6歳1月 甥っ子が来たよ!

 この牧場に来て、4度目の冬が来た。6歳になったおいらだけど、2年前に11頭種付けして生まれた子どもは6頭、その6頭は来年2歳になる。いよいよ、競走馬として駆り出されるんだ。大丈夫だろうか、勝負の世界で生きられるんだろうか。どうしても戦う事の出来なかったおいらの子どもが、果たして戦えるんだろうか。

「来年はまた種付け数が増えそうだな」

「えー……」

 正直、あまり増えないで欲しかった。実際、去年は11頭から8頭に減って少しホッとしていたぐらいだ。ところが今年は21頭に増えている。なんでだろう、何のセールスポイントもないはずなのに。

「そりゃあれだよ、シンエンノサキニが2000万円に上がったからだよ。その上にそのシンエンノサキニの今年の成績と来たらさ」

 皐月賞、NHKマイルC、オークス、菊花賞、ついでに去年の阪神ジュベナイルフィリーズ。これだけのGⅠを1年間で取ってしまったらしい。GⅡ・GⅢも含めると20勝以上しているそうだ。しかも有馬記念や朝日杯フューチュリティステークスにも有力馬が控えているという。まったく、やっぱり別世界の存在だ。で、その別世界の存在のおこぼれがおいらの所に来たらしい。

「リーディングサイアーの可能性もあるそうだ、まったく恐ろしいよ」

「おいらはその弟だって事が恐ろしいです」

 これについては、テンカノエイケツさんも素直にうなずいてくれた。○○の弟とか妹とか息子とか、そんな肩書きがくっつくのは実に嫌な事だ。もしおいらが取るに足らない血統の馬だったらそんな思いはしなかっただろう。馬肉になるにせよ乗馬になるにせよ、ずっと穏やかに過ごせていたはずだ。

「そうだよな、これらお前さんはその恐ろしいお兄さんとの戦いを強いられるわけだ」

「ちょっと!」

「俺だってもう戦っている、でも初年度産駒69頭の内、中央で勝ち鞍を上げたのはまだ2頭、もちろん2頭ともまだ1勝しかしてない。シンエンノサキニは初年度産駒149頭で、50勝した。計算で行けば俺の子どもはあと23勝しないとあいつに負けた事にになる」

「ヒャー!」

「って言うか、今年はもう既に43勝もしている。まだひと月あるのにな。このままでは本当にリーディングサイアーになるかもな」

 種牡馬ってのは3ヶ月ほど働いて残りの9ヶ月は楽に過ごせる物だと勝手に思い込んでいた。そしたらこれって何、やっぱり戦いが続くって事なの?

「ハァ……」

「種牡馬ってのはやめさせられてもおおむね安寧に過ごせるはずだ、輸入種牡馬だとかそういうのって結構危ないらしいけどな」

「えっ」

 成績が振るわなくて生まれた国に返されるのはまだいい方で、そのまま殺される事もあるらしい。しかもそれはどの国でも起きる事らしい。平穏に過ごすのすら楽じゃないんだなんて、本当に嫌になって来るなあ!

 そんな風にため息を吐いていると、一台の馬運車がやって来た。おいらを乗せたのとはちょっと違う、青々しい車。


「間違いありませんね」

「もちろんだよ」

「では事前に申し込んだ通り10億円でこちらを買い取りますので」

 なんかおいらの時と似たような感じ……って10億円!?

「すごいな、俺でさえ4億円だったのに」

「4億……」

 既に契約はまとまっているらしい。って言うか10億円だなんて、全く想像もつかないような金額だ。10億円も何をしてもらう気なんだろう。

「すでに400万円で170口売り出しています、それでその値段でも買い手は130人は下らないでしょう」

「3年で元が取れるような話だ、大安売りと言えるかもしれんぞ」

「たったの10億円で譲ってくれたんですから、大事にしなきゃいけませんよね」

 ――――。まったく、改めて信じられない。人間はどうしておいらたちに10億円なんてかけるんだろう、こちとら500万円でも高いと思ってるぐらいなのに。

「叔父さん、よろしくお願いします」

「……誰?」

「僕はシンエンノサキニの初年度産駒、アオイホシノオトコです」

 そう思って呆れていると、おいらにその馬が声をかけて来た。叔父さんって何だと思ってボーッと答えると、その子は自分の名前と叔父さんって呼ばれてる理由を明かしてくれた。まあ競馬では父親が同じでも母親が違うと兄弟とは言わないけど、まあお父さんの弟だから叔父さんだよね。

「で、その甥っ子がなぜまた」

「なぜまたって、ここで種牡馬になるためです。なりたくなかったんですけど」

「どうして?」

「本当なら今頃、マイルチャンピオンシップ辺りを走ってたはずでした。それが屈腱炎をやってしまって……」

「治せばいいんじゃないの?」

「屈腱炎は難病だ、これにより引退させられた馬は山といる」

「そうですよねテンカノエイケツさん。自分としてはそれでも治して現役を続けたかったんですが父さんの事もありますから」

 スプリングS、皐月賞を勝ちダービーで3着。そしてセントライト記念ってレースも勝ってさあ……って所で故障して引退したらしい。でもおいらから言わせれば7回も1番を競うべく走れただけでもものすごい話だと思う。

