10
休むにあたっては、その辺の木陰でも寝床にしようかと思っていたものの、ありがたいことにアルマス家の厚意で馬車の荷台を使わせてもらえることになった。人一人担いで歩いてきたウォードも、その疲労を考慮してザシャに休息を申し付けられたので、二人仲良く昼寝ってな。
しかし、かくして二人で二台に上がった訳だが、以前のように並んで眠りはせず、間に借り物の衝立を立ててまで距離を取られたのは、些か悲しくならなくもない。まあ、エドゥナの魔術具が故障したままである以上、仕方のないことなんだろうけどさ。
何はともあれ、約一日ぶりにぐっすりと睡眠をとることができた。夜まで眠り、夕食をもらった後は、もうこれまで通りの体制に早変わりだ。アルマス家を馬車に収容し、傭兵組は二人一組で交互に見張りを行う。昼間に休ませてもらったから、俺とウォードが先の番だ。朝になれば行軍も再開になるだけに、いつもより周囲を窺う神経も尖っているような気がした。
「怪我や体調は、もう大丈夫なのか?」
見張り番は、馬車の傍らに設けた焚き火を囲む。今日はよく晴れていて、枝葉の合間から垣間見える星空が綺麗だった。火を挟んで正面に座るウォードがおもむろに切り出すのが聞こえて、俺は空へ向けていた目を地上に下ろした。
「もうすっかり治ったよ。次に会う時には、奴を仕留めきる」
「それなら良かった。――それで、一つ訊いてもいいか?」
微笑んでみせたかと思えば、やけに改まって訊ねてくる。一体何事かと思ったものの、それを阻む理由もない。ああ、と頷いて、先を促した。
「いいけど、どした?」
「この仕事が終わったら、どうするんだ? こう、何か、休暇とかもらえたりするのか」
「いや、特にないんじゃねえの。同じ類の人探しは今回のデゼノヴェで三人目だが、今までも特にそういった特別措置はなかったしな。諜報部がそれらしい情報を拾ってくるまでは適当に傭兵仕事して、情報が来れば今回みたく現場に急行するだけさ。使いっ走りは使いっ走りらしく、こき使われる訳だ」
「三人目なのか!?」
「そらそうよ。終戦から三年も経ってんだ、むしろ三人じゃ少ない方だ。ま、逃げ出した連中は頭の切れる奴も多い。上手く隠れてるんじゃねえの」
「そうだったのか……。あ、すまない、デゼノヴェって」
「あいつの通称だよ。トイヴォラの兵は、皆番号で呼ばれた。誰が始めたんだったかなあ……。ただの番号じゃ癪だってんで、まだある国、もうない国、いろんな国の言葉でもじって、名前らしい呼び方にした。あいつは十九番目だったから、どこの国だったかは忘れたが、デゼノヴェもその意味だったはずだ」
「本当の名前で呼び合えばよかったんじゃないか?」
純粋に疑問に思っているらしい目顔と口振りに、つい苦笑が漏れた。そうだな、そうできればよかった。
「そうしたいのは山々だったんだけどな。残念なことに、俺みたく自分の名前を覚えてる奴は少数派だったんだ。元々名前がない奴、ついてたはずなのに覚えていない奴、身体を改造される内に思い出せなくなった奴……色んな奴がいた」
「……ごめん」
絶句したウォードが目を見開き、項垂れる。普通に両親の元で慈しまれて育ったのなら、名前がないだの思い出せないだのなんて選択肢は、そりゃ思い浮かびやしないよな。
「いや、こっちこそ面白くもない話で悪いね。ただの事実の話だからさ、気にすんなよ。もう過ぎたことだしな」
「そんなことないよ。俺こそ、辛いことを話させてしまって」
「何だよ、そんな辛気臭い顔すんなって。昔の話だ、もう遠い話。今ここで嘆いたり憤ったりしたって、どうにもならない。――そんなことより、質問はもういいのか?」
畳み掛けるように問うと、ウォードは少しだけ視線を辺りに彷徨わせ、間を置いてからぽそりと告げた。
