その3

 ――ざざーん、ざざーん、ざざーん、ざざーん。


 夜風吹く海岸で、寄せては返す波の音を聞きながら、一人砂に遊んでいる。


 打ち寄せる波に絵を描いては消されを繰り返すうちに、パットは持っていた木の枝と四肢を砂地へと投げ出した。


 見上げる夜空には、瞬く星の無数の煌めき。


 馬鹿馬鹿しくて笑えるのは、それがいつでもいつまでも、同じように美しいこと。

 あんまり徹底されすぎて、三百年が経っていることにも勘付けなかった。


「ちょっと出ないうちに地上のほうは、えらいことになってたってのによお……」


 元・勇者志望の少年パットは、決して届かぬ彼方に向けて手を伸ばし。

 そして、自分が何を掴み損ねたのか――昼間の話を、もう一度、思い返した。


             ■ ■ ■


「……えっと。つまり……世界はもう、とっくの昔に救われちゃったってコト?」


「少なくとも、君が戦おうとしていた危機からはな。パット」


 遡ること三百年前――月光暦一四一四年。

 プロミステラに導かれし救世主は、世界移動を経ることで驚異的能力を備えた一万の魔王を上回る超反則的能力を有し、魔王軍を蹴散らし蹴散らしまた蹴散らす快進撃を行った。その活躍に世界中が見惚れ、憧れたのは言うまでもない。


 問題は、ここからだ。


『それならば』とばかりに、各地、各国、各組織が、自分たちの地域を一刻も早く魔王から解き放とうと、また、《勇者を呼んだ救世の功労者》の栄誉欲しさに――


 ――異世界勇者召喚儀式を乱発したのである。


「はい」と手を挙げるパット。


「話を聞く限り、その儀式、精霊女王サマが独自開発した秘術じゃなかったっけ」


「……パットよ。我が先祖エリザベートは、人一倍正義感の強い、高貴な方だった」


「つまり?」


「王家に伝わる史書に曰く。――『エリザベート・アン・イ・クッコロイヤル。高潔なる愛を以て、助けを求む国々へ惜しみなく秘儀を伝授す』」


 こうしてプロミステラは、世界中が垣根を越えて結託し、瞬く間に一万の魔王を退けた。だが、その代償はすぐそこにまで迫っていた。


「世に言う《魔王大討伐》から、三百年。……今となっては無責任と呼ぶしかない軽率さで召喚された異世界人たちは、プロミステラ中に溢れかえり――各地で深刻な問題を引き起こしている」


 チートスキルの共通能力によって不老である彼らは一向に個体数を減らさず、魔王討伐という目標を失った後、各々が好き勝手に行動を始めてしまったのだ。


「召喚目的を果たした後、勇者には同意のもとにお帰り頂く、というのがエリザベートの考えだった。しかし召喚された勇者は誰一人として元の世界に帰りたがらなかった。あの、世界初めての召喚勇者ワタルでさえ『もう深夜のコンビニバイトはコリゴリなんだよぉぅっ!』と帰還を頑なに拒んだと言われている。一体何だというんだ、大魔王を倒した勇者さえ恐れる、シン・ヤノコンビ=ニバイトとは……」


