灯(あかり)  2

頬を少しピンクに染めて、夏向かなたは自転車を走らせていた。


日焼けに近い火照りで顔が熱い。


胸の高鳴りもまだまだ治まりそうになかった。


結局夏向は、幸太が浜辺に泳ぎ着く直前にビーチを離れた。


幸太が自分のいる方に泳いでくるに連れて、緊張が高まりすぎて思わず海に背を向け駆け出した夏向だった。


「だって、なんて声掛けたらいいか全然思い浮かばなかったけん…」


自分で自分に言い訳する。


緊張しすぎて、頭が真っ白になってしまった夏向だった。




何も考えれなくなっていた夏向は、向かう予定にしていた映画村とは逆方向に走り出していた。


さっき通ってきた道をそのまま引き返してしまっていた。


そしてその事に夏向が気づいた時、すでに道は緩やかな上り坂になっていた。



強い日差しで駆け上がった水蒸気達が集まり、大きな入道雲となって遠くの海の上に存在感を示していた。


歩道にあった自販機越しにそれを見つけて、夏向は写真に収めた。

カメラを下ろすと大きく一つため息をつき、夏向は思案した。


「どれだけ、うちは慌ててたんよ…」

さてどうしよう。


このまま戻るか、それともまた引き返すか…


スマホで時間を確認する。午後3時を少し過ぎている。


今から映画村に向かうにしても、あまり時間がないかもしれない。小さな子ども連れの家族は引き上げるのも早い。思うように写真を撮れないかもしれない。


それに……もし向かうとしたらまたビーチの前を通ることになる。そこでばったりと幸太と出会いでもしたら…間違いなく挙動不審になってしまう。声を掛けずに写真を撮ったことにも、彼に対して引け目を感じていた。




それならこのまま宿舎に戻って今撮ってきた、写真のデータを整理しておくほうがいいかも。いつも取り合いになる、編集用のノートパソコンもすぐに使えるはず。

映画村は明日にしよう!


「うん、結果オーライになりそう」


夏向は再び自転車に乗ると、来た時と同様に少しふらふらしながら緩やかな坂道を上って行った。






道の駅が併設されている総合レジャー施設の敷地内にある合宿所に戻った夏向は、部屋の冷房を設定温度を20度まで下げて風量を全開にして部屋から出た。


ビーチからの往復で汗まみれになった為にシャワーだけ浴びようと、着替えを袋に入れ浴室に向かった。時間が惜しいが汗臭いはやっぱり気になる。





「島の宿美人の湯」と入り口で案内してあった。どうも温泉のようだ。


暖簾をくぐって更衣室に誰も他にいないことを確認すると、大胆にテキパキと服を脱いで浴室に入る。


「やった!一番風呂だ!」


貸し切り状態の湯船は広々としていて、ゆったりと浸かれそうだった。


風呂好きな夏向には堪らない。


三面にそれぞれ大きなガラス窓があり、外には瀬戸内の穏やかな景色が広がっていた。


シャワーを頭から掛けて、全身の汗を流してから夏向は温泉に肩まで浸かる。


そして外の景色を眺めていた。


「夕焼け、ここからだと綺麗に見えそう…このまま夕方まで待とうかな」


夕暮れ時は写真を撮る者にとって「マジックアワー」と呼ばれる時間だった。


大気の乱反射が及ぼす光の作用が、作品に与える影響がいい具合に出ることが多い。


夕のあかりの魔法


その言葉を夏向は思い出していた。




少し温めの温泉は長湯に適していた。


「でもあまり長湯すると湯あたりするけんな、どうしよう…」


夕焼け100選にも選ばれているここからの夕景は、この宿泊施設のウリにもなっていた。


カメラ持ち込んでも大丈夫かな?もう彼女は撮影者モードに入ろうとしていた。




「あ!駄目だった!」


この後の作業の事をようやく夏向は思い出した。


当初の目的を忘れそうになっていた彼女だった。




後ろ髪を引かれる思いで何度も振り返り景色を見ながら温泉から出る。


そして体を拭き、持ってきた服に着替える。脱衣室からでた夏向はスリッパをパタパタと音を立てながら廊下を走っては部屋へと戻っていった。




冷房を全開にしていたおかげで部屋は快適な温度になっている。


髪がまだ濡れているため肩にタオルを掛けたままで夏向はノートパソコンの前に座っていた。


一眼レフからSDカードを取り出し、アダプターに組み込みパソコンに接続する。


自動でパソコンはSDカードからデータを読み込みだす。データ量がいつもより少なめの為1分ほどで送信は完了した。


編集ソフトを立ち上げるとサムネイル画像が表示された。


一番最初に撮った画像をクリックする。画像がモニターに大きく表示される。


夏向は一枚ずつ撮った写真を確認していった。アップになった男の子の顔。すました顔の女の子。


いきなりカメラを向けたため、緊張した顔の姉妹。声を掛け少し話した後に撮った写真は慣れてくれたのか破顔してくれている。その笑顔を見て夏向の表情も緩む。


気に入った写真をUSBメモリーにバックアップの為に送る。


一枚一枚、この作業を繰り返さなければならない。


撮影も多い時には1000枚近くになることもあり、非常に時間がかかる作業になる。


そして自分で自信作を選択しそれを顧問に見せてOKを出してもらってようやく作品になる。




幸太達が通っている高校の写真部は全国的にも有名で、全国大会の常連校だった。


そのため、部員達も求められるレベルは高く顧問の森本から厳しいダメ出しをされることは日常茶飯事だった。厳しさのあまり反発する部員もいるが、その御蔭で鍛えられた部員達のセンスは他の高校からは一目置かれていた。