「それじゃあ、最後に、もう一つだけ」
「はいよ、どうぞ」
「……君の探し人は、後何人いるんだ?」
ひそやかに紡がれた声。文字通り残りの数が気になった以外の意図はなさそうだが、さて、どうしたもんか。
俺の探し人が残り何人か。それすなわち、ロレデジネが追うトイヴォラの脱走兵の数に他ならない。おいそれと漏らす訳にはいかないが……ま、こいつには今更か。
秘密にしといてくれよ、と声をひそめて言えば、ウォードは生真面目そうな面差しを一層に引き締めて、ともすれば強張ってすらいそうな顔で頷いた。
「六人だ」
六人、と鸚鵡返しの呟きの後、「そんなに」と唇だけが動いたのが目に入り、俺はまた苦笑するしかなかった。
そうだな、まだ六人もいる。かつての仲間は、九人が脱走し、七人が終戦までに死に、俺を含めた四人が残った。これまでに俺は一人を連れ戻し、一人を始末し、今ここで三人目の決着をつけようとしている。三年で、やっと三人。後どれだけかかるのかと、たまに気が遠くなりそうになるのも事実だった。
――だが、だからこそ。
「ここであいつにカタをつけられれば、俺の仕事も一つは片付く。まずは目の前のことに集中するさ」
そう、言わねばならない。
そうか、と相槌を打ったウォードの声は、どこか覇気がなかった。
翌日も、朝から晴れだった。いよいよ行軍の再開となり、そこはかとない緊張が漂っている。
馬車を中央に、左右に二人ずつの傭兵を配した布陣に変更はない。デゼノヴェは傀儡馬を壊していかなかったから、その点においても助かった。傀儡馬は魔力の塊ではあるが、あくまで術として使われ、加工された後のものだ。自分の糧にしたいデゼノヴェにとっては、使い古しの魔力は興味が薄かったんだろう。何しろ、あの時は周りに活きのいい非戦闘員が四人もいたことだしな。
ぽっくりぽっくりと、紛い物の馬は森の中の街道を進んでいく。やはり周囲はどこまでも静かで、生き物の気配が絶えている。鉱物ですら時に魔力を含むように、生きていれば動物であれ植物であれ、量の差はあるにしろ魔力を持つ。植物や鉱物は平均して含有量が低く、だからこそ豊富な魔力を秘めた魔石や魔木の類は珍重されるが、動物はそれに比べると押しなべて魔力の保有量が多い。
もしかしたら、粗方の獣はデゼノヴェによって狩られてしまった後なのかもしれなかった。
「――総員、止まれ!」
朝からの行軍は平穏なものだったが、昼食を経て再出発し――午後二時を回る頃、不意にカレルが鋭い声で制止をかけた。
ウォードが前方からの攻撃に対して先手を取る為に前列にいるように、目がいい弓兵のカレルも、逆側の前列に配されている。ということは、行く手に何かを見つけたのだろう。
「何が見えた?」
ザシャが声に出して問う。敢えて通信術式を使わないのは、馬車の御者をしているレミヒオの旦那にも状況を把握させる為か。
「倒木ですわ。随分デカいのが、何本も倒れてる。切り口は極めて鋭利、自然のものとは思えませんぜ」
「そもそも、ここのところ雨も雷もなかったしな。天候の影響でってのは考えにくい。切り口が鋭利ってんなら、動物の線も薄いか」
「例の『人喰い』の仕業か……」
俺が口を挟んだ後を受けて、ウォードが物憂げに呟く。ま、そういうことだろーな。
「ザシャ、どうする?」
短く問い掛ける。未だ討伐部隊の指揮官はザシャだ。昨日は仕事の邪魔をされない為に俺個人がカレルと真っ向勝負する形になったが、そもそもこの部隊の目的が「討伐」であり、俺の目的と合致している。であれば、本来の指揮官であるザシャを差し置いて声を大きくする必要はない。
声を張って訊ねかければ、返ってくるのはまた重々しいため息。