 穏便に事をすませたかったプロミステラの人間も、次第に勇者の氾濫と暴走に難色を強め、対処しようと試みた。


 だが無理だった。


 勇者と対面したとたん、強く出られず、戦っては負け、最後には逆に不思議と彼らを認めるようになってしまうという原因不明の現象が多発したのだ。


 その原因が、近年の研究で明らかとなった。

 勇者たちは、その身体から極めて検出が困難な特殊なオーラを放出していたのである。


 相手を強制的に勇者の持ち上げ役・引き立て役に変える、不可思議にして理不尽なる謎パワー――その名も《チーレムオーラ》。


 三百年間世代を継ぐあいだ、これを大量に浴びてしまった現代のプロミステラ住民は、事実上、勇者に抗えないカラダになっていたのだ。


「このままではプロミステラは――魔王よりも恐ろしい異世界の存在、召喚勇者に完全に乗っ取られてしまう。……その未来を防ぐ為に、私たちは動いたのだ」


 立ち上がり、剣を抜き――伝統ある王国騎士の礼を行うマリー。


「今一度言おう。我が名は、マリー・ラフラ・クッコロイヤル。かつて栄華を極め――今やこの世界より消え去った、誇り高き王家の末裔。そして」


「――――わたしは、…………っ、」


「ベラ!」


 姫騎士の檄を受け、ローブの女は顔をあげて、己もまた立ちあがる。


「わたしは! 否、妾はッ!」


 その身を覆う、野暮ったいローブを、一息に脱いだ。

 その下から現れたのは、緩いウェーブのかかった桃色の髪、宵闇のような藍色の瞳だった。


 幼くも気品ある顔立ち、だが気弱さが染みついてしまっていた表情を精一杯の勇気で奮い立たせ、小さな紅い唇が吠える。


「頭が高い! 控えおろう! 妾こそ、魔王ヴェラヴィアディスドルファ・世! 混沌と闇の魔力を身に秘めた、未だ純血の魔王なるぞ!」


 決め決めのポーズで宣言する――ローブの下に胸元のパックリ開いた、淫魔御用達みたいな大胆きわまるドレスを着ていた、全裸のほうが余程エロくない痴女、否、痴魔王。


「妾たちは、忌々しき勇者チーレムに未だ侵されざる聖域へ、仲間の勧誘をしに参った! 救済の大望を持つならば、なんと話の早きこと! この誤りに誤った世界を修正すべく、再征服の旅に出ようではないか、勇者ならぬものにょ!」


 口上の締めくくりを噛んだ痴魔王の差し出す手を見つめ、いまだその隣でポーズを崩さない姫騎士を見つめ、パットは、縋るように師を見る。


 珍しい。人を食った態度が常な、実体つかめぬ幻想賢者が本気トーンの溜息で、


「本当の話じゃろうし、本物の魔王じゃよ。おぬしがこの三百年間、ずっと倒したがっとった念願の相手。……ったく、あの迂闊姫めが。だぁからあれほど異世界召喚のもたらす変化、外来種流入の影響は予測がつかんと警告したのに……」


 大賢者の示す先、魔王を名乗る痴女の頭――二つのリボンをよく見てみれば、その下に隠されるようにして、恐ろしいより可愛らしい二本の角がちょこんと生えていた。


             ■ ■ ■


「自業自得じゃねえか――――――――――――――――!」


 かー、かー、かー……夜の砂浜から放たれ、黒い海に渾身の叫びが吸い込まれる。


「世話ねえよ! 自分たちで呼んだ連中に世界乗っ取られてたらさあ!」


 収まりのつかないパットは海へと走り、波に足を浸しながらなおも吠える。


「俺の! 目標を! 返して――――――――――――ッ!」


 吐き出すだけ吐き出した後、やるせない気持ちだけが湧いて、砂浜にへたり込む。


「なんだったんだよ、俺の三百年……これじゃ、何の為に修行したんだか……」


 混乱極まって飛び出し、修行という名の現実逃避をしている間に日が暮れた。

 必要なのは、結界で三百年隔絶された場所にいた凄腕の護衛だと言っていた。


《世界の修正》に連れていくのは、当初の予定通りファイハンタでもかまわない。明日にはあの二人は賢者と共にこの島を出て、自分もめでたく解放されるのだろうか。


 では、その後は?


