灯(あかり) 4
まさかと思いながら、俺は玄関を開けた。
そこに立っていたのは、俺の予想とは違ったが本当に意外な人だった。
「どうしたんすか?」
にこにこ笑顔のお客に俺は来た理由を聞いてしまった。
「兄さんに招待されたんだよ」
コテージに訪ねてきたのは、写真部顧問の森本先生だった。
「あ、どうぞ先生あがってください」
奥からゆき兄も声を先生に掛けた。
「じゃあ佐藤、お邪魔するよ」
まさかの担任の登場で緊張感が俺の中で産まれた。
一体なんで?何かやらかしたっけ?
取り敢えず俺も一緒にリビングに入り考える。
やらかしたような、やらかしてないような…
ちらちらと写真部の女子の顔が浮かぶ。
まさかあれくらいで…
「何を緊張してんだよ」
ゆき兄が俺の顔をみて笑う。
「実は先生な先日、《豚々亭へようこそ》って舞台を見に行ってえらく感動してな。その脚本を書いた人とお兄さんが同姓同名だったもんでさっき聞いたら本人って言うじゃないか。それで無理言って今日、この席を設けてもらったって訳だよ」
なんか森本先生、えらく興奮してる。
「ありがとございます。そこまで言って頂けると私も嬉しいですよ」
「ぜひ今日は、芸術について深いお話をさせて頂ければと」
そういって森本先生はテーブルの上に「ドンッ」と一升瓶を置いた。
ふわふわって書かれた日本酒のようだった。
「これは地酒ですか」兄貴が手に取り、ラベルを眺める。
「小豆島の唯一の酒蔵の地酒ですよ。辛口ですがお口に合えばいいんですけど」
「辛口は好きですよ」
先生と兄貴は湯呑を盃代わりにして互いにお酌した。
「では乾杯といきますか」
森本先生の音頭で男二人のサシ飲みが始まった。
「佐藤さん、そもそも芸術論とは……」
「森本先生、それは少し違うと思いますね。芸術とは真似や模倣から…」
「プラトンが正しいかアリストテレスが正しいのか…」
聞いてるだけで頭が痛くなりそうな話を二人は延々と続けていた。
なんか俺の居場所がない。
「なあ幸太」
いきなりゆき兄が俺に話掛けてきた。俺に聞かれても話についていけないんだけど。
「幸太も一緒に呑むか?」
目の周りが少し赤くなっているゆき兄。先生の前でいきなり何を言い出すんだ?
「無理やろ、無理。何言ってんのよ」
「お兄さん、私は一応教育者なので目前でそのような行為をされると困ります」
至極真っ当な事を森本先生が言う。
ゆき兄が先生の方にぐっと体を乗り出して呟いた。
「実はね《豚々亭にようこそ》には拾い上げていない伏線がありましてね」
「本当ですか、それ!」
「いや~これ以上酔ってしまうと話してしまいそうですよ…」
「うむむ。佐藤、俺は今日は教師を休む。無礼講でいいぞ!」
「さすが先生、話がわかる。あ、森本さんと呼ぶ方がいいですよね」
ゆき兄、森本の買収に成功したようだ。
俺の湯呑に兄貴が酌をしてくれる。
「お前とこうやって呑むのが夢だったんだ」
そういって本当にゆき兄は嬉しそうに微笑んだ。
「そんなの後2年すれば、いつでも呑めるやん」
少し照れた俺はぶっきらぼうに答える。
「まあ、そうなんだけどさ。まあいいやん。森本さん、実はこの夏で俺と弟が一緒に暮らしだして10年なんですよ。その記念ってことで」
「じゃあまた乾杯しますか」
「では、乾杯!」
今度はゆき兄の音頭で三人が湯呑を掲げた。
ゆき兄が湯呑を俺の湯呑に当ててくる。
「10年間ありがとう」
ゆき兄がそれを言うのが不思議な感じがした。
「ちゃうやん、ありがとうは俺の方やで?」
「あはは、細かいことはいいの。まあ呑め呑め」
急かされて、俺は日本酒に口を初めてつける。少し喉が焼ける感じがした。
でも……うまい!
「これ、うまいんだけど!」
「先生のお気に入りだからな。小豆島に来る度に買って帰るんよ」
俺の空いた湯呑に今度は先生が酌してくれた。
お返しに俺もゆき兄と先生に酌をする。
気がつくと、森本先生に対する苦手意識は無くなっていた。
数学の先生のくせに芸術が好きとか面白すぎる。
3人で色々話してるうちにあっという間に夜は更けて行く。
「あ、そうだ!そろそろ用意せんと」
俺はこの旅行のもう一つの目的を思い出した。
酒の席が楽しくて、忘れそうになっていたけど。
「ああ、今から行くのか?」
「うん、今から行く。リベンジせんとあかん!」
「どういうこと?」
先生が聞いてくる。
「釣りっすよ、釣り。前回と前々回が坊主だったんすよ。今回こそは!」
「釣れてるの見たこと無いんですけどね」
ゆき兄が突っ込んでくる。
「酔ってないか?あまり無理はすんなよ」
明らかに酔っている先生が心配して聞いてきた。
俺は立ち上がって酔ってないアピールを二人にする。
「海にもし落ちたら電話してこい。迎えに行くから」
無茶な事をゆき兄は言ってくる。でもまあちょっぴりテンションが高いかもだけどふらつくような感じはない。俺、酒に強いのかも!
身支度を整えると、釣り道具が入ったバックを背負う。
「あ、幸太。もし釣果0で戻ったら朝飯なしな。もう食材がない」
「任せとけ!朝から刺し身食べ放題になるわ!」
俺は高らかに宣言し、海へと向かった。
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