彷徨のルーヴエラン
奈木
第一章:十九番目の慟哭
01
晴天の午後。初夏の日差しの下、ネーリネスカの大通りは賑やかな活気に満ちていた。賑やかではあるが騒がしくはなく、どこか安穏とした空気が流れているように思えるのは、土地柄によるものだろう。この国は長く戦争とは無縁で、通年温暖なこともあり、人々も並べて大らかな気風であるという。
そんな穏やかな街ネーリネスカは、ユーリエン王国東部に位置する地方都市だ。それなりに栄えてはいるが、軍が基地を構えて駐在するするほどまでの規模ではない。ただ、周囲には希少な薬草や鉱物の採れる森や山があり、特に南へ向かう街道は
ユーリエンの東部地方には他にもいくつか大きな街があるが、単純な規模で言えば、ネーリネスカの傭兵ギルド支部は三指に入る。その東部有数の規模を誇る支部は、大通りの西側にあった。二階建ての重厚な造りの建物で、内部のがやがやとした喧騒が表にまで聞こえてくる。
塗り直されてからまだ長くないのか、焦げ茶の扉の表面は艶々としていた。掃除もきちんとされているようで、建物の周囲も綺麗なもんだ。東部有数の規模を持つだけあって、管理が行き届いているらしい。中々に悪くないな。
真鍮色の
もっとも、これまで散々に見飽きた反応ではある。これでも俺は一端の傭兵のつもりだが、初見ではそうと判断してもらえないことが多い。赤に近い茶の眼――はともかくも、うなじで括った伸びっぱなしの黒髪に、先輩諸兄が言うところの「女顔」。それから男とすれば大分低い身長が、疑わしげに見られる主要因になっているらしかった。そもそも傭兵稼業一年目、齢十八の若造でもあるからして、無理もないといえばないんだが。
……そりゃあ、俺だってもっと身長とか欲しかったけどさァ。仕方ねえじゃん、伸びなかったんだから。俺だって、好きで小柄な訳じゃないっつーの。
ため息を吐きたい気分で、依頼の受注カウンターへと向かう。ギルド支部の内装なんてのは、どこも似たようなもんだ。広い部屋に飯の種を待つ連中がたむろしていて、依頼の受注や報酬の受け渡しなどの手続きを行うカウンターがあり、依頼書がびっしり貼られた掲示板がある。
幸いにも、目的地は入口から程近い場所に置かれていた。依頼書などの書類が納められているのだろう、びっしりと紙の詰まった棚を周囲から隔離するように、壁際からぐるりと半円状に配されたカウンター。その飴色に磨き上げられた天板が、窓から差し込む陽光を受けて煌いている。
その奥には、眼鏡をかけた壮年の男。カウンター正面には四十半ばくらいの男と、二十そこそこくらいの青年が立っていて、俺の方を振り向いていた。……おっと、こりゃあ会話を中断させちまった感じか。
「あー、お取り込み中失礼。俺のことはお構いなく、どうぞ会話を続けてくれ。先を譲ってくれるってんなら、お言葉に甘えさせてもらうけどさ」
開口一番にそう述べると、カウンターに集った三人の男たちは、無言で顔を見合わせた。手前に立っていた男が、少し逡巡するような素振りを見せてから口を開く。
「傭兵に用事か、坊主?」
「いや、傭兵にじゃなく、傭兵ギルドに。――最近、この街の南の森に人喰いの化け物が棲み付いたって噂を聞いてさ。その割には、軍はまだ動く気配がない。んじゃ、まだ傭兵の方で探ってる段階かと思ったんだが」
切り出した途端、男たちがギョッと目を丸くした。分かりやすい反応に口笛の一つでも吹きたいところだが、そんなことをしようもんなら心証を損ねるに決まりきっていたので、大人しく我慢しておく。
「お、その反応ってことは、もしかしてちょうど話の最中だったか? だったら、俺も一枚噛ませてくれよ。噂の人喰いとは、ちと因縁があってさ。討伐部隊が組まれるんなら、同行させてもらいたいんだわ」
「もしかして、お前さんも傭兵かい」
驚いた、と言わんばかりの表情でカウンターの奥の男が言う。ああ、そうか、まず身分を明かすのが先決か。
「もちろん。ほら、これが証明だ」
傭兵ギルドに所属するには、傭兵を名乗るに足る任務遂行能力を示す試験と並行して、犯罪歴の有無などの身辺調査が行われる決まりになっていた。それらの審査を通過すると、晴れてギルド所属が認められ、身分証明として偽造防止の魔術がかかったルモフォ銀製のタグが与えられる。