「一時停止だ。他に迂回できるような道もない。俺とウォードで倒木を切断、除去する。馬車は俺たちからはなれ過ぎない場所で停止、待機しろ。ハンズリークとアーリックは馬車の護衛を継続」
了解、の三重奏。
程なくして馬車は心持ち街道の路肩に寄って停車し、傀儡馬を下りたザシャとウォードが倒木の排除にかかった。カレルは馬車のすぐ近くの木に登り、身を隠しつつ高い位置から周囲を警戒。俺は囮も兼ねて、魔装具の鎧を着装した上で、馬車の周囲をうろうろしていることにした。
倒木の除去係は肉体労働でぼやく暇もないだろうが、馬車の中で待機している一家や、周辺の警戒係の俺たちは緊張が続くだけで神経が磨り減る。気を紛らわそうとして、何かと余計なことを考えたり喋りたくなってしまうのも、無理はない。だから、足止めを喰らって一時間が経とうとしていた頃にカレルの奴から通話術式で話しかけてきたのも、それほど不思議なことではなかった。
『……静かなもんじゃねえですか』
『倒木が奴の仕業であることは間違いないが、あっちも出方を窺ってるんだろ』
『前に見た時は、まるで獣の如しでしたがね。そんな頭がありますかい』
『あるさ。あれは狂ってる、或いは狂いかけちゃいるが、戦況を読めなくなるほどイカれてない。それとも――少しは醒めたか』
俺に会って。その言葉までは、飲み込んでおくが。
『何はともあれ、警戒頼むぜ。わざわざ木を倒して足止めをしてるんだ、奴もここで決める腹だろ』
『はいはい、了解ですよっと』
チラチラと作業している二人の様子を窺っているが、倒木は随分と数が多く、やけに頑丈で重そうだ。木の太さは大人が両腕で抱えられるかどうかといったところだが、ウォードが剣を振り下ろしても、一太刀では半分も断てない。デゼノヴェの爪を断ち斬ってみせた奴が、木の一本や二本を斬り落とせないなんてことは有り得ない。てことは、あいつが小賢しくも細工をしやがったってことだ。
やれやれ、と内心の物憂さをため息に変えて吐き出す。この分じゃ、まだしばらく再出発はできないだろう。問題は、奴がどの時機で襲ってくるか。いっそのこと、さっさと出てきてくれないか、なんて不謹慎なことまで考えてしまいそうだった。
――が。果たして、その時はさほど遠くないうちにやってきた。
暇を持て余したアメーリアが、馬車の荷台の出入り口から顔を出した。アルマス夫人の咎める声が上がり、俺もそちらに意識が引かれる。おそらく、その瞬間を待っていたのだろう。一拍遅れて、カレルが叫ぶのが聞こえた。
「敵影の接近を確認! 方向六時! ――レイン、後ろだ!」
ぞわり、うなじの毛の逆立つ感覚。振り返る動きと右手に剣を生成するのは過たず同時で、反転しざまに剣を叩き付けた。
ぎぁん、と歯の浮くような音。すっかり生え揃った長い爪を、真っ向から受け止める。未だ日は高く、鍔迫り合いの至近距離。そこでやっと、デゼノヴェの兜の奥が見て取れた。虚ろな眼。濁った灰色。俺に向いてはいるが、見ているのかは分からない。もう戻れないと、直感的に悟らせる色彩。
その色に、思うところは多々あれど。
「ひとまずこいつを馬車から引き剥がす! 後よろしく頼んだ!」
今は、悠長に浸っている訳にもいかなかった。叫んだ言葉の答えは待たない。鎧の背面から魔力を噴出し、一気にデゼノヴェを押し返す。押し切ってたたらを踏んだ瞬間、その腹に向かって蹴り。真後ろに吹っ飛ぶ異形の鎧を、足元からの魔力噴出で加速しながら追跡する。
そういえば、ようやっと森向こうの長雨が止んだのか、川の流れも少し落ち着いてきていた。ある程度の情報開示はしたとは言え、下手に会話を聞かれたり、奥の手を使った時の姿を見られることは避けておきたい。なら、この前と同じように川の方に追いやるのも一つの手か。
