第2話「罪」



 二年前。


 深夜、都内某所。

 立体駐車場に停めたワゴンの中で、まだ未成年にも関わらず、少年たちはタバコを吸いながらあるものを眺めていた。


「ねぇ、これどうすんの?」


 スキンヘッドの少年がそれを指差し、つついた。

 それはピクリとも動かない。少し前までは、異常なほど暴れていたのに対し、今はとてもおとなしい。


「しょうがねーだろ、はずみってやつだ。こういうこともたまにある。問題はこの後だ。どう処分するかな」


 運転席に座る金髪にサングラスの少年が答えた。一見すると二十代にも思えるが、黒いレンズの向こうにはまだ幼い瞳が微かに覗いている。この車を運転したのは彼だが、免許はなく、車の持ち主も彼の家族であり、自分のものではない。そのワゴンを私物のように毎晩持ち出し、悪い遊びに使っている。


 ワゴンの中に集まっていたのは、金髪の少年がいつも夜遊びの際に付き合わせている同級生二人だ。一人はスキンヘッドでいかにもな風体の少年、もう一人はツーブロで目つきの悪い小太りの少年、非常に尖った風貌の三人だ。

 その三人が集まればろくなことがない、当然、今夜も。


「どうせ親父に頼めばなんとかなるし、とりあえず今は迎えの車待ちだな。もう秘書のやつにメールしたし」


 金髪は大した信念もなく刻み込んだ首筋の刺青を、あくびをしながらボリボリとかいた。


「さすがしゅん、こういう時は頼りになるなぁ」


 スキンヘッドの少年が笑みをこぼす。

 本来ならば、そんな呑気にあくびなどしたり、笑っていられる状況ではないのだが、何故かワゴンの中の空気は弛緩していた。

 少年たち三人の目線の先には、同い年くらいの男の子の死体が転がっているというのに。

 金髪はサングラスを服の袖で拭く。この状況で異常なほど落ち着いており、焦った様子はなかった。


 まるで、大したことではないかのように。

 この少年たち、これが初めてのことではなかったのだ。今までも、同じように暴力の延長戦で人を殺してきていた。最初は焦り、金髪は父親に泣きついた。

 権力者であった金髪の父は、その事件をもみ消すために金をつぎ込み、家族と疎遠になったホームレスを見つけ、家族への資金援助をすると約束し、身代わりとして警察に行かせた。

 それ以降、一度緩んだ手は止まることを知らず、また一人、また一人と、少年たちによるリンチの被害者は増えていった。

 未成年でありながら、人を殺すことにすっかり慣れてしまい、死体を人とも思えなくなっていた。


 程なくして父親の秘書の男が車で駆けつけ、ワゴンの中で横たわる制服姿の少年に目を落とす。

 銀縁の眼鏡をかけた見るからに固そうな男は、小指で眼鏡を押し上げながら、金髪に訊ねた。


「旬くん、これで何度目だ?」

「さぁ、もうわかんねぇや。とりあえずいつものようによろしく」


 秘書の男はため息をつきながら、やれやれといった顔で少年たちをワゴンから下ろした。秘書の男はこれが何度目かわかったうえで訊いたのだが、返答は予想通りだった。既に少年たちの過激な遊びでの被害者はこれで五人目になる。


 秘書の男は、これまでに四人もの人間を密かに処理し、明るみになった事件には横から手を加え、身代わりの犯人を用意してきた。彼ももう慣れたものである。


「で、誰なんだこの子は」

「知らねぇ、ゲーセンの前でたまたま目が合って、気まぐれで攫った。ちょっと遊んでただけなのによぉ、半日もしねぇで壊れちまった」

「途中、誰かに見られたりしたか?」

「んなことわかんねぇって、特に気にしてなかったしよ、なぁ」


 金髪は、隣で携帯をいじっているスキンヘッドに話を振った。

 だが、スキンヘッドは気だるげに「ああ、うん」と適当に相槌を打つだけだった。まったく興味がない。


「てかさ、この後まだ時間あるだろ?公園行ってホームレスと遊ぼうぜ」

「おっ! いいねぇ、それ」


 懲りずにまた新しいオモチャを探しに出かけようと計画する少年たち。もう深夜だと言うのに、まだ遊び足りないのだ。秘書の男はそんな三人に侮蔑を込めた眼差しを向ける。


「やめた方がいい。こんな時間まで子供が帰っていないんだ。恐らく警察にはもう通報されている頃、今はおとなしくしていた方がいい。私がこの子を処分している間に何か悪さでもしてみろ、現行犯逮捕されて今度こそ少年院行きだぞ。いや、殺してしまえば実刑も考えられる」