 めでたしめでたしの後、目標を無くして、使うあてのない力だけが残って――


「――はは。なんだそりゃ、まるで」


 それこそ――話に聞く勇者のようだ、と。パットがひとりごちた、その時だった。


「……、――――んん?」


 夜の水面に、変化を見た。海藻か何かが流れてきたかと思い……違った。

 それは、髪であった。もっというなら、頭だった。

 肩が出て、身体が出て、そうして、こちらに気付いて手を振った。


「やあ。キミ、この島に住んでる人?」


 そんなふうに気さくに、海中から歩いて出てきた。背の高い栗色の髪の男がやたら親し気に寄ってくる。


「あのさ。さっき、魔王がどうとかって叫んでなかった?」


「……いや、まあ。叫んだと思うけど、え、どちらさん?」


「僕? 勇者。知らない――ワケないよね! あははっ!」


「……勇者? あんたが?」


「そ。世界の平和を取りもどすため、異世界から召喚に応じて参上いたしました、召喚勇者クズモと申します、ってね。こっちでは長いこと、海の秩序を守ってる」


 よろしくよろしく、と微笑む男は一般人にしか見えない。筋骨隆々とした戦士というわけでも、魔法使いに特有の得体の知れなさだってない。


 ――だがそもそも、一般人は夜の海から歩いて出てこないし、身体が濡れていないのもおかしい。そして、もいだばかりみたいな魔物の一部を持っていたりしない。


「ああ、これ? さっきさ、海の中で出くわしてさ。知ってる、カッターシャーク? 聞いたことあるかな、《海洋封鎖の切り裂き魔》って」


「そいつ、なんかしたの。襲いかかってきたりとか」


「? いや、何言ってるの、キミ」


 おかしなことをいうやつだなあ、とクズモは笑った。


「魔物がいたら倒すでしょ? 育ったら厄介だし、入手素材はウマいしさ! それにしても見つけた時はびっくりしたよ、まだ生き残りがいたなんて。あらかじめ潰せといてよかった、これでまた、評判があがっちゃうなあ!」


「……ポイント?」


「さっきから何、世間知らずキャラなの? 常識じゃん、勇者が功績をランク付けして競ってることぐらい! これが上がると、なんと仲間内でイバれるんだぜ!」


「へえ、そりゃすごい」


「だろ? ファンタジー世界のものなんて好き勝手にできるのがあたりまえだし、張り合いがないんだよなあ。今のトレンドはやっぱ、めざせランキング上位! 人生が楽勝すぎてつまらないなら、自分で楽しみ方を探さないと! ――だから、さ」


 クズモは、カッターシャークの鋭利な刃をパットの鼻先に突き付ける。


「魔王、どこ? この島にいるよね、あの、メチャウマ高ポイントがさ」


 へらへらと、果物の木の場所でも尋ねるように問いかけた。


「勇者は元々魔王を倒す為に呼ばれたから、その存在を感知するスキルがついてる。でもそれは完璧じゃないし、“近くにいる”ってことぐらいが精々だ。昼間ぴぴんって感じたもんで探してたんだけど、そしたらさっきの叫び声と、昨日まではなかったはずの島じゃん? まさか見逃すわけにも逃げるわけにもいかないよね、勇者として」


 勇者クズモが手を掲げる。


 するとたちまち――何の詠唱も、魔術的反応も見せないままに、海が、うねった。


「改めて自己紹介しよう。僕はクズモ。勇者として“海を操る”能力を持っている。三百年前は、大陸から大陸へ移動しようとする連中を散々倒してきた。レベルは100を超えたあたりで数えるのも上げるのもやめちゃった。良し悪しだよね、こっちのシステムも。いちいちピカピカ光ったり、頭の中で音が流れてウザいのなんの」