更に強く踏み込み、加速に加速を重ねる。一息にデゼノヴェの側面へと回り込み、空けたままの左掌で鎧の胴を打つ。まともに衝撃を受けてふらついた身体に組み付くのと同時に、鎧の踵と背中から魔力を最大噴出。最高速度の推進力をもって、一気に川までの距離を飛翔。崖から川に向かって、二人揃って身を躍らせる。
『レイン、援護は要りますかい?』
『特には必要ない。が、来るならウォードにしといてくれ。まだ戦い方を見たことがある分、連携が取りやすい』
カレルの問い掛けに返したのは、申し訳ないがまた真実半分建前半分だ。援軍は絶対的に必要でもないが、俺と、俺の仕事について知る奴が増えるのは、さすがによろしくない。
『提案を許可する。ウォード、アーリックを追え』
『了解しました!』
会話を聞き流しつつ、もがくデゼノヴェを水量が減ったことで顔を出した川原に向かって蹴り飛ばす。奴は手と足を駆使した、獣じみた所作ながらも巧みに着地した。彼我の間に横たわる距離は、およそ十メートル。
「……全く、随分と変質しちまったもんだ」
デゼノヴェは俺より二つ年下の女の子で、魔装具〈デゼノヴェ〉に適合したばっかりに、親元から半ば攫うように機関へ連れてこられた。それが五年ばかり前のこと。初めはひたすらに泣いてばかりだったが、涙も涸れる頃には、もう立派な人間兵器になっちまってた。
それでも、当時は戦いの合間に俺の後をついて回っては、何やかやと構って欲しがる無邪気さを残していた。……今はもう、見る影もないが。
「一応、言っておく。降伏するなら命は取らない」
投げかけた言葉に、やはり答えはなかった。
仕方がない、と吐き出したい嘆息を飲み込む。代わりに創り出すのは、炎。ぼう、と音を立てて無数に現れた赤い光と熱が矢へと変じ、放てば視界に星屑のように煌く。
その炎の群れに、デゼノヴェは真っ向から突っ込んできた。巧みに急所を避けているものの、兜が、鎧の端々が炎の矢に抉られて欠けていく。あまりにも愚直に過ぎる前進は、ほとんど自殺行為にも見えた。一足ごとに炎を打ち払う爪が折れ、膝が砕けかかる。矢に抉られて血が飛び散り、焦げ付いた臭気が漂う。
それでも、人狼の娘は決して止まらなかった。倒れかけた身体を、爪の全て折れた手で地面を弾いて起こし、ふらつきながらもひたすらに進む。
残る距離は五歩分もない。爪はまた一つ折れて、四本。四歩、爪は三本。三歩、二本。二歩、一本。……そして後一歩に迫った瞬間、デゼノヴェの爪は全て折れた。
もう抗う術はない。兜はぱっくりと割れて落ち、まだ幼さの残る顔が露になっている。鎧も縦横無尽に罅が入り、後一押しでもあれば総身が崩れるだろう。いや、満身創痍は装備だけに留まらない。
おそらく、限界などとうに超えていた。足に突き刺さった矢に押し留められているだけで、既に進むことも退くこともできない。支えを失えば、きっと倒れ伏すだけの身体。今はただ、磔にされているだけ。
「やっぱり、強い、ね。ニーユ」
そんな中、吐息のような声が聞こえた。ああ、と俺はこぼす。相槌でも、それこそ嘆息でもあった。
「さすがに、勝てない、か。第二世代(わたしたち)は、皆、第一世代(あなたたち)の……いいえ、九番目(あなた)を、基にした量産型、だものね」
「……どうだったかな」
もう遠い過去のこと、「トイヴォラの最高傑作」なんて呼ばれたこともあったか。今となっては、ただ忌々しいだけの肩書きに過ぎないが。
「デゼノヴェ」
「な、に?」
「もう一度言う。投降するなら、命までは取らない」
努めて冷静な声音を装って告げると、デゼノヴェはほのかに唇をゆがめた。微笑むようでも、嘲笑するようでもあった。
「ごめんね、ニーユ。私は、もう、嫌なの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます