03

 南の森へと同道することになった男の一家は、街から街へと渡り歩いて商いをしているのだという。

 家長である男の名前はレミヒオ・アルマス。妻はファビオラ、息子はバジャルド、娘はアメーリア。バジャルドは十五歳、アメーリアは十歳。バジャルドは若年ながら、既に父を手伝って商いに関わっているらしく、早くも右腕と恃まれているとか何とか。

 そんな身内の話を聞かせてくれたのは、おしゃまなレディ・アメーリアだった。どうやら俺は彼女に気に入られたらしく、森へ向かう道中の数少ない休憩時間や、食事の度に傍にやってくるので、いろんな話をすることになったのだ。

 初めこそアルマス夫人は不用意に傭兵に近付く娘をたしなめる風であったものの、俺が構わないと告げると、何も言わずに様子を見守るようになった。過度な配慮は緊張を生み、過ぎたる緊張は身体を強張らせる。アルマス一家にはなるべく平静を保っていてもらいたいから、それはいい傾向であるはずだ。……だと思うんだが、自分の髪飾りを持ち出してきて、俺の後ろ髪を三つ編みにし始めた時は、さすがに止めてくれ母さんと心の中で思わなくもなかった。

 お陰様で野営一日目の夜、俺は徹底的に髪を編みこまれ、造花やリボンで飾り付けられて過ごす羽目になったのである。おまけにザシャは哀れなものを見る目をするし、カレルは腹を抱えて笑うし、ウォードはものすごく微笑ましそうな顔を向けてくる。アメーリアが楽しそうにしてるのはそれはそれで良いとしても、カレルの野郎は後で覚えてろよ。

 ――ともかく、そんな風にしてネーリネスカを経って一日目は、穏やかに過ぎていった。

 夜警は傭兵で、二人一組を順番に回す。一家は普段通りに馬車の中――大型の車体には幌が掛けられ、荷台と住居を兼ねていた――で眠り、衝立を立てて区切った出入り口側に傭兵二人が間借りする格好だ。馬車と傀儡馬は街道脇に留め、その傍らで火を熾した見張りが警戒する。

 最初の見張り番は、俺とウォードになった。街道に沿うようにして、目的地である森の更に南から流れてくる川が走っている。川幅はそれなりだが、深さがあり流れが速い。ざばざばと絶え間なく上がる音は騒がしいと言えなくもなかったが、旅慣れた一家は相応に逞しいのか、誰もが早々に寝付いたらしかった。

 騒がしくも静かな夜。いつにない重みを訴える頭を抱えて、口を突いて出るのは、

「はー……」

「そうため息吐くなよ。似合ってるぞ」

「それ同情でお世辞言ってんのか、本気で褒めてんのか、どっちよ?」

「どっちだろうなあ」

 ははは、と笑う顔の、ああ全く無駄に爽やかなことよ! 思わず近くに転がっていた小石を拾って投げつけてやったものの、あっさり避けられた。おのれ。

「あー全く、男前は何しても似合うから困るよなァー」

「そうだな」

「だから、その微笑ましげな目で見んの止めてくんない」

 俺がしょーもねえ自己陶酔趣味ナルシストに見えるじゃねーか。冗談だよ。

「あんたも顔形はいいと思うが、如何せん編む髪がないのが問題だよな」

「それ、道連れにできなくって残念って聞こえるぞ」

「よく分かってんじゃん」

「俺よりも、カレルの方が似合うんじゃないか」

「さりげに他人を身代わりにする強かさ、嫌いじゃないぜ」

「それは光栄。――まあ、本当に嫌だったら断っていいと思うけど」

「別に嫌って訳じゃねーけどね」

「子供の相手は慣れてるのか?」

「いや、そうでもねーけど。でも、小さい子が楽しそうにしてんのはいいことだろ。それに、これから人喰いの住処に突貫しようってな状況だしな。あのお嬢ちゃんの気晴らしになるなら、お遊びくらいお相手仕るさァ」