親指を二本並べたくらいの大きさのプレートには、初め氏名と生年月日、発行した支部の名前だけが刻印されているが、特記に値する顕著な成果などを挙げた場合、追加で刻まれることがある。俺のタグには「レイン・アーリック」という氏名に、今現在十八歳であることを示す「01.7.25」の日付。それから証明を発行した支部である「ロレデジネ王国ジユン」の名前と、「〈
懐から取り出したタグをカウンターに載せると、三人の視線が一斉に向けられ、直後にまた俺へと戻る。その瞬間、
「レイン・アーリック――あの〈五頭竜殺し〉か!?」
唖然とした様子で、カウンターの前にいる方の男が、内緒話には大きすぎる声で叫んだ。途端に、広間中にどよめきが広まる。……あーあー、やっちまった。
あの物騒な呼び名は好きじゃないんだが、こうなっちゃあ仕方がない。しかも、望まざる大音声は、背後のテーブルで管を巻いていた連中にも、過たず俺の素性を周知してくれちまったらしい。
アーリック、噂の
一抹の腹立たしさを飲み下し、周囲の騒がしさに負けないよう声を張る。ちょいと肩をすくめて見せたりして、あくまでも余裕を演じて見せることも忘れない。
「まあ、俺が頭五つの竜を討伐したのは、確かに事実さ。クソ面倒な奴だったんで、二度は御免度だけどな」
だからって、その安直に剣呑すぎる呼び名はどうかと思うんだよなあ。竜を殺したって実績がすぐ分かるのはいいかもしれねーが、それにしたって物騒すぎるだろ。いや、その前にあだ名みたくなってた〈
あっちこっちふらふらしてて、犬よか凶暴だから狼。そういういい加減な名付けだったらしいが、ちっとも嬉しかねーってんだ。こんなにも穏やかな俺を捕まえて凶暴たあ、ひでー言い草である。
「――で、どうよ。この身分証明で、人喰い討伐部隊に加わるに足るか?」
畳み掛けると、カウンターの奥の男と、手前の男がちらりと目を見交わした。青年の方はただ黙って、二人のやり取りを眺めている。
その顔の落ち着き振りを見るに、口を挟む権利がないというよりは、自分の立場をわきまえて待機しているんだろう。カウンター前の二人が討伐部隊の人員なら、順当に考えて年齢や経験の点でもって、男の方が隊長に任じられているはずだ。
短い間の後、その隊長(仮)の男は、深々と息を吐いた。
「いいだろう、当てにできる戦力は質が高いに越したことはない。俺はザシャ・ヘルメル。討伐部隊の隊長を任じられた」
お、予想的中。やっぱし、俺の見立ては間違っていなかったらしい。
改めて見てみると、ザシャは上背があり筋骨隆々として、いかにも傭兵――戦いで糧を得ているといった風貌をしていた。短い黒髪はいくらか白色が混じっているが、紫紺の目には油断の欠片もなく、鋭い光が湛えられている。隙のない
「こっちは一人目の部隊員のウォード。この街に来てそこそこ経つ上、南の森もよく知ってる。十八なら歳も近い分、やりやすいだろう。お前の相方につける。上手くやれよ」
ぞんざいに名乗ったザシャは、次いで傍らの、大人しく口を噤んでいた青年を示す。
どうも、と会釈をする佇まいは真面目そうだが、面差しに険はない。硬そうな灰茶の髪は、その短さと相俟って、触ればチクチクしそうだ。身長は、俺より頭一つ大きいくらい。ザシャに比べると一回り小さく感じられるが、これは比較の相手が悪すぎるだけだろう。よく鍛えられているらしい肩や腕は、服の上からでも引き締まっているのが分かった。
「ウォード・スカイラー。よろしく」
緊張か警戒か、はたまた単にぶっきらぼうな性分なのか。微笑んでみせる愛想はないものの、挨拶をする声音自体は柔らかい。深い緑の目にも、特に刺々しいものは見られなかった。
多少とっつきづらいかもしれないが、悪い奴じゃなさそうだ。ちょこっと安心。
「ご存知だろうけど、レイン・アーリック。よろしく、先輩」
おどけて返してみせると、ウォードはぱちくりと瞬いた後で、ほのかな苦笑を浮かべた。笑う顔は、意外に好青年みが強い。あれか、人見知りだったりすんのかね?
