10歳2月 親子ゲンカ

 やがて穏やかな夏が終わり、年は明け、そしてスターヴァンガードがこの牧場にやって来た。秋の天皇賞と、最優秀4歳上牡馬と、年度代表馬ってタイトルを持って。

「いよいよ今日来るようですね。しかし残念でしたね」

「もうさ、無事で何よりだよ」

 最後のレースとなったマイルチャンピオンシップ、単勝200円と言う圧倒的一番人気だったけど直線で足が止まってしまい2着に終わった。それでも結局、シンエンノサキニの子どもには負けなかったらしい。そしてその後2年連続の香港遠征って所で、アオイホシノオトコ君を引退に追い込んだあの屈腱炎って言う病気にかかってる事がわかってしまったそうだ。

「GⅠ4勝、重賞10勝。束になってかかれば何とかとは思いますけど、たった1頭でここまでできるような子どもを僕は作れるでしょうか」

「無理しない方がいいよ」


(ちなみにJRAの重賞10勝ってのは現実だとディープインパクトやキタサンブラックと同じで、海外込みで11勝になるオルフェーヴルを除くと10勝以上は7頭しかいません)


「まあその通りですけどね、でも僕にはあまり時間がないんですよ」

「時間がない?」

「父さんがあなたに阻まれたとは言え昨年もGⅠ7勝、重賞は26勝。もちろん、多数の後継種牡馬が生み出されています。同期にも下にも、僕の地位を狙って来る存在は山といます。多分、種付け数は大きく減るでしょう」

 この日本における種付け数のパイは、年々減少しているらしい。それをみんなで取り合っているってのが、紛れもない現実だった。シンエンノサキニの子どもばかりで取り合う事になったらまずいんじゃないだろうかと思ったら、やっぱりまずいらしい。そしてその事に関して、おいらは何もできない。っていうか、むしろ邪魔になるかもしれない。シンエンノサキニを避けた所でおいらやスターヴァンガードに行っても、何せ全兄弟なんだから血統の字面はほとんど変わらない。

「でもまあ、何頭か海外に買われて行く馬もいますけどね。GⅡGⅢクラスだけでなく、やがてはGⅠ馬も買われて行くかもしれませんね。あるいは僕もこの牧場を離れて海外へ行くことになるかもしれません。まあ、さすがにこの日本での結果を見てからでしょうけど」

「ずいぶんと意欲的だよね」

「ところでシャトルサイアーってご存知ですか?」

 南半球のオーストラリアって国でも競馬がある。オーストラリアでは春夏秋冬が日本と逆転しているから、日本では3月から始まる繁殖シーズンってのが9月から始まるらしい。シャトルサイアーってのは、その9月の時期にオーストラリアやニュージーランドに渡ってそこでまた種付けをするって言う事らしい。種付けは嫌いじゃないけど、わざわざそんな遠くまで行って戦いに加わる理由はおいらにはわからない。おいらはもう、スターヴァンガードを出しただけで満足だった。でもそれは、おいらを種付けしてくれた人たちには大変失礼な発想なんだろう。だけどおいらは、それでも構わない。人間の都合に散々逆らって来たんだから、もうちょい逆らい続けても別にいいだろう。

「来ましたよ」

 そんな風に好き勝手にくっちゃべっていると、馬運車の音が聞こえて来た。たくさんの人が付き従っているあの物々しさを見ると、まずスターヴァンガードで間違いないだろう。


 ――――想像を1ミリもはみ出していない。そのおいらの言葉は、たぶん大正解だろう。スターヴァンガードって言う生で見るのは初めてであるおいらの息子は、凄まじいまでの悪臭――――覇気をみなぎらせていた。

「スターヴァンガードです!これからお世話になります!」

 声が大きい。ものすごく響く声だ。いったい体のどこからそんな声が出るんだろう。まったく、本当にナゾだ。

「まだ現役に未練があるのかもな、まあ怪我とは言え不意の引退だったからな。とにかくだ、今後は種牡馬としてよろしく頼むぞ」

 オーナーさんがそう言いながら首筋を撫でると、スターヴァンガードはおとなしくなった。でも、覇気は消えていない。競走馬としては志半ばで終わったけど、種牡馬としてはその分目一杯やってやろうという力強いポーズ。ありふれた鹿毛の、おいらと同じ馬体がおいらの倍ぐらいあるように見えた。ちなみにスターヴァンガードの最後のレースの体重は482キロ、平均よりやや重いぐらいのレベルだ。

 スターヴァンガードは、新たに作られた馬房に入れられた。おいらたちのそれより、ずっときれいそうな馬房。羨ましいとか、淋しいとかはちっとも思わない。へぇそんなのができるんだ、それまでのつもりだった。

「父さん」

「何だい」

 その馬房から飛んで来た太い声、父さんと言う四文字からその声の主がおいらを呼んでいる事だけは間違いない。いよいよ、その時が来たわけだ。

「ここに来るまでは信じてましたよ、少しはね」

「何を?」

「父さんに関する悪評が、ガセネタだって事を!」

 スターヴァンガードは、一応の心構えを持ちながら何気なく答えたおいらに向かってあの目を向けて来た。あの、2年半ほど前に見せた目を。逃げたかった、でも逃げられない。隣の馬房にいるから、これからほぼ365日顔を合わせる事になる。いったいこれがどこから来ているのか、どういう風にガセネタなのか。それを親として、聞き出さなければならないと思った。

「どんな事を言われたんだい」

「単走調教ではまだともかく、併せ馬やレースになると全然走らない。一度だけ3着になった事はあるけどその後はひどく精神的に疲れて死んでもいいとまで思ったと」

「よく知ってるね」

「父さんと同じ厩舎にオレは預けられましたから。それで引退して種牡馬になってもその作業を拒んだって噂がありましてね、ここに来るまではまさかと思ってましたけど今日確信しましたよ、本当だったんだなって!」