「殊勝な心掛けじゃないか」

「褒めるなら、代わってくれてもいいぜ」

「ははは、それはちょっと俺には荷が重いかな」

「おーい、言った傍からァ!」

 馬車の連中を起こさない程度に抑えた声で交わすやり取りは、ぽんぽんと小気味よく弾んでいく。

 ウォードはパッと見では愛想に乏しく見えなくもないが、話してみれば穏やかで親切ないい奴だ。傭兵の道を選ぶ奴なんてのは、犯罪歴こそないものの周囲に疎まれて居場所をなくした乱暴者や厄介者、食い詰めた農家の次男や三男なんて輩も少なくない。

 その界隈にあって、ウォードの物腰はどこか異質であるとすら言えた。あくまでも穏やかで、思考も理知的。言葉遣いも丁寧な部類に入る。もっと明け透けな言い方をするのなら、育ちの良さのようなものを感じることも少なくない。何ともまあ、珍しい奴だと思う。

 さりとて、その印象は決して不快や不審に繋がるものでもなかった。配慮のなされた言動は、不要な苛立ちや反発も覚えずに済む。

「そう言えば、人喰いは散開した傭兵を各個撃破したっつってたろ。奴に関して、他に分かってることはあるのか?」

「それほど多くはないよ。最初は南の森に向かった……商人だったかな、その人が森の中に散乱した『残骸』を見つけた。それでも、その頃はまだ元々森に棲んでる獣や、危険種の仕業じゃないかって考えられてた」

「その予想が覆されたのは?」

「そんなに長くはかからなかった。傭兵を護衛につけた小規模な隊商キャラバンが、森の中で丸ごと襲われたんだ。その生き残りが街に逃げ延びてきて、言った。――『化け物がいた。人食いの怪物が』と。それから正式に傭兵の調査部隊が森に出向いたりもしたけど、結果は知っての通り。軍は何故か妙に腰が重くて動きが遅いから、傭兵で討伐部隊を組むことになった」

「なるほど、そういう経緯ね」

「確か、レインは人食いと因縁があるって言ってたよな。あれは、どういう……?」

「んー、とある筋からの要請でさ。話が通じるなら確保せよ、それが無理なら処分しろって無茶振りだよ。ただ、そこまで変質しちまってるなら、確保の方は無理かも分からんわな。気は乗らねーけど、始末するしかなさそうだ」

 そこまで言って、ウォードが物言いたげにしていることに気がつく。俺だって馬鹿じゃない、その意図は読めていた。――でも。

「ああ、悪いが、どこからかってのは言えない。聞かないでおいた方がいいと思うぜ」

「……そんなに大層なところなのか」

「大層なところだね。一介の傭兵が相手にするようなもんじゃない」

 そうか、と答えて、ウォードは言葉を切る。自分の分はわきまえているということか、それ以上追求してくることもなかった。

「まあ、俺は仕事には手を抜かない主義だもんでさ。あの一家は守るし、きちんと標的は片付ける。そのつもりでいるから、安心してくれていいぞ」

「そこの心配はしてないよ」

 答えは意外と早かった。へえ、と声を上げれば、

「〈五頭竜殺し〉は腕の立つ変わり者で、受けた仕事は確実に達成するし、組んだ相手は必ず生きて帰らせる仲間思い。こうして見てても、その噂は嘘じゃなさそうだ。だから、心配はしてない」

 思いの外に静かな声で、きっぱりと言い切られた。

「まあ、そりゃ光栄で――つーか、そんな噂流れてんの?」

 どうにも座りが悪いような、落ち着かない気分になって問い掛けると、ウォードはまたあの微笑ましそうな顔をしていた。まるで俺の心情なんてお見通しとばかりに。

 ちくしょう、そのいい兄ちゃんみたいな眼差しを止めれ。人生二年分の経験の差ってか。……いや、「人間」としてなら、俺の方が二年どころかその三倍や四倍は劣ってるかも分からんが、それはともかく。

「噂が広まったのは、やっぱり〈五頭竜〉討伐の後だったかな。ラウデーワでは随分前から五頭竜の対処に手を焼いてるって評判だったし。しかも、それをやった傭兵が駆け出し一年目の新米だっていうから、二重に噂になりやすかったんじゃないか。そこから一気に広まった感じだったと思う」

