08
朝日が差し始めると、初夏の森は一層に緑を濃くしたように見えた。
時折短い休憩を挟みながら、俺を担いでウォードはひたすらに緑の真っ只中を進んでいく。沈黙は苦にならないが、暇を持て余していることも確かだ。
「そう言や、一つ訊きたいことがあったんだった」
「訊きたいこと?」
「そ。ここのとこ、ちょいちょい気になってたことがあってさ。俺は隠し事を大体ゲロっちまったし、それに免じて答えてもらえたらいいなーと」
努めて軽く言うと、密着した身体越しにウォードが息を詰めるのが感じられた。
「……もしかしなくても、祝福のことか」
「まあね。あんたは、こう、人並み以上に聡いところがあるよな。さすがに未来予知とまではいかねーだろうが、それに似た類の祝福なんじゃねえの?」
「何でそう思うんだ」
「俺がやる前に止められたからだよ。ほら、自白剤入りスープの時さ」
気になったのは、それが最初だ。こいつの手の中にあった皿を、俺は偶然を装って叩き落とそうとした。けれど、それを察していたかのような呼吸で、こいつは俺に話しかけ、結果として行動を止めさせた。
その次が、デゼノヴェとの一戦。デゼノヴェの奥の手であるあの咆哮は、有効範囲の広さと攻撃の伝播する速さが売りだ。聞いてから防御するんじゃ、ほとんどの場合は間に合わない。音の速さに勝てる奴なんてのは、そうザラにはいないからな。それでも、ウォードは物理面だけとは言え、それを防いだ。
事前に奴の手札を知っていたのでなけりゃ、あの場において何らかの手段によって、その攻撃の性質を知ったか、読み取ったことになる。
「俺がやろうと思って、やる前に止められることは滅多にない。自慢じゃねえけど、俺はそこそこ強いし速いからな。――それに、ザシャも言ってたよな。あんたは先頭を守るに相応しいって。てことは、先んじて攻撃の類を察知する類の祝福があるんじゃないかと思った訳だ」
「……なるほど」
「当たらずしも遠からずってとこ?」
「いや、ほとんど当たってるよ。……俺の祝福は、一定範囲内に生じた敵対的ないし攻撃的な反応を感知すること。物理的な攻撃、魔術的な攻撃、言動どころか思念まで感じ取る」
淡々とした声で紡がれた言葉に、一瞬息を呑んだ。
それは言うなれば、「自己に対する害を事前に捉える」祝福なのだろう。未来予知という名前こそつかないが、ほとんど似たようなものだ。かなり有用な能力じゃあるが、国に囲い込まれていないのは、あくまでも自分自身に対する限定的なものだからか。
「そりゃすごい。――が、中々に難儀な能力だな。分からなくていいことまで分かりすぎるだろ、それ」
正直に言わせてもらえれば、俺は絶対持っていたくない。要らんことにまで気付かされすぎて、気苦労でどうにかなっちまいそうだ。……いや、俺がただ単にウォードの祝福に反応するようなものが周りにありすぎる生涯を送ってきただけだといわれれば、それも否定できねーけども。
「こう言うと失礼だけど、祝福っつか、呪いみたいなとこねーか」
「まあ……否定はできないかな。分からないでいたかったと思うことも、ない訳じゃない」
「だろうなあ」
「でも、表では笑いながら裏で害意を持っている人もいれば、何の悪意も害意もなく叱ってくれる人もいる。嫌なことだけじゃないよ」
語る声は、穏やかだった。強がりでもハッタリでもなく、本当にそう思っているのだと伝えてくる。
そうか、と答えて俺は笑った。面倒な祝福を抱える羽目になっても、そうやって答えられる程度には自分の中で割り切れているのなら、それはそれでいいことなんだろう。わざわざ外野が言うこともない。
「やっぱ、あんたいい奴だな」
「え?」
「そう言えるってことは、そう振舞ってもらえる人柄ってことだろ」
「周りに恵まれただけじゃないか?」
「謙遜するない。周りにいい奴が集まってくるってのも、一つの才能さ。あんたの成果だよ」
言って返せば、息を呑む気配。ややあってから、ありがとう、と呟くのが聞こえた。
森を二分する形で流れる川には、数は少ないが要所要所で橋がかけられている。
総数は五つで、俺たちは昨日までの行軍で二つ目までを通り過ぎていた。増水し、爆発的な勢いで流れる川に落ちたのが夜だったこともあり、果たしてどこまで流されたかは、未だ分からないままだ。せめて二つ目と一つ目の間であって欲しいというのが、俺とウォードの切実な願いだったんだが。
