もしもおっとり馬くんが種牡馬になったら

@wizard-T

0~3歳2月 走るのは好きじゃなかった

おいらが生まれた三日後の事。牧場のみんなが、大騒ぎしていた。

「シンエンノサキニ!シンエンノサキニはどこまで行くのか、5馬身差圧勝!」

「うおおおおお!!」

「うちの牧場から、クラシックホース誕生だああ!!」

 シンエンノサキニ――――その単語が、おいらの兄さんの名前だという事を知ったのは生まれて一ヶ月は経った頃だ。そしてその名前が、とんでもない名前だという事を知ったのも。ああ、イヤダイヤダ!


「シンエンノサキニを誰がノックアウトするのか」

「ダービーもシンエンノサキニで間違いない」

「敵は故障だけかも」

 そんな言葉がズラズラと並んだり聞こえたりしている、いかに恐ろしい存在だと思われているのか、それだけでもわかる気がした。

「この全弟もいつかはクラシックレースに」

「行けるといいですね、おっとやる気まんまんのようですね」

 牧場に取材の人がやって来ては、おいらの前でそんな風に好き勝手にしゃべった。やめてよ、勝手に決めないでよと叫んだつもりだけど、それが人間にはやる気であるように聞こえたらしい。

「基本的には手のかからない良い子ですよ」

「お兄さんもそうだって主戦騎手の人も言ってますからね、これは兄弟GⅠ制覇も夢じゃないですね」

 おいらの関与しようのない形で、どんどんハードルが上がって行く。ああ、やめてよ!本当にやめてよ! でも叫ぶとやる気だと思われるので黙った。どうして、みんな馬ってのは走るのが大好きだと思ってるんだろう?


 やがておいらは2歳になった、競走馬としてのデビューの時期だ。でもおいらは、ぜんぜんそんな気にならなかった。

「身のこなしは間違いなく一流なんですが……」

「調教でも単走だと走るんですが……」

 ――――3億円。これがおいらに付けられた値段、だそうだ。持ち主の人が売らずに自分の馬として走らせたけど、もしオークションに出されていたらそれぐらいは下らなかったらしい。まったく、恐ろしいなあ。

「ありがちなんだよなあ、良血馬って奴には」

「何が?」

「疲れやすいんだろ、おぼっちゃまは」

 もちろん、ひとりぼっちにはなれない。おいらの隣の馬房には、ギラギラした目つきの牡馬がいつもいた。おいらがため息を吐いていると、そいつは嫌味っぽい目をおいらに向けて来た。

「いやさあ、どうしてみんな速く走ろうとするのかなーって」

「ハア?」

「みんな仲良くすればいいじゃない?ねえ」

「アホかよ」

「へ?どこらへんがアホなの?」

「競走馬ってのは速く走るためのもんだろうが!」

「どうして、誰が決めたの?」

「人間が決めたし、お前の親父とおふくろとアニキもそうしたんだよ!お前は親に逆らうのかよ」

「なるほど、ありがとう」

「………………」

 それで正直に答えると、やれやれと言いたそうに肩を落として黙っちゃう。何が悪いのか、未だにぜんぜんわからない。とりあえずお父さんやお母さんに逆らいたくはない、でもそれ以上に争う理由ってのがまずわからなかった。速く走ったからどれだけえらいのか、というより偉くなる必要があるのか。その事がまずわからなかった。

 やがて来た新馬戦って言うレース。そこでおいらは、いきなり1番人気になった。

「なんで?」

「なんでって言う方がなんでだろ」

 葦毛に栗毛、黒鹿毛に男の子女の子。おいらを含む12頭の馬が集まっている。この中で一番早い馬を比べる事になるらしい。

「何やってるんだよ」

「えー?」

 走るのは嫌いじゃないけど、誰かを押しのけるのはやだ。だから、どうしても手加減してしまう。

「本気を出せよ、勝つ気がないのか!」

「うん!」

「俺がバカだったよ!」

 同じように一番後ろを走ってた(追い込みって言う走り方らしいけれど)男の子からそう言われて素直にそうだけどって答えたら男の子はそうぼやいていなくなっちゃった。まったく、どうしてみんな争うんだろう?

「完全に自らやめていますね」

「足のこなしは悪くないんだけどなー」

 結果は、もちろんシンガリ。別に、どうとも思わなかった。どうしてみんな騒ぐのか、訳が分からない。

「てめーこの野郎金返せ!」

 そういう罵声も飛んで来た、競馬と言うのがギャンブルであり、おいらに相当なお金をかけていた人もいたらしい。でもそんな事はおいらに言われても困る。そうとしか言いようがない。


「やる気があるのか」

「ありません」

 併せ馬、二頭以上の馬で一緒に走る事。でもどうしてもおいらは、その併せ馬になるとやる気がなくなる。追い抜いてやろう、負かしてやろうという気になって来ない。嘘吐きになるのは嫌だから素直にそう答えると、一緒に併せたおじさん(6歳牡馬)は顔を真っ赤にして怒り出した。

「いったい何のためにここに来ていると思ってるんだ!」

「さあ……」

「速くなり、強くなり、そして厩舎や牧場の人、父親母親に恩返しをするためじゃないのか!そのためには走ってお金を稼ぐしかないんだよ!お前は強くなる気があるのか!」

「ぜんぜんありません」

「聞こえない、もう一回言え!」

「まったくありません」

「その性根、俺が叩き直してやる!さあ、もう一回だ!」

「わかりました、先輩のために頑張りますー」

「もういい………………」

 あんまりにもおじさんが必死なんでそれに応えた方がいいのかなと思って一応、懸命に走ろうかなーと思って答えてみると、おじさんはものすごくガッカリした様子でトボトボ歩き出した。

「おいらにはわからないんですよ、どうしてみんな急ぐのか」

「兄と姉に闘争心を根こそぎ持ってかれたのか……ああかわいそうな奴だ」

 かわいそう。その言葉の意味がおいらにはわからなかった、いや今でもわからない。シンエンノサキニさんの事を言いたいんだろうか、GⅢってのを2回勝ったふたつ上の姉さんの事を言いたいんだろうか?


 ――――もちろん、第2戦もシンガリだった。

「こうなったらあれですね」

「そうだな、派手にやるしかないか」

 派手にやるしかない。そう厩舎の人たちが言いながらおいらに渡したのは、覆面だった。その覆面をかぶせられたおいらは、思わずびっくりした。ほとんど何も見えなくなったからだ。それがブリンカーって言う道具でありその道具を付けさられたおいらには他の馬が見えなくなる――――その事を知ったのは、もっと後の話だ。

「まともに走ればお前は誰よりも速い、そうなんだから自分を信じろ!」

 調教師の先生は力強くそう言ったけど、もしおいらの事が本当にわかってるんならとっととやめさせてくれればいいのにと内心で恨み節を呟いた。

 言っておくけど、走るのそのものはそこまで嫌と言う訳じゃなかった。ただ、争うのが嫌だっただけ。どうしてみんな、わかってくれないんだろう。

 そして、3戦目が来た。ほとんど何も見えない中での、レースが始まった。怖くて仕方がなかった。何も見えない、調教だと言われても、信じられなかった。だから、最初から全速力で走った。これで最後クタクタになって、やっぱりダメだなこいつはと言われればいい。おいらはその時、そこまで思っていた。ああ、他の馬の足音が聞こえて来る!怖い、怖いよ!他の馬を泣かせちゃうの怖いよー!!

「どうやら作戦は成功の様だな」

「次は勝てると思いますよ」

 —————3着。調教師の先生も騎手さんも、ニコニコしていた。それで次は勝てるだって?冗談じゃないよ!このレースは13頭立てだった、つまりおいらは10頭の馬を負かしちゃった訳なんだ、訳も分からないまま走った結果!ああ、なんて事をしちゃったんだろう!おいらはその日、まったく眠れなかった。

「これだけ闘志が向いてるんなら、次は間違いなく勝てますね」

「ああ、立ち遅れたがここから連勝して京都新聞杯、そしてダービー……」

 おいらはこの時、今まで生きて来て一番吠えた。怒りとか、悲しみとか、そういう気持ちを全部ぶつけた。

「こんなに噛み付く馬じゃなかったんですけどねえ」

「ああ、一転して覚醒したんだな」

 歯を剥き出しにして柵に噛み付いてみても、ただのやる気としか思われない。もう、何もかも嫌になった。

「おい、どうした!」

 だから、もう争わないように厩舎から出てやらない事にした。調教もしたくない、誰とも触れ合いたくない。どうしてみんなおいらを争わせようとするんだろう。わがままって言うなら言いたきゃいいよ、だって嫌な物は嫌なんだから。

「どうやら全然改善されてませんね、むしろ悪化したかと」

「そうか……ったくあーあどうしてその気になってくれないんだよ!」

 何が調教師なんだろう、おいらの気持ちもわかりゃしないで。おいらはただ、みんな争わないでのんびり過ごせればそれでいいのに。それがそんなに大それた希望だって言うの?ねえ、ねえ!!


 それであの日、無理矢理駆り出された4度目のレース。やる気なんか、まったく起きなかった。せいぜい、調教師さんを泣かせなければいいんでしょってだけ。どうして争うんだろうと言う答えを、おいらは誰からも聞いていない。いろんな人に質問したけど

「つべこべ抜かすな!」

 以上の答えは返って来ない。わからない物をわからないって聞いて何が悪いの?

 ――――1番人気。見たくもない数字。誰もおいらの気持ちなんかわかんない、わかってれば誰も期待なんかしないはず。

 この前と同じように最初から全速力になったのは、ただただ逃げたかっただけ。何もかも、何もかもから。もう誰も争う事のない世界へと…………。


 パキッ。


 途中で聞こえたその音と一緒に、おいらは嬉しくなった。もう、走らなくてもいいと言う音。それと共に背中が軽くなり、心もものすごく軽くなった。

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