05

 展開していた防音障壁ごと繁みを突き破り、走り出す。すぐ後ろをウォードがついてくるのは、見なくても分かった。会話をする必要もない。考えていることは、おそらく同じだ。

「ウォード、俺が先行する! 援護頼む!」

「分かった!」

 指示を出すことに迷いはなかった。以前聞いていた通りの戦闘形式なら、おそらくウォードよりも俺の方が機動性が高い。走りながら、〈ジェメリ〉を起動。手の中に剣を生成する。同時に鎧を足元から着装。踵の機構から魔力を噴出し、一足飛びに馬車の傍らにまで接近。

 ふっ、と息を吐きながらの踏み込み。一足飛びに焚火を飛び越え、そいつ・・・の真下に潜り込む。頭上に掲げるようにして構えた右手の剣は過たず、馬車の上から跳びかかろうとしていた影の、その長い爪を受け止めた。響き渡るは、甲高い金属音。

 それもそのはず、そいつは全身を金属質な光沢を持つ黒い鎧で覆っていた。

 ――つまり、「人喰いの化け物」の正体は、「魔装具使いの人間」だということだ。武器は持っていないが、両手の五指から鋭く伸びた爪状の刃が主兵装の代わりなんだろう。それだけでなく、そいつの有様は異形であるとしかいえなかった。

 移動の妨げにならないよう、魔装具の鎧は概ね飾り気が少なく、滑らかな表層に整えられているものだ。なのに、そいつの鎧はひどくささくれ立ち、ヤマアラシやハリネズミもかくやという様相ときた。これじゃあ「化け物」と勘違いされても仕方がない。

 頭部を覆う兜には、視界を確保する横一線の裂け目。月明かりがあるといえど、森の中は相当に暗い。鎧の亀裂の奥底など、窺えようはずもなかった。ただ黒々とした闇だけが凝っている。

「ったく、面倒かけさせやがって!」

 演じた鍔迫り合いは、ごく短い間のこと。受け止めた爪を跳ね上げながら、魔力噴出で加速させた左足を振り上げる。爪先を脇腹に叩き込まれた黒い異形は大きく吹っ飛び、街道の上に弾き出されて派手に転がった。

「やったか?」

 駆け寄ってきて問いかける声は、ウォードではなくザシャだった。俺たちが席を外していたから、馬車の近くにまで戻ってきて警戒していたのだろう。

「いや、上手く逃げられた。手応えはいまいちだな。こいつが噂の『人喰い』でいいのか?」

「ああ、全身が黒い異形と聞いていたが……人間、なのか?」

 闇に紛れそうな黒い輪郭は、体勢を立て直してこちらを窺っている。四つん這いにも似た、両手を地面につけた極端な前傾姿勢。ザシャが言い淀む気持ちも分からんでもないな。確かに、これじゃあパッと見、人間よりも獣の方が近いくらいだ。

「元は、ってとこかね。残念だが、話し合いができる状態じゃなさそうだ」

 魔装具使いとやり合うなら、こっちも武装は必須だ。脚から胴、胴から腕、そして頭へと鎧を着装していく。兜の面頬バイザーを下ろし、臨戦態勢の意思表示。

「まずは俺が相手する。あんた方はその間にアルマス家を頼めるか」

「任せておけ。――ウォード、手伝え。ハンズリーク、アーリックの援護を!」

 二つの声が「了解」と応じるのを聞き流しつつ、空けたままの左手を宙に翳した。ぼぼぼ、と掌から現れた赤い炎は、瞬く間に矢を形作る。

 ――これに見覚えがないはずはない。問題は、今も覚えているか。思い出せるかどうか。

 手を振る動きで、炎を放つ。ぐるりと首を傾げるような仕草を見せたそいつは、音もなく地面を蹴った。矢の側面に回りこみ、最低限の動作でぬるりと間合いを詰めてくる。

「とにかく、馬車から遠ざけるのが先か」

 縦横無尽に振るわれる爪を、時に避け、時に剣で弾きながら、じりじりと後退する。このままついてきてくれればいいが、あくまでも馬車に執着するようなら、そん時は蹴り飛ばして川にでも落としてやろう。溺死するなんて可愛げはないだろうが、邪魔の入らないところで仕切り直すには十分だ。

 視界の端に、魔装具を起動して弓を握るカレルの姿が目に入った。俺たちが打ち合っている側面に回りこんで、弓を構える。よし、ちゃんと俺が巻き添えを食わない位置を取ってくれたらしい。

 ギルドでそれなり以上の評価を得ているだけあって、カレルの弓は上手かった。人間と言うよりは柔軟性の高い動物を相手にしているような、絡みつくにも似た不規則な動きで俺に攻めかかるそいつに、よくよく命中させる。

