Dr.Yamada file.10 【 工学部物理学研究棟別室(別名:アニメラボ) 】
大和大学工学部物理学研究棟の中に研究員たちにも知られていない謎の
劇薬保管庫の奥深く、物理学研究棟別室と呼ばれる小部屋がそこには存在する。実は最近、学生たちの間でおかしな噂が流れていた。
――それは劇薬保管庫の奥から幼女の歌声が聴こえてくるというものだ。
鉄の扉には『関係者以外立ち入り禁止』の札が掛かっていて、そこではDr.山田とその助手佐藤が外部から隔離されている。
この小部屋にこもって二人がどんな研究をしているのか、その詳細は明らかではない――。
「佐藤君! このBGMは何とかならんかね?」
劇薬保管庫の奥にある、ラボの中ではアニメ声優が歌うアニソンが一日中流れていた。
異才の物理学者Dr.山田の助手佐藤はパソコンの魔術師と呼ばれる天才的プログラマーだが、いわゆる重度のアニヲタなのだ。
「はぁ? 僕はまゆりんの歌を聴くとモチベーションが上がるんだ」
まゆりんとは、佐藤の圧し声優の志村まゆりのことである。
「わたしにはキンキンした声が耳障りなんだが……」
「だったら耳栓すれば」
ことなげに佐藤が言う、その言い方が勘に触るDr.山田である。
「ラボの壁にベタベタ貼られた、このポスターも目障りなんだが……」
「まゆりんの主演アニメのポスターのこと? これが見えないと僕は仕事する気が起きません」
「……だが多過ぎるだろう? 壁が見える程度にしてくれ」
「お断りします!」
ラボの壁にくまなく貼られたポスターを一枚剥がそうとDr.山田は立ち上がった。その時、背後から腕を掴まれた。
「まゆりんのポスターを勝手に剥がしたりしたら……僕は各国の防衛庁の軍事機密コンピューターにハッキングして、核ミサイルを飛ばしますから」
まさかポスターくらいで核ミサイルはないだろう。ハハハ……と苦笑しながらDr.山田は、
「佐藤君、悪い冗談はやめたまえ!」
「冗談で言っているように見えますか?」
そこには超真顔の佐藤がいた。
たしかにパソコンスキルの高い佐藤なら核ミサイルだって飛ばせるだろう。なにしろ彼はスーパーハッカーなのだ。ポスター一枚でこの世界が滅亡なんかしたら大変だ。
この件は置いといて……次に、Dr.山田は日頃から気になっていることを言った。
「佐藤君が着ている『俺の姫!』ってロゴの入ったピンクのTシャツ何とかならんかね?」
「このTシャツはまゆりん皇国の制服ですもん」
「ここはラボだし、研究者らしく、君も白衣を着たらどうかね?」
「イヤです! 僕は皇女まゆりんに『愛と忠誠』を誓っているんだ」
何を言っても耳を貸さないアニヲタ佐藤に、Dr.山田もほとほと手を焼いている。
「マンガと仕事と公私混同しないでくれっ!」
「はぁ? 博士、今、漫画って言いました?」
「うむ……」
「漫画じゃなーい!!」
いきなり佐藤が机を叩いて抗議した。
「だーかーらー、漫画とアニメーションを混同しないでください。紙に印刷された絵をめくって読むのが漫画で、アニメは映像化されているから音声や動きがあるんです! 漫画とアニメを一緒くたにする人間を僕は絶対に許さない!」
怒りのあまり戦慄く佐藤、さらにボルテージが上がる。
「小学生の頃から、暗い、ダサい、キモいと学校では虐められてきた、どこにも居場所がなかった、この僕の唯一の心の拠り所は二次元の世界だけだった。毎日が絶望の日々でしかない、傷ついた僕の心を癒してくれたのが、声優志村まゆりの声なんだ。アニメは僕にとって救世主だから、そのアニメを
口角泡を飛ばして
いったんヘソを曲げると一週間は口を利かないし、研究データーの分析も手伝ってくれない、気分屋の助手なのだ。すっかり怒らせてしまった、これはマズイとDr.山田は内心慌てていた。