「二、だ。この橋は二つ目だ」
「不幸中の幸い、だな」
川の上流、元々の進行方向に向かって小一時間ほど歩いて見えてきた吊り橋には、ウォードが読み上げた通りの番号の札がかけられていた。
思わず二人で安堵の息を吐いたが、また一つここで問題が浮上する。
平たい板を縄で繋ぎ、両岸に渡した吊り橋は、如何せん両岸から丸見えだ。ここまでも森は静かなもので、獣に襲われることもなければ、再度の襲撃が図られることもなかったが、この橋を渡る機会を待っている可能性も捨てきれない。
念には念を入れて周囲を探索すると同時に、橋を渡る前に小休止を入れることにした。
「人喰いは、すぐに襲撃を仕掛けるかな」
肩の上から下ろしてもらい、地面に胡坐をかいていると、隣にウォードが腰を下ろす。これまで弱音一つ吐かず、足取り一つ乱さずにきたが、さすがにその頬には汗が光っていた。
「どうだろうなあ、あんたが片方の爪をぶった斬っただろ。あれをもう一度作り直すにも魔力と時間が要るだろうし、単純に俺が腹に蹴りぶち込んでもある。仕切り直すにしても、多少時間は掛かる……と思いたいところだ。たぶん、奴は魔力不足でもあるだろうし」
「魔力不足? 何で分かるんだ」
「あいつ、魔力を寄越せって俺まで食おうとしてたからさ。相当にカツカツなんじゃねえかな。確か、あいつの魔装具はかなりの大喰らいだったはずだ。見た感じ、鎧の状態もひどく変質してたし、更に何か不具合でも起きてておかしくない」
「確かに、随分と刺々しい形をしてたな。あの魔装具は、何か特別なものなのか?」
「ああ、いや、尖がってたのは何らかの異変の表れじゃあると思うが、おそらく魔装具自体とは関係ない。それとは別に、純粋にあいつの魔装具も特別製なのさ。かつて俺やあいつが兵器として運用されたのは、国が開発した特殊な魔装具に適合したからだ。上手く扱えれば、単騎で一個中隊くらいとやりあえる代物ってな」
述べると、ウォードが小さく息を呑む。まあ、剣呑極まりない話だよな。
「それは……とんでもないな」
「おうよ。それだけの出力を持つってことは、当然費やす魔力も相当だ。軍にいりゃあ、その辺の補助があったが、野良になったらそれもないからな。魔力の補填にゃ苦労してるはずだぜ」
「だから、人喰いを……?」
「おそらくな」
体力が身体と肉に基づく力であるのなら、魔力は精神と血に基づく力だ。精神は魂と言い換えてもいい。生き物が体力を回復する為に肉を糧にするように、デゼノヴェは血と魂を喰らって魔力を補っているのだろう。そうすることに躊躇いを覚えない程度には、おかしくなってしまった。
「レインは、大丈夫なのか?」
「ん? 魔力?」
「ああ。もう補助はないんだろ? 魔力不足になったりしないのか」
「俺は元々魔力が多い方だし、今は起動制限処理されて出力も大幅に落ちてるから問題ない――って答えると、今もそれ持ってるって教えるようなもんだよな。聞き流しといてくれ」
「あ、いや、ごめん、俺もそんなつもりじゃなかったんだ。忘れておくよ」
掛け値なしの焦った声に、苦笑が浮かぶ。何だろう、こいつも邪気がないっつーのかね。お陰で余計なことまで喋っちまいそうだ。
「そんじゃ、お喋りもそろそろ終いにしとくか。こっからはどうす」
「担いでいくよ」
「ハイ」
人の喋ってるのぶった切ってまで言わなくてもいいんじゃねーでしょーか。おっかねーぞ先輩。
何はともあれ、行軍再開である。俺は再び担がれる身の上となり、念の為に周囲に敵性反応がないことをよくよく確認してから、魔装具の鎧装を展開したウォードが魔力噴出の跳躍を生かしつつ、一気に橋を渡りきる。
跳躍の揺れで傷が地味に痛んだが、そんなもんはしょうがない。我慢するしかねーんだと堪えていたら、
「悪い、傷に響いたよな。少し休もうか?」
まあ、普通にバレてたっていうな。
この密着状態だ。俺が気付いたように、ウォードだって俺の状態の変化には気付くってもんか。いや、失敗失敗。
「いいよ、先を急ごう。休むなら、合流してからのがいいだろ」
分かった、とウォードが答えた、その時。
『こちらヘルメル、聞こえるか?』
