その4


 以前、弟子は師匠とこんな問答をしたことがある。


『時にパットよ。おぬし、勇者に最も必要なのは何であると考える?』


『あ? ンなの、敵がどんな抵抗しても問答無用でとっちめられるパワーだろ!』


『はぁい馬鹿弟子クソタワケー。よいか、勇者とは“義によって悪を許さぬ”という性質にのみあらず。怯まず戦う勇猛果敢、絶対勝利の腕前だけを示すにあらず』


『……じゃあ、なんだっつうんだよ?』


『勇者とは、守る者だ。矜持と美学、現実と理想を兼ね備え、万人に憧憬を浮かばせる存在だ。ただ勝つだけ、強いだけを目指しておるようでは、なれるのは精々喧嘩屋だの用心棒だのならずもののリーダーだのよ』


              ■ ■ ■


「……あー、なんで今、そんなの思い出すかねえ……」


 まんまとしてやられた帰り道、トッカラケに近づくほどに足は重く、気が引けた。今頃は、帰ってこないパットに住民たちが慌てる一方で、二人は気付いているだろう。


 あの“なりそこね”が、いいところを見せようと、黙って抜け駆けしたのだと。


「カッコわりぃ……しょうもねえ……どの面下げりゃあいいんだか……」


 朗報と共に戻れば、叱責など上書きされると踏んでいたのだ。


『迷惑勇者は成敗したぜ』の不意打ち一発、“めでたしめでたし”をもたらして旅路へ戻る。そんなパットの描いたプランは、見るも無残に夢想と消えた。


「そっか、思い出すわけだよな、ちくしょう……」


 蓋を開けてみれば、まさしく師匠の箴言通りであった。


 誰も知らないパットの初戦、海を意のままに操るチートの勇者クズモは、確かに強大な力を持っていた。しかし、いくらレベルが高かろうと、あれは単体として完結した“強いだけの強さ”であった。


 パットはまだ、“勇者の本当のおそろしさ”を味わってなどいなかったのだ。


「社会に、世界に、侵食して、変質させる、外来種……」


 人をさらい巣を広げる、《ハーレム目》の“スローライフ”。ただ相手を殴りつけるだけでは解決できない状況に、握り拳を引っ込めざるを得なかった。


 考えて、ぞっとする。魔王を倒すことしか考えてこなかった、そっちの経験ばかりを積み、肝心なことを学び損ねていた自分が、この先再び殴るだけでは倒せない勇者に出くわしてしまったとき、正しいほうを選べるだろうか。


「……………………ん?」


 戻ってきたトッカラケが、何やら騒がしい。心に浮かんだ取り留めのない不安を誤魔化すように、騒ぎの中心らしき栄光の翼亭に辿り着いて目撃したのは――


「わーっははははははははっ! さあ、もう一度、皆の衆! 呼べ! 叫べ! 此処に讃えよ! 妾の名は――――っ!?」


「「「「「魔王・ヴェラヴィアディスドルファ、・世さま――――っ!」」」」」


「So-Cute! この身は艶めく麗しの――――っ!?」


「「「「「誇りも高き純血統――――――――ッ!」」」」」


「So-Cool!!!!」


 それは“じゃあく”な“さばと”であった。

 歓喜の興奮に沸き立つ町民が、手を振り上げ、吠え叫び飛び跳ねる。

 舞台で仁王立ちしているのは、かつて世界を絶望の淵に叩き落とした大魔王――ヴェラヴィアディスドルファ、の、お孫さんであった。


「矮小にして卑小なる哀れな人間共よ! 魔王軍に、入りたいか――――っ!」


「「「「「ベラ様――――っ! 四天王にして――――っ!」」」」」


 テンション最高、今この場には涙もなければ憂いもない。

 パットはこの様子を暫し虚無の表情で眺めた後で、うん、と頷き結論する。


「大変だ……かつて世界を滅ぼした魔王軍が再結成されようとしてる……」


「そんな物騒な話が出来るのなら、あの気弱も勇気を振り絞らずにすんだのだがな」


 声をかけてきたのは、金髪の姫騎士だった。手にはドリンクを二つ持っていて、その片方、牛の乳とナクル鳥の玉子を混ぜ合わせたミルクセーキを渡される。


「前にも話したかな。大魔王の敗北で次元を越える門も消え、多くの魔王は異邦の地に投げ出された。元の世界へ帰らなかった勇者がそこらじゅうに存在し、悪逆非道など働こうものならすぐさま群がられる状況では、害悪でいられるわけもない」