 静かに、徐々に、だが確実に、その現象は賢者の島を取り囲んで浸食していく。


 勇者クズモの上陸と同時に――海面が上がり、島が沈み始めていた。


「キミはどうやらただの人間みたいだけど、どうにも怪しい。意図的にしろ偶然にしろ、魔王と関わってしまったことが不幸であり、罪であると思ってくれ」


 荒れる海から伸びた海水が、縄のようにパットの全身を何重にも巻く。それが口にも及ぶ寸前で止まった。


「勇者が命じてあげるよ、ファンタジーの一般人。――魔王はどこだい? キミの知っていること、全部、隠さずに話してくれ」


 チーレムオーラ。勇者たちが散布していた、異世界を隷属させる力。

 その特権を行使されたパットが、ゆっくりと、口を開く。


「――あいつは、おとなしいやつでさ」


「うんうん。その調子その調子」


「俺、もうホントしんどいって時はいっつもここに逃げてきて、一人で愚痴吐いてたんだけど、そんな時、遠くの海で跳ねてるのを見たんだよ」


「……うん?」


「親も仲間もいねえ、たった一匹で、それでも生きてるあいつを見てたら、なんかな。勝手で恥ずかしい話だが、ああ、戦ってるのは俺だけじゃないんだ、って思った」


「あれ、ちょっとストップ」


「クソジジイのクソ忌々しい結界のせいで、すぐそこに見えてんのに、泳いで近づくことも出来ねえから、そうだ、おれは、いつか――外に出られる日が来たら、あいつに礼を言いたいな、って思ってた。はは、相手は言葉も通じっこない、魔物なのにな」


「キミ、何の話をしてる? ……いや、いやいや、そんなことよりも」


「何の話って、そりゃあ」


「なんで――止まれと言ったのに、まだ喋れてる?」


「おまえが持ってるそれの話だ、勇者様」


 破裂する音がした。チートスキルで出来た海水の縄が、内から弾けた音だった。

 空気が震え、海が揺れる。


「ば、な、え、えぇ……!? な、な、なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ!?」


「魔王を探してるんだったな、クズ」


「ッ!?」


「俺の知ってるパターンじゃ、魔王の前には、中ボスが待ってるのが決まりだぜ」

 踏み込んでいくパットの一歩に反応し、勇者が腕を振り上げる。


「な、な、生意気言いやがってぇッ! いいか、ぼぼ、僕は勇者だぞ、召喚されたチート持ちだぞッ! おまえら全員、こんな世界、僕らの踏み台の癖にぃぃぃぃッ!」


 島を包む全ての海水が、一瞬で掌握され、打ち上げられ、そして――

 ――全てを潰し、底へと呑み込む滝と化して、降ってくる。


「くらえ、魔王の一味め! アジトの島ごと、全部まとめて潰れちゃええぇぇぇッ!」


「悪いがよ」


 その時、勇者は見た。

 目の前の、才能の片鱗も見えなかった一般人が――突如纏った、七色の光。それは先程海の縄を破る直前から生じていたが、更に高まり、濃密になっていく。


 勇者の表情に浮かぶのは既知と未知――“それは知っている”と、“こんなのありえない”という、相反した二つの感情。


 数多の魔王を蹴散らした勇者クズモの必殺技――《天海》が、思い切り突き上げられた、ただの拳で、吹っ飛ばされた。


「――――あ、」


 それは次に、今度は水平に構えられる。ぐ、ぐ、ぐ、と力を溜める。


「脇目もふれねえ修行漬けだったもんで。誰が新しくて偉いとか、こうしなきゃいけないとか、俺ってさ、そういうブームにうとくって」


「――ば、」


「勇者だなんだ、関係あるか。おまえはただの――ムカつく奴だよ、ドクズ野郎」


「バグってんだろぉおお!? なんだその滅茶苦茶なレベルアッぷあぁあぁっ!」


 悲鳴が尾を引きながら遠ざかる。突如として現れた勇者は賢者の島からその一撃で追い出され、海と空の交わる際までブッ飛んで消え、そして、もう二度と帰ってくることはない。島にも、こちらの世界にも。


 すなわち――誰も知らないこれこそが、プロミステラで初めての、勇者が減った驚天動地。


 その偉業を成した本人は、遅れて空から降ってきた海水を浴びつつ呟く。


「――なぁんだ。結局、やるこたァ変わんねえじゃんか」


 パットは全身を濡らして笑い、雨の降る星空に、すっきりと答えを出した

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