その5


「姫隠しです」


 朝。姿の見えないマリーのことを尋ねたパットとベラに、栄光の翼亭のマスターは、悲痛な表情でそう答えた。


「間違いありません。姫隠しです。彼女は――行ってしまった。昨日、すぐ出発してもらうべきだった! 半日なら大丈夫だろうなんて、なんて楽観だったんだあッ!」


「すんません、深刻ムードに申し訳ないんですが専門用語から解説してもらっても?」


「――姫隠し。それは……」


「うおっちょぉ急にやめてぇ? 後ろから急に来るとビクッてするから、ナレーション風語り挟むなら一言断ってからにしようベラ?」


 色んな酔いが醒めたのか、頬を染めつつフードで顔を隠した魔王が語る。

《姫隠し》。それは、忽然と女性が姿を消し、勇者ハーレムに加わる現象を言うと。


「強力なハーレム勇者が傍にいる環境で発生する勇害です。原因不明予測不可能、昨日まで『心配しなくてもあんたを置いて別の男のとこにいったりしないよ』と言っていた恋人が即オチすることさえ珍しくない……それが、姫隠し!」


 昨晩、村の男性に口説かれるも『私は使命を遂げるまで、余分なことにうつつを抜かすなど断じてありえん!』とスルーした駄姫様は、サクッともっていかれたらしい。


「し、しかし、それにしてもおかしかねえか……そりゃ、女騎士ってのが誘惑系・羞恥系トラブルを招き寄せる、幸運にマイナス補正を食らう覚悟を持つ選ばれた者にしかなれない職業だってのは周知の事実だけどよ」


「初耳」


 禿頭Pの言葉に小声で驚きを示すパット。


「だとしても、こんなの早すぎる! チョロすぎる! 直接顔を見たわけでも言葉を交わしたわけでもねえってのに、進行速度がヤベえだろ!?」


 説得力ある言葉に頷く周囲に、ベラがついにこの時が来たかと唇を噛み、


「皆さんに、黙っていたことがあります。彼女の本名は、マリー・ラフラ……クッコロイヤル! あの、精霊女王の血を継ぐ者なのです!」


「ンなぁあぁぁああにいいいぃいいいっ!?」


 ざわめきが瞬く内に伝播し酒場を包んだ。


「そうか、だからか、チクショウ……っ!」

「精霊女王の末裔……通りで腰が抜けそうにイイ女だと……」

「そりゃあさらわれるよ……クッコロイヤルだもん……」


「え、え、なにこの納得感と一体感」


 急速に周囲に広まる理解に取り残されて戸惑うパットへ、ベラが補足する。


「すみませんパットくん、黙っていて。マリーは知っての通り、最初にして正当な異世界勇者召喚を行い、その際、膨大なチーレムオーラを浴びた者の子孫です」


「はあ」


「そのせいで、一族は世にも気の毒な体質に変化したのです。勇者の特質に、常人よりも遥かに過敏に反応してしまい、しかも、何故だかやたら“格好良くキメた直後に、数倍辱められる星の巡り”に生まれつく!」


 微妙な表情になるパット。何かの聞き間違いとか「なんちゃって! 信じましたパットくん!? プークスクス、純情ボーイをからかうのは楽しいです!」という流れを期待したのだが、ベラは真剣に痛ましさをこらえている顔で続ける。


「創造した世界に異物を紛れ込ませたことによる創造神ファンタズの怒りであるとも、彼女が招いた勇者に討たれた数多の魔王の無念によるものとも言われ――人は、彼女たちに降りかかる忌まわしき運命を《クッコロの呪い》と呼んでいるのですッ!」


 おそるべしクッコロ、気の毒なクッコロ。なんと不憫なその宿命。


 聞けば聞くほど、世界を救う旅の仲間といえども隠したかったのも頷けるし、勇者との接触を避けなければならないわけだ。高ポイントだと喜び勇んで狙われる魔王と、ホイホイチートの餌食になる姫騎士の取り合わせなど。 


