、感情論でより道徳的な正解を導き出そうとする。


 しかし、これは本当は罠だ。限りなく道徳的に考えようとしても、決して届かないのが事実なのだ。


 結局、たどり着かない。


 加藤のように割り切っているものであれば、最善を目指すことがどれほど愚かなことかよく理解できている。


 だからこそ、答えを国に任せる。それが民衆の正しいあり方だとわかっているから。


「さて、すまないがもう戻らなくてはならなくてね、ここで失礼させてもらうよ」


 加藤は立ち上がり、よれたシャツやネクタイの向きを整え始める。


「はい。貴重なご意見、ありがとうございました」

「私も君に話したことで少し身軽になった気分だよ。それじゃあ、お互い明日は神経を使うだろうけど、悔いのない選択をしよう」

「そうですね。それじゃあ、失礼します」


 三木は加藤にぺこりとお辞儀をし、次なる目的地へと足を向けた。







 死刑執行当日。


 今から三十分ほど後、日本全国民による死刑権の投票が行われる。


 三木は次なる作品の資料として、色々な場所で色々な人間から話を聞いて回っていた。

だが、今日は場所を一点に絞り、朝からずっとそこでインタビューを行っていた。


 死刑囚丸山勇が拘留されている拘置所の前。

 彼女はそこにいた。


 警察関係者やマスコミも多く集まるこの場所では、朝からテレビ局が生放送を行い、死刑執行の瞬間に立ち会おうとしていた。


 近所の人や、好奇心でその場にやって来た者たちも多く、スマホで写真を撮ってネットに投稿したりしていた。


 今は平日の正午だが、主婦や老人、中にはニートやフリーターもいただろう、皆が特にすることもないためか、わざわざ拘置所まで足を運んでいた。特に意味もなく。


 その中で一人、異様に目立つ男がいた。男は虚ろな瞳で拘置所を眺めていた。ピクリとも動かず、まるで銅像のように。

 三木はその男が妙に気になり、思わず声をかけた。


「あの、よろしければお話聞かせてもらえませんか? 私、しがない物書きをしています、三木青蘭と言うものです」


 しかし、男は答えない。どうも三木の声が聞こえていないようだ。

 三木は気づいてもらおうと男の視界を遮るように前に出た。

 突然目の前に飛び出して来た三木の姿に驚き、それまで固まっていた男は声を荒げた。


「なっ! なんだよアンタ!」

「ははは、すみません。声をかけても反応がなかったもので。私、しがない物書きをしている三木青蘭と言います。少し、お話聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」

「物書き? マスコミとかじゃないのか?」

「いえ、ただの売れない小説家ですよ。社会風刺などをネタにしているので、今回の死刑権のことをより多くの人の口から聞きたいんです」

「へぇ、変わってますね、あなた。まあ、マスコミとかじゃないならいいですけど」

「その辺は信用してください。あっ、これ私の名刺です」

「はぁ、しかし、なんでまた小説で死刑権についてを? 社会風刺でもネタなら他にいくらでもあるでしょうに」

「えーっと、それまた別の、個人的な理由がありまして。嫌いなんですよね、人の死が。ただそれだけです」


 険しい表情で三木が答えると、男がそれ以上質問してくることはなかった。


 三木に何か思うところがあったのか、これが三木の才能なのだろうか。男は自身のことについて話し始めた、どうしてこの場所にいるのか、この死刑権に対してどんな想いがあるのかを。


 男の名は神崎浩司。死刑囚、丸山勇の幼馴染。

 彼は後悔の念に駆られ、苦しんでいた。丸山が息子の復讐で三人の少年を手にかけてしまった時、神崎は丸山を止めることができなかった。一番身近にいて、最も彼のことを理解していたはずなのに、神崎にはわからなかった。まさか丸山が人を殺してしまうほど苦しんでいたなんて。それが許せなくて、罪滅ぼしのために弁護士を雇い、どうにか丸山を減刑させるように努力したが、結果は死刑。その想いが実ることはなかった。


 そして、その後手紙のやり取りで丸山が死刑を受け入れていること、復讐の連鎖を断ち切るために自らを法という国の力で裁こうてしていることを知り、諦めがついたらしい。


 丸山の想いを尊重するため、本当は生きていてほしいはずなのに、神崎はその気持ちを押し殺した。


 そして、せめて死刑執行の瞬間はなるべく近くにいたいという想いから、この場所に足を運んだとのことらしい。

 そこまで話を聞いた三木は、最も重要な問いかけをした。

 それは、この死刑権の根本に関わることだった。


「神崎さん、あなたはこの投票、どちらに票を投じるおつもりなのですか?」

「一年間、ずっと悩んでました。どうするべきか。丸山のことを思うと、死刑を執行するべきなのかもしれません。けど、私には多分無理です。だって、親友を殺すなんてこと、できるはずないじゃないですか」


 三木はその言葉に、思わず目を見開いた。


 親友の命。


 途端に胸のあたりが苦しくなった。だが、すぐに呼吸を整え、平静を装った。

 もう、過去はとっくに捨て去ったはずだったのだが、どうもからみついてくる。

 三木は無意識に同情していた。親友の命を天秤にかけなければならないという、神崎の心に、苦しみに。


「私は死刑にしないに票を入れます。それが丸山の意思じゃないとしても」

「そうですか。神崎さん、貴重なご意見ありがとうございます」


 良く言えば友人の命のため、悪く言えば自分のため。神崎の選択もまた、ある意味で人間らしい。


「あともう少しで……投票時間ですね」


 三木は自身の腕時計に視線を向ける。


「ええ、ですが私はこの投票がどんな結果であろうと、受け入れる覚悟があります」


 何が正解かなど、もうそこには存在していなかった。あるのは自分の感情と思考、ただそれだけ。

 次第に周囲は静かになり、野次の声は聞こえなくなっていた。


 時計の針を刻む音が、妙にはっきりと耳に届いた。


 そして迎えた投票の時。その場にいた全員が携帯に目を落とす。

 神崎は迷うことなく、死刑にしないを選択した。


 三木も、既に答えは決まっていた。


 死刑執行は選ばず、彼女もまた神崎と同じく死刑にしないに票を投じた。


 それは別に適当に選んだわけでも、間接的に人を殺すのが怖かったわけでもない。ただ単に知っていたからだ、人が死ぬということは、誰かが悲しむことだと。


 滝本を失った時の自分のように。


 恐らく丸山も同じだったことだろう。それが殺人であろうと、事故死であろうと、病死であろうと、死刑であろうと。

 必ず悲しむ人はいる。まさに今の神崎のように。


 そして数分後、丸山勇の死刑が決定した。

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