「マジか、アレそんなに噂になってたのか……」

 ふらふらーっと気まぐれに立ち寄った国で、何か面倒なことになってるみたいだったから、とりあえず現場に行って、五つ首を飛ばしてきただけだったんだけどな。いや、首を飛ばすにも苦労することはしたし、確かに何かこう、すげー感謝されっぷりだなとも思ったけども。

「事情をよく知らないで行ったのか?」

「まあ、そう言って言えないことも、なくはなく……」

 あからさまに目をまん丸くして言われると、何でだろうな、事実でも素直に頷けない気分になるっつーか。

「何せ駆け出しだもんで、あちこちの情勢にゃ疎いんですゥー。あん時も、適当に立ち寄った街で入った食堂の飯が美味くて、そこのおばちゃんが〈五頭竜〉には困ったもんだって言ってたから」

「……言ってたから。まさか、それが理由で?」

「そーだよ。んで、とりあえず現場行って、見つけ出して」

 語るにつれて、ウォードが何とも言えない表情になってきた。頭痛を堪えているような、ため息を呑み込んでいるような。いや、そんな顔をされんのは心外っつーか、別に俺は何も悪いことはしてないっつーか。……くそう、何かさっきとは違った意味で居心地が悪くなってきた……。

「……見つけ出して?」

「全部首刎ねた。首が多かったんで、ちと厄介だったけど」

 そして、沈黙が落ちた。

 はああ、とため息を吐いたのは俺ではなく、焚き火を挟んで向かいに座っているウォードだ。

「レイン」

「ハイ」

 呼ぶ声があんまりにも深刻そうだったので、思わず居住まいを正してしまった。

「仕事をする時は、きちんと下調べをしてから受けるべきだと、俺は思う」

「いやいや、あれはたまたま例外だっただけで、いつもはさ?」

「その例外がとんでもないから言ってるんだ。どうせ、とりあえず現場に行ってみればどうにかなる、とか思ってたんじゃないのか」

「ハハハ、まさかそんな、ハハハ」

 笑ってはみせたものの、ウォードの目はじっとりとしていた。まあ、そりゃあね。答える声の空々しさは、俺自身が誰よりよく分かってるさァ!

 それにしても、何でこいつは見てきたように言い当ててくれやがるんだろうか。何で分かんだ。おかしくねーか。ものすげー図星です止めてくんない。

「……善処します」

「その言葉が嘘にならないことを期待するよ」

「それって全然期待されてなくねえ?」

「人聞きが悪いな、全然期待してない訳じゃないぞ」

「え、そうなの?」

「あんまり期待してないだけだ」

「一緒じゃねーか!」

「違うよ、多少違う」

「多少かよ!」

 結局、何やかやで俺はウォードに丸め込まれたのであった。おかしい。何でこんなことになったんだ。



 ネーリネスカを経って二日目は、前日と打って変わって曇りだった。厚い雲が空を一面に覆っている。一向に晴れる兆しも見えないが、少なくともまだ雨の気配も遠い。

 パッとしない空の下、粛々と傀儡の馬の足は進んでいく。

「ねえ、レイン、レインも魔装具を持ってるんでしょう?」

 そして、隙あらばお喋りをしようと待ち構えている小さなレディは、今日も今日とて昼飯の時間になった途端、馬車から飛び出してきて駆け寄ってきた。

 魔装具は、現代における個人武装の最たるものだ。主に指輪や腕飾りなどの装身具に複数の魔術が込めたもので、魔力を糧に武器を生成する「兵装」、同様にして鎧を生成する「鎧装」、盾を生成する「盾装」の三種が基本編成だ。古い時代には鎧装に含まれる機動補助術式――魔力噴射による高速移動、跳躍飛翔――を「駆装」として三つ目に数えていたらしいが、鎧装の機能一つに統合され、盾装が新たに加えられて久しい。