「噂の〈五頭竜殺し〉に『先輩』なんて呼ばれると、鳥肌が立ちそうだ」
「じゃ、普通に名前で呼ぼうか? 俺もその方が嬉しいね、物騒なあだ名は趣味じゃないんだ」
どうよ、と声に出す代わりに軽く首を傾けてみせる。すると、ウォードはあっさりと頷いた。
「ああ、その方がいいな。改めてよろしく、レイン」
「こちらこそよろしく、ウォード。――それで、隊長があんたで、一人目がウォードなら、俺は二人目ってことでいいのか? 部隊は総勢何人になる予定なんだ」
挨拶もそこそこに、気にかかっていたことをザシャに問い掛ける。隊長は眉間に皺を寄せると、重々しい声で答えた。
「四人一組で向かう気でいる。最後の一人は、まだ決まっていないが」
「あ、なら、挙手していいですかね」
ザシャが言うや否や、俄かに緩い声が上がった。
声のした方へ身体ごと向き直れば、ザシャとは正反対の優男の立ち上がる姿が目に入る。ひょろりと縦に長い体格、歳は二十半ばくらいか? 白銀の髪は少し長めで、明るい青の目にかかっている。顔立ちの出来はよく、街に出れば、お嬢ちゃんの一人や二人は平気で引っ掛けられそうだ。まあ、その点で言えば、俺も負けちゃねえけど――なんて冗談は、脇に置くとして。
「森の中の狩りなら、目と腕のいい弓兵はいた方がいいんじゃねえです?」
テーブルの間をひょいひょいと警戒に抜けてカウンターに近寄ってきたかと思うと、にやりとして優男は言った。ザシャは眉根を寄せ、じっと優男を見つめていたが、
「
「まあ、普段はそうですけどね。あの〈五頭竜殺し〉がいて、ネーリネスカ指折りの祝福持ちに熟練隊長の揃い踏みとなりゃ、そう分のない話でもねえでしょ」
「ふむ。……いいだろう、お前が四人目だ」
「お眼鏡に適い光栄」
芝居がかった口振りで言い、男は大仰に礼をしてみせる。
自分で「目と腕のいい弓兵」と言い、ザシャもそれを否定しない。少なくとも、言葉程度には計算できる奴なんだろう。ちと軽そうってか、癖はありそうな感じもするが。
「彼はカレル・ハンズリーク。この街に来てまだ日は浅いけど、腕はいいし、仕事は確かだって評判だ」
内心で値踏みしていると、おもむろに傍らから声が上がった。ウォードだ。俺が知らないと思って、わざわざ説明してくれたんだろう。親切な奴だな。
「ふうん? 仕事を選り好みしても許されるくらいには、って?」
肩越しに振り返って、敢えてそんな言葉を掛けてみれば、ウォードは何とも言えない表情で苦笑を浮かべた。まあ、そんなこと、ハイともイイエとも言えないよな。
「人聞きが悪いじゃねえですか、堅実って言ってもらいたいもんですわな」
そして、そんなことを喋っていたからか、話題に上げられていた当の本人が不服げに口を挟んできた。もう一度振り返って顔を正面に向け直せば、カレルとやらが心外だとでも言いたげな顔つきでこちらを見ている。
ただ、俺と真っ向から視線がかち合うと、まじまじ見てきた後、あからさまに意外そうにした。
「こりゃ驚きましたわ。若いたぁ噂に聞いてましたけど、噂以上じゃねえですか。おいくつで? しかも、女の子みてえに可愛い顔してなさって」
言っていることはろくでもないが、口調自体はそれほどからかいの色は強くない。とは言え、真実驚き、意外に思っているのだとしても、言葉選びに失敗していることは確かだ。
実を言えば、俺は「女顔」なのでも、「女の子みてえに可愛い顔」なのでもない。純然たる「女」であり「女の子」であるからして、その手の評価を得るのは、逆に当然のことだ。――が、実際に十八歳の青少年であった場合、そう言われて手放しに喜べる奴は、そうはいないだろう。喧嘩を売っていると解釈されても、文句は言えない。
