侵略性外来種『勇者』

殻半ひよこ/ファミ通文庫

プロローグ 異世界より来たれ救い手(外来種被害報告事例/類は友を呼ぶ)

その1

 その日。北東大陸首都上空へ、突如として巨大な幻像が浮かび上がった。


『ごきげんよう人類諸君。苦悶しているかね? 苦悩しているかね? 明日をも知れぬ絶望に朽ち果てようとしているかね?』


 見よ、あの真紅なる巨体、骨の外装、禍々しく捻じれた二本の螺旋角を。

 奴こそは大魔王ヴェラヴィアディスドルファ。創造神ファンタズが創りし世界プロミステラを手中に納めんとする暗黒の侵略者が、邪悪なる嘲笑を大空で浮かべている。


『実に結構だ。では、震えながら決めるがよい。これより程なく訪れる、秩序崩壊後の生き方を。その回答が聞ける日を、心待ちにしている』


 月光暦一四一四年、今や魔族に蹂躙されていない地は北東大陸の一部を残すのみとなっていた。抗いの気力も枯れ、誰の目にも深い諦念が浮かんでいる。


『余は勿論、プロミステラ各地を落とせし、一万の魔王がな』


 人類の状況は、劣勢にすぎた。大魔王が彼方から門を越えて最初に訪れ、続いて現れた配下――強大な力を操る一万の魔王と魔族たちは、現在でもなお増加していた。


 初遭遇からわずか十四年、人類は魔王軍の侵攻に成す術なき敗北を重ねている。


『本日は軽い挨拶で失礼。まもなく北東大陸侵攻作戦の軍議があるのでね』


 高笑いを残し、首都上空の幻像は消えた。だが、首都の人々、数知れぬ魔王たちに蹂躙された地から逃げ延びてきた人々の心に安心などない。嘆きの声が城下に満ち、応戦を謳う騎士団の檄も虚しく、蹲る人々の耳の右から左にすぎるのみ。


 プロミステラはこのまま大魔王の軍勢に敗北し、精霊の住む美しき地は暗黒と絶望に穢され尽くしてしまうのか。


 ――否。


 大魔王ヴェラヴィアディスドルファ、人類最後の砦への宣戦布告と同時刻。

 世界の片隅では、ある出逢いが起こっていた。


                ■ ■ ■


「――――あのなあ、童」


 緑色のローブを纏った老人の溜息が、街道に流れる。


「どこまでついてくるつもりだ? 命を助けられた礼とかならば、別にいらんぞ」


 振り向かぬままで言葉が向けられた後方には、ぼろぼろで傷だらけ、薄汚れてみすぼらしい服を着た、眼差しだけはギラついた少年の姿があった。


「それとも、呪いの方か。そりゃあ儂が悪かったさ。噂を聞いた出不精がのこのこやってくれば全部が終わった後だったなど、文句もつけねば収まるまい。ほれ、恨み節ならとっとと吐け。襲って来てもかまわん。好きなだけ殴って、経験値でも稼ぐがええ」


「……なんかする気があんのなら。俺を強くしろ、クソ賢者」


「うは、それは無理。諦めよ。おぬしはな、どれだけ鍛えたところで成長の上限は悲しいくらいに低いし、優秀なスキルが目覚める見込みも泣きたくなるほど」


「ああ、そうかいッ!」


 少年が言葉の途中で襲いかかった。木の棒で背後から殴りつけてきた相手に対し、老人が「ちょい」と放った適当な杖の一振りから魔力の弾が放たれる。それは繊細な制御で武器だけを弾き飛ばし、その後――遠くの地面に落ちると、凄まじい音と共に地面が大きく抉りとられた。少年は唖然とし、息を飲む。


「言っとくが、魔王はこんなものではないぞ。一万体の、一番下っ端な奴ですらな」


「……っ!」


「連中が強いのは、おぬしが考えているような単純な差のせいでない。普通の修行で倒せるのであれば、既に五大陸の英雄がどうにかしている。童よ、一度救われた未来を粗末にするな。――たとえ今のプロミステラに、光より、闇こそが濃かろうと」