「よ、よし。あの姫さんの正体が、実はチョロすぎ要被保護者だったのは理解した。で、まんまと自分から勇者ハーレムの仲間になりに行っちまったと。そんなら」


「――――駄目だ。それはいけない、お兄さん」


 パットの言おうとしたことを察し、肩を掴んだのはマスターだ。


「相手は《ハーレム目》で《気弱科》で、そのやるときはやる属だ。こういう組み合わせの種類は、温厚に見えるかもしれないが、自分の“巣”が攻撃されるとたちどころに逆上し、何をしでかすかわからない。……私の祖父がされたように」


 言いながら、マスターは胸のポケットから一枚の写真――魔法で瞬間の風景を保存し媒体に焼き付けたもの――を取り出した。


 写っているのは、見事な白髪を蓄えた、眼光鋭く逞しい老人だった。


 自分で仕留めたらしい巨大な熊の前で、物々しい猟銃を担いでいる。


「祖父は寡黙な銃手で、トッカラケいちの猟師で――両親を事故で亡くした私を引き取り、男手ひとつで育ててくれた、大切な家族でした」


 ベラが震える声で呟いた「まさか」に、マスターは苦々しく頷く。


「刻一刻と増える勇者タケトの被害者に耐えきれなくなった祖父は、無謀を承知で“巣”がこれ以上大きくなる前にと、奴が住み着いた小屋へと向かい――」


 その次に来る言葉、悲劇の予感に、パットは思わず唾を飲み「こうなりました」とマスターが出したもう一枚の写真を見た。


 ――勇者タケトと肩を組み、ほんのちょっと照れくさそうな、“馴れ馴れしくて鬱陶しいが心の奥では満更でもないとも感じている”というような顔をしている。


 そんな、背の低い、幼さには不釣り合いなクールな表情の、白い髪の、日に焼けた肌をした、ごつい銃を担いだ少女であった。


「『ハーレムを崩さんとするもの、またハーレムの一員とならん』――古く、眉唾な警句だとばかり思っていました。あの日までは。……まさか、自分の敬愛していた祖父が、勇者ハーレムを除去しに行って、その一員になって帰ってくるなんて……!」


「こんなのってある?」


 あるのだ。見返してみれば、やたら強い眼力、ムスッと結んだ口、頬の十字傷、携帯している猟銃――性別や年齢を別とすれば、あまりに特徴がかぶっている。


「ハーレムの五番目の餌食になっていたのが、町と奴の巣の間の森に棲んでいた魔女でした。彼女は不老不死を目指す一環で、若返りや性転換の術を学んでいて」


「あ、わかりました、イヤってほど。うん、おじいちゃんが美少女になっちゃうとかってよく考えたら不思議じゃないわ残念なことに!」


『儂一般性癖じゃよー』と脳裏に浮かぶ大賢者を、かぶりを振って追い出すパット。


「だから、強硬手段に出られなかった。勇者タケトが“巣”を離れている隙に、女性たちを救い出し……自分が不在の間にハーレムのメンバーが連れ去られたと知れたら、奴は町の男衆すらハーレムに加えかねないのですから!」


「「「「「そんなことになったら、トッカラケは本当におしまいだぁぁっ!」」」」」


 恐怖の叫びをあげつつポーズを決める、筋肉モリモリ、天使巫女プロデューサーズ。『あんたらに限ってはいっそ美少女にしてもらったほうが丸く収まるんじゃないか』という言葉をパットは飲み込む。


「お二人の心中、同じ勇者の被害者としてお察しします。ですが……無理を承知で、こう言わなければならない。こらえてください。クッコロイヤル様を取り戻しに行けば、貴方たちまで、勇者ハーレムに入れられてしまう。夢をなくし、己を忘れ、毎日のんびり時々刺激的なスローライフを送らされてしまいます……!」


 勇者の行いとは、自然の摂理、人の手が及ばぬ現象。

 そう認めねば、とても生きてはいかれぬのだと、集まった者たちが口々に嘆く。


「……楽しかった。昨日は本当に、思ってもみなかった一日でした。そのお返しがこの有様など、どうお詫びをしていいか。ですがせめて、これ以上被害を出させるわけにはいかない。必要なものは用意いたしますので、お二人だけでも急ぎトッカラケを」