 忠告するが、難しい話がいまいち理解できないスキンヘッドとツーブロは、頭の上に疑問符を浮かべた。

 ただ、金髪だけが一人けらけらと笑っていた。


「現行犯だろうが指名手配だろうが関係ねぇって、どうせ親父がなんとかすんだろ? 警察だってバカじゃねぇんだ。俺ん家に喧嘩売ったらどうなるかくらいわきまえてる。それに、有能な弁護士の先生だっているんだぜ?こいつらはともかく、俺は大丈夫だって」

「おい竹村たけむら、そりゃどういう意味だよ」


 スキンヘッドが顔をしかめ、金髪を睨め付けた。


「冗談だって、落ち着けよ根本ねもと


 竹村、それは日本でよく知られる人物の名前だった。

 非常に影響力のある政治家、故に黒い噂も多いが、かなりのキレ者でカリスマ性も高く、国民からの信頼も厚い。昨今では最も注目されている男と言ってもいい。

 そう、この金髪の少年、その竹村の一人息子なのだ。


 だが、周りはそんな父親の機嫌を伺うものばかりで、これ以上ないくらい甘やかされて育った。そんな生活が彼を徐々にモンスターへと変化させていった。


 誰一人、竹村旬本人に何かを期待する者はいなかった。常に父親基準、竹村旬もそれを子供の頃から感じ取り、歪んだ感情を抱き、人間不信になっていってしまい、今はそんな父親から愛情を受けたいがために、悪さをしてはその尻拭いをさせていた。旬にとって、父親が手を汚してまで腐った自分を救ってくれるのは、息子を想う家族愛だと、そう信じていたのだ。彼は父親に迷惑をかけることで愛情を感じ、その悪さは次第にエスカレートしていった。そしてついには、人を殺すことすら日常になってしまっていた。


 旬はおもむろにタバコの火をつける。普段通りやれば全て上手くいく、そう安心しきっていた。


 スキンヘッドの根本、ツーブロの岩田いわたも旬に続いてタバコを吸い出す。

 人を殺した緊張感や焦りなど、彼らにはもう備わっていなかった。

 誰かの人生を壊すことは、彼らにとっては人生のほんのちょっとの出来事にすぎず、感覚は完全に狂っていた。


 そんな中、秘書だけがせっせと証拠隠滅作業を行っていた。こんなバカ共のためにと、自分がバカらしく感じたが、雇い主の息子となれば話は違った。結局この男も、竹村旬ではなく、その父親を守りたいだけだった。


「とりあえずまた別の犯人を用意するから、君たちは今からこの店でアリバイを作っておいてくれ。夕方からずっと店で遊んでいたと店主には証言させる。君らもそれに口裏を合わせてくれ」

「へいへい、りょーかーい」


 旬は後頭部をかきながら気だるげに名刺を受け取る。


「それを見せれば多分大丈夫だろう、早く行くんだ。後のことはこっちで上手くやる」

「頼んだよ、んじゃーな。よっし、行こうぜ」


 取り巻き二人を連れて駐車場を後にする旬。

 だが、まだ遊び足りなかった少年たちは、秘書に言われた店へは向かわず、すぐ近くにある公園へと足を運んだ。


 この公園は、テレビでも何度か話題になっている場所で、池の周りや林の中にホームレスが住みついている。彼らにとって、ホームレスは絶好の遊び相手だった。


「なあ竹村、やっぱさすがに今日はまずいんじゃねーか?」

「バァカ。店に行かなくたって勝手に辻褄合わせてくれるさ。俺が捕まって困るのは親父なんだからよ」


 根本は先ほど秘書の男から言われたことを気にしており、不安げな表情を浮かべる。しかし旬はそれを鼻で笑い、白い歯を見せた。


「あっ、でもバットとかねぇなぁ。ま、別に無くてもいいか」

「根本、お前もう帰っていいや、俺は竹村と一緒に楽しむことにするから」


 根本は難色を示すが、岩田は逆にノリノリだった。ついさっき人を殺したばかりの少年とはとても思えない。あれだけ注意されたにも関わらず、また他人に暴力を振るおうというのだ。