 その足で戻り、自分に出来ることを考えよ、と賢者は言った。


「このままでは、プロミステラは異界の軍勢に、大魔王ヴェラヴィアディスドルファには敵わぬ。よってこれより、儂は最果ての彼方にて、とある秘策を――」


「ンな道理、もっともらしい理屈、知ったことか。そんなの全部、どうでもいい」


 その言葉に思わず振り向いて、老人は射貫かれた。


「知ってるよ。連中が、プロミステラの常識じゃありえねえイカサマしてるのは」


 馬鹿の目だ。阿呆の目だ。その目は、ただ、納得をしていない目だ。


「そういうのがムカつくから、やってられねえっつってんじゃねえか」


 握り締めた拳は、手の皮が裂けている。ぎりぎりと、歯を食い縛っている。


「俺がいつ、ありがたいゴタクが聞きてえって頼んだ? わかんねえならもう一回言ってやる。テメエが本当に、世界一の大賢者だってんなら――実験台にでも何でもなってやるから。才能のカケラも無えクソガキ一人で、調子に乗った連中を片っ端からブッ飛ばして、世界を救う魔法でも使ってみせろや、クソジジイ」


「…………ホホ、そうかい」


 魂胆の見え透いた口説き文句が、どうしようもなく火をつけた。

 誰も彼もが、諦めを正当化し、与えられる救いを待ち望む世界の中で灯した、絶やすことを良しとしなかった少年の小さな種火が――今、老賢者を刺激した。


「今確かに、何でもやるとほざいたな? そういうことなら、仕立てる案が無いではない。ただし覚悟せよ、一度ぬかしたからには途中でやめますなどきかんからな」


「は、安心しろよ、ビビんのはそっちのほうだ! 世界中支配した気でいる、数ばっか多い魔王共を一匹残らずブッ飛ばして――俺が伝説の勇者にでもなってやんよ!」


 それぞれの思惑を秘めた笑いと共に、二つの手が重なる。 

 前代未聞の侵略に抗い、形無き未来を目指す探究の旅がここに始まったのだった。


                ■ ■ ■


 ――だがしかし。

 この出逢い、この始まりは、今この時の、この時代の本題にあらず。

 それはそう、もう一方の場所でこそ――


                ■ ■ ■


「あるいは、私は正義ではない」


 荘厳なる雰囲気に満ちる石造りの祭壇に、五人の男女が集っていた。


 それぞれが高価にして希少な装備で身を包んだ大魔法使いであり、その中心、長たる人物が戴きし冠が示すのは、彼女こそが、北東大陸中央首都――プロミステラ最大の国を治める精霊女王に他ならぬことである。


 精霊族の血を引く浮世離れした美貌、世界中の敬愛を受けてやまない、麗しの君。

 誇り高き名を、エリザベート・アン・イ・クッコロイヤル。


 輝かしい金紗の髪をなびかせ、王家伝統の純白礼装に身を包んだ女王が、一振りのナイフを持って魔法陣の上に立つ。


「不確定要素は多く、影響のほどが予期できぬと訴えた賢者もいた。されど、一万の魔王の侵攻を食い止めるには、プロミステラの総力を結しようと足りぬは事実。ならばそうだ――後はもう、賭けるしかない。人道にもとる非道さえも是とした我が独断は必ずや、世が平和を取り戻した後、英断であったと証明されるであろう」


 床に描かれた魔法陣は、魔界と人間界を繋ぐ転移の術式を、クッコロイヤル家擁する私設魔法使い部隊が独自に研究、改造したものだ。


 彼女らは、魔王たちが人類を蹴散らす埒外の能力を秘める原因を突き止めた。


 鍵は次元移動そのもの。異なる世界へ移る時、世界と世界の狭間の通路に満ちる力を吸収することで、魔王は独自の異能を身に着け、侵略の武器としていたのである。


 ならば、人類がそんな反則に反撃する方法とは。


「異次元からの侵略者には、異世界からの救世主を。プロミステラの勢力争いに無縁である、魔界より更に遠くの彼方から、より長く通路を渡り、より強い力を身に着けた、人類に友好的な協力者を召喚する」