「やだ」


 それは、道理などものともしない、涙目の拒絶だった。


「だめ。むり。ぜったい、やだ」


「ま、魔王さ」


「やだ――――――――――――っ!!!!」


 昨日。まがりなりにも、宴の中でも“魔王”の役をこなし続けていた、彼女が。

 大魔王ヴェラヴィアディスドルファ・世が――床に倒れて、駄々をこねだす。


「やだやだやだやだ、マリーを、置いていくなんて、だめ――――っ!」


 この場では唯一、パットだけが事情を知っている。


 自分たちがしているのはただの冒険ではなく、プロミステラを救う勇者送還の旅なのだ。その完遂には聖地神殿ナシャユミヤに施された大魔王の封印を解けるベラと、そこで儀式を行える王家の血を引くマリーのどちらが欠けてもいけない。


 かどわかされた姫騎士を諦めればそこでゲームオーバーで、何が何でもどうにかしなければならない――なんてことでは、断じてなかった。


「ま、ま、マリーは、わたしの――ライバル、なの! おじいちゃんが討伐されて、魔界に帰ることもできなくて、勇者ばっかりのプロミステラを逃げ回りながら、ずっと怖くて隠れて泣いてたわたしに、勇気と……目標だって、くれた子なんだッ!」


 厚いローブとフードで身を覆っても隠し切れない震えは、噛みつこうとしている相手から刻まれた、覆しがたき上下関係の怖れに他なるまい。


 それでも。大粒の涙をこぼし、歯を食いしばり、ベラは続ける。


「約束したんだもん! マリーは、もう一度、御先祖様みたいに、世界で誰より愛されてちやほやされるお姫様を目指してッ! わたしはっ! 意地が悪くて好き放題で大っ嫌いな勇者なんかみんなみんなやっつけて――わ、わ、わたしが胸を張って、堂々と過ごしてもいいようになるために、セカイをセーフクするんだってッ!」


 その口からは、“世界を救う為に”とか“彼女の力が必要だ”なんて、ひとかけらも出てこない。


 大魔王の孫は、世界の命運よりも譲れないわがままを、ひたすらに叫んでいる。


「わたしの、生まれてはじめての、大好きなともだちをッ! あんなやつにとられて、たまるもんかぁぁぁぁぁぁあああっっっっ!」


 幼き怒号と共に、魔力が膨れあがる。ローブにより気配は遮断されようと、かつて世界を追い詰めた大魔王の直系の力は、何も封じられてなどいない。


 現代、魔王は保護指定の絶滅危惧種となった。

 しかし、それはか弱く無害な愛玩動物という意味ではないのだ。


「う――う、う、うわぁぁあぁぁああああぁんッ!」


 魔王を縁起物と呼ばれるのは、魔王が決して暴れられない環境になったからである。不用意なことをしようものなら、どんなに強大な個体であろうと世界中の勇者に狙われてひとたまりもない。即座に事件は鎮圧され、めでたしめでたし、となるだろう。


 だが、だとしても、“起こる最初”は防げない。


 魔王の膨大な力が、感情のままに暴走・癇癪と共に爆発すればどうなるか。


 後に残るのは、それこそ勇者だけだ。かどわかされた被害者たちも、伝統と挑戦が喪失する危機に嘆いていた町も、訪れた甲斐があったと三人で笑った鳥料理の絶品レシピも消し飛んで――一人残った大魔王の孫は、一体何を考えながら、群がる勇者に討たれるのか。