「十八だよ。顔面の出来の良さは自覚するところだから褒め言葉として受け取っとくが、若さに嫉妬すんのは止めといてくんない。自分がもう失ったもんを羨んでも、空しくなるだけじゃねーの?」
なので、論点を変えつつ、相応に言い返させてもらった訳だが。
「人を年寄りみたいに言わねえでもらえますかね。まだ二十四ですっつの」
カレルは眉間に皺を寄せて、しかめ面をした。嫌そうにしているが、そんなもんは自業自得だ。他人の歳をどういう言う奴なら、自分の歳をああだこうだ言われたって已むなしってな。
そういや、歳と言えば――
「ウォード、あんたは? 俺と近いんだろ? いくつ?」
「俺? 二つ上だよ。二十」
「へー、じゃあ自称でなく、本当に若者って訳だ」
「いやいや、俺だって若者なんで。さりげなく人を若者から除外すんの、止めてもらえます?」
ウォードの方を向いて喋っていたら、またカレルの奴が割り込んできた。思いの外にこだわるねえ、あんたも。
「あー? 若者を僻んで絡むのは、年寄りと相場が決まってんだろ」
「ひどい偏見じゃねえですかい、それ。失礼したのは謝りますんで、そう邪険にしねえで頂きたいんですけど」
「邪険に、ねえ……。信用ってのは、失うのは一瞬でも、取り戻すのは時間が掛かるって言うよな」
「そこまで言います!?」
「まあ、冗談だけどさ」
あっさり掌を返してみせると、カレルは拍子抜けしたような顔をした。ややあってから、深々とため息を吐く。
「あんた、いい性格してますわ」
「そりゃ、お互い様だ。ボンクラじゃあ、この稼業やってけんだろ」
肩をすくめてみせる。――と、今度はまた別の方向からため息が落ちた。
「若造共、お喋りはそこまでにしておけ。人食いによる被害は、既に二桁に上る。南の森の占拠は、そのまま南部との流通の遮断に等しい。これ以上、時間をかけてはいられない。俺たちは早急に現場に向かい、障害を排除せねばならん」
厳しい表情で、ザシャが言う。
その言葉には、さすがに真剣にならざるを得なかった。厄介なことになってるんだろうとは思っちゃいたが、既に二桁、か……。クソ、もっと早くに来られれば良かったんだが。
「
問い掛けると、ザシャは「すぐだ」と強い声で言い切った。
「南の森までは、馬車でも二日かかる。ウォード、アーリックに店の場所を教えてやれ。必要な装備を整えた後、南門に集合だ。遅くとも三時までには出発する」
「了解。レイン、俺がよく使う店でいいか?」
「いいよ、この街のことはよく知らないしな。先輩に任せる」
「ザシャ、俺はどうしますよ?」
俺とウォードのやり取りの傍ら、カレルがザシャに話しかけるのが聞こえる。
「お前は用意が出来次第、南門で俺と貸し馬車の手配だ」
「了解、人使いが荒いことですわ」
「下手に引っ掻き回されて、出発が遅れては敵わんからな」
「あらら、ここでも信用目減りですかい」
そんな会話を交わした後、俺たちは各自契約条項を確認し、人喰い討伐の依頼書にサインをしてギルド支部を出た。
天候は未だ晴天、時刻は午後二時前。出発が三時であることを踏まえると、余裕がない訳じゃないが、そこまで悠長にしてもいられない。ウォードに先導されて、俺はネーリネスカの街へと足を踏み出した。
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