「去年だけだよ」

「知ってますよ!」

 ガセネタでも何でもない、真実だ。真実を真実と言う事の何が悪いのか、おいらにはわからない。おいらはすでに亡くなった父親の事を名前しか知らないけど、小手先でごまかすような父親だったらおいらは尊敬なんかしない。それだけの話じゃないか。だからおいらは、大っぴらに話したい。いかに自分が争いを嫌がり続けているか、そして自分が戦いの臭いの感じた存在を受け付けなくなってしまっているって事も。

「巌窟王ってご存知ですか。僕の主戦騎手の宮崎さんが好きな小説です」

「それが?」

「オレは父さんはエドモン・ダンテスでありモンテ・クリスト伯みたいなもんだと思ってました、その才能を気性に閉じ込められて発揮できない存在だと。ですから父さんの分まで走ってやろうと思いました、その持てる力を目一杯発揮してレースに勝ってやろうと!」

「アオイホシノオトコ君と似たような事を言うんだね」

「力及ばず負けるのは仕方がありません、でも力を余して負けるのはぜったいに嫌でした。ですからどんな時でも、ステップレースである中山記念や毎日王冠でも本気で戦って勝ちに行きました。その結果が重賞10勝、GⅠ4勝です。父さんだって、本気になればこれぐらいできたはずなんです!」

 この牧場は、おいらにとってはノアノハコブネだった。みんなが海に沈む中、安心していられる貴重な場所。その場所に入り込んで来た馬の中で、おいらがその気になればもっと勝てたのになんて言う事を言う馬は初めてだ。しかしそれにしても………………

「お前何様のつもりだよ」

「どういう意味です?」

「確かにおいらは争いは嫌いだよ、でもそれを他の馬に押し付ける事は良くないのも知っている。と言うか、ここに来てたっぷり学んだんだ。自分ができたから他の馬にもできるはず?年度代表馬だか知らないけど、そんな物言いがよくできるね?」

「それを繰り返して来たのが競走馬なんじゃないですか」

「年度代表馬なんて言う存在に言われたら、みんなそうするしかなくなっちゃうじゃないか!多くの馬はお前ほど強くないよ、心も体も!そうして潰れちゃったらどうするの!おいらのような争う事なんかなく平和に暮らしたい、そんな存在を無視してそうでなければいけないだなんて、それを決められるほど年度代表馬ってのは偉いの?」

 スターヴァンガードは、歯を食いしばって走る事により栄誉を得た。でもその栄誉を望まない存在が、この世にいないだなんて誰が言いきれるだろうか? 例えばおいらは、もう一生争う事なくみんなが仲良く暮らせればいいと思っている。そういう栄誉は望んでいない。もちろん、競走馬として名を挙げたい馬もいる。それぞれの目標があるじゃないか、それをお互いに尊重し合うべきはずだ。それを画一的に決めてしまおうだなんて傲慢じゃないか。年度代表馬と言う絶対的な存在として君臨できる力を持ってしまったスターヴァンガードには、それだけの力がある。危険じゃないか。

「父さんはイレギュラーなんですよ、血統も性格も何もかも!父さんこそ一般常識を逸脱した存在なんです。まったく争いを避けようとしたのに種牡馬と言う選ばれた存在になり、そしてGⅠ馬を出していると言う!オレは、いやみんな父さんに闘争心を剥き出しにして走って欲しかったんです、その姿が見たかったんですよ!」

「なぜだよ!」

「単純な話、悔しいんですよ、みんな!それから、嫉妬もあります!」

 おいらはこの6年間、この牧場からほぼ一歩も出ていない。繫殖牝馬も、向こうからやって来た。あまり多くないケースらしいけど、テンカノエイケツさんもアオイホシノオトコ君もそうしている以上その事はあまり信じられない。6年間、おいらにとって世界とはこの牧場だけだった。たまにオーナーさんたちやアオイホシノオトコ君たちが何らかの情報を持って来てくれるけど、それ以上の事は何もない。平穏無事な時間が流れている。嫉妬なんていう感情を抱いたとすれば、雲だけだった。生まれた時からずっと自由で、流れて行く雲。その行く手を阻む物は存在しない。あるいは現役時代、嫉妬されていたのかもしれない。でもその時のおいらはみんな仲良くすればいいのにとか、どうやったらこの状況から逃げられるのかとか、そんな事ばかり考えてて気づく余裕はなかった。

 って言うか、悔しいってのはどういう事だろう? おいらが全然走らないのに種牡馬になったってことだろうか。種牡馬ってのがそんなに偉いのかどうか、なるほど9ヶ月もの間ボーッとしてられるってのはいい事かもしれない。でも基本的には人間と触れ合う時間は少なく、孤独だ。いっしょに過ごすって言うより、付き従われてるって感じ。仲良くしたいのにできない。やっぱりお金のせいだろうか?去年、おいらは84頭に種付けして62頭を孕ませた。62頭×200万円で、1億2400万円。それだけのお金がおいらによって動き、今年もまた同じぐらい動くんだろう。それを壊されたらまずいっていう話だ、おいらはこんなに元気なのに。

「嫉妬……かぁ。でもさ、おいらだって嫉妬はしてるよ、現役時代隣の馬房にいた男の子は既に乗馬としてのんびり暮らしてるんだろうな、嫉妬しちゃうよ」

「いいかげんにしてくださいよ!」

「落ち着けよ」

 この親子ゲンカに割り込んで来たのは、アオイホシノオトコ君だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る