「お前さんは知らないだろうけど、シンエンノサキニの初年度産駒でシンエイタイチョウって奴がいてな。3戦1勝重賞2着の実績しかないがシンエンノサキニの需要を見込んで種牡馬入りした。小さな牧場相手にいきなり97頭もの牝馬を得ている」

「ええっ!?今年のテンカノエイケツさんって」

「ああ、57頭だよ。まあ実はタダだって言うオチがあるとは言え、やはり悔しいもんだよな実績で大差のついた奴にこうして負けるってのは」

「す、すみません!」

「数で抜かされても質で勝てばいいんだよ、勝てるかどうかわからないけど」

 テンカノエイケツさんの種付け数はたったの2年間で38頭も減ってしまった。もしおいらが来年、シンエンノサキニのおこぼれをもらうような事になったら逆転してしまうかもしれない。種付け額もおいらはずっと20万円のまんまだけど、テンカノエイケツさんは250万円だったのが今や150万円になっている。

「あの……」

「ああアオイホシノオトコ君、こいつにはこういう説明の方がわかりやすいんだ。そこんところよろしく頼むよ」

「はい」

 とにかく、シンエンノサキニの息子、つまりおいらの甥っ子とおいらは共に過ごす事になった訳だ。何と言葉をかけていいのかわからないおいらの前を、その甥っ子は悠々と歩いて行く。決して威張らず、そして腐らない感じ。おいらにあの境地に達する事ができるんだろうか、したくはないけど。


「種牡馬としても手を抜かない馬でした」

 シンエンノサキニのいる牧場と同じ所で生まれたアオイホシノオトコ君は、その姿を見る事もあったという。だから、どんな父親だったのと聞いてみた時の第一声がこれだった。

「見た事あるの」

「ああはい。競走馬としての使命は終わった、だから次はここで戦うんだと意気盛んな感じで、その話もしてくれました」

「信じられないね」

「まあ、競走馬と種牡馬が同じ牧場にいるってこと自体めったにありませんから。ヨウセイプリンス叔父さんもいずれそうなるかもしれませんよ」

「やめてよ」

 現役時代の話とか、したくもない。頼まれたって絶対にやだ。種牡馬としての心がけ?そんなもんない。まあ、そんな日なんか来ないだろうけど。そう思ってたんだよ、その時はね!

「決してひるまず、おびえず、そして泣き言を言わず。そんな誇り高い父親でした。みんなその父親の血がどうしても欲しいという事で僕はこうして種牡馬入りした訳です、まだまだ走れると思っていたのに」

「無事で何よりだと思うけど」

「かもしれませんけどね」

 もう十分に大変な思いもしたんだから、休ませてあげればいいじゃないか。それなのになぜまたそんな事をやらせようとするんだろう。

 おいらの最後のレースだってそうだった、ああいう風に競走中止になってしまった馬がとんでもない怪我を負っていて予後不良————となってそのまま殺される事は残念ながら珍しくないらしい。その時はもうそれでもいいやとまで思ってたけど、今こうしてこういう身分になってみるとやっぱり嫌だ。死ぬまでは生きていたい。

「種付けってのは疲れるよ、寿命が縮まるよ」

「承知していますよ、でもお互いまだまだ若いんですから」

「若い、か…………って言うかさ、170頭って聞いたけど本当?」

「父さんは今年種付け料を1200万円から2000万円に上げたせいか数は減りましたけどこの調子ではまた増えそうですからね、負けてはいられないんですよ」

「どれぐらいだったっけ」

「247頭から230頭になったそうです」

 247!?繁殖シーズンが3~5月まるまるだとしても、92日で割って毎日2~3回はやらなきゃいけないじゃないか! それに3月上旬とか5月下旬とかは自分の体験上その気もなくなっちゃうから実際はそんなに長くできない。とするとだいたい70日間、4回ぐらいやらなきゃいけないのか……あーあ、気が遠くなりそうだなあ。

「あの!」

「……ごめん、まったく想像もつかない世界でさ」

「叔父さんは本当に幸せな馬ですね」

「はて?」

「叔父さんは、本来この世界にいてはいけない馬なのかもしれません。でも何事も思い通りに行かないのも世界です。ダービーで負けた時、屈腱炎になってしまった時。個人的にその事を実感し、そして今また思い知っています。とにかくです、叔父さんがこの2年間で作った11頭の仔は否応なしに戦いに巻きまれますよ」

「どうしろって言うんだい?」

「とりあえず戦うしかないでしょう、それで負けたのならば諦めも付きますし」

 この世界にいてはいけない存在……じゃあどこにいればいいんだろう? 逃げられる物ならば逃げてみたい、でもどこに行けばいいんだろうか。その答えはどうやら、「もう手遅れ」だったらしい。おいらはそんな運命においらを放り込んだ顔もよく知らない兄さんを、テンカノエイケツさんに逆らって恨んでみた。何が良くなるわけでもないけど、なんとなく恨んでみた。ああ、空のヒコーキグモがきれいだなあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る