灯《あかり》

「もう無理…」


燦々と輝く太陽の光が空から降り注いでいる中を頭からタオルを掛けて柏本夏向かしもと かなたは自転車を走らせていた。


宿泊する合宿所にあったレンタルの電動アシスト自転車。それがあれば楽勝だと思い出だしこそみんなに手を振り颯爽と走り出したが、5分も経たずに汗が吹き出し疲労感に襲われていた。


強い日差しとそれを照り返すアスファルトの上には陽炎が立ち上っている。


路面温度は40度を遥かに超えていた。




「うちもみんなと一緒に行けばよかったかも」


上り坂の辛さに、精神力があまり強い方ではない夏向はもう心が折れそうになっていた。


背中には汗で着ていたピンクのTシャツが張り付いていた。スキニーデニムも肌に張り付きて、熱を籠もらせている。


ショートパンツにすればよかった。飲み物持ってくればよかった。帽子かぶればよかった。


何から何まで夏向は後悔していた。




写真部の1年2年は全員、顧問の引率で寒霞渓に向かっていた。


紅葉で有名な寒霞渓。空と海と渓谷が一望でき、撮影ポイントも多い。ロープーウェイで登り、撮影しながら徒歩で下りるらしい。




夏向は二十四の瞳分教場、映画村に向かっていた。

小豆島では有名な観光地で例年、家族連れが多く訪れる。


そういう場所なら子供も多いはず。今回の合宿での夏向の狙いは人物撮影。出来れば多くの子供の自然な笑顔に焦点フォーカスして撮影するつもりだった。




だけど…


どこまで続く坂道が夏向の目的を邪魔する壁となっていた。


また宿舎を出て3キロも走っていないかもしれない。


「もぉー…!」


半分ヤケになり、立ち上がって自転車を走らせてスピードを上げた。少しでも早く坂道を乗り越える作戦だった。きっといつかは坂道が下りになるはず。


やがてオリーブ公園の案内の道路標識が見えてきた。


「よかった。少し休もう……」


陽炎のように夏向自身もふらふらゆらゆら揺れながらはオリーブ公園に入っていった。






「生き返ったぁ」


様子伺いしてきた今野美里こんの みさとのLINEに、頬に缶ジュースを押し当てた写真を添付して夏向は返事を送る。すぐに既読が付いて返事が返ってきた。向こうはお茶のペットボトルだけの写真で死にそうと書いてあった。LINEのやりとりをしているうちに、夏向は体力が回復していた。


自販機に大好きなりんご系の缶ジュースが有ったのも元気が回復した要因の一つだった。


他の部員達は順調に撮影を開始しているようだった。美里も、もうすぐ撮影ポイントに到着する。


大北祐治おおきた ゆうじはいつも通りに消息不明になっていた。何をしているのか掴めない人だった。それでもキチンといつも作品を仕上げてくる。


みんなに負けてらんない。気を引き締め、夏向は居心地の良かった日陰のベンチから立ち上がった。


トイレを済ませて、手洗い場で顔を洗う。ほとんどすっぴん状態なので、気にせずに肩に掛けていたタオルが顔を拭いた。鏡を見ながら髪を結んでいるピンクのシュシュを整える。顔を左右に振って確認する。


「うん、大丈夫!」


準備が出来た夏向は再び自転車にまたがり、出発した。




オリーブ公園を出るとすぐに道は緩やかな下り坂へとなっていった。


右側に海を見ながら夏向は自転車を走らせていた。常に道の向こうに逃げ水が現れ、それを追いかけるように進んでいた。


スピードも自然と上がりだし、向かい風で前髪が持ち上がる。右手で前髪を押さえながら左手でブレーキを掛けながら走っていた。


でも長い下りってことは帰りは上りになる…当たり前の事に気づく。


まあいいか、後のことは後で考えよう。


すっかり前向きな気分になった夏向は口元に笑顔を浮かべ、坂道を下り続けていた。




坂道を下り終わると、今度は平坦な道が続いていた。背中から押される感覚で電動アシスト自転車を軽やかに漕ぎ続けていると「オリーブビーチ」の看板が見えた。そこから500メートルほど進むと海水浴場が有った。水着で道路を歩いている人が何人もいた。


自転車を止めて道路側から浜辺を覗き込む。思ったより海水浴を楽しんでいる人達がいた。


海も砂浜も結構綺麗な感じで海の家もあった。美味しそうな匂いもしていた。


そして何よりも、子供達の大きな笑い声も聞こえる。


ここでも撮影していこう。そう考えた夏向は、自転車の前カゴに入れていたカメラポーチから一眼レフを取り出す。


砂浜に降りようとして、一旦止まり夏向は思案する。そして靴を脱ぎ裸足になってから砂浜へと降りた。




写真部のルールとして、人物を撮影する場合は必ず声掛けをしてから撮影をする。


肖像権や撮影時のトラブルを避けるための写真部のルールだ。


どの家族連れも声を掛けると快諾してくれる。これは夏向が見た目にも大人しく、そして高校生という面が大きい。


はやり若い女性は警戒心を持たれにくい。

同じ年の男子部員の大北祐治はよく声掛けに失敗していた。その為、彼は風景を撮ることが増えていた。




砂浜が熱いため、波打ち際でデニムの裾を濡らし、時々波を蹴り上げながら夏向は移動していた。


沖の方に彼女は目をやる。そこに沖に筏が浮かんでいる事に気づいた。

筏の上には誰か居るようだった。


カメラのファインダーを覗き込み、焦点を合わせた。


知ってる顔がそこにはあった。ファインダーから目を外し、瞳を凝らして確認する。


「えっ…佐藤君だ…」


夏向の胸の鼓動が高鳴る。もう一度ファインダーを覗き込む。


幸太は筏の中央付近で成人男性と対峙していた。おそらくはフェリーで言っていたお兄さんだろう。


幸太の方が背は高かった。


学校ではあまり感情を顔に出している事が少ない佐藤幸太が見せる自然な笑顔に、夏向は無意識にシャッターを押し続けていた。


お兄さんの前だとあんなにも笑顔なんだ。学校では見れない姿を知って夏向は嬉しくなっていた。




向かい合っている二人の距離が縮まった次の瞬間に幸太は持ち上げられて、勢いよく海へ投げられていた。すぐに筏に登ってきた幸太は無邪気な笑顔をしていた。そしてまた海へ落とされていた。お兄さんだろうか、優しい笑顔を浮かべて上がってくる幸太を待っていた。


「楽しそう…いいなぁ…海、気持ちよさそう」


写真を撮りながら夏向は自分も筏に行きたくなっていた。


楽しそうに戯れている、彼らの中に入ってみたかった。


「もし、うちが筏に現れたら佐藤君驚くかな?」


再び夏向はカメラを構えた。と同時だった。

「ドボンッ!」

ファインダー越しに幸太の兄が海に飛び込み、こちらに向かって泳ぎ出すのが見えた。

続きて幸太も助走を着けて勢いよく飛び込んだ。。


二人とも、けっこうなスピードで真っ直ぐに夏向のいる浜辺へと向かっていた。


「こっちに来そう。どうしよう、どうしよう…」


慌てて右往左往する夏向だった。






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