 弓の魔装具は鎧や他の兵装と同じように、魔力を素に矢を生成して放つ。だからこそ鎧を着込んだ相手にも対等にやり合える訳だが、カレルの矢は速射性を重視している分、一射の威力は高くない。同じ場所に連続で当てて、やっと罅が入る程度だ。それでも着実に鎧に罅を入れ、破片を落としさえさせる。後退し続ける俺が奴を引き連れたまま街道から森へ入っていっても、つかず離れずの距離を保ちながらついてきた。夜の視界の悪さも、生い茂る木々も障害にはならないらしい。

 ここまでお膳立てしてもらえれば、俺の仕事も楽だ。二射立て続けに足を射られ、姿勢を崩したそいつの脇に回り込み、今度は右脚で渾身の力をもって蹴りつける。魔力噴射と相俟って、その威力は叩きつけられた木々さえもへし折り、尚も止まらず吹き飛ばすほどだ。奴が上手く食いついてきてくれただけに、背にしてきた川との距離も随分と近付いたが、落とすまでには至らない。後一歩、もう一撃の決定打が必要だ。

 鎧で守りを固めているのをこれ幸いと、細い枝や低い繁みは強引にへし折り突っ切る。逸らすことなく見据えた視線の先で、あいつはようやっと大木に激突して地面に落下した。どこか痛めたのか、もがいているものの有効な行動は取れないでいる。

 それを好機と見たか、ザシャがウォードに加勢を命じるのが通話術式越しに聞こえた。……ただ、それが間に合うかどうかだな。たぶん、ウォードが合流するよりも、俺が行動する方が早い。

 もがくそいつは、もう目と鼻の先だった。ここで止めを刺してもいいが、ユーリエンの監視があることを踏まえれば、やはり川に落としてその目を振り切るべきか。戦闘の最中にありながら、その後のことに思いを馳せた。それも一つの油断ではあったのだろう。

「レイン、伏せろ!」

 鋭く呼ぶ声が聞こえた時、後始末に意識を向けていた俺は、一瞬行動が遅れた。

 咄嗟に上体を低く屈めたものの、背後から猛然と殺到する気配に掠められた兜が砕ける。ぬるく頬に伝う感触からするに、破片でどこか切れたか。衝撃でよろめく身体をどうにか制御しながら、くそったれ、と腹の中で毒づく。やっぱりお前・・か。

「カレル、どういうつもりだ!」

 ウォードが声を荒げるのが聞こえる。答えはなく、上がるのはただ金属音だけ。取り急ぎ展開させた探知術式が、俺と後背の敵の間にウォードが割り込み、追撃を防いでいることを伝えてくる。

『どういうつもりも何も、そいつがユーリエンの差し金だったんだろ。さっきは助かった。すぐに片付けるから、そいつの相手しててやってくれ』

 通話術式で声を掛ければ、ウォードはいかにも釈然としない様子ではあったものの、了承を答えてくる。

『ユーリエンの差し金? どういうことだ』

 通話術式の指定対象からカレルは除外したが、ザシャはまだ含めたままだ。怪訝そうな声が聞こえてくる。

『詳しいことは後で話す――おっと、こっちもやっぱりか!』

 地面にうずくまっていたそいつが俄かに顔を上げたかと思うと、地面すれすれの低空を飛びかかってきた。そこまで柔じゃないはずだと踏んだ通り、起きられないでいるように見えたのは、演技だったらしい。

 ぼっ、と足元から魔力を噴出させ、大きく跳躍。奴の頭上を飛び越え、頭上を取った瞬間に噴射の向きを調整、地上に向かって剣を突き下ろす。咄嗟に上空を振り仰いだそいつは、俺の剣を爪で受けた。反応としちゃあ、悪くない。折角だ、どれくらい鈍ったか研いでるか、ここで見定めてやる。

 ――なあ、デゼノヴェ。昔と違う武器を使ってるからって、俺の攻め手が甘くなるなんて思うなよ。

 空けていた左手にも、剣を生成。左右から間断なく攻め立てる。右から首を、左で脇腹を。呼吸をする間すら与えてやるつもりはなかったが、デゼノヴェは低い姿勢のままよく凌いだ。なるほど、少なくとも戦闘を続行し、標的を仕留める能力においては、それほど劣化はないと見える。

「――っぶね!」

 咄嗟に右腕から魔力を噴出、空中にあった身体を強引に脇にずらす。一瞬前まで俺の身体があった場所を、一条の矢が貫いた。

『カレルの奴はどうにかなんねーのかよ!』

『悪い、振り切られて射線を通された!』

『今、制圧に向かっている! ウォード、カレルの相手はしなくていい。アーリックと合流し、奴を仕留めることを優先しろ!』

 通話術式を介して、言葉が飛び交う。ザシャの指示はありがたいが、それじゃ馬車が手薄になるんじゃねーか? 問うてみれば、全員馬車の荷台に乗せて、防護結界を張ってきたとのこと。それなら、まあ、何かあっても誰かが駆けつけるまでくらいは凌げるか。

 ったく、それにしても面倒臭え! カレルに邪魔されたお陰で、デゼノヴェが体勢を立て直しちまった。俺の移動先を読んで、飛びかかってくる。振り被られた爪は剣で防いだものの、空中で踏み締める地面がない分、押し合いになれば不利は当然だ。鎧の背面から魔力を噴出して対抗するにしても、限りがある。そんなところで余計な魔力を食いたくもない。

 業腹じゃあるが、自分から弾き飛ばされて距離を取るしかなかった。着地までは順当に済んだものの、さすがに追撃が早い。一息で間合いを詰められ、再び真っ向から鍔迫り合いに持ち込まれる。

 ぎりぎりと耳障りな音。思わず顔をしかめた瞬間、至近距離に迫ったそいつの兜――その顎が、がぱりと開いた。垣間見えるのは、血塗れた口元。

「ニィユ……魔力……チョウダ、イ?」

 赤黒く汚れた唇の発した言葉が耳朶を打ち、俺は図らずも目を見開いた。

 炎を見せておいたお陰だろうか。こいつは、俺が誰だか分かっている。分かっていて、それなのに、こうしている。……たぶん、もう取り返しもつかないところまで落ちてしまったんだろう。それほどまでに壊れて狂ってしまっている。

「何がお前をそうさせたんだ」

 囁く問い、やはり答えが返ることはない。分かっちゃ、いたが。

 腕力強化の術式を走らせ、受け止めた爪を一気に押し返す。仰け反るようにして一歩二歩と下がったそいつに、更に追撃を仕掛けようとして――側面から飛び込んでくる気配。上段から振り下ろされた剣が、押し返された余波で空を泳ぐ異形の爪を根元から断ち斬った。

 鎧装で全身を固め、右手に長剣を握った第三者。俺とそいつの間に割り込むように着地したウォードは、返す刀で今度こそ首を獲りにいった。迷いのない、鋭い剣筋は、それだけで持てる技量の高さを窺わせる。

 狂っていても、分が悪いと判断できる程度の頭は残っているのだろう。逃げ切れず剣先に兜を削られたデゼノヴェは、一転して下がる素振りを見せた。

「逃げるつもりか」

 ウォードが苦々しげに言い、退くデゼノヴェを追う。奴はなるべく早くに仕留めておいた方がいい。それは俺も同意するところなんだが――どうも、奴の逃げている方向がおかしい。まっすぐ川に向かってやがんぞ。

 人狼に擬えられた十九番目の性能は、獣の如き脚力と膂力。そして、魔力を乗せた咆哮による広範囲攻撃。……おい、もしかして、

「ウォード、深追いすんな!」

「レイン、俺の後ろに!」

 叫んだのは、二人同時だった。直後、奴の咆哮と共に爆発的な魔力が爆ぜる。

 何をどうしたのか、前知識のないはずのウォードも、デゼノヴェの咆哮を察したらしい。俺の前に躍り出たかと思うと、自分の正面に盾装の障壁を発生させる。防ごうという判断だろう。これがただの魔術攻撃なら、それでも良かった。

 だが、デゼノヴェの咆哮の厄介なところは、その「声」そのものにある。

 聞いたものの精神を混乱させる魔声。土を抉り、木々を薙ぎ倒す表向きの威力だけに気を取られると、文字通り意識をすくわれる。

『ウォード!』

 声音では、おそらくもう通じない。通話術式で呼びかけてみたが、既に遅かったらしく、返ってきたのはただの雑音だった。術式の行使には、術者の明確な意識が必要だ。俺と違って、ウォードには耐性がない。デゼノヴェの声を諸に受けてしまったのだろう。

 こうなったら、悠長に声を掛けている場合じゃない。後ろからウォードの胴に腕を回し、そのまま担いで離脱しようとすると、

「……ああ、これまで込みの罠ってことね」

 がくん、と足元の崩れる感覚。川は森から四メートルほど低いところを流れていて、川縁は崖のように切り立っている。そこで人狼の咆哮なんぞをかまされちゃあ、崩落するのも道理だった。

 ウォードを抱えたまま、飛べるか。難しいが、できない話じゃない。……ただ、それは何も妨害がなくてのことだった。落ちていく俺たちの頭上から、迫る気配。

 抱えたものを捨てる訳にも、盾にする訳にもいかない。剣での迎撃の態勢も難しい。長く鋭利な爪が、鎧ごと脇腹を切り裂く。苦し紛れに放った炎が命中したかどうかも見届けられず、俺たちはそのまま荒れ狂う濁流に落とされていった。

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