7歳2月 逆転!?


「55頭だね」

 7歳のお正月。おいらに、告げられたこの数字。やっぱりなのか、それとも意外なのか。おいらとしては、順当とか意外とか言う前に、ただただ迷惑だった。

「これまでが少なすぎたぐらいだよ」

「いっそ未出走なら初年度から100頭あったかもな」

 去年、おいらは21頭種付けして16頭子どもを作ったらしい。77%って事になるだろうか。テンカノエイケツさんに聞いてもアオイホシノオトコ君に聞いても結構高い部類に入るらしい。

「まずいんだよな俺、去年57頭付けたけど受胎したのはわずかに34頭、60%以下だ。その上に今年はそれと産駒成績の悪さが仇で更に減らされそうだからな」

「早すぎません?」

「しょうがないよ、俺は元々異系で晩成ステイヤー血脈だから」

 そんな事をぼやいていたテンカノエイケツさんの今年の種付け数は、たったの46頭。しかも、種付け料はさらに安くなって100万円。とは言えおいらの5倍、しかしそれを加味してもおいらより少ないだなんて!

 速い馬が重視されるのが競馬、そして取り分け日本ではその傾向が濃い――――そうアオイホシノオトコ君は言ってたけど、それにしても寂しすぎないだろうか。

「今年の3歳が活躍しないと本気で危ないかもね」

「おいらも……」

「キミの今年の2歳は6頭しかいないんだろ、まだ今年の55頭が古馬になるまでは待ってくれると思うぞ」

 片や有馬記念2勝馬、片や未勝利馬だってのに、どうしてこうなったんだろう。おいらはただ冬空を見ながら、深くため息を吐いた。


「それにしてもなあ……」

「ああアオイホシノオトコ君」

「ああヨウセイプリンスさんですか」

「ちょっと話を聞いて欲しいんだけど」

「お父さんもすごいですよね、2000万円から2500万円になったのに種付け数は増えそうだって話で……ああ何か」

「何でもないよ」

 皐月賞馬と言う栄光を得た存在ならテンカノエイケツさんの悩みもわかってくれるかなと思い、おいらと同じように空を見つめているアオイホシノオトコ君に話を振ろうと思ったのに、そのアオイホシノオトコ君からため息交じりに飛び出した言葉においらは話す気を失ってしまった。

「叔父さんは悔しいんですか」

「何がだい」

「テンカノエイケツさんに勝ってしまった事が」

「悔しいって言うか、おかしいと思うんだよね。おいらのいったい何がテンカノエイケツさんに勝ってるって言うんだい? 種付け料の安さ以外で」

「3つあります」

「若さって言わないよね」

「もちろんです」

「何と何と何?」

 テンカノエイケツさんより上の物が、3つもある!? いったいこの甥っ子は何を言っているのか、訳が分からなかった。だから、厳しい顔になって睨み付けてやったつもりなんだけど、甥っ子はニコニコしていた。だからつい頭に来て一発喰らわせてやったつもりが、まるで応えていなかった。だから聞く気のなさを示すつもりで棒読みで反応してやったのに、甥っ子の顔は全然変わらなかった。

「まず第一に、運です」

「運?ラッキーだって事?」

「そうです、まず叔父さんは普通種牡馬にはなれませんでした。なれたのは父さんの全兄弟だからです」

「迷惑な話だよ」

「第二に、血統です。父さんと同じ血統だから同じ素質の馬ができるのではないか、そうみんな期待している訳です」

「で、第二は?」

 迷惑。そう、限りなく迷惑な話だ。シンエンノサキニの弟なんかでなければ、おいらは今でもこうして争いに巻き込まれる事はなかった。乗馬になっていたにしろ、いっそ馬肉になっていたにしろ平和な時を過ごせていたはずだ。それに第二とか言ってる血統うんぬんだなんて、第一の運ってのと同じじゃないか、まったく同じ事を二回も言うかなと思って絡んでやったけれど、この甥っ子は本当に顔を変える様子がない。

「勝利に対して無欲って事です。叔父さんは子どもがどうなろうがどうでもいいんでしょう?」

「争いと無縁な所にいればどうでもいいけど」

「それは少なくとも競馬場での結果にはまったく執着がないという事です。いやゼロどころか、マイナスとも言えます。何をやろうが、あなたがいい顔をしない事を少なくとも僕は知っていますし、子どもたちもやがて知ります。いったんガッカリするかもしれませんけど、それならそれで張り切ると思いますよ」

「なんでまた」

「あなたの考えを変えてあげようとか、父親の名前になんか頼らず自分の力だけでやってやるぞと意気込み、それが結果につながるという発想です」

 おいらは競争と言う概念を、ものすごく嫌っている。昔はなんとなく嫌だったというレベルだったのに、今ではその事を考えるのも嫌だった。それでもこの甥っ子やオーナーさんなど、ありとあらゆる存在がおいらにその二文字をかぶせて来る。この三年少々で、慣れたくもないのに慣れてしまった。まったく、どうしてみんな争いたがるんだろう。

「そして第三に、余裕です」

「余裕?」

「これはさっきとダブるかもしれませんけど、叔父さんは子どもが活躍できずともさほど不満はないんですよね」

「ああ、まったくね」

「ですから僕らのようにどうしてもどうしてもと言う思いがないんです、ですからそれが余裕になるんです」

「アオイホシノオトコ君はそんなにどうしてもどうしてもと思ってるの?」

「思ってますよ、現役時代から今までずーっと」

 アオイホシノオトコ君の戦績は、7戦5勝。世間的には7戦なんだろうけど、おいらから言わせれば7戦も走れたねだ。どうしてそんな事ができるのだろう、体の前に心がすり減っちゃわないだろうか?

