番外編 Dr.Yamada file.7【 驟雨期 Ⅰ ― 新たなる進化を遂げて ― 】

 22世紀初頭、地球では大規模な核戦争が起こった。

 資本主義と共産主義というイデオロギーが違う二つの勢力が真っ向からぶつかり合い、同盟国や近隣諸国を巻き込んで、果ては宗教紛争にまで飛び火して地球全体が戦場と化した。

 過去の遺物ともいうべき国連はなんら機能せず、戦争は激化して、最後には『核のドッジボール』によって幕を閉じた。

 100億人を突破したといわれる世界人口が、この戦争によって10分の1の10億人にまで激減した。勝敗を決めるにはあまりに被害が膨大過ぎて……結局、共倒れという形になってしまった。

 国家は崩壊し、生き残った人々だけで都市国家(アクロポリス)が建築されたが、彼らは放射能の被爆者で、大地は汚染されて、安全な食品もなく、厳しい状況だった。


 そして、地球全域に異常気象が起こっていた。

 まるで汚れた地球を洗い流すかのように、一日に何度も激しい雨が断続的に続いているのだ。23世紀になった今も雨は百年近く降り続いている。この異常気象を『驟雨期しゅううき』と人々は呼んだ。

 降り止まない雨のせいで、海は増水し地球の面積の3割だった陸地が2割にまで減少していった。このままでは海に陸を奪われてしまう。しかも太陽光線が不足して植物が育たなくなり、それに伴い昆虫や動物も絶滅していった。

 22世紀の核戦争で生き残った子孫たちは、また激しい雨との戦いだった――。


 アクロポリス・ヤマトの大和アカデミーのヤマダ教授は、ある仮説を元に研究を続けていた。その仮説とは生物の進化をくつがえすような、とんでもない奇説で、『ヤマダ進化論』と呼ばれていた。

 この学説を学会に発表した途端に、彼は異端者、誇大妄想、学者失格の烙印を押されて、誰からも相手にされなくなってしまった。

 ――それでもヤマダ教授は自説を曲げなかった。

 今日も研究室のベランダに出て、広大無辺な海を眺めながら、自説の正しさに確信を深めていた。

 そこへ助手のサトウが入ってきた。

 大学執行部から胡散臭い研究をしていると思われて、ヤマダ研究室は十分な予算が貰えず貧窮していた。そんな中、ヤマダ教授の唯一の助手サトウは、一緒に研究を続けてくれる貴重な人材だった。

「ヤマダ教授、また海の水位が上がっています」

「見渡す限りの海、やがて大地は海に呑み込まれてしまうだろう」

 この場所はかつて富士山山頂と呼ばれた場所である。

 かつて日本と呼ばれた国は、本州の中央部にある、飛騨・木曽・赤石の三つの山脈と奥羽山脈しか海面に残っていなかった。

「海水は濃度3%の塩などが溶けた水なのですが、最近、塩分の濃度が薄まっているようです」

「そうか。いよいよ還る日が近づいてきた証拠だよ」

「海では見慣れない新種の生物が誕生いるようです」

「いずれ、我々人類もそこに仲間入りすることだろうさ」

「ずっと僕は『ヤマダ進化論』には懐疑的でしたが……最近は、この説が真実だと思えてきました」

 助手の言葉にフッとヤマダ教授は笑みを浮かべると、大きく深呼吸した。

「ああ~潮風が気持ちいいね。サトウ君」

 ヤマト・アクロポリスでは、放射能と雨を避けるために巨大なドームで都市全体を覆っている。その中で人工太陽を作って、農作物を育てて、家畜を飼育しているのだ。

 雨の降らない時にはドームは開放されて、風も吹き込んでくる。太陽光が不足している人類はわずかな時間でも日光浴にいそしんでいた。――すると、雨雲が広がりポツポツと大粒の雫が空から降ってきた。

 雨を感知すると、アクロポリスの開閉式ドームは自動的に閉じられる仕組みになっている。


「雨だ! 部屋に入ろうか」

 ヤマダ教授の研究室の壁には珍しい化石の標本が飾られていた。それはデボン紀、3億6000万年前に生息した生物である。

「サトウ君、アカンソステガは実にチャレンジャーだった。水から這い出し陸に上がった初めての生物だった彼らが、どんどん進化して哺乳類になった。いわば人類の遠い祖先だ。――人類もまたチャレンジャーになる時がきたのだ」

 ヤマダ教授は嬉しそうに語る。助手のサトウはそれを黙って聴いている。

「私の学説『ヤマダ進化論』は学者の間で笑い草にされたが、それを裏づける証拠がいろいろ出てきたよ」

 教授は一冊のファイルをサトウに渡した。そこには子どもの写真が数枚挟んであった。

「ここ数年の間に生まれた子どもたちだ。よく見たまえ、五本の指の間に水かきのような膜が付いている。しかも、一回の呼吸で約10分は水に潜っていられる。肺が浮き袋のように肥大した新人類なんだよ。この子たちを放射能の影響で生まれた奇形児だという医師もいるが、断じて違う! 人類のDNAが進化を始めたんだ」

「教授、それ本当ですか?」

 ファイルの写真をサトウは凝視している。

「それだけではない、野生化した犬や猫たちが海に潜って狩りをしているのを確認した。陸上と違って、海の中は食糧が豊富だからね。」

「……ということは、教授が唱えていた!」

「海から生まれた生命は、再び海に還っていくのだ。この「驟雨期しゅううき」は、陸上生物にとってチュートリアルなのだ」

「我々が生き延びる方法は他にないんですか?」

「分からない……」

 助手の問いに、教授は眉根を寄せ真顔になった。

「じゃあ鯨のように海に戻れと?」

「水棲生物へ進化を遂げないと、人類は滅亡するだろう」

「それは神のなのでしょうか?」

「ああ……おそらく……」

「なぜ神は我々人類にそんな大きな試練を与えたのだろうか?」

「サトウ君、地球は惑星という巨大生物なんだ。ある時は神とも呼ばれ、思考もするし、感情もある」

 いきなりドームの外で稲光が走った。轟音が鳴り響き、激しい雨は止みそうもない。

「いずれ陸は海に沈む――。人類はね、もう一度、母なる海に還るんだよ」

 ヤマダ教授は遠い眼をしてそう言い放った。まるで預言者ヨハネの言葉のようだとサトウは感じ入った。


 太陽系第3惑星という巨大生物は、核戦争で地球を汚染した、愚かなる人類へ怒り鉄槌てっついを下したのだ――。

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