「……すると、え、この流れで来ると……」


 耳に届く声援こそが、パットの疑問に回答している。

 この光景には、ハーレム村にあったような、薄っぺらい不自然さがない。

「現代の魔王とは、良き隣人であり縁起物だ。目に出来たならツイている。いいことがある。そう感じられる、貴重な心の支えなのだ。――何しろなあ」


 人の世に馴染もうとした魔王でさえ勇者は狩り出したから、と、マリーが呟いた。


「…………は?」


「私が知る限り、現代まで残った純血統の魔王はベラだけだ。召喚勇者には、どうやら彼らだけのルールのようなものがあって、“血の濃い魔王”を討伐するというのは、随分格好がつくらしい。仲間内で、威張れると」


「……今、その魔王が、あんなふうに、受け入れられてても?」


「曰く。『魔王を倒す為に呼ばれた勇者が、魔王を倒していけないか?』らしい」


 勇者との遭遇を、できるだけ避けていこうと試みていた、彼女の地図。


 刻まれた、夥しい書き込みの――そこにあった、本当の意味。

 楽しい旅をしたいという言葉は、彼女の、おちおち旅も出来なかった大魔王の孫の、嘘偽りのない願いだった。


「おかしいだろ、ベラのやつ。“わらわ”とか言っちゃって。あいつ、本当は全然あんな性格ではない。いつも怯えていて、自信を持てないビビり癖――野暮ったいローブを纏い、フードをかぶって隠れている、そっちのほうが本物だ」


 今は、それを脱いでいる。


 白昼堂々、服と言うのもはばかられるキワドい胸元露出ドレスを衆目に晒し、若い女性がさらわれにさらわれたトッカラケの男たちを潤している。


「魔王というより淫魔だが、あれは祖父の一番の側近だった四天王のサキュバスに、大きくなったら着てくださいと渡された装備なのだと。だから、要するにプロミステラに帰属した魔王としてもセンスが古くて――でも、それだからいいんだ、って。この旅に出ようと誘った時、あいつはあれを、衣装にすると決めていた」


「……お強い四天王にもらったもんで、その分性能も良かったから?」

「それもなくはないんだろう。ただ、二の次だな。あの恥ずかしがり屋で引っ込み思案が、自分の趣味と正反対な勝負服を選んだ理由は簡単だよ」


 大魔王の側近に貰った衣装、それはまだ、人間と魔王が争っていた頃の代物だ。


「前時代的、だからこそ。こんな服を着ている魔王は――プロミステラが外来勇者に脅かされていなかった頃を連想させる。『自分には、純血統の魔王として“象徴”をこなすギムがある』って、恥ずかしさに震えつつ、胸を張って言ったんだよ、ベラは」


 最初は、“ただの痴女か”としか思えなかった。

 けれど、今は、彼女の振る舞いの真意を知った。


 エロだけど、エロだけじゃなかった。


「プロデューサー殿が勇者タケトを評して“大魔王よりタチが悪い”と口を滑らせただろう? ベラにとってその手の台詞は何より禁句なのさ。案の定、ローブを脱ぎ散らかして『頭が高い! 控えおろう!』と例の口上を決めた。無茶をするものだ。あのローブは――勇者が持つ基本スキル《魔王感知》を遮断する特注品であるのにな!」


「ぶほっ!?」


 ミルクセーキを思い切り吹き出す。何をやってんだあの痴女は、と能天気に腕を組みがははと笑っている馬鹿を見上げるが、マリーが「ああ大丈夫だ」と補足する。


「安心しろ。テーブルに足をかけたあたりで、私の隠蔽魔法が間に合った」


「――こりゃ意外だ。あんた、そのナリからしてジョブは騎士系列に見えるんだが、そんな小器用な真似やれんのか?」


「ふっ、私を誰だと思っている。精霊女王の血を引く末裔の、特殊な魔力を用いる《魔法創造》はクッコロイヤルに伝わる無二の力さ」


「そりゃ羨ましいね、大賢者から“才能ナシ”の太鼓判を貰った凡人としては」


「そうでもないさ。三百年で血は薄くなり、生み出せるのはひとつきり。しかも、この隠蔽魔法は“冒険中に魔物に遭わなくする”魔法を雛型にしたものだが、“魔王クラスの存在を隠す”というのは流石に難儀で、一度使っただけで魔力が底をつく! 更には魔法取得リソースまで全消費し、これ以外どんな魔法も使えなくなった!」


「なにしてんの!?」


「当然、きちんと名付けている。魔術師ギルドにも届け出を出し、正式に登録した。その名も、《いないいない魔王》だ」


「それでいいの!?」


 二重の意味のツッコミが出た。スペシャルな力をもったいなく消費しながらまるで気にしたふうもなくほくそ笑むマリーに、パットはぽつりと質問する。


「それ、島の時は使わなかった気がするんだが」


「だって不要じゃないか。島の周囲は海だし、チーレムオーラの反応もなかったし。見たかこのかしこさ。姫騎士はな、そんじょそこらの騎士とはわけが違うのだ」


 ご満悦な姫騎士は、パットの苦い顔に気付かない。何しろそのかしこさ判断の結果、実は一匹の勇者が上陸寸前だったのだ。ははあさては剣技にステ振り過ぎて気の毒なことになったんだな、という自然な侮りが、しかし、次の瞬間に突かれる。


