その2

 深い森の奥には、こぢんまりとした小屋が建っていた。


 大賢者が住むには粗末なような、と思えたのは戸が開くまで。内部は高度な魔法によって拡張され、様々な機能を備える神秘の拠点であった。


「といっても娯楽・道楽、趣味が八で実用性二の造りじゃな。今はもっぱら、術式の研究より、馬鹿弟子の――もとい馬鹿弟子での遊び場に使っとる」


 中を覗いてみれば、恐ろしい罠が牙を剥くダンジョンが如き一室だったり、どこまでも広がる砂漠があったり、水で満たされた空間に巨大な生き物の眼が覗いたり……今更ながら、脱走を企てた少年の気分がわかってくる。


 そうして案内されたのは、ごく一般的な安酒場のような内装の部屋だった。幼大賢者はカウンターの奥に屈み「なに飲むー?」と聞いてくる。


「錬金学も研究の分野でな。いろいろとあるぞ。長寿の秘薬、活力の霊薬、オススメなら、お手軽臨死体験用・生還率百パーの毒薬とかも!」


 二人の来訪者は顔を見合わせて頷く。


「水をください」

「水でいいです」

「おまえがいちばん飲ませたくないヤツ寄越せジジイ!」


 がたたーん、とひっくり返る来客二人。先程自分たちに襲い掛かってきた“馬鹿弟子”が目を覚まし、同じテーブルに座っているではないか。


「き、君」


「パット」


「え」


「パットだ。それ以外にねえし、よけいなものは何ひとつつかねえし、いらねえ」


「ンモー馬鹿弟子はすぐそういうこと言うー。そんなに嫌なん、儂があげた姓? パット・ナッカノ・ファイハンタを名乗れば、色んなとこでオトクじゃぞー?」


「イ・ヤ・に・決まってんだろよ! 各種特典と引き換えに『ワタシは性悪ジジイのオモチャです』って自分で喧伝してまわるのなんざゴメンなんだよこのクソ外道!」


 どがんどがん机が叩かれ、大賢者はかかかと笑う。


「ほい、おっまたせー」


 ファイハンタはいつのまにか、大衆酒場の女給仕めいた服に着替えていた。早業に驚く二人にウィンクで返し、裾を翻しつつトレイにグラスを載せて運んでくる。


「姫さんにはこれ。プロミステラいち清らかなマナを含むレナーキ大滝――を再現した水じゃろ。んでフードの嬢ちゃんには、人により毒にも聖水にもなるゾイバヤ沼の濾過水――の味を想像したやつじゃろ。そしてパットよ」


 少年に差し出されたのは、黒い湯気と奇妙な泡の弾けるカップだった


「“火竜の血液マグマカクテル~マンドラゴラのじっくり抽出悲鳴入り~”。かわいい弟子の期待に応えて、お師匠様、愛情込めて練成っちゃった!」


「――いや、は、はははは、流石は大賢者様、ユーモアのセンスも一級のようで」


「おっす、カンパイ」


 呪詛成分をふんだんに配合された致死の薬品を、一息に飲む。ベラが悲鳴をあげる。


「はえ―――――――――っ!?」


「……ぶぇっ。まっず。おいジジイ、これとんだ粗悪品じゃねえか。特にマンドラゴラ! 濁りのある呪いなんざ、隠し味どころかタダのアクだろ」


「アホタレ、普段ならまだしも御客人のいるところで本物の呪いなんぞ封を解けるか」


 マリーもベラも、言葉が出ない。ただ、この二人の平然さから、こうしたやり取りが日常的な経験であることは察している。


「あのさ。客間に招かれたってことはそれなりに信用出来る相手なんだろうけど」


「あ、ああ」


「やめとけやめとけ。見ての通り、こいつ、人格も倫理も、タチ悪く魔法の腕前まで倒錯しまくったド変態だから。断言すっけど、絶対ロクなことになんねーよ?」


「俺を見ろ俺を」と悲しい実物を主張してくる。


「――忠告はありがたい。けれど、私たちは」


「あんたら」


 マリーが口を挟んだ瞬間、切り込むように指が向けられた。


「こんな辺境まで、引きこもらせとくのが世のため人のためなクソに会いにきたのは――それと引き換えにしてでもどうにかしなきゃいけねえことがある以外にねえよなあ」


 マリーと視線を合わせ、身を乗り出して少年は言う。


「ズバリ、魔王だろ。このご時世、一大事なんて大体がそれに絡む。だったら、こんなのよりか、俺を連れてけ。何を隠そう、俺がクソジジイのシゴキに耐えてきたのは――大魔王をブッ倒せるようになる為だったんだからな!」


