その6
成り立ちはともあれ、実情はどうあれ、傍目からは平和に見えていた場所。
面倒なしがらみや不本意な重圧から解き放たれた、一種の楽園。
そんなものはもう見当たらない。
「来ると思っていましたよ、パットさん」
窪地を降りた村の正面入口では、外敵に構える陣が組まれている。女性たちは農具の代わりに武具を持ち、張り巡らされた魔法陣が半透明の防壁を形成していた。
その列の中央に、平凡な、モテる理由のわからない男が、これ見よがしにいる。
「この人を、取り返しに来たんですよね?」
百の臣下=百の奴隷=百の愛人を統べる勇者タケトが背後から抱きしめるのは、わざわざ野外に持ち出した立派な椅子に座らされた、意識のないマリーだった。
「本当は、本人に追い返させるのが一番なんですが。家まで来た後、刺激を強く受け過ぎたのか、すっごい悲鳴をあげて気絶してからぜんぜん起きてくれなくって」
パットが一歩動いた瞬間、女性たちが勇者タケトとの間に割って入る。
その位置も陣形も、あからさまに攻撃を受けるため。相手が手を出してきた時、わざと深刻な被害を出すために違いなかった。
「ひとつ、謝りたいことがありまして。昨日会った時、本当はわかってたんですよ、この子がクッコロイヤルの血を引く姫だって。ほら、僕って勇者ですから。彼女の祖先が創った儀式で呼ばれたせいで、あそこまで近づけばぴんときちゃうんです!」
勇者タケトは、マリーの顎に指を這わせ、唇を無遠慮に揉む。
「滾りましたよ。クッコロイヤルの末裔は、この世界を結果的に滅茶苦茶にした異世界勇者召喚の責任を追及され没落して以降、消息が掴めなくなっていましたから。それがまさか、こうして無事に生き延びてくれていたなんて!」
そんな希少品、ハーレムに加えない手はないですよ、とタケトは笑う。
「そういうことで、パットさんを中継点に仕立てて釣らせてもらいました。近々“英雄ポイント”を申告し合う集会に出るんですが、おかげさまで注目の的になれそうです。いい自慢が出来るなあ、あのクッコロイヤルの末裔を手に入れたなんて!」
無邪気な喜びに感じ入る勇者タケトを見ながら、ふいにパットが口を開いた。
「なあ。おまえってさ。その子らのこと、どう思ってるわけ」
「は?」
「ポイントがどうとか、自慢になるとか。挙句、後ろに隠れて盾にして――チートの力だったとしても、自分に惚れてる相手を、どうしてそんなふうに利用できるんだ?」
勇者タケトは満面の笑みを浮かべ、そして言う。
「勿論、それが彼女らにとっての幸福だから。おかしいかい? 好きな人が喜んでくれるのって、とてもうれしいことじゃあないかなあ? ――ねえ、みんな?」
「「「「「うん、そうだよ、タケトくんっ!」」」」」
無表情の女たちから重なる愛の合唱を聞いて、パットは眉をひそめる。
「――もし。万が一、おまえがちゃんと姫さんに惚れてて。誠実に、正しい恋を始めようってんなら、話くらいはしようと思ってたんだがな」
「うん? 君、もしかして――今、僕に対して、恋愛の説教しようとしてない?」
「説教? いや、もっと初歩的で、当たり前な確認じゃん、これ」
「ウケる。なあ、おい。君、見たところ確実に童貞っぽいけど、ああ、だから知らないんだね! モテない奴の僻みほど、みっともなくて醜いものはないってコト!」
これまでで一番あからさまな挑発、頭に血を昇らせて判断力を奪おうとしているのは明白で、だから、逆に読めた。
万端だった迎撃準備、他者を手玉に取ることを快感とする男が、何を考えるか。
パットは、哄笑と共に指さされた瞬間、右斜め後方へ振り返って駆け出した。
「なっ!?」
勇者タケトにとって、予想外は二つだったに違いない。
ひとつは、狙いの看破。並べた手駒の威圧感に隠した伏兵を読まれたこと。もうひとつは、パットの身体が光を纏った瞬間、身体能力が不自然に向上したこと。
方向転換の旋回と同時、一発の銃弾がこめかみの真横を通り抜ける。耳の上の髪が千切れて舞うも、その足は止まらない。
「よっ、寄らせるな、狙い撃てッ! いいか、そこから撃ち続けろ!」
「――は。愛の言葉は達者でも、戦術の命令は最悪だな、ハーレム・チート」
パットは見下げ果てる。撃ち込まれた方向、目にした閃光、はっきりと位置の割れた狙撃手に継続を指示など愚策極まる。それは『先に当てられる』といった技術への信頼ですらなく、『戦力の浪費などどうでもいい』と思っているだけなのが救えない。
「勇者失格だろう。パーティ組んだ仲間の状態、気にもしないような奴はよ」
先日はまんまとやられたが、今日は、気の毒なほど条件が偏っている。相手の場所を互いに捕捉しており、何より、この場面に臨む心構えが完了している。
「一方的な長距離狙撃――なんてのは! こちとら長年イメトレしてんだよッ!」
パットが受けた大賢者によるガチ無理育成トレーニングメニューの中に燦然と輝いていた対遠距離戦闘――それは、大魔王四天王が一、《千里弓ロクトス》の射る“大陸横断狙撃”を打ち破ることを目標とした修行であった。
「空の果てから飛んで来る矢に比べたらッ! こんなん、ヌルすぎだっつぅのぉっ!」
予期せぬ不意打ちでなく覚悟を終えた想定内なら、いくらでもやりようがある。
射手にとって忌まわしき、照準を逸らす稲妻の軌道で駆けていく。連射の利かない狙撃銃から弾丸が放たれる間隔を把握し、互いの呼吸を合わせるように回避を続ける。草地を通過し、窪地の斜面を駆け上がり、そして、ついに、再び対面した。
木の上に潜んでいた、迷彩化粧の幼女と。
「よっ。先日はども、トッカラケいちの猟師さん。すげえな、殺気の消しっぷり」
パットの軽口に対する返答は、頭に突き付ける銃口と、相打ちであろうとここで獲物を仕留めるという、小さい身体にアンバランスな、熟練猟師の鋭い眼光だった。
「…………、ぁ」
それが思わず声を漏らしたのは、彼女の腹が大きく鳴ったからだ。
「なに、腹減ってんの。昨日とか、あそこの村で楽しく皆でメシ食ってたのに」
「――俺は、元々外敵だ。償いを終わらせん限り、村で寝泊りも食事もできん。ずっとこの森の中で警備を言いつけられている。別に不自由も不満もない。元々、一人で狩るのが仕事だった。俺は、あるじ――タケトに喜んでもらえばそれだけで」
「いいわけねえだろ」
少年は断言する。己の真実で、真正面から、狙撃手を撃ち抜く。
「冗談じゃねえ。そんな、辛そうな顔で何言ってんだ。あんたにだけ苦しいところ押し付けて、平気な顔で笑ってられるような奴のパーティなんて、抜けちまえ」
「――――ッ!」
銃声が響く。引鉄が引かれたのは、彼の言葉をこれ以上聞き続けるのは危険だと彼女こそが感じ取ったからだろう。植え付けられた愛情が、領地を守る為の反射を促した。
「―――――――――」
地面に落ちたのは、眉間を狙われた少年ではなく、少女の手から離れた狙撃銃だった。しかし、どちらもそれを取りに追いはしない。
彼女は――愛を捧げる勇者にもされたことのなかった熱い口づけを、少年と交わしていた。
「……ッ、……………ッ!?」
見開かれた眼が徐々に閉じ、腕が相手を引き剥がそうとするのを止めた。
重なっていた唇が離れ、とろけた瞳をした彼女に、パットが尋ねる。
「シェータ。勇者タケトを、どう思う?」
「…………百度、頭を撃ち抜いたとて足りん。小僧――気付かせてくれて、助かった」
そう言い残し気を失った彼女を抱え、先日村を見下ろしていた場所に立つ。
ほどなく絶叫が聴こえ、その反応に満足しながら、パットは悠然と村へ戻る。
再び対峙した勇者タケトからは余裕が失せ、わなわなと身体を震わせている。
「き、き、君、まさか、まさか、まさかまさかまさかまさかまさかおまえっ!」
攻守は逆転した。パットは完全に血が昇った相手に、渾身の下卑た笑顔とピースを放つ。
「はははははははは、ごちそうさんッ! おまえがあんまりもたもたぐだぐだしてるもんだからよ、こっちで頂いちゃいました、てへッ!」
「っあぁあぁああぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁあぁぁあっ!」
頭を掻き毟り、表情を憤怒に歪め、地団太を踏むハーレム勇者。
「ふっ、ざ、け、る、なぁぁぁあッ! 僕を、僕だけを愛したままなら、やられたってどうなったって構わない、散り際だって美しい! けどさぁッ! 心変わりしちゃ、そんなのは、それだけは――ハーレムに、略奪は御法度だろうがぁぁああッッッッ!」
これこそが、禿頭Pに託された情報――《
連中は決まって、自分のハーレムのメンバー一人一人を愛しきらないくせに、それが他人のものになることを絶対許さず、そして、意地でも取り戻そうとする!
「返せ返せ返せぇッ! そいつは、僕が手に入れたヒロインだぞぉぉぉぉおッ!」
盤石の防御、女性たちの囲いから前に出て、半狂乱になりながら懐に手を突っ込んだ勇者タケトが取り出したのは、桃色の液体が詰まった小さな瓶だった。
「戻ってこいッ! おまえは僕のなんだから、こっちにいなくちゃ駄目だろうッ!」
その瓶を、地面に叩きつけようと腕を振り上げ……手から離れた小瓶が地面に当たる寸前、電光石火で跳び込んだパットがかっさらう。
「狙い通り。こうすりゃおまえらは出すんだよな、《ハーレム目》のチートの元を!」
《ハーレム目》が行う魅了のタネ、その正体が、このちっぽけな瓶の中にある。
入っている液体は甘い果実の匂いがする香水だった。使用者から見て異性にあたる者は、これを魅了耐性値を越えて取り込むと、強力な誘惑の効果を受けてしまうのだ!