「パット」


「あ?」


「おまえ。私たちが、トッカラケをただ見過ごすのだと思ったな」


「…………あ。……その」


「君、隠し事が下手だな。すぐ行動に出たことといい、実直にも程がある」

 視線をそらしたパットに、近づいてきたマリーがむ、と鼻を寄せる。


「一体何をしてきたんだか。妙な匂いまでするぞ。蜜か果実のような――よほど果樹の多い森でも抜けたのか。勇者タケトの“巣”に向かうのに」


「…………悪い」


「違う。謝るのは、君に不信感を抱かせ、独断専行を招いてしまった私たちだ」


 自分のコップを傾け、マリーは、舞台で騒ぐベラを見つめる。


「君の推測も間違いじゃない。道中、勇者とは極力遭わないつもりでいたし、遭ったとしても通り過ぎると約束していた――の、だがな。やはり、彼女も我慢できなかった」


 即席の舞台上で、桃色髪が叫ぶ。あのような勇者なんぞに心まで負けるな、と尊大に大仰に言い放つ。


「あれがああしてローブを脱いで、ろくに実感もない“魔王”をやり始める時は、決まって“それが誰かに必要な時”だ」


 羞恥も不安もあるだろうに、少女でも魔王でもある彼女は、精一杯に叫び、飛び跳ね、全力で見る者を鼓舞している。


「我らの使命はおいそれと明かせるものでもない。しかし明日の出発前、皆に希望を伝えよう。今日、彼女がありったけの勇気を振り絞ってもたらした火種が絶えないように。今少しを耐え忍びさえすれば、恐怖と屈辱の日々は終わるのだと」


 戦いというのは、腹の立つ張本人を、脇目も振らずにブン殴ることだと思っていた。


 悲しみへ立ち向かうのに、こんな“やりかた”があることなど知らなかった。


 いつしかパットは、自分では取り戻すことのできなかった笑顔を、自分ではやりようもなかった方法で実現した、魔王の孫を見ていた。


「しばらくぶりの人里だ。宴で英気を養い、明日また出発しようではないか。聖地神殿ナシャユミヤまでの道程は、あと半分と少し。すなわち世界平和も目前さ」


 腰に携えた剣に手を当て、パットには計り知れぬ感慨でマリーが目を細める。


「世に生を享けてより、世界を救うべく磨いてきたこの剣が、我等の旅路に栄光という名の道を切り開く。護衛として雇っておいてなんだが――君にばかり見せ場はゆずらんぞ、少年」


「……いや」


 首を振り、それからパットは、どこか清々しさを纏いながら苦笑した。


「とっくに、情けなくやられちまったところだ。二重の意味で」


「そうか。安心しろ」


 肩を組みながら身を寄せて、上品な微笑と共に、マリーが耳元で囁く。


「弱音くらい吐けばいい。君とて守ろう、勇者志望。何故なら私は、姫騎士だからな」


 気品と自信の漲ったそんな声と表情に、なるほどこれが高貴な“たらし”の素質だと、女性と接した経験の少ない少年は内心でどぎまぎしながら目を逸らした。


              ■ ■ ■


 悲嘆続きのトッカラケは、この日、純正魔王の来訪で久方の歓喜をすごした。


 一時であれど栄光の翼亭にはかつての活気が取り戻されたかのようで、店先の看板も喜ぶように揺れ、終いには誰もが酔い潰れそこらじゅうで雑魚寝をしていた。


 ――そんな中。力を使い果たし、誰もが寝静まった、深い夜。


 のそり、とひとつの影が起き上がる。それは酒場の隅で丸くなって寝ているパットに近づき、後ろからそのうなじへ、ぴったりと鼻を寄せ、深呼吸を繰り返す。


 何度も何度も、胸いっぱいに吸いこむ。そのにおい、彼の襟首からほのかに香る

――甘い、心の芯まで蕩けるような、陶酔の残り香を。


「……はぁ…………ッ、」


 だらしのない、気品とは程遠い、恍惚としきった表情で口の端から涎が垂れる。


「いいよぉ、これぇ、もっとぉ、ほしいぃぃ…………」


 ふらり、ふらり、虚ろな足取りで、誰にも気付かれず酒場を出ていく。

 森へ歩いていくマリー・ラフラ・クッコロイヤルを、月だけが見下ろしていた。

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