「別にやらねーとは言ってねーだろ」

「ヒャハハ、そうこなくっちゃな」


 数分後、岩田と根本は隣の工事現場から鉄パイプを数本盗み、ブンブン振り回しながら公園へと戻ってきた。


「今日はこれで我慢するか、俺は野球がしたかったんだけどなぁ」

「野球って、球がでかすぎんだろ」

「いいんだよ。グラブで取ったりしねぇんだから。ただ延々とノックするだけだ」


 少年たちは鉄パイプを担ぎながら、意味のわからない会話を交わす。彼らにとっての野球、それはホームレスをただ憂さ晴らしのために殴り続けるだけの行為、それを野球と呼び、合言葉にしていた。


「あっ、歌はどうする?」

「歌かぁ、そうだなぁ、んじゃ適当にラジオ体操の歌にでもすっか?」

「……はぁ? 知らねーぞ、そんなだっせーの」

「バァカ、だせぇのがいいんじゃねぇかよぉ」


 旬は野球を行う際、何か一つ歌を決める。その歌が終わるまで殴り続けるというのが彼らのルールだ。

 途中、もし歌詞を忘れたり、間違えたりした場合、もう一度歌い直すという残酷なもの。


「ぜってぇお前も歌ったことあっから、問題ねぇって」

「んじゃ次な、肝心のボールは誰にする?」


 三人はダンボールとブルーシートでできた小さな家に目を向ける。その数は一つや二つではない。ここでホームレス仲間と共にこの公園で暮らしている。

 罪を被ってもらう存在でもあるが、ホームレスというのは少年たちにとっては都合のいいオモチャだ。今夜もその品定めから始める。


「あの一番端の奴とかどうよ。ダンボールハウスも他より大きいし、今ちょっと人生楽しくなってきた頃じゃねぇか?」

「いいね、じゃあそれにするか」

「ヒャハハッ、そういう奴をいたぶるのがまた楽しいんだよなぁ!」


 旬はパシリ、パシリと、鉄パイプを手で弄ぶ。

 そして、夜間の公園に相応しくない奇声を上げながら、ダンボールハウスに鉄パイプを叩きつけた。

 一瞬にしてダンボールとブルーシートの壁は崩壊し、中で眠っていたホームレスの男が衝撃に驚いて飛び上がる。


「よぉ、いつも俺らのために豚箱入ってくれてありがとな。今日はその礼をしにきたんだ、存分に受け取ってくれやぁ!」


 三人はまず手始めにダンボールハウスを容赦なく壊し、ホームレスがどこからか拾ってきた家具やらを粉々に砕いていく。


「や、やめてくれぇ。い、いったい、わしが何をしたって言うんじゃあ」


 ホームレスの男は悲鳴を上げ、涙目で旬の足に擦り寄った。


「あっ、やっべ、ラジオ体操の歌忘れてた。ちゃんといつものルール通りにやらねぇとなぁ。つうかてめぇ、汚い顔で俺の足に引っ付いてくんじゃねぇよ!」


 旬は鉄パイプを振り上げ、ホームレスの男を力強く殴った。


「ぐわぁ! いっ、いででででっ!」

「あぁたぁらしぃい、あぁさが来た、っと!」


 ラジオ体操の歌のリズムに合わせ、ホームレスの男を何度も鉄パイプで殴りつける三人。


「おら次ぃ!」

「きーぼーうのあーさーだ!」


 加減を知らない少年たちによるリンチは、公演内に男の悲鳴と、声変わりして間もない少年たちの歌声を響かせた。


「それ、いーち!」

「にぃい!」

「さーん!」


 いつしかホームレスの男の悲鳴は途絶え、ただただ季節外れなラジオ体操の歌だけが残っていた。


「おい竹村、まだ一番だってのに、このおっさんもう動かねーぞ」

「あぁ? おいおいふざけんなよ、まだ歌い終わってねぇじゃんかよぉ!」


 苛立ちのあまり、旬は気を失ったホームレスの男を蹴り飛ばした。


「んじゃボール変える? まだストックはいくらでもあるんだしさ」


 岩田が鉄パイプで他のダンボールハウスを指した。男の悲鳴と少年たちの歌声で目が覚めたらしく、ダンボールとブルーシートの隙間から、その様子を震えながら見ていた、仲間が一方的にリンチされている光景を。


