四・禍福は糾える縄の如し

 稲子は足早に野間屋へ戻った。

 玄関をくぐればすぐにソファがあり、そこにいた見弦矢が安穏に片手を上げる。今日は学生服でなく、さっぱりと浴衣姿。

「やぁ、稲子さん。おかえりなさい」

「芙美子は?」

 食い気味に訊く。

 稲子は焦りを浮かべていた。その様子に見弦矢の笑みが消える。

「いやぁ、さすがに旦那が連れ回してたら尾行できませんて。諜報員じゃあるまいし」

「旦那って、まさか多一郎さん?」

「えぇ」

 その答えに、稲子は見弦矢の頬に平手を食らわせた。急な暴力に対応できるわけがなく、彼はソファから崩れ落ちた。





 宝とは、恐らく源泉のことだ。臭わない露天風呂を思い出せば、段々と疑惑が浮いてくるもの。

 二人は息を切らしながら村の中を走り回った。細雪が鬱陶しく顔に張り付く。

「あんた、芙美子の追っかけでしょ? どうしてついて行かないの!」

 石畳を叩きながら稲子は、見弦矢に憤慨の声を浴びせた。

 だが、彼も負けじと声を張る。

「そんな、まさかあの旦那が芙美子さんを殺そうとしてるなんて夢にも思わないでしょう!」

うるさい、鈍感芋野郎! あぁ、もう。間に合えばいいけれど……!」

 芙美子は洞穴にいるはずだ。

 砂利に足を取られながらも二人は急ぐ。雪の中、目を凝らしていると、唐突に見弦矢が声を上げた。

「いた!」

 彼の指す方に、男と女が手を繋いでいる。否、女の方は嫌がるように腕を振っている。

 稲子は靴を脱いで思い切り振りかぶった。男にめがけ、投げつける。固い靴が見事、背にぶつかって男はくずおれた。

 見弦矢が呆気にとられるも、稲子は構うことなく裸足で芙美子の元へ駆け寄った。

「イネちゃん!」

 泣きながら胸に飛びつく芙美子を抱きしめ、地面に伏した男を足蹴にする。

 野間多一郎は苦痛に歪んだ顔で稲子を睨んだ。

「もう少しだったのに……!」

 そんな恨み言を投げられる。

「あんた、芙美子を生贄にするつもりだったね。無駄だよ。そんなの、ただの人殺しさ」

「違う! こうすれば花姫さまが宝を、湯を湧かしてくださるんだ。人殺しじゃあない!」

 この男は、心底信じている。花姫を。

 かつての非道を詫びもせず、彼らはいつしか美化されたものを信じ、敬うのだ。

「芙美子、芙美子、お前が花姫に選ばれたんだ。家を救ってくれ、芙美子、芙美子!」

 狂い叫ぶ男。だが、地に伏したままで動けない。投げた靴に金縛りの術を仕込んでおいたのだ。

 稲子は汚物でも見る目を向けた。

「……花姫にはさせないよ。そんなもの、アタシが消し去ってやるもの」

 右目を隠し、怪異の目を開かせる。

 前方でが手招きするようにこちらを見ていた。井戸のように空いた穴の上にいる。

「この因縁、断ち切りましょう――」

 左手を伸ばす。

 すると、彼女の指先から櫻の幹のようなものがしゅるりと放たれた。

 幹が白無垢を切り裂く。音もなく静かに砕け散った。細雪と混ざり、やがては空気に溶けていく。




 ***


 野間屋の湯は、枯れかけだった。だが、戦前から続いた宿屋を潰すわけにいかない。

 そこで持ち上がったのが、かの伝承――いつしか捻れた話は、花嫁を穴へ落とせば花姫さまからの富を得られるというものだった。

 多一郎はわざわざ遠い地で生贄にする女を探し当て、結婚までこぎつけた。しかし、芙美子が毎夜に変なものを視始めたせいで呪術師が来てしまった。焦った多一郎は急遽、芙美子を穴へ落とそうと目論む。これが解だ。

 伝承は時の流れによって美化される。

 あの白無垢は富など授けない。ただ、しぶとく思念を残し、果たせなかった幸せを妬み、人を惑わしているだけ。

 あの穴にどれだけの女が落とされたのだろう。

 新時代に向かって歩みを進める時世に、古くから根強く残る伝承が未だに蔓延っている。地がる限り、人が在る限り、それは残り続けるのだろう。

 ならば、因縁を断ち切らねばならない。なんとしても。

「……まったく、とんだ詐欺師だよ、あの男は。やっぱり恋だの愛だのはくだらないねぇ」

 師匠の言った通りだった、と稲子は腕を組んだ。

 帰りの汽車を待つ間、慰めようにも芙美子は目を伏せたままで、ショックから立ち直れない。見送りに来た見弦矢も浮かない顔つきだった。

「もう会えなくなっちゃうんですね、寂しいなぁ」

 芙美子は稲子が連れて帰ることになった。野間屋に置いておくわけにいかない。

「あんたも帰ればいいじゃない」

 稲子は煩わしげに言い、巾着からタバコを出した。火を点け、煙を蒸す。

「うーん……気が向いたら」

「何よソレ」

 あれだけ芙美子に執心だったくせに。渋るワケが分からない。

「帰ったら会いに行きますよ」

「そうしなよ。今度は芙美子もあんたに振り向くだろうから」

「いえいえ、あなたにですよ、稲子さん」

「は?」

 思わずタバコを落とす。慌てて火を踏みつけ、稲子は見弦矢を睨んだ。対し、彼は飄々としている。

「惚れっぽいって言ったじゃないですか。気の強い女性も素敵だなぁって思えて。ね。今度はきちんとナンパしますから」

 何を言っているのだろうか、この男は。

 稲子はもみ消した灰を彼に向けて思い切り蹴飛ばした。

「この浮気者! 馬鹿!」

「あはは、天下無敵の呪術師も色恋には弱いんですねぇ」

 まったく口の減らない男である。優しさに裏があるのは今回でよく分かったものだが、こちらもとんだ狐だった。

「いつか呪い殺す……覚悟しなさいよ、坊や!」

「坊やって。実は僕、あなた方よりも一つ年上ですよ」

 稲子の灰を軽々避ける見弦矢はニンマリと笑う。そして、飛ぶように駅の外へ出ていった。

「またお会いしましょうね、稲子さん」

「誰が……! あぁ、もう」

 調子が狂う。頬が熱い。冬の寒空に綿息がのぼっていく。

 汽笛が鳴った。

 稲子は改札を睨み、そわそわと落ち着きなく汽車に乗り込んだ。




 二人がやはり再会してしまうのは、また別のお話で――




《寒風の章、了》

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昭和呪術師 神林稲子の霊媒旅行記〜花姫伝説の巻〜 小谷杏子 @kyoko

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