「未勝利戦から4連勝して皐月賞馬になった時には、自分が天下無敵の存在とも思いましたよ、みんなにちやほやされて。でも皐月賞の2000mの時点で、もうギリギリだったんです。でも他のシンエンノサキニの子どもに負けちゃいけないと思って、2400mのダービーも皐月賞と同じように先行してしまいまして、もう少し自分の立場をわきまえ控える余裕があれば、勝っていたかはともかく2着はあったかもしれません。それができないからこんなに早く競馬場からサヨウナラになっちゃった訳ですけど」

「ふーん」

「そしてここに来てからもそうです、シンエンノサキニの後継種牡馬として早く活躍できる馬を出さねばならないという焦燥がいつも僕の中にあります」

「ジョークやめてよ、今年だけで何頭付ける訳?」

「164頭です、ですがこれは父さんの3分の2に過ぎません。一刻も早く優秀な馬を出さなければ、いずれ出て来る他の父さんの子どもに持って行かれます。5年後、僕の初年度産駒は3歳になります。その時には、僕はその他大勢レベルになっているかもしれません。アドバンテージを生かして今のうちにリードを開けておかなければ危ないんです」

「落ち着いてよ」

 落ち着いてよと言ってみたけど、アオイホシノオトコ君はまったく冷静だった。極めて冷静に自分の過去のあやまちを話し、これから先に待つ過酷そうな未来を語ってみせる。これがクラシックホースの胆力って奴なのか。まったく、まるでケタが違う。


 運と、血統と、無欲と、余裕。それから安さに、若さ。これがおいらが持ってる武器らしい。でも、この内自力で手に入れた物はひとつもない。それにだ、若さと言ってもおいらはもう7歳、競走馬なら大ベテランのはずだ。血統ってのは、おいらから言わせれば武器どころかマイナスだった。運だって?今のところ、それは不運でしかない。残るは無欲と、余裕と、安さとなる。そしてそれらだって、今さっき自覚した通り自力で得た物は一つとてない。

「はぁ…………」

 今年の冬は寒い。風はないけど、空気が冷たい。元々牧場なんて北海道が大半だから寒いのはわかり切った事だけど、それにしてもとしか言いようがなかった。冬枯れの草を食みながら、おいらは深くため息を吐いた。この寒さは、背筋の寒さだろうか。また、戦いが始まる。自分の子どもが、戦いに取られて行く。おいらたちの戦いは一年中やっていると言えるのかもしれないけど、おいらにとってはおよそ3年間の戦いとは無縁の時間がいよいよ終わりを告げてしまう。その事を考えると、辛い。アオイホシノオトコ君に言わせればこの牧場に来て種牡馬をやれと言われた時点で戦いはまた始まったか、元々終わってなんかいないかのどっちかなんだろうけど。

「痩せるぞ」

「テンカノエイケツさん……」

 食事中の馬に向かって痩せるぞなんて言って来たのは、テンカノエイケツさんだった。アオイホシノオトコ君に一説述べられた後、おいらは聞きたくもない数字を聞いてしまった。その事でおいらは、テンカノエイケツさんの顔を見たくなくなった。

「ねえテンカノエイケツさん、おいらは一体、その……」

「謝れよ」

「申し訳ありません!」

「その言葉を聞きたかったんだよ、ありがとう」

 だから、謝った。素直に、謝った。謝れという言葉に、乗っかった。どんなにありがたい言葉だっただろうか、その謝れって言葉が。何が余裕だよ、こんな風に配慮をしてもらわなければいけない存在に余裕なんかあるかい。もしおいらが100万円なら、多分おいらには1頭の牝馬も来ない。いや単純計算で20万円で55頭だから、100万なら11頭だろうか。テンカノエイケツさんの46頭より、やっぱり安いじゃないか。

「走らないとこの世界、どんどん産駒は減るよ。走っても減るけど。有馬記念2勝の栄光だなんてもう虚名に近いね、スナイパーリゾートさんなんて今年の種付け数137頭だよ、現役獲得賞金額では俺の3分の1なのに」

「……」

 光陰矢のごとし、栄光が過去のそれになるのもあっという間。まったく、恐ろしい話だなあ。でもこの時のおいらは、それが自分のことだとは全く思っていなかった。ぜんぜん無欲なつもりのない、ただのんびり暮らしたいという欲で満ち溢れていたこのおいらには全てが他人事だった。そういう気取りの馬が、なぜこんな活発に戦おうとしている存在に向き合わされているのだろうか? おいらは55頭に増えた種付け数の遠大さを思い、その先のゆっくり過ごせる時間の事に思いをはせた。

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