ポンコツ博士とヲタク助手『ラボ・ストーリー』
泡沫恋歌
Dr.Yamada file.1 【 夢の格闘者 】
「ずいぶんストレス指数が高いですね。98%もありますよ。放って置いたら大変なことになるところでした」
白衣を着た怪しげな男は、俺の頭にヘルメットのような器具を被せて、その機械が弾き出した数値を見てそう呟いた。
「やっぱり、そうか……放っていたら、どうなっていた?」
「希死念慮や殺人衝動という危険な行動に出るところです」
「このままだと壊れそうだと俺も思っていたよ」
俺は平凡なサラリーマンだった。
入社以来ずっと総務の仕事をしてきたが、どういう訳か営業部に配置転換させられた。酒も飲めない、人付き合いも苦手、口下手であがり症、こんな俺に営業は向いていない。
知らない会社に名刺ひとつで営業するなんて、小心者の俺には到底無理だった。
営業成績は社内でビリッケツ、鬼の営業部長から「おまえは無能だ!」「この給料泥棒めぇ!」「さっさと辞表を書けっ!」と、みんなの前でいつも怒鳴られていた。
会社に行くのが苦痛だった。朝起きて会社に行こうとすると腹が痛くなり、下痢になる。
無理して出社しても、鬼の部長の顔を見た途端に胃がキリキリ痛みだし我慢できない。俺のストレスはもう限界だった――。
何度も辞表を出そうと書いてはみたが……家のローンや子どもの教育費、今後の生活など考えていたら、どうしても会社を辞めることができない。
ああ、どうしたらいい? 今日も家を出たが会社にも行けず、ただ街を彷徨っていた。
フラフラと見知らぬ路地に迷い込んだら、奥の方で看板がチカチカしている。何だろうと近づいてみたら、〔Dr.Yamadaメンタルクリニック〕と書かれた電飾が派手に点滅していた。
看板はデジタル式で文章が変っていく。
〔ストレス溜まっていませんか?〕
〔スカッと発散させましょう!〕
〔あなたの悩みを、Dr.Yamadaが解決します 。〕
それらの文字に目が釘付けになった。
今の俺の苦しみを解決する方法があるのだろうか? 気になって看板の前に立っていたら、白衣をまとった、ひょろりと痩せた中年男が建物から出てきた。
「ご用ですか?」
「あっ、いや、何だろうと興味が湧いたので……」
「そうですか」
値踏みするように、ジロジロと俺は観察された。
「お試しだけなら無料ですよ。どうぞ」
男が手招きをして、その声に曳かれるように後ろを付いて行ってしまった。
10畳くらいの狭い部屋に医療器具のような機械が何台も置いてある。雑多な感じで、あまり病院という感じがしない、奇妙な診察室だった。
その男が「私はこういう者です」と名刺をくれた。
そこには〔 睡眠医学博士 Dr.Yamada 〕と書かれていた。睡眠医学博士? そんな医学があるのか? だとすると、この男は本物の医者かな?
ちょっというか、かなり胡散臭い感じがするが、堂々とした男の態度に縋ってみたいと思うほど、俺の神経は消耗しきっていた。
「まず、検査をしましょう」
そして診察台と思しきカウチソファーに身体を横たえ、ヘルメットのような器具を頭に被せられた。
「どんな方法でストレスを発散させてくれるんだ?」
「格闘技です!」
「えっ? 俺は腕っ節には自信がない、喧嘩なんかやったことがないんだ」
小心者の俺は何を言われても、いつもただ黙って耐えてきた。
「長年、私は夢の研究をしてきました。そして見たい夢を自由に見られる機械を開発したのです。名付けて【スリープメーカー】夢の世界で格闘して、心の憂さを晴らすのです」
「夢の世界で戦うのか? この俺が……」
「はい、あなたに一番ストレスを与えた人物と戦います。大丈夫、絶対に勝つように設定してあります」
夢で戦うだけなら安心だと俺は思った。
「さあ、【スリープメーカー】のリングへいってらっしゃい!」
男が機械のスイッチを入れた。――その声に背中を押されるように、強烈な睡魔に襲われて深い眠りに落ちていった。
気が付いたら、四角いリングの上に立っていた。
会場には観客がひしめいている。黒いタイツを穿いた俺はプロレスラーだ。レフリーが試合の開始を告げるゴングを鳴らす。と、俺の前に対戦相手が現れた。
なんと! そいつは俺をイビる鬼の部長だった。
その顔を見た瞬間、胃がキリキリ痛み出したが……待てよ。――これは夢の世界なんだ。しかも絶対に俺が勝てる設定になっていると聞いたぞ。
手始めに鬼の部長の腹を拳骨で殴った、すると奴は大げさに痛がってリングに倒れる。その顔をブーツの踵で踏みつけてやった。頭を掴んで起き上がらせロープに向かって放り投げ、反動で戻ってきたところにキックをお見舞いしてやった。
――夢の世界とはいえ、俺は圧倒的に強い!
そして鬼の部長を痛めつけると、ファンの歓声で会場は盛り上がる。現実の世界では小心者の俺だが、夢の格闘技では残酷な暴君なのだ!
相手に罵詈雑言を浴びせながら執拗なまでに攻撃を加える。鬼の部長の顔が血潮で真っ赤に染まっている。無抵抗な人間を痛めつけるのがこんなに楽しいとは思わなかった。俺ばかり怒鳴りつける部長の気持ちが少し分かった気がする。
いつも俺をバカにして、みんなの前で恥をかかせる部長に復讐ができて、これは愉快で止められない、腹の底から笑いが込み上げてくる! あはははっ
「やっと目覚めましたか? なかなか起きないので心配でした」
白衣の男が俺を覗きこんでいた。
「気分爽快だ!」
晴れ晴れとした顔で俺は目覚めた。
「夢の中で憎い奴をやっつけられて胸がスカッとしたよ!」
「暴力は一番のストレス解消法ですから……ただ【スリープメーカー】は、まだ開発中なのでひとつ問題がありまして……」
「もういい!」
俺は男の声を遮った。
「よしっ! 気分が良くなったので会社にいくぞぉー!」
そう言って飛び出して行った。
「――実は、強烈にストレスを感じる相手を見ると、脳が勝手に【スリープメーカー】のスイッチを入れてしまうんですよ」
〔○○市の会社で仕事中に部長の○○さんが、いきなりナイフを持った男に襲われた。○○さんはナイフで数箇所刺されて重体である。犯人は同じ会社に勤める男性で、日頃から被害者と反りが合わず悩んでいたという。逮捕時、犯人は夢遊病状態だったため警察では詳しい事情徴収ができない〕
その新聞記事を読んだ、Dr.Yamadaは【スリープメーカー】の人体実験が少し早かったことを後悔した――。
― End ―
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