「ああ、俺も持ってるよ。〈双つ耀くジェメリ〉っての」

 これな、と右腕の手首に嵌めた細身の腕輪を示す。三本の直線が細かく絡み合んだ形状で、それぞれの術式が込められた三つの魔石が嵌められていた。軽く袖を引いて見やすいようにしてやると、俺の腕を覗き込んでいたアメーリアは「綺麗ねえ」と表情を綻ばせる。

 癖っ毛の金髪を様々な飾りで装い、まるい青の目に感情を丸ごと映し出して笑うアメーリアは、懐かれている贔屓目を抜きにしても可愛らしい。もう少し育てば、寄り付く虫の対処も一つの立派な仕事になりそうだ。変な奴に引っ掛からず、健やかに育てよ、と勝手な祈りを捧げる次第である。

「〈ジェメリ〉は、どんな武器になるの?」

「短めの剣二本。危ないから、見せてってのはナシな」

「えー!」

「唇尖らしても駄目ー。武器なんてもんは、見ないで済むならそれに越したこたねーの。見るにしても、もうちょい育ってからな」

 俺の勝手な感傷じゃあるが、いつかアメーリアに武器が必要になる時が来るとしても、せめてそれが少しでも先のことであればいいと思う。

「見たーい!」

「何度言われても駄目でーす。ほら、ここ座んな。昼だ昼」

 この二日で食事を用意している間のレディのお相手は、すっかり俺の役割になっていた。俺とアメーリアが戯れている間に、アルマス夫人とバジャルド、時にカレルやウォードが手伝って準備を整える。アルマスの旦那はザシャと話をしていることが多かった。大方、今後の予定なんかを確認したり、相談したりしていたんだろう。

 目の粗い砂地に腰を下ろし、隣に手持ちの手巾を広げて敷いてやれば、アメーリアはすぐにまた笑顔になって、その上に座った。商人の娘だけあってか聡明ではしこいが、一人前のレディのように扱ってやると、途端に上機嫌になるのが歳相応で微笑ましい。

 アメーリアとお喋りをしながら、昼食を待つ。そうしていて、気になるのはやはり俺たちが進む街道沿いの川の水音だ。気のせいでなければ、昨晩よりも更に音が激しくなっている。すなわち、それだけ水量が増しているということで、上流の方で雨が降り続いているという証だ。

 当初の見込み通りに行軍が進めば、今日の夕には現場の森に着く。逃げ延びてきた被害者の証言によれば、噂の人喰いは森の外にまで出てくることはないらしい。その言説を信じることにして森の手前で夜を越し、明るくなるのを待って突入する予定になっている。そこで心配なのが、この調子で川の上流――森の向こうで雨が降り続けたとして、雨雲がこっちに流れてくることだ。

 行軍の最中に雨に遭えば、視界は悪化するし、耳も塞がれる。足跡なんかの痕跡類も流れて消えるから、とにかく厄介の一言に尽きた。討伐任務を遂行するにあたって、今の俺たちはお世辞にも最適な布陣であるとは言いがたい。だからこそ、状況を困難にする要素は極力排除しておきたかった。まあ、どっちにしろ骨の折れることに違いはないんだが。

 やれやれ、とため息を吐けば、アメーリアが「レイン?」と首を傾げて呼んでくる。不思議そうに、窺うように。

「ん、どうした?」

 けれど、俺はそれに敢えて殊更明朗に笑って返した。何事もないのだと、何でもないのだと答える代わりに。

 俺たち傭兵組の抱えている懸念なんざ、アメーリアに打ち明けたところでどうにもならない。無意味に不安にさせるだけだ。何度も食事を共にして、お喋りなんぞにも興じていれば、俺のような人でなしにだって情は沸く。できることなら、変に怖がらせたりしたくはなかった。

 アメーリアはぱちぱちと目を瞬かせていたものの、どうやら大人しく誤魔化されてくれたらしい。重ねて問いかけてくることはなく、俺たちは再び他愛ない雑談に戻る。

 ――ただ、その間もごうごうと音を立てて流れる川の音が、どうしても耳から離れなかった。

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