「お、お、落ち着いてください、魔王さんッ!」


「ぉぶっ!? な、なんだこの壁ッ!?」


 感情の高ぶりで無意識に発生させたらしい力場に阻まれ、誰も近づけず訴える声も届かない。ハーレム勇者が来た時とは比較にならない絶望が伝播し、床下に逃げても

便所に隠れても無意味な破壊の魔力が高まって――


「……はあ。あのなあ、おいベラ」


 ――空気を読まない、呆れた声が割って入った。


「気持ちはわかるがちょい落ち着け。その、大事な姫さんまで巻き込む気かよ」


 皆が触れただけで弾かれた魔力の力場の中へ、彼は平然と進んでいった。


 辛いことを拒絶するように、フードを深く被り、身体を丸めて泣いていた魔王へ、顔を寄せて、目を合わせた。


「つうかさ、そういう態度取られると、一応傷つくんだぜ、こっちも」


 呆気に取られたベラの表情。パットはそれより呆れたように、自身の胸を叩く。


「姫さんも、おまえも。こういう、どうにもならないことをどうにかさせるために――知らないうちに目的をなくしてた大間抜けのポンコツを引っ張り出したんだろうが」


「……パッ、ト、くん」


「さ、もう一度言ってみろ。俺の仕事は何だ?」


「――――勇者を、思いっきりブン殴ること!」


「その通り。おまえの分まで、やってきてやる」


 ん、とパットが示した握り拳に――ベラが、こつん、と拳をぶつける。

 すると、ふっと力が抜けた。……暴走しかけた反動か、安心のせいか、ベラは意識を失い、すぅすぅと眠り始めてしまった。


「やれやれ。俺の仲間ときたら――どいつもこいつも危なっかしくて手のかかる」


「き、き、君は、一体、何者だね……?」


「あれ、言いませんでしたっけ。パットです。昔は、もうおとぎ話になっちまったホンモノの勇者なんかに憧れてたころも恥ずかしながらあったんですが――今は精々、腕っ節だけが売り物な、時代遅れの用心棒ってな具合でして」


 ベラを抱えあげ「こいつ、出る前に休ませときたいんですが、寝室とかってありますかね?」と聞く。マスターは二階の部屋を呆然と指し、それから我に返って尋ねる。


「で、出る前にって、もしかして」


「はい。ちょっくら、行ってこようかと」


 ギャラリーにどよめきが走り、何食わぬ平然とした顔で、吹き抜けで繋がる二階への階段を使わず、手すりを越えてジャンプした彼に視線が集まる。


 ――誰もが身に染みて、諦めと共に飲み込んでいた。


 勇者には、敵わない。逆らえない。前から来れば道を譲り、同意を求められれば頷き、欲しがられたならすべて差し出す。それが、当たり前な世界の常識だ。


 だというのに、時代遅れの用心棒を自称する少年はとことん異質だった。そのわけのわからなさが、魔王来訪ともまた違う昂揚で男たちを沸き立たせる。


「……おい、あんちゃんッ!」


 二階に向けて、禿頭のプロデューサーが叫んでいた。


「勝算は、どの程度だ」


「そうだな。一番でっかい問題は、どうやって傷付けないかってことだ」


「…………は?」


「いやな。勇者自体にはそりゃあもう別に問題なく勝てるんだが、あいつが操ってる被害者、女の人たちは別だろ。それが一番心配で、さっきから腹が痛い。間違って姫さんに怪我でもさせたら、こいつ、めっちゃヘコみそうだしなあ」


「……ばはははははははははははははッ!」


 禿頭Pが、爽快な笑いと共に自らの頭をペチペチ叩く。


「おい、あんちゃん! 魔王さんを寝かしたら、出る前にちっとウチへ寄れ!」


「え? なに、もしかして、スカウト?」


「それも悪くねえが、あいにく俺は天使巫女専門でよ! スカウトには負けるが、イイ話がある! 全国を巡ってきたプロデューサー兼スカウトの俺が、道中、嫌でも耳にした――外来種勇者大事典にも載ってねえ《ハーレム目》情報のプレゼントだ!」


「…………へえ。そりゃあ確かに、耳寄りで」


「普通は何があっても絶対やるなって伝わるヤツだ。それをしたらタダじゃすまないってタイプの警句だ。だがどうやら、あんたにゃそれが、何より必要なんだろう?」


 星の弾けるようなウィンクに、パットは勢いよく頷いて返す。


 ――それから、三十分後。


 出発を見送られていたパットは、“勇者の所業は諦めて受け入れるものだ”とうなだれていた三百年後の世界の人間たちから戦う理由を問われ、こんなふうに返答した。


「そりゃ戦うさ。相手が魔王だろうと勇者だろうと、気に食わなきゃあ挑戦するのが人間だし。第一、舐められたまま舐められっぱなしじゃあ癪に障るだろ!」

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