番外編 Dr.Yamada file.9【 驟雨期 Ⅲ ― 海に還る日 ― 】

 核戦争の後、地球は巨大な水族館になってしまった――。


「教授なにを観てるんですか?」

「ああ、これかね」

 アクロポリス・ヤマトにある、大和アカデミーのヤマダ教授の机の上のディスプレイには美しい映像が流れている。

「これは熱帯魚と呼ばれる観賞用の魚なんだ。21世紀くらいの南の海ではこんなきれいな魚が泳いでいたらしい」

「23世紀の海にはグロテスクな魚類しかいませんよ」

 海洋生物研究室の助手サトウは毎日海に潜って、水棲生物を観察している。

「昔は水族館という魚類を展示する施設があったらしい」

「水族館ですか? そこらじゅう海だらけの現在ならの方が必要だ」

 サトウが冷ややかにいう。

「小さな水槽に魚を閉じ込めるなんて残酷だと思わないかね? サトウ君」

 ヤマダ教授が熱帯魚を観ながらそういうと、「我々だって、雨に閉じ込められた空間で暮らしていますよ」とサトウが答えた。

 たしかに今は『驟雨期しゅううき』という雨が毎日降り続く天候なのだ。

「なにもかも地球の生態系が狂ってしまった。もう地上では太陽すら拝めない」

 サトウが机を叩いて叫んだ。

「あの愚かな戦争を人類がはじめたせいじゃないですか!」


 22世紀初頭、地球では大規模な核戦争が起こった。

 資本主義と共産主義という二つのイデオロギーが真っ向からぶつかり合い、同盟国や近隣諸国を巻き込んで、果ては宗教紛争にまで飛び火して地球全体が戦場となった。最終的には各国が放った『核のドッジボール』によって戦いの幕を閉じた。

 だが、100億人を突破したといわれる世界人口が、この戦争によって10分の1の10億人にまで激減した。国家は崩壊し、生き残った人々だけで都市国家アクロポリスが建築されたが、彼らは放射能の被爆者、大地は汚染されて、安全な食品もなく、厳しい状況だった。

 ――そして地球全域に異常気象が起こっていた。

 まるで汚れた地球を洗い流すかのように、一日に何度も激しい雨が断続的に降り続くのだ。23世紀になった今も雨は百年近く降り続いている。この異常気象を人々は『驟雨期しゅううき』と呼んだ。

 降り止まない雨のせいで、海は増水し地球の面積の3割だった陸地が2割にまで減少していった。……このままでは海に陸を奪われてしまう。しかも太陽光線が不足して植物が育たなくなり、それに伴い昆虫や動物も絶滅していって、もはや地上には命を繋ぐ食べ物がない。

 ついに地上を身捨てるが如く、陸の生物たちは水棲生物へと急激に進化をはじめたのだ。


「そうそう、海で象をみましたよ」

 ディスプレイを一緒に観ていたサトウが、ふいに口火をきった。

「象だって!?」

「大きな耳をヒレ替わりして、スイスイ海の中を泳ぎ回って、海藻を食べてました」

「地上には植物がないからね。その点、海は海藻が豊富だ。海に順応できないと生き残れない。陸上生物は何万億年もかかった進化を一世代ごとに急激なスピードでおこなっている。人類だって最近生まれた赤ん坊は、歩くよりも先に水中を自由に泳ぐという」

「僕たちの五本の指が水かきになってしまったら何も作れない。人類は英知という武器で、この小さな身体で野生動物たちと戦って生き延びてきたんだ。……なのに水中ではコトバや文字も伝えられない。脳は退化して人類は知的生物ではなく、海の中では大型魚類の鮫やシャチに捕食される、ただの餌でしかなくなるんだ」

「海という巨大な水族館に人類を入れようとしている」

「そんなの絶対にイヤだ!」

 机を叩いてサトウが抗議する。

「あの核戦争で人類は地球を汚染した。そのむくいとしてへと進化させられるのかもしれない。二度と核兵器など作れないように……」

 陸地が減少して、すべての陸上生物は海に還るための進化が始まっている。

「これが神の意思ですか? それとも地球がくだした罰ですか?」

「サトウ君、あの戦争では人類以外たくさんの動植物が地上から絶滅した。もう我々は小鳥も花も見られない。一度消滅したものは二度ともどすことはできないのに……これはだ。この地球は人類だけのものではないんだよ」

 今さらながら、人類が犯した罪の大きさを知る。23世紀の人類はその大罪をあがなっているのかもしれない――。


「人類はこの先どうすればいいんだろう?」

「海に還るか、宇宙に新天地を求めるか、だな」

「宇宙ですか!?」

 サトウの目が輝いた。

「うん。アクロポリスの指導者たちが集まってその計画を推進している」

「教授! 僕は宇宙にいきたい」

「サトウ君は宇宙移住計画に参加したいんだね」

「はい! このまま水棲生物に進化させられるくらいなら、宇宙で新たな地球を見つけたい」

「そうか……」

 感慨深げにヤマダ教授が頷いた。

「地球以外の惑星に移住してホモサピエンスとして生き残る。宇宙にこそ活路を見いだせるかもしれない」

「それもいいだろう。宇宙にいけばこの異常な進化も止められるかもしれない」

「教授は地球に残るんですか?」

「わたしは自説である『ヤマダ進化論』を実証するために、地球ここに残るよ」


『ヤマダ進化論』とは、いずれ陸地が減少して、地球が“海の惑星”になると、地上の生物は全て海に還って、水棲生物になるという説だった。

 かつて鯨が海に還って水棲哺乳類になったように、人類もまた海の環境に順応できる生物に生まれ変わるという。すなわち、脚がなくなり、ヒレができて、急速なスピードでDNAが魚体化することを意味する。

 当初、この説はとんでもない奇説だと笑い草だった。ヤマダ教授は海洋生物学会の異端児として、皆から白眼視はくがんしされていたのだった。


「地球を捨てても人類は滅亡しません」と助手。

「海に還る人類を最後まで見届ける」と教授。


 二人の研究者は、それぞれ別の未来を選択する。


 いずれ巨大な水族館と化した“海の惑星”地球で、魚体化した人類が海を泳ぎ回る日は近いことだろう――。




                ― End ―

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