第一章 ファンタジー・クエスト!(外来種被害報告事例/希少生物違法狩猟)

その1

 輝く水面に翼の生えた鮫が跳ね、砂浜を走り込んでいた少年が「お」と止まる。


「なんだなんだ。今日はやたら元気だな、あいつ」


 背が、ぐんと伸びている。髪も、腰に届くほどに伸びている。


 眼差しは凜々しく、年季の入った稽古着の上から見て取れるくらい身体つきは立派になり、声は落ち着きのあるものになっている。

 多くの経験に鍛えられたのだと、それがわかる変化がそこにはあった。


「おぉぉぉーい! ……つっても、向こうはこっちを見えも聞こえもしねえんだけど。あのジジイ、一体いつになったら俺に皆伝よこすんだか――」


 翼鮫に手を振った後、ぼりぼりと頭をかいたその時だ。

 彼の目の前で、海と空が溶けた。


「……あ?」


 空間が、湯をかけられた氷のように、滲み、消える。だが、その下から現れたのも先と変わらない風景で、しかし、そこには不可逆の変化がある。

 今、結界が破られたのだ。外と内とを隔離し、この《修行場》を隠蔽していた、目に見えない幕が失われた。


「――へぇ、え」


 異常を察知した翼鮫が消えている。少年は砂浜に沿って駆け出した。

 すると、程なく見つかった。沖には中型魔力船が停泊しており、そこから出てきたらしいボートを漕いで砂浜へと降りている、軽甲冑を身に着けた金髪の女と、炎天下に暑苦しい、頭部全体を深く隠すフードの付いたローブを着込んだ陰気な奴がいた。


 怪しげな侵入者を見つけながら、少年からこぼれたのは、むしろ爽快な笑いだった。


「ぎゃっはははははははははっ!」


 飛びかかり、蹴りを放った。


 牽制代わりの一発は、軽甲冑が手甲で受けた。受けさせるよう調整した。弾かれるだけですんだのがどれだけ幸運か、相手はわかっていないだろう。


「な、何者だ、おまえは!」


 金髪女が警戒と怒りをむき出しに吠えるが、不躾な侵入者に答えてやる義理もない。何せ、こっちはもう、同じ疑問に答えが出ている。


「マジ受ける。姿は人間っぽいけど、さっきの結界破り、アレ、マトモな術式じゃねえよな? どこのマヌケな魔王軍が、どうしてこんな最果てまで征服しにきたのかわかんねーけどよ」


 彼の視線は二人から背後へ、魔力船へと至り、幸運に歓喜が溢れる。


「オタクらが封印解いてくれたおかげで、ようやく冒険始まっちゃうぜっ! くっくっく、まさか足まで用意してくれるとはな! 俺の知ってる限りじゃよ、モンスターはシバき倒してアイテムもらっても、なぁんの問題もないはずだよなぁぁぁぁっ!」


 彼は猛然と二人の侵入者に迫り、軽甲冑は剣を抜き、ローブの人物が戸惑いながらも何やら呪文を詠唱し始めた、その時だ。


『やぁめんかこの馬鹿弟子がぁああああぁぁぁっ!』


 雷のような怒号が天より響き、彼が『゛いっ!?』と上空を見上げた。


『脱走・反逆・言語道断~……御師匠様は、およそなんでもお見通し~……』

「ク、ク、クソジジイッ、今日は腰痛治す温泉に行くんじゃなかったのかよ!?」


 数秒前の威勢も掻き消え、周囲を慌てて探る。油断なく構え、襲撃に備える彼のその背後に、透明化の術を解いてすぅっと現れた人物が、攻撃を放つ。


「ほい」

「きゃぴゃっしゅ!?」


 長い杖に股間を打たれ、会心の一撃を受けた少年は、悶絶後に気絶した。


             ■ ■ ■


 起こりかけた戦闘を収めた人物が「やれやれ、図体ばかりでかくなっても、心がちっともなっとらん。相も変わらず、しようのない童めが」と溜息を吐いた。


「のんびり風呂にも入らせんとは、ほんにたわけた不孝もんよ。いやすまんの、馬鹿弟子が迷惑をかけた。まったく、自分が殴ろうとしておる相手の貴賤も見抜けずして、なぁにが勇者であるものか――であろ、姫殿下殿」