 この日に備えていたのか、パットの売り文句を並び立てる様は実に手慣れている。


「昔っから言うだろ、魔王討伐に必要なのは、勇気、情熱、諦めない正義感だって! その点俺は証明済み。でなきゃ誰があのイカれた修行に耐えられるかって! なんてったって三年だぜ三年、何度アタマがどうにかなりそうになったことか」


 本人としては、何気ない口上であったのかもしれない。

 だが、その言葉を聞いた瞬間、マリーの表情に、明確な疑問が浮いた。


「……ちょっと待て。君、パット」


「あん?」


「三年。三年の修行、と言ったか?」


「おうよ、三年! 来る日も来る日も繰り返すえげつねえ特訓メニューのしんどさっつったら、本当、まったくいい経験でしょうがなかったぜ! これは当然皮肉だが!」


「あの――」


 おずおずとベラも口を挟む。……心なしか気の毒なふうに、フードの奥からパットを見あげる。


「これは、わたしの思い違いではないと思うのですが」


「ん? なになになに? ところで君さ、ずっとそれかぶりっぱだよな、これから一緒に旅するんだしちょっとそれとって顔合わせでも」


 軽薄な態度も浮かれた言葉も、次の瞬間、ベラの言葉で吹っ飛んだ。


「だ、大賢者が世俗を離れ隠れ島に籠ったのは――三百年前だと言われていますっ!」


「…………………………………………へ?」


「今年で、月光暦は一七一五年。――その、あなたがこの島に入ってから経過したのは……三年ではなく、三百年、かと」


 少年の首が、錆び付いたネジを回すようにぎこちなく動く。

 水晶の上に胡坐をかいて腕組みする大賢者は、愛弟子の視線を受け止めて、言った。


「いや……まさかここまでうまく気付かんとは思わんかった……」


「もぉおおぉ――――――――っ! えっ、えウッソぉぉおぉおおおっ!? さんびゃくぅ!? 三百ねぇん!? なんでそんなに経ってんの!?」


「あんな、弟子弟子ー。ようやく言えるけど大変じゃったんじゃよ? 儂の組んだカリキュラム、あれどうやっても常人では精神が耐え切れんくてなー。幻術シミュレートしてみた結果、百回やって百回発狂! こりゃ心にもイカサマせんと無理無理の無理っちゅうわけで、儂、弟子の寝床に頻繁に忍び込んで、丹念に催眠と若返りの術かけとりましたっ! 恨むなら、そこまでせんとならんかった自分の素質の無さを恨め!」


「ありえねえありえねえありえねえ! もしかしてと思ってたけどようやく確信したわ、遠くの魔王より近くの人間のほうがずっと恐ろしいのな!」


 明かされた事実の凄まじさからすわ血を見るバトル開幕かと思われるも、パットは深い深い溜息で「しゃあねえ」と切り替えた。


「クソジジイにはいつか目にもの見せるとして、ともあれ俺は仕上がった! 積もりに積もった三百年分のウサ、丸ごと魔王に八つ当たりしてやんよ!」


「――それは無理だ」


 拳を掌に打ち付けるパットにしかし、マリーは確信に満ちた否定をした。


「ほお、疑ってんのか女騎士。音に聞こえた大賢者様と違って、何処の出とも知れねえ弟子は不安かい? いいぜ、表に出てくれや。さっきは手加減して使用量を抑えたが、今度はその上等な魔法鎧、きっちり砕いてわかりやすくしてやっから」


「違う。単純に――魔王を傷付けることは、今の世では重罪であるからだ」


「はあ? なんだそりゃ。人類の敵、プロミステラの脅威に抗うのが、罪? そりゃ要するに――俺が修行してる間、世界はそこまで深刻に魔王軍の支配下に置かれたわけだ! 上等だよ、俺が出るからには、そんな息苦しいデタラメな常識ごと」


「だから、違うんだ!」


 姫騎士は、痛ましく叫んで明かす。事態は、彼の予想を遥かに超えていることを!


「討伐などとんでもない! 魔王は現在、世界中で愛される保護指定の絶滅危惧種なのだ! 頼むから少年、知らぬとはいえ悲しいことを言ってくれるな!」


 マリーが机を叩きながら叫び、ベラは俯きローブの裾を握る。

 そしてパットは、己が導き出せる限り最もそれっぽい結論を口に出した。


「なるほど。ドッキリか」

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