8歳11月 おいらはスターの父親?
晩秋、11月ってのは世間的にはそんな時期かもしれないけど、この牧場ではもう冬ってぐらい寒くて雪もちらつき始めている。でも競馬の世界だけは、熱くなっている。そんなアンバランスな状況で、おいらにとんでもないパンチが飛んで来た。
「おおおおおお!!」
「うるさいなあ」
「ごめんなさい、でもうるさくもなりますよ、許してください~」
「何があったの」
「スターヴァンガード君が勝ったんですよ、マイルチャンピオンシップってGⅠを」
マイルチャンピオンシップ――――GⅠレース?それをおいらの息子であるらしいスターヴァンガードって馬が取った?意味が全く分からない。
「山崎オーナーに続いた!スターヴァンガード、わずか6頭からの大逆転でGⅠ制覇!」
山崎嘉智って人が所属していたチームが、今年日本一になったらしい。何十何年ぶりかの栄光、万年Bクラス時代からの復活。今や、スターヴァンガードはそのオーナーと相まって、日本中が注目する存在になっているらしい。そのマイルチャンピオンシップとやらも、1番人気に応えた形だったそうだ。
他人事なんですかと言われても、まったく他人事だ。あんなに恐ろしい形相をした存在がおいらの息子だなんて言われてもはいそうですかなんて言える物かい。 オーナーさんは笑顔でメロンパンを食べながら近づいて来たけど、その笑顔も今のおいらの心には響かなかった。
「もう次がないとしても、スターヴァンガード君の活躍だけであなたの名前は永遠に残りますよ」
「そうなの」
「GⅠサイアーだなんて、なりたくもなれる物じゃありませんから。テンカノエイケツさんだってなってないんですよ。GⅠレースが1年にいくつあるかご存知ですか、中央平地という事で言えば、23個ですよ23個」
――――23個らしい。その23分の1を、おいらの息子が占拠してしまったという事なのか。それでシンエンノサキニさんはすでに6つも取っているらしい、ああ恐ろしい!
「ですから、威張るべきなんです。あなたは威張る資格があります!」
「威張れ……かぁ。どうやって威張れって言うんだろう?おいらの息子はGⅠを勝ったんだぞって言えばいい訳?」
「まったく似合わないのはわかっていますけど、僕はわがままですからGⅠサイアーなんて言うなれるかわからない物になった馬にはもっとそれらしくして欲しいんです」
「キミだっていずれはさあ」
「あなたは父さんの子どもと戦ってGⅠを取った。僕はそれができるかわからない、ある物とあるかないかわからない物ならばある物の方がいいに決まってるじゃないですか」
「競馬に限ってはそれは当てはまらないよ」
「まあそうですけどね」
おいらだって否応なしにその世界に巻き込まれた身だ、競馬ってのがギャンブルであり百数十円の大本命馬券より万馬券の快感を求める人間の方が多いのをよく知っている。そしてそれは種牡馬だって変わらない、地位も実績もある一流種牡馬より新種牡馬の方が重用されることもままあるのも知ってしまった。例えばアオイホシノオトコ君は初年度に164頭の種付けをしたけど、既にGⅠ馬を6頭も出している同じ価格の種牡馬の種付け数は110頭に過ぎない。まあこれは全てアオイホシノオトコ君の受け売りなんだけど、どうしてこうもこの甥っ子は熱っぽくなれるんだろう。
「で、次は香港に行くらしいですよ」
「香港?」
「そこの出来によってはJRAから賞がもらえるかもしれませんね」
JRA賞と言うのがあるらしい、今年を代表する馬たちを選ぶ奴だそうだ。その内のひとつ、最優秀3歳牡馬にスターヴァンガードが選ばれるかもしれないらしい。
「キミの息子はすごいね」
「あなたの息子でしょ」
「キミの方がめちゃくちゃ熱心だもん、まるでキミの息子だよ」
「僕は彼のような産駒を出さなきゃいけないと思いましてね、まあこればっかりは祈るしかないんですけど」
「おいらが祈ってるのは、せいぜい故障しないようにって事ぐらいだよ」
競争とは全く無縁の世界で暮らしてもらいたい――――なんてのが世迷言だと言うのなら、おいらはその世迷言をずっと叫び続けたい。でもそれは、かなわない夢なんだろう。世間とは全く逆方向の夢、そのはずだ。何より現実と言うのは重た過ぎる。
「スターヴァンガードのGⅠ制覇の裏で障害戦に転向したヨウセイプリンス産駒が勝ち上がり、これでヨウセイプリンスの初年度産駒は全て中央で勝ち鞍を上げた事になった。初年度産駒がわずか6頭だったのが改めて信じられない話であり、今年度は116頭に種付けした訳だが、その世代がどれだけのレベルで勝ち上がるか。そしてわずか5頭の第2世代からスターヴァンガードとは言わずまでも重賞ウイナーぐらいは出て来ない物か。まったく、競馬とはブラッドスポーツである事を改めて思い知らされる」
こんな批評が、大っぴらに出されたらしい。要するに、6頭しかいなかったおいらの子どもたちは全て競争において一度は勝ち、勝負の世界に馴染んで生きて行こうとしている。あんな世界に。平穏無事に暮らすためにつらい思いをしなければならない、今は大変だろうなと勝手に思ってみるけど、多分そんな事は考えてないんだろうな。そしてたった6頭からあんなのが出て来たせいで、次の世代のさらに少ない5頭にもへんな期待が集まっているらしい。本当に、かわいそうな子どもたちだ。どうしておいらの子どもに、どうしてあんな馬の下の世代に生まれちゃったんだろう。