チリッとこめかみの震えるような感覚が走ったかと思うと、覚えのある声が頭の中に響いた。通話術式、しかもザシャからだ。術式の作用範囲までは戻ってこれたってことか。
『聞こえてます。こちら、スカイラーと』
『アーリック。ちゃんと生きてるぜ』
『無事か?』
『レインが負傷してます。そちらの状況は?』
『カレルは、今のところ大人しくしている。アルマス家も無事だ』
『カレルと言やあ、やっぱあいつはユーリエンの密偵でいいのか?』
『ああ、奴自身が肯定した。あの『人喰い』を捕獲する命を受けていたらしい。アーリック、お前も『人喰い』と因縁があるんだったな。お前に掻っ攫われる訳にはいかないと、ああした直接的な牽制に出たそうだ』
『いや、牽制どこじゃなかったろ、アレ』
思わずぼやけば、ウォードの苦笑する気配が術式越しに伝わってくる。
だって、後ろから兜削られてんだぜ? 本気で俺を射落とす気で狙ってきてたろ。絶対牽制じゃなかったって、仕留める気だったって。
『犯人曰く、『あれくらいなら避けると思った』だそうだ』
『はァ!? そりゃあ事の後なら、何とでも言えるよなァー!? 覚えてろ戻り次第締めるって伝えといて』
『了解した。ひとまずアルマス家に害なすつもりはなく、護衛は続けるにやぶさかでないと申告したため、一時的な休戦として当座の防衛要員に使っている形だ。守り手は多いに越したことはないからな。……お前たちの合流はいつ頃になりそうだ? もう向かっているか?』
『三時間もあれば追いつくと思います。もし可能なら、川に落ちたので身体と、後は傷を洗えるような水でも用意しておいてもらえますか?』
『分かった、アルマス氏に打診しておく』
『お願いします』
『ああ。馬車は昨日から移動していないが、合流まで気を抜くな』
最後に釘を刺して、ザシャとの通話は終了した。
その途端、ウォードが深々とした息を吐く。困ったように、憂鬱そうに。
「何だ、どしたん」
「カレルは、ユーリエンの密偵だと認めたんだな。レインと完璧に競合する目的だ。……だろ?」
言いながら、ウォードは街道に比べると細い、草を払っただけの道を進んでいく。事前に見ておいた地図の記憶が正しければ、さっき通った吊り橋は比較的街道から近い位置にあったはずだ。この歩調でなら、五分とかからずに戻れるだろう。
そうしたら、後はもう昨日まで進んできた道を行くだけでいい。デゼノヴェが現れた方の岸であるだけに、再襲撃の緊張は解けないが、明確に合流の目処が立ってきたことを思えば、少しだけ気は楽だ。
だからか、ついつい「まあね」と相槌を打つ声も軽いものになる。内容自体は、まあ、そんなに軽く喋れることでもないんだが。
「勝算はまだ変わってない?」
「ああ。後ろ盾の力比べに持ち込めば、たぶん向こうが折れる。――もっとも、俺があいつを回収したところで、俺を使ってる国が技術と情報を独占するだけで、何もいいことはないのかもしれない。でも、カレルは『捕獲』を命じられたらしいからな。いくら壊れた『人喰い』でも、昔の仲間の誼がある。実験材料に使われるのは忍びない」
「……そうだな」
ウォードの声は沈んでいる。いい奴だから、同情してくれてるんだろうか。
「ただ、カレルの奴は俺の目的と競合しちゃいるが、ネーリネスカの傭兵ギルドとは必ずしも対立しないだろ。あんたたちまで関わることはない。俺は俺でケリをつけるよ。心配しなくていい」
「いや、手伝うよ」
きっぱりと返された、予想だにしない言葉に目が見開く。え? 何て?
「何だって?」
「俺は君に助けられた。その恩は返さないと」
「そんなもん、気にしなくったっていいのに。あんただって、俺を庇ってくれただろ」
「でも、俺は結局上手くいかなかった。助けてもらわなければ、食われていたのは、きっと俺だった」
「俺があの状況で上手く対処できたのは、あいつのことを知ってたからさ。助ける術を持ってる奴が、助けられる奴を助けるのは普通のことだろ。仮に失敗したからって、その行動に意味や価値がない訳じゃない」
だから気にすんなよ、と重ねて言えば、何故か返ってきたのはため息。
「強情だな」
「あんたもな」
そいつは俺の台詞である。全く。
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