「あっ、ちょい待ち。その前にタバコ一本吸わせてくれ」

「それなら俺も、ヤニ補給は大事だからな」

「ったく? 早くしろよなぁ」


 根本と岩田は美味しそうにタバコを吸い、ご満悦な表情で煙を吐いた。


「それ咥えたままでいいだろ、ほら次」

「はいはいわかったよ。あっ、つうかラジオ体操の二番ってどんな歌詞だっけ?」

「……あー、俺も忘れた」

「はぁ? ったくよぉ、まぁ、俺もだけど。また一番から歌い直しでいいだろう」


 彼らのルール通りにやるなら、これはつまり永遠にリンチが終わらないということを意味する。歌詞がわからなければ歌い直し、歌が終わらない限りリンチは続く。だが、彼らは自分たちが満足すればそれで良く、そんなルールなど、どうでもいいものだった。

 少年たちは、ダンボールハウスから逃げ出したホームレスを一人捕まえ、先ほどまで殴っていた別のホームレスの上へと放り投げた。


「ひいぃ!」


 ホームレスは下に転がっている白目の男を見て悲鳴をあげる。もはや死体と変わらない、そんなものの上に自分が被されば、誰だって同じリアクションを取っただろう。


 さらに、目の前には鉄パイプを握りしめた男が三人。その瞳は殺意ではなく、無邪気な子供と同様に、いたずら心のようなものが宿っていた。違いは、邪気を放っているかどうか、ということだろう。


「んじゃ早速、俺らと遊んでくれよ、おっさんよぉ」

「や、やめてくれ、わ、わしは」

「ああぁ? なんだってぇ? よく聞こえねぇんだよぉ!」


 旬は怒号とともに、二人目のホームレスの足目掛けて鉄パイプを振り下ろす。鈍い音が鳴り、同時にホームレスは悲痛の声を漏らした。


「あぁたぁらしいぃ、あぁさが来た!」


 ラジオ体操の歌が永遠にトラウマとして脳に刻み込まれてもおかしくない、それほどに彼らの行為は残酷極まりなかった。

 その後も、二番が歌われることはなく、ただひたすら一番の歌詞だけが、何かが潰れるような鈍い音とともに熱唱された。






 二人目のリンチから三十分ほど経った頃、公園から逃げ出したホームレスの一人が、警察を呼びに交番に駆け込んでいた。二人の警官が公園に着く頃には、ホームレスが三人、公園に横たわっていた。


 そしてもう一人、三人の少年たちに囲まれ、警官が来ているにも関わらず、ひたすら鉄パイプでタコ殴りにされていた。

 思わずその光景に固まってしまう警官二人、その表情からは、信じられないといった感情が容易く読み取れた。

 だが、それも当然の反応だろう。ホームレスを囲んでリンチしているのは、誰がどう見ても成人前の少年なのだから。





 その後、駆けつけた警察官の手によって、三人の少年たちは逮捕された。同時に、彼らの携帯に残っていた高校生のリンチ動画から、数時間前に立体駐車場で人を殺していたことまで突き止められ、証拠隠滅を行っていた秘書の男もお縄となった。竹村旬、根本、岩田は、逮捕されるとわかった時も、特に焦った様子はなく、終始、余裕のある笑みを浮かべていた。


 まるで、すぐ自分たちは解放されると確信しているかのように。

 そして、その恐ろしい未来は現実となってしまった。


 裁判の結果、少年たちは証拠不十分で無罪となった。リンチ動画、ホームレスの証言、現行犯逮捕、これだけ証拠が揃っているにも関わらず、彼らが罪に問われることはなかった。

 全ては、旬の父親が多方面に大金を払い、多くの人間を買収し、警察にも強い圧力をかけたことによるもの。旬の父はかなりの損失とダメージを負うこととなったが、息子を守り切ってしまったのだ。


 当然、この結果に納得できない者は少なくなかった。特に、殺された少年の父親は。




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