「ス、スマン! わたしが悪かった」
合掌して拝みながら助手に謝った。
これではどっちが博士か助手か分からないが、二人きりのラボで佐藤の協力なくして研究は
「……ところで実験の分析データ―は出来てるかね」
「ほいさ。こんなのお茶の子さいさい」
厚さ10センチはあるファイルを佐藤が渡した。
「ところで博士の研究ってなぁに?」
研究テーマも知らず助手をやっていたとは驚きだ。佐藤の脳内にはアニメの世界しか存在していないのかもしれない。
「わたしは水銀から金を作る研究をしているのだ」
フヘェッ!? いきなり佐藤が素っ頓狂な声を上げる。
「――それって、中世のヨーロッパで流行った錬金術ことですか?」
「そうだ、現代の錬金術だ」
眼鏡の縁を持ち上げドヤ顔のDr.山田を見て、クックックッと忍び笑いの佐藤だ。
「博士のことを眼鏡の錬金術師と呼ばせて貰いましょう」
これが有名なアニメのダジャレだと、Dr.山田はもちろん知らない。何となくカッコイイなぁ~と小鼻を膨らませている。
現代ではアニメでしか存在しない錬金術いう非科学的な研究している工学部物理学研究棟別室、この厄介者二人がなぜ大学から追放されないのか不思議なのだが、どうやら大学関係者たちは……もしかしてDr.山田が凄い発明をするのではという淡い期待と、助手佐藤の天才的プログラミング能力も捨てがたい。
劇薬保管庫の奥深くに隔離してさえ置けば、おそらく実害はないと踏んでいる。まあ、大学としては寄付金の一部で、怪しい生物を飼育しているようなものだ。
けれども社会性ゼロ、落ちこぼれ科学者のラボが凄い発明をするかどうかは未知数なのである。
「博士には内緒にしてたけど、僕だって発明しました」
「ほう、佐藤君が……いったいどんな発明を……」
「見てください。これを!」
目にも止まらぬ速さで佐藤がパソコンのキーを叩く、すると画面からサーチライトのような白い閃光が放たれ、空中に立体画像を作り出した。
そこにはツインテールでフリフリのワンピースを着た、萌え系アニメキャラが等身大で出現したのだ。
「紹介しまーす。こちらが僕のまゆりんです」
ただ茫然と眺めるDr.山田を尻目に、まゆりんとキャッキャッと戯れる佐藤である。
「ねぇ、博士もまゆりんの声を聴きたいでしょう?」
「いや……別に……」
ぜんぜん聴きたくない、Dr.山田は思っていたが――。
「ちょっと待っててくださいよ」
嬉々としながら佐藤は、パソコンとスマホをUSBケーブルで繋ぐと再び激しくキーを叩いた。
「よーし! これでオッケイさ」
「……な、何が始まるのかね?」
「いきますよ」
大きく息を吸い込んだ佐藤がスマホに向って話しかける。
『コンニチワ♪ まゆりんだよ~』
アニメキャラが喋り出した。よく見ると佐藤の声がまゆりんに変換されている。
『ハカセ! アタシとっても可愛いでしょう♪』
まゆりんと一体化している佐藤は実に幸せそうだった。だがそのノリにはついていけない。
『ウフフ♪』
「さ、佐藤君……」
『正義の幼女戦士まゆりんでぃーす♪ 悪い子はママにかわってお尻ペンペンしちゃうぞぉ~♪』
完全にアニメのキャラ化している助手を見て、Dr.山田は絶句した。
『まゆりん、今から歌っちゃうよ~ん♪』
可愛い女の子の声でアニソンを歌い始める。
恍惚とした表情でまゆりんを演じる佐藤に、Dr.山田の肌は粟立つ。
「佐藤君、頼むから三次元に戻ってくれ―――!!」
劇薬保管倉庫の奥から、博士の悲痛な叫び声が轟いた。
― End ―
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