「それにしても、香港に行って何をするんでしょうかね」
「レースをしに行くに決まってるだろ」
「テンカノエイケツさん」
「なあお前、騙馬って知ってるか」
「何ですかそれ」
「まあわかりやすく言えば、キンタマを取っちまった牡馬だよ」
競走馬である牡馬がやめさせられる際に大半はそうなる、その事は既に知っている。おいらもその騙馬になるもんだと思っていた、でも未だに、おいらのおちんちんの傍にはふたつの玉がくっついている。競馬はブラッドスポーツとか言うけど、まあ要するによくわからない血の馬が勝手に子どもを作っちゃわないようにって事なんだろうか。そのふたつの玉がなくなったら、おいらの価値もなくなるらしい。だったらそこだけに働かせておいらは年中ボーッと過ごしてたいってのは無茶苦茶だろうか。
「香港ではその騙馬って奴がレースをやっている、もちろん日本でもだが」
「なぜまた」
「香港ってのは血統的には二流馬が多い、種牡馬になっても需要が見込めないのでそうやって現役のうちにお金をたくさん稼ぐ事を選んだって訳だ。まあ日本の場合は、気性が荒くて手に負えない馬を何とかするのが主な目的だけどな。でもそうなった馬はよほど成績が落ちない限りは延々と走らされることになる場合が多い、どんなに活躍しても血統を残せないからな」
昔GⅠレースを勝ったある騙馬も、その後3年近く走らされて晩年はほとんど勝てなくなったらしい。やめさせ時ってのはあるはずなのに、どうしてみんな引きずるんだろう。考えてみればおいらだって同じだ、スターヴァンガードのせいであと数年は引きずられるんだろう。これから先の子どもが全くダメだったとしても、スターヴァンガードの夢よ再びと言う人間がみんな寄ってたかって来るのがわかる。栄光ってのは、時に迷惑な物だと思う。ある意味での悪名を背負ったはずのおいらに対する、手のひら返し。
「過酷な宿命ですね」
「誰だってそれと付き合っている。お前さんだって、望まない栄光を背負わされていると言う過酷な宿命と戦っているんだろう。ただ、その戦いは相当に厳しいぞ」
「どうしてです」
「誰も同じ経験をした事がないからだ。昔似たようないきさつをたどった馬はいたが、その連中はある程度以上に開き直れていた、自分の武器はそれしかないんだと。お前さんも堂々とスターヴァンガードの父なんですからって言いふらした方がいい。GⅠサイアーだなんて、GⅠを勝つのと同じかそれ以上の栄誉だぞ」
「おいらはあの子を、自分の子どもとは思えません」
「俺の現役時代だってあんなだった、競走馬なんてあんなもんだ。逆に考えてみろ、誰だって戦いが終わればこんな顔になるんだよ」
テンカノエイケツさんの顔は、実に優しかった。有馬記念馬とは思えないほどの、穏やかで静かな顔。これが現役時代は見るも恐ろしい顔に変わってたのかと思うと、それだけでおいらは血の気が引く。寒いはずの北海道が、ますます寒くなる。おいらに何度か吠えて来た事もあったけど、それでもあそこまで怖くはなかったはずだ。あの時、テレビ越しに見たスターヴァンガードの顔よりは。
そのスターヴァンガードの香港でのレースだけど、半馬身及ばず2着に終わったそうだ。
「でもこれで、有馬記念でクラシックホースたちがこけたら最優秀3歳牡馬はかなり有力になりそうですね」
「相手の失敗を願うもんじゃないよ」
「そうですね、でも僕の子どもが競馬場に立ったらわかりませんけどね」
その事を言って来たアオイホシノオトコ君は相変わらずのテンションだ。その中で他者の失敗をナチュラルに望もうとしていたのでちょっと注意してやったらそんな事を言い返して来た。まったく、どうしてみんな勝とうとするんだろう、争おうとするんだろう。
それで有馬記念の結果だけど、スターヴァンガードを破った皐月賞馬とダービー馬は共に掲示板にも乗れず(6着以下)菊花賞馬はそもそも出てなかった。それからテンカノエイケツさんの子どもさんが4着に入ってた。
「どうせなら3着に入って馬券に絡んで欲しかったよな」
ひとつでも前へ、前へ。それが本来親として望むべき子どもの姿なんだろうか。だとしたら、おいらはそんな親にはとてもなれそうにない。せいぜい、平穏無事に帰ってくる事だけ。それだけが、対外的に示せるおいらの唯一の親らしい願望だった。
おいらだって年が明ければもう9歳、頭がおかしいと言い返されても反論できない事ぐらいはわかったつもりだ。でもおいらが子どもたちに、特にあのスターヴァンガードに臨む事はただ一つ。
――――一刻も早く争いなんかやめて、それのない平和な世界へ行っておいで。
競走馬の半分は牡馬で、その内に種牡馬になれるのは100分の1ぐらいらしい。残る馬の全てとまでは行かないけどその大半は、人間と共にゆっくりと過ごすことができる。おいらは不運にしてそうなれなかったけど、子どもたちはその暮らしをする権利がある。その事を願ったっていいじゃないか。
結果として、アオイホシノオトコ君の言う通りスターヴァンガードは最優秀3歳牡馬になった。全7000頭近い同期の中で、たった1頭しか得られない物を得た。しかもワンチャンスを勝ち取る形で。これから先、スターヴァンガードがその栄光に耐えられるんだろうか。おいらの心は、まったく落ち着かない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます