06
* * *
夢を、見ているのだと思った。俺はこんな景色を知らないから。
燃え盛る夜の街。轟く怒号と悲鳴。戦火が夜を赤く染めている。俺は――いや、俺が目を借りている何者かは、その地獄を小高い丘のようなところから見下ろしていた。周りには小さな子供がいて、俺の視点もさほど高さが変わらないから、きっと子供なのだろう。俺の視点の入り込んだ子は、周りの子たちに何か指示を出しているようだった。
その途端、子供たちの姿がみるみる変じていく。ある子は人狼のように、ある子は竜のように、ある子は獅子のように。そこにいる子供の誰もが、肉体に魔装具を埋め込まれている。そして、他でもない自分も同じ「処理」を受けていることを、俺が目を借りている子供は、明確に認識していた。
怖気のするほどの憎悪と共に、その子は自分が生きた兵器であることを受け入れいていた。
どこかで聞いた吼え声が轟く。街の一隅が押し潰されたように崩壊するのが見えた。
誰かの哄笑。……いや、それは、すぐそこから……? すごく近いところで笑っている気がする。どこか聞き覚えのある声のような。
けれど、分からない。思い出すことができない。もどかしさが胸を焦がす。
「起きろ!!」
突然、赤く焼けた戦場を割って、声が響いた。
頭蓋の中で直接叫ばれているみたいに轟く声は、頭の中から全身を揺さぶってくる。
「!?」
気がつくと、飛び上がるようにして跳ね起きていた。どういうことだ? 何がどうなった? 動揺と混乱の中、慌てて辺りを見回す。
まだ夜は明けておらず暗いものの、薄雲に覆われた淡い月明かりのお陰で多少の視界は利く。どうやら、ここは川のほとりらしい。つま先の本の少し先を、岸を削る勢いの濁流がごうごうと流れている。ちょうど真正面に臨む川向こうには、それほど高くもないものの崖が見えた。……ということは、今まで進んでいきた街道から、対岸にいることになるのだろうか。
未だ消えない「何故」という困惑を呑み込みながら、遅れて全身がひどく濡れていることに気がつく。魔装具の鎧も纏ったままだ。戦闘中に川に落ちたのだろうか? どうも目覚める前の記憶が曖昧だ。
掴み切れない状況に参り、首を捻る。すると、
「……どうにか、目は覚めたか」
かすれた、力ない声がすぐ近くから聞こえた。
ぎょっとして顔を向ければ、三日間組んで行動していた青年の姿。ひどく疲弊しているようだ、と観察した時、脳裏にいくつかの光景が閃いた。
――そうだ、俺はあの人喰いの攻撃を察知して、防ごうとした。
地面を抉り、大木を薙ぎ倒す衝撃は、確かに防げた。そこまでは良かったんだ。ただ、その後は急に眩暈がして、上手く頭が動かなくなった。訳が分からなくって、どうしたのかと混乱している間に身体が後ろから引っ張られて、足元が崩れて……そう、そして川に落ちた。
あのままだったら、俺はまともに身動きもできないまま濁流に呑まれて、溺死していたことだろう。或いは、あの人喰いに喰われていたか。でも、そうはならなかった。
「助けてくれたのか」
「ギリギリな。悪いが、引っ張り上げて、あんたをおかしくしてた魔力を押し流すので打ち止めだ。今はもう、それ以上は何かあっても無理」
おかしくしてた魔力? それが、あの凄惨な夢を見せたのだろうか。
気にはなったものの、喋り終えて虚脱した風で地面に胡坐をかくレインを見ていたら、どんなことはどうでもよくなった。慌てて鎧を消して身軽になり、その傍らに膝でにじり寄る。どこまで俺も寝惚けていたのか、そこまで近寄って、やっと血の臭いに気がついた。
「大丈夫か、どこを怪我をした?」
「大したことじゃねーけど、少し休憩が必要だな……」
「傷はどこに?」
急き込んで訊ねれば、ぞんざいに右の脇腹を指で示される。
レインは流浪の傭兵の多くがそうであるように、魔装具で上に鎧を重ねることを前提とした、飾りの少ない簡素な旅装束を身に着けている。その上着の右半面が、べっとりと黒く汚れていた。今は暗いから黒く見えているだけで、明るくなればきっと毒々しいまでの赤色が見えることだろう。
しかし、これだけ服が汚れてるってことは、出血も相当だったんじゃないか……?