「つまり――こうしたら、どうだぁっ!?」
一度掴んだ香水の瓶を、今度はパットが、己を使用者として叩きつける。
瓶は砕け散り、周囲に桃色の霧がもうもうと広がる。
目を付けた一人二人に使うならば、ほんの一滴――耐性が極めて弱いものには、ハグの際うなじに密かにつけられていた程度の分量、森の中に散布していた空気中の香水が付着したものだけで十分な誘惑のチート・アイテムが、勇者タケトの創り上げたハーレムの女性たちを包んでいく。
霧が晴れた先、起こるのはそう、魅了を再使用された女性たちの一斉掌返し――
「――あはははははははははッ! や、や、やりやがった、この馬鹿がッ!」
だというのに、勇者タケトは激昂を強めるどころか、腹を抱えて大笑いした。
「都合のいい安直な考えだ! 思わなかったのかなあ、天下無敵の勇者チートに、そんなわかりやすい穴があるわけないって!」
過ぎたる魅了は、呪いに同じ。《ハーレム目》が生み出すアイテムも魔法業界の原則にならい、不正使用の対策が備わっているのだと勇者タケトは吠える。
「この香水、《愛染の秘薬》が他人に使われた時! それを使用した人物は異性でなかろうとも、本来の所有者に惚れ込む効果が小瓶のほうにかかっているのさ!」
まさに悪辣。報復と効率が一体となった、意趣返しの逆転を嘲笑う皮肉の呪詛。
「残念だねぇ、いいとこまでいったのに! せっかくほんのちょっぴり、ファンタジー世界のモブ風情がチート勇者を驚かせられたのに、自分のドジで御破算だ!」
目の前にいるものの、濃い霧に阻まれて見えない相手を勇者タケトは笑いのめす。
「じゃあパットくん、最初のお願いだ! この霧が晴れて見やすくなったら、女の子たちが全員しっかり軽蔑出来るくらい、みっともなく僕の靴を舐めてくれ!」
「オッケー」
「はへ?」
鼻先にまで来てようやく見えた、霧の中からの靴底を勇者タケトは避けられず無防備な鼻へと食らった。「ぶっ、ほ、へばぁっ!?」とみっともなく地面を転がる。
「はっはぁーナァーイスリアクションッ。成程成程そうやんのね、笑える靴の舐めかたって。おかげでわかったわ、ンなこと死んでもやりたくねえって!」
「な、な、何をしてるんだおまえぇええっ!? い、いやそれ以前に」
「どうして僕に惚れてない――なんて、愉快な台詞は吐いてくれるなよ、勇者様」
霧が晴れ、甘い残り香が漂うその中に、彼はいる。
「自分でわかんねえ? 本当は理解してんじゃない? おまえ、チートがなかったら、まるでぜんぜん、ちっともモテねえ性格だってことくらいよ!」
ずんずんと大股で、拳を鳴らしながら歩いてくる、間違っても魅了なんかされていない凶悪な笑みの外敵に、勇者タケトは鼻血を流して困惑する。
「そっちも、ちったぁ考えなかった? 狙撃手が、どうして洗脳を解かれたのか」
遅きに失する理解が勇者タケトの顔に浮かんだ。口から「あ」と漏れ出した。
「重要なのは効果時間。強く嗅がせれば暫く体内に留まり効果を及ぼすが、完全に薄れる前に改めて嗅がせなきゃいけない。つまり、それを除去することが出来れば《ハーレム目》の影響から逃れられる。たとえば……肺の中の気体を、口から直接吸引したり」
「あ、ああ、あ」
「俺、効かねえんだわ、そういうの。おまえらお得意のチートも、特に――“呪い”や“毒”の類には、三百年ほど濃い~のに付き合わされたもんで、扱い方もわかってる」
「――――――――だ」
「最後にひとつ、聞かせてくれよ。……何人も何人も何人も何人も、俺からしたら照れすぎて眩暈がしそうなくらい集めてたけど。結局おまえ、誰が本命だったわけ?」
「誰でもいい! 愛してやるから僕を守れ、僕のことが好きなんだろぉぉおッ!?」
縋りつく視線、パットの後ろに立つ女性たちへ、ハーレム勇者が叫んだ懇願は、
「「「「「「「「「地獄に落ちろ、浮気者♪」」」」」」」」」
全員からの、親指を真下に向けるジェスチャーで却下された。
「いやはや残念。つうわけで」
「こ、こんなの違う、ミスっただけだ、一個前の選択肢からやり直させろおぉぉっ!」
「抱える女を増やしたいなら! その前に、自分の器を広げやがれっ!」
地面に這いつくばりながらやり直しを叫んだ勇者タケトは、地を舐める軌跡のアッパーカットをくらい、天高く宙を舞った。
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