 その為の純白礼装。その為に女王は、自らを献上品とした。

 エリザベートは、祭壇に現れし者、世界を救う勇者に、己を捧げる覚悟だった。

 ギリギリで完成させた術式は“どのような人物が呼ばれるか”を選べない。魔王を倒す力は召喚そのものによって与えられるが、その意思は別だ。


 対策は講じたものの、応じられる確証はない。……現れた者にはどんなことをしてでも、使命を受け入れ、冒険の旅に出てもらわねばならない。


「やるぞ、皆の者! これより救世の悲願、《異世界勇者召喚》の儀を執り行う!」


 人差し指の先をナイフで切り、血の雫を魔法陣の中央へと滴らせる。


 精霊と人のハーフたるクッコロイヤルの血には濃厚な魔力が秘められており、そのエネルギーを用い起動した魔法陣が、眩き光の粒子を溢れさせ、本来なら決して交わることなき此方と彼方、異邦と異邦を繋げる道を通す。


「来たれ救世主! 願わくば、プロミステラを愛する、清き心の善人を……!」


 祈りと願いを込めた叫びは天に、運命を司る神に、果ての世界に届いたのか。

 祭壇の間を埋め尽くす発光が収まった後、そこにいたのは――


「――はれ?」


 奇妙な模様の碗を抱え、麺をスープにつけて食っている、黒髪黒目の少年であった。

 その上、下穿き一丁だった。


「……ちょい。ちょいちょいちょい、え、待て待て待って、なにこれ、新手のドッキリ? おれ、今、ご覧の通り、晩メシの途中なんだけど」


「突然の御無礼、お許しください」


 呆然としている少年の前に傅き、精霊女王が謙譲の意を示す。


「妾はエリザベート・アン・イ・クッコロイヤル。貴方を人と精霊の住まいし大地、プロミステラに召喚した者です。その理由はただひとつ――世界を侵略せんと野望を巡らす、大魔王ヴェラヴィアディスドルファへ、共に立ち向かって頂きたい」


 最も重要な初対面第一声、女王として社交の場を渡り歩いた技能の全てを生かす。

 跪いた体勢を最大に生かし、さりげなく色気を主張する角度で胸元を強調する。こちらは顔を伏せていることから遠慮なく覗き見られる配慮は完璧で、十分な間を置いた後で顔を上げ、愁いを帯びた、熱の籠もった瞳で、少年を真正面から見つめた。


「その為になら喜んで、あらゆる願いを聞き遂げましょう。妾の愛しき、勇者様」

 これで落とすと攻め込んだ渾身のアピールは、しかし、見事に空振った。


「――――ね、」


「……ね?」


「念願の異世界勇者召喚チートハーレム生活キタ――――ッ! 垣根渡の冴えない人生本日これにて大逆転、勝ち組ロード大決定――――――――!」


 そうして。


 異世界・チキュウに於いて平凡な人間だった彼は、号泣と共に拳を突き上げ、勢いで碗をひっくり返し、「ウワッチャァ――――ッ!」と奇声を上げた。


                ■ ■ ■


 奇しくも、同じ日、同じ目的を目指して始まった、二つの道。


 その終点へ先に辿り着いたのは、異世界より来たり、精霊女王に《伝説の勇者》の称号を与えられし勇者ワタルだった。三人の美女を引き連れた魔王討伐の旅の果て――ついに、膨れ上がった欲望まみれの一念が、悪しき侵略者の喉元へ届く。


「さあ、今です!」


「往け、ワタルッ!」


「この世界を――プロミステラをお救いください、妾の勇者様――――!」


「うおおおおおおおおおおっ!!!! くらえ、大魔王ヴェラヴィなんとかッ! これがおれの――――全力の下心だああああああああぁっっっっ!」


「グオオアアアァアァッ!? まさかこの余が……大魔王がぁぁあああぁぁッ!」


 こうして、プロミステラは救われた。


 世界中が諸手を上げて、歓喜と喝采に沸き上がり――

 ――世界中の何処にも、同じ日に同じものを目指していたもう一人の少年のことを、知っている人などいませんでしたとさ。 

 めでたし、めでたし。


                ■ ■ ■


 ――――――――――――――――――――――――――――さて。

 この物語の本当の始まりは、“めでたし、めでたし”の、その後から。

《勇者》という存在が何を示すのか、新しい認識がプロミステラ中に知れ渡った――そんな時代に、幕を開ける。

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