「レイン、本当に大丈夫か? その傷、まずいんじゃないか」
「まあ、そこそこでかいのもらっちまったけど、今治してる最中だから問題ねーよ。そう簡単にくたばれるほど柔じゃない。ただ、血の臭いが目印になったら困るよな」
「じゃあ、服を捨てて行こう。傷に障るといけないから、脱がせるけど」
「わりーな、頼むよ」
レインの着衣は、見たところ薄手の上着と、その下にシャツが一枚きり。最近はすっかり暖かくなっているから、その分薄着にしてきたんだろう。
「服、裂いてもいいか? その方があまり動かずに脱がせられそうだ」
いいよ、とあっけらかんとした、無防備にすら思える返事に苦笑しながら、長剣の〈フェンガリ〉ではなく、短剣の〈グリンゼル〉を生成する。副兵装として携帯しているこれが、こんな風に役に立つなんて思ってもみなかった。
まずは上着の背中をまっすぐに裂いて、左右に分かたれたものを慎重に腕から抜き取る。次はシャツだけれど、これは前でボタンを留める上着と違って、頭からかぶる形だ。袖を肩からまっすぐに裂いて、後は立ち上がる時に足から抜かせた方が、まだ身体を動かさなくて済むかもしれない。
それを提案すると、レインはまた「任せるよ」とあっさりしたものだった。こだわりがないというか、何というか……。ともかく、早急に血塗れた衣服を捨てて場所を変えなくてはならない。あの人喰いが守りを固めた馬車よりも、手負いのレインに狙いを定めないとも限らないのだから。
〈グリンゼル〉でまずは左の袖を裂ききると、解かれた筒が前後に分かれて垂れる。さながら片肌を脱ぐようになって――まるで時を見計らったように、雲が晴れて月光が差し込んだ。
「え」
それで。ありえないものが。みえたんだ。
「うん?」
絶句する俺に気付いたレインが、小首を傾げる。古い傷跡がいくつも残されていながら、それでいて滑らかに白い肌から、どうにかして視線を引き剥がす。
知らなかったんだとか、わざとじゃないんだとか、言う言葉はあれこれ思い浮かんだけれど、どれもこれも音にならなかった。ぱくぱくと唇だけを開閉して、きっと顔はみっともなく赤くなってるんだろうなと、頭の中のどこか冷静な部分が他人事のように思う。
でも、だって、さすがにこれは予想外だった。とんでもなく。ものすごく。と言うか、これまでの行軍で服を脱いだ時とか、普通に男だったよな!?
「レイン、その、それ」
指差すのもどこか躊躇われる気分で、その身体を示す。白い肌。平坦ではない、その胸を。
「あ」
自分の身体を見下ろしたレインは、今までと全く変わらない様子で、声を上げた。
「わり、たぶん川に落ちたか腹裂かれたかのせいで、仕掛けが故障したんだわ」
そして。本当に。勘弁してくれと言いたくなるくらい能天気な声で、そう言ったのだった。
* * *
「悪いね、手間かけさせて」
「いや……全然……大丈夫……」
担いできた
ウォードがこれと定めた隠れ家は、上がった地点から少し川を遡った辺りにあった。傾斜のきつい斜面の下に生えた木の下で、いい塩梅に周囲の低木が目隠しになっている。とは言え、それを隠れ家の守りとして期待するのは、大分心許ない。
「念の為、俺は軽く周りを探って、必要そうなら罠でも仕掛けてくる。姿が見えなくなるほど遠くに行きはしないから、何かあったら呼んでくれ」
ウォードは辺りを見回していたかと思うと、そう言って足早に歩き出した。いそいそと周囲を動き回り、魔術仕掛けの罠を仕込んでいく。まだ朝も遠く暗い上に遠目だから確かなことは言えないが、時折迸る魔力の気配から推測するに、おそらくは呪縛の類だろう。罠の基点となった地点の周辺、一定範囲内に踏み込んだ対象を動けなくさせるもの。
慣れた手つきで罠が着々と敷設されていく一方、当の術者はどうにも落ち着かなさげにしている。俺は他人の心の機微にそれほど聡い方じゃないが、先刻の騒ぎの後であることを踏まえれば、それが状況への警戒ばかりでないことは察さざるを得ない。
全くもって、ウォードには面倒をかけてしまった。あいつは本当に律儀ないい奴のようで、「なるべく見ないようにするから」と顔を赤くしたり青くしたりしながら血塗れたシャツを脱がせてくれ、挙句の果てには自分の
とにかく申し訳なさが募ること限りなかったが、言い訳をさせてもらうのなら――今回のこれは、俺にとっても完全に予想外の事態であったのだ。
件の身体変化術具は、かつての仲間内でも抜きん出て魔術に秀でた姉貴分が作ったものだ。術具自体は小指ほどの大きさの護符の形をしていて、万が一にも失くすことのないようにと、細くも頑丈な鎖に通して渡された。普段は首にかけているから、よくよく考えてみれば、川に落ちた程度で壊れるはずがない。鎧の中で守られているし、まずあの辣腕がそんな軟弱な作りにするはずがなかった。
……となれば、原因としてはデゼノヴェの咆哮の方が有力だろう。
もっとも術具が壊れたからといって、俺の傭兵稼業に何かの支障が出るかといえば、決してそうでもない。そもそも俺は男の振りをしていたい訳じゃないし、エドゥナが危惧している女であることを理由にしたトラブルについても、さして感心がなかった。物理的に撃退して済むもんなら一発殴って片付けるし、傭兵稼ぎをするにあたって偏見の類による不遇に遭うのなら、仕事場を変えればいいだけだからだ。よって、俺個人の尺度で言うのなら、別に護符は壊れたままでも構わない。
問題は、護符の様子を遠隔で監視しているであろう姉貴分の方だ。放置しておけば、「何で修理に戻らないのか」と詰られるに決まっている。姿を偽ることよりも、エドゥナのお怒りの方が俺にはよっぽどおっかない。
「……街に戻ったら、手紙に入れて送るか」
そう一人ごちた時、視界の端に近寄ってくる影を捉えた。もちろん、ウォードだ。
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