踏切エンドロール

koumoto

踏切エンドロール

 踏切を挟んで、千景ちかげという名の女の子が見える。わたしそっくりの双子の妹。わたしの鏡像。わが半身。

「次の列車が来るわ」

 千景が予言者のように言う。その言葉どおり、カンカンカンカンと、等間隔のリズムを刻む音が闇夜に響き、遮断機が下り始める。

「生き残るわよ、三玲みれい

 どちらが姉だかわからないような口ぶりで、千景はそうやって励ましの言葉をかけてくれる。

「あなたもね、千景」

 そう返事を返すわたしの声は、千景とそっくりの声なのだろう。でも他人が聞く声と、自分で聞く声が同じには聞こえないように、わたしには千景の声の方が優しく聞こえる。

 千景はにっこりと微笑んだ。その笑顔を、超特急でやって来た長い長い列車が、かき消してしまう。灯りの点った列車の窓から、すし詰めの死者たちの戸惑い顔がちらりと見える。

 わたしは後ろに振り返り、踏切に背を向けた。カンカンカンカンという踏切の音と、ガタンゴトンガタンゴトンという列車の音が、いつ果てるともなく続いているあいだ、わたしたちは門番として、ここを守らなければならない。

 前方から敵が来る。ぽつりぽつりと街灯に照らされた薄暗い夜道を、ハッ、ハッ、ハッ、という物欲しそうな息遣いをしながらかけてくる。死者の魂に群がろうとする、三体の駄犬。わたしたちがケルベロスと呼んでいる、三位一体の、魂を穢す悪霊ども。

 わたしは弓を構えた。矢をつがえる必要はない。標的に向けて弓を引き絞り、弦を離せば、やつらに死という結果が放たれる。

 まずは、向かって左の犬。わたしの放った死は命中し、駄犬の頭蓋が四散する。頭を失いながら、走ってきた勢いのままに数歩すすみ、たたらを踏んで、道に転がった。

 矢継ぎ早に死を放ち、真ん中の犬も仕留める。

 最後に残された犬が、仲間の死に動揺したように、警戒するように、走ることをやめて立ち止まった。それならそれでかまわない。走っていようが止まっていようが、殺すことに変わりはない。

 わたしは冷酷無慈悲な狙撃手として、三体目に死を放ち、お仲間の後を追わせた。

 夜道にケルベロスの死骸が転がり、街灯に照らされながら、早くもそれらは塵になっていく。

 カンカンカンカン。ガタンゴトンガタンゴトン。殺戮の後のわずかなひととき、列車が通り終わるのを待つあいだ、わたしは少しだけその走狗そうくどもを哀れに思う。でもそれも束の間のことだ。この残酷な世界では、わたしは自身と妹にしか、優しさを注ごうとは思わない。

 やがて列車は通り過ぎて、鳴り響いていた音はやんだ。

 わたしは振り返る。遮断機が上がる。踏切を挟んで、わたしの妹、わたしの鏡像、わが半身、千景も同じようにこちらに振り向いて微笑んだ。

「こんばんは、三玲。また無事に生き残ることができたわね」

「こんばんは、千景。またひとつ死を乗り越えたわね」

 わたしたちは、そっくりな声で言葉を交わし、そっくりな顔で微笑みを交わす。次の列車が来るまでの、しばしの幕間まくあい

「ねえ、千景。もしも、この戦いが終わるときが来たら……なにをして遊ぼうか」

 わたしの言葉に、千景はぽかんとした表情を浮かべる。

「遊ぶ?」

「ええ、そうよ。わたしたち、戦ってばかりの日々で、そんな余裕もなかったから」

「どうかしら……そんなこと、考えたこともなかったわ」

 考えたこともない、と千景は言う。それは、遊ぶということについてか。それとも、この戦いが終わるということについてか。

「戦うためだけに生まれただなんて、少し寂しいじゃない。わたしは、命は遊ぶために生まれてくるんだって、そう考える方が好きだな」

 千景はそれを聞いて、くすくすと笑った。

「三玲は、ロマンチストなのね」

 やはりどちらが姉であるかわからないような口ぶりで、千景は言う。わたしを慈しむような、わたしそっくりの、しかしわたしよりもよほど優しそうに思える、その眼差し。

 カンカンカンカン、と踏切が警報を鳴らし始める。遮断機が下りる。

「生き残るわよ、三玲」

「あなたもね、千景」

 そうやって、わたしたちは、何度目になるかわからないお別れの挨拶を交わし、二人のあいだを、死者たちを満載した列車が阻む。

 ガタンゴトンガタンゴトン。ガタンゴトンガタンゴトン。

 名残惜しくもわたしは振り返り、踏切に背を向け、街灯に照らされた夜道をやってくるケルベロスに、不退転の決意を抱いて対峙する。

 二匹の犬が、ぴったりとくっつくようにして、こちらに並走してくる。もう一匹が、見えない。先頭の二匹を盾にしている。

「少しは知恵をまわした手合いか」

 わたしは弓を構えて死を連射し、その肉弾とも盾ともいえる二匹を葬った。

 陰に隠れていた残りの一匹は、盾を失うと、機敏に跳躍した。わたしの放った死をかわし、着地したと思いきや、ジグザグに動いて照準を乱しながら、近づいてくる。速い。

 肉薄するすばしっこい獣に、わたしは内心冷や汗をかく。だが、恐慌をきたしてはならない。冷静さを失えば、わたしの命は終わる。

 わたしが放った死をまたもかわして、その駄犬は勝ち誇ったように大口を開けて、よだれを垂らしながら、跳びかかってきた。

 わたしは弓を捨て、腰に差していた小刀を抜き、そのぱっくりと開いた駄犬の口に思いきり腕ごと突っ込んでやった。

 脳天を串刺しにされた獣は、動きを止めたかと思うと、最期にじたばたと暴れて痙攣し、ぐったりとうなだれ、やがて塵となった。

 ふう、とわたしは安堵の息をつく。小刀をまた腰に差して、弓を拾う。

 カンカンカンカン。ガタンゴトンガタンゴトン。

 列車が通り過ぎて、音がやんだ。わたしは踏切の方に振り返る。遮断機が上がる。

 わたしの最愛の妹、わたしの鏡像、わが半身、千景の笑顔が見当たらない。

「……千景」

 遠く、踏切の向こう、街灯に照らされた夜道を、一匹の犬がなにかを引きずりながら遠ざかっていく。わたしと眼が合い、勝ち誇ったように、耳ざわりな遠吠えをあげた。

 千景は、ケルベロスに敗れてしまったのだ。

「さようなら千景。わたしの妹、わたしの鏡像、わが半身」

 わたしは殺された千景を見送った。千景はわたしよりも優しいから。きっと、獣を殺すことを、こころのどこかで躊躇してしまったのだろう。

 だが、千景は死んだが、まだ死んではいない。

「こんばんは、三玲」

「こんばんは、千景」

 踏切の向こうに、新たな妹、新たな鏡像、新たなわが半身が現れていた。

 千景はその名のとおりに、千の魂に分割された。いま殺されたのは、六百六十六人目の千景だ。

 わたしたち双子を門番に任じた者は、千景の魂を千に分けて、わたしの魂を三つに分割した。

 これは悪趣味な実験でもあった。量が勝つか、質が勝つか。わたしたちは、競わされてもいるのだ。千に分けられた千景はわたしよりも弱いが、数多くの死を繰り返すことが出来る。たった三人のわたしは、力では勝っても、数少ない死にしか耐え得ない。

 そしてわたしは既に三代目だ。先代と先々代の三玲はとうに死んだ。わたしにはもう後がない。

「千景」

「なあに、三玲」

 六百六十七人目の千景は、優しく微笑む。

「最後まで一緒に生き残りましょうね」

 わたしの妹、わたしの鏡像、わが半身である千景は、相も変わらない笑顔で、穏やかにうなずく。

 わたしはどうあがいても最後まで生き延びるつもりだ。たとえわたしの置かれた状況が、もう後のない崖っぷちであり、終わりの見えない絶望に閉ざされていても。わたしは絶対に諦めない。

 この戦いが、永劫につづくとしても、わたしは死ぬまで諦めないだろう。

 ケルベロスを使嗾しそうする者たちにも、彼らなりの正義はあるのかもしれない。列車に乗せられた死者たちの素姓を、わたしは知らない。もしかしたら、どうしようもない汚濁にまみれた魂なのかもしれない。

 だが、知ったことか。その死者たちの生の終わり――彼岸へと運ばれるまでのささやかなエンドロールを守るのが、わたしと千景に任された役割なのだ。

 そうして、永劫にも思える戦いを、二人が最後まで生き抜いたあかつきに、わたしたちを門番に任じた神がしたり顔で現れたとしたら――神の顔面にわたしたちは唾を吐きかけ、そのクソみたいな父なる神を、二人がかりでブチ殺すのだ。そうしてわたしたちは二人きりのハッピーエンドを迎え、拍手喝采のエンドロールを眺めながら、初めての眠りを眠るだろう。

 カンカンカンカン、と踏切が鳴り始めた。遮断機が下りる。踏切の向こうには、わたしの妹、わたしの鏡像、わが半身が微笑んでいる。

「生き残るわよ、千景」

「あなたもね、三玲」

 わたしは神への殺意と妹への愛を胸に抱きながら、踏切を背にして、永劫に襲い来る絶望を待ち構えた。

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