100枚近くの写真をUSBメモリーに送ったところで夏向の手が止まった。


モニターには、海に浮かぶ筏の上で対峙する青年二人が映し出されていた。


幸太とゆき兄だった。夏の強い日差しが逆光になり、筏やその上で向き合う二人はシルエットになっていた。


対照的に青い海は太陽の煌めきを反射し白波が輝いていた。


「すごく綺麗…」


自分で撮った写真に彼女は見とれていた。


高校に入り、部活をどうしようかと悩んでいた頃に一番最初に友達になった今野美里こんの みさとに誘われて入部した夏向。


全くの素人から始めた為に辛いことも多く何度も退部を考えたこともあった。


彼女が辞めずにここまでこれた理由はこれだった。時々見れる最高の一枚だった。


決して狙っては撮れない、偶然の一瞬。




「これがあるから写真を撮ることが好きになったんよね」


左手で机に頬杖をつき左に少し顔を傾けて夏向はモニターを見つめていた。


マウスを動かし撮った続きを確認する。


「佐藤君、どれもいい笑顔してる。笑うとけっこう子供っぽくみえる」


大人っぽく見えるけどやっぱり同級生なんだ。変な安心感が夏向の中に生まれる。




「あ、夏向帰ってるやん。部屋めっちゃ涼しい」


急に背後で声が聞こえ、夏向の心臓は止まりそうになった。


夢中になりすぎて、美里が戻ったことに全く気づいていなかった。


慌ててノートパソコンを閉じる。


「か、か、帰ってたの?」


「何をそんなに慌てていよんよ…」


「な、なんでもないけん!編集に集中しすぎて帰ってきたん気づかんくてびっくりしただけ」


美里は部屋の奥に荷物を置いて夏向の前に座る


「どんなの撮れたの?ちょっと見せて」


美里がノートパソコンを奪おうとする。慌てて奪い返す。


「ダメダメ!今は…そのまだ編集終わってないけん。あとで見せる!」


「えー、気になるんだけど!ていうか、夏向風呂入った?」


夏向の髪が濡れていることに美里は気づいた。


「戻ってすぐに入ってきた。一番風呂やったけん」


「え。ずるいし!せっかく一緒に入って久しぶりに隠れ巨乳を拝もうと思ってたのにさ」


「何を言いよんよ…」


夏向の顔が赤くなる。美里とはお互いの家に何度も泊まりに行ったことがある。その時一緒にお風呂もしたことがあった。だからこそ美里からそういう事を言われてると本当に恥ずかしい。


「あほな事言わんで、美里もお風呂行ってきたら?けっこういいお風呂やけん」


「そうね、汗やばいくらいに今日は掻いたし。行ってくるね」


美里は立ち上がると自分のキャリーバックから着替えを取り出しバスタオルに包む。


「じゃあ行ってくるね。戻ったら写真見せてよ!」


話が反れたと思っていたが、しっかりと覚えていた美里だった。


「はいはい。行ってらしゃい」


廊下まで夏向は美里を見送る。と入れ替わりで部員たちが次々と廊下に見えた。


寒霞渓に行ってたグループが帰ってきたようだった。ということは顧問も…


部屋に戻るとSDカードとUSBメモリーをノートパソコンから取り外した。


夏向の自由な時間は終わりを告げた。


「お疲れ様です!」


後輩の女子部員達が次々と戻ってきた。


一気に部屋の中が賑やかになる。


「柏本先輩、今日撮った写真一緒に見てもらっていいですか?」


「あ、私も次お願いします!」


頭の中を切り替える。先輩として後輩の指導を頑張らないと。




いつの間にか美里も戻って後輩指導にあたっていた。


「おい、そろそろ夕飯の時間だぞ」


顧問の森本が部屋の外から声をかけてきた。


時計を見ると、いつの間にか時間はかなり過ぎていた。


「ああ、お腹空いた~」


美里のその声でみんなが立ち上がる。


今日の夕飯は外で自炊する。定番のカレーだった。


それぞれの役割は事前に決めてあった。夏向と美里は炊飯担当だった。


合宿所の玄関ではもう男子部員達が全員揃って女子を待っていた。


顧問が点呼確認し全員揃った事を確認する。


「よし行こうか」


顧問を先頭に写真部員達はカルガモの親子のようにぞろぞろと、連立って賑やかに歩きだす。


夏向も美里と並んで歩く。


「夏向、LINEの既読全然付かなかったけど携帯放置してた?」


「うそ、そういえばうち見てなかったかも」


と話したところで夏向はスマホを部屋に忘れた事に気づいた。


「あ、うちスマホ部屋に忘れてきた」


さっきまで放置していたのに、忘れたことに気づくと途端に不安になる夏向だった。


「どんくさいなぁ。取っておいでよ。バーベキュー場だから一人でも迷子にならんでしょ?」


ふと昼間に走る方向を間違えた事を夏向は思い出す。


「そこまで方向音痴じゃないし…じゃあちょっと取ってくるけん、先に行っといて」


そう言うと夏向は宿舎へと走っていった。






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