 軽甲冑の女が姿勢を正し、遅れて慌ててフードの人物も背筋を伸ばす。


「……隠し立てはできませんか。その慧眼、貴方様こそ隠遁の大賢者――ファイハンタ様とお見受けします」


「ほ。いかにも儂がティエ・スモチド・ファイハンタであるが、そのように呼ばれるのは久しい。外界と関わらぬ生活が長かったうえ、唯一の弟子がこの通りの有様じゃて」


 気を失っている少年の頭が杖でぐりぐりやられ、「うう」と呻き声が漏れた。

 気の毒な様子に気遣うような目をやりかけるが、目の前の相手への対応を優先させる。


「御目通りが叶い光栄です。私は、マリー・ラフラ・クッコロイヤル。世界を救う手伝いをして頂きたく、お願いに参りました」


 ふいに吹き抜けた海風が金紗の髪をなびかせた。宝石のような水色の瞳、甲冑に覆われぬ部分の体躯は、その身体が鍛えられて引き締まり、美しさと逞しさを兼ね備えている事実をあらわにしている。大賢者ファイハンタは、その姿をじっくりと観察する。


「ふむ。まあ、来なさい。久々の来客じゃ、茶ぐらい出そう。儂が身を潜めておった間、そちらでは何が起こったのかも、まずは聞かせてもらわねば」


 つい、と大賢者が杖を振れば、険しい森の木々が左右へ退いて進路ができた。色とりどりの花が咲き乱れ作る歓迎の道の美しさと、軽々とこれほどの魔法を使ってみせた手際にこそ、二人の来客は息を飲む。


「おお、そうそう。ぬしらがやったアレ、楽園結界の解呪」


「……その節、遅ればせながら謝罪いたします。大賢者の聖域に土足で踏み込む真似をした無礼、改めて償いを」


「ああ違う違う! 儂が言いたいのはむしろ礼よ、老骨が引きこもっておる間に、魔界式の術研究があそこまで進んでおるとは! 大気中の魔力反応を感知して結着、同様のものに変質させ溶け合うことで剥離させるとは、美しい術を見せてもらった!」


「寛大な御心、感謝致します。……だそうだ、ベラ」


「はっ、はいっ! 申し訳ありがとうございましゅっ!」


 ベラと呼ばれた陰気フード――どうやら女であったらしい人物が思いっきり噛む。


「……あと、その、申し訳ついでに、と言っては何なのですが」


「何じゃ?」


「大賢者ファイハンタ様は、老齢の男性であると伺っていたのですが……」


 そう。あまりに当然のように進む話だが、その点だけは放っておけない。


 姫騎士が敬い、弟子である少年がクソジジイと恐れていた相手は――巨大な浮遊水晶玉にあぐらをかく姿勢で乗った、全裸の赤毛幼女であったからだ。


 当たり前の疑問に、赤毛幼女ではなく姫騎士のほうが、気まずそうに解説を入れる。


「あー……それはな、ベラ」


「は、はい」


「大賢者ファイハンタには、“そういう趣味”があらせられる。これはかつての王国では、実に有名な伝承だった」


 隠遁の大賢者ファイハンタ――別名を、《自在幻想ファイハンタ》。


 崇敬半分、ドン引き半分で語られる異名の由来、推して知るべし。


「かかかかか! おかしいと思わんか、人が生まれた時点で根幹となる要素を縛り付けられるなど! 年齢とか外見とか、何度変えたかわからんし最近では元々どうだったかも忘れてしもうたわ! やートシは取りたくないのーホントー!」


 装備は杖と大水晶、恥じらいも慎みも脱ぎ捨て笑う――弟子をぞんざいに杖で持ち上げた、お湯もしたたる大賢者(性別・年齢・正体不肖)。


 そのあまりにも奔放で自由な生き方に対し、ベラは大真面目に感動して頷いた。


「人間って、フシギだ!」

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