10歳12月 運命は勝手に動く

 不思議なほどに、疲れなかった。123頭の、おととしより多い種付けはずいぶんと簡単に終わった。慣れと言うには、あまりにもうまく行き過ぎた。スターヴァンガードが競馬場からいなくなったおいらに、産駒の報告は届かない。平和な時間がようやく戻って来た――――なんていうのは、甘い夢なんだろうか。

「NHKマイルカップですよー」

「ええっ」

 スターヴァンガードの2つ下の世代のおいらの子ども、コウウンノセンシって馬がNHKマイルカップってGⅠに出るらしい。まったく、どういう事なんだろう。

「父さんの3年目の産駒って14頭でしょ、そこからまたGⅠに出られるんですからまったくすごいですよね、それで今年の2歳は25頭が中央競馬に登録されてるんでしょ?」

 その25頭の産駒は、アオイホシノオトコ君の初年度産駒と激突する。そのアオイホシノオトコ君の焦燥は、最近どんどん深まって来た気がする。

「まさかねえ、シンエンノサキニ後継種牡馬重賞ウイナー第一号って言う座を、シンエイタイチョウに持ってかれるとは思いませんでしたよ」

 シンエイタイチョウはおいらと同じく怪我で3歳春に引退し、おいらとちがってその春からいきなり種付けを始めた。その産駒は今年で4歳になるけど、実は去年その産駒が中央の重賞を1つ取っている。すごいなあと素直に感心できるのは、おいらがスターヴァンガードと言う後継種牡馬を得た存在になってしまったからか。ある意味で、戦いを避け続けても誰も文句を言えなくなる立場への到達。それは、種牡馬になってからのおいらの目標だったのかもしれない。その目標をつかみ取ったおいらは、10歳にして余生を迎えることになるのかもしれない。でも、誰もそんな事は許してくれないだろう事もわかっている。

「人間は欲張りですよ、馬だってそうですけど」

「そうだね」

 おいらは穏やかに暮らしたいという欲望に塗れているのかもしれない。そんなおいらの胤を求める人間はスターヴァンガードの夢を自分の牝馬でと言う欲望に、オーナーさんはお金と自分の牧場の種牡馬の名声、それからこの牧場の拡張と言う欲望に。みんな、スターヴァンガードの言う通りそれ相応に欲張りだ。そういうスターヴァンガードだって、157頭も種付けしておいてもっともっとと言い出している、何でも、シンエンノサキニさんは229頭まで行ったそうだから対抗したいみたいだけど。

 シンエンノサキニさんと言う存在は、依然としておいらにとって遠い存在のまんまだ。弟と称するのもおこがましいほどの差を持った存在として元からいて、その兄の七光りでおいらは種牡馬になり、そしてその七光りの存在から生まれた息子がGⅠを取り年度代表馬になった。出来の悪い弟の子が、兄の子を上回った訳だ。この点ではおいらは、兄の上に行ってしまったとも言える。でもそれがいなくなった今、やはりおいらは兄の七光りの存在に過ぎない。いやスターヴァンガードの七光りか、そしてこっちの七光りの威光は絶対に消えない。あまりにも遠すぎ、そして急に近づきすぎた存在を兄と言う親しげな存在として受け入れるのはやはり勘弁してもらいたい。

「4着でしたか、今からでも思いますよもしダービーじゃなくこっちに出てれば勝ててたんじゃないかって」

「さすがにそれは欲張りだよ」

 コウウンノセンシのNHKマイルカップは4着に終わったけど、それでも11番人気と言う数字からすれば上出来らしい。と言うより、GⅠで4着すること自体3年前のおいらから見れば想像もできなかった。3着に入るだけで罪悪感におびえていた昔のおいらが今のおいらを見たら、なんて言うだろうか。その事を想像するとおかしくてエガオヲミセテしまった。スターヴァンガードの欲張りっぷりにも、また笑みがこぼれた。


 やがて、空が青くなって来た。日差しも強くなり、夏が来た事を感じた。

「オレは夏は好きですよ」

「そうかい、おいらもだよ」

「レースの臭いがないからでしょ」

「うん」

 スターヴァンガードは逆に、夏にレースの匂いを感じるという。夏は、新馬たちが旅立っていく巣立ちの時期。逆に勝てなかった馬がそろそろ見切りを付けられてしまう時期でもあるけど、それもまた競馬なんだろう。もしおいらがそうなっていたとしてもまったく悔しくはなかったと思う、でも悔しい馬もたくさんいる。そんな物だろう。

「春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る」

「それはスターヴァンガードの主戦騎手の人から聞いたのかい」

「まあそうですね。オレにとっては大阪杯が来て、宝塚記念が来て、天皇賞が来て、有馬記念が来てでしたけど。実際、マイルチャンピオンシップのみならず有馬記念の距離でもいけるかもって自信があったんですよ」

 GⅠレースの名前を並べられても、胸焼けがしなくなった。本当の事を言えばこのギラギラした所は好きにはなれないけど、平気にはなれた気がする。息子だからだろうか、だとしたらおいらはとんだお調子者らしい。

「でもアオイホシノオトコさんは本気ですよ」

「だろうね、いよいよデビューなんでしょ」

「いやもう、父さんと激突してますから」

「え」

 え、と言う一文字と共にスターヴァンガードは大笑いした。おいら自身、こんな世間から一流種牡馬と呼ばれる存在になってもレースにさしたる関心を抱く事はなかった。おいらはこれまでのように、競争から逃げているんだろうか。

「父さんと会ってみてわかりましたよ、父さんにはそういう概念が元からないんです。1を100にするのが調教師さんや騎手さんの仕事ですけど、ゼロを1にするにはよほどの物がない限り無理です」

 ――――概念がない。なるほど、この息子はいい事を言う。おいらは昔から、走る事は嫌いじゃないけど争いは好きになれなかった。なぜ急ぐんだろう、そのずーっと抱えていた疑問に対しての答えを誰も返してくれなかった。みんなにとって当たり前の事だから、おいらにとっても当たり前だろと思われていたらしい。もしその事をみんなが知っていたら、おいらはどうなっただろうか。もう、全ては過去の事なんだけど。

 結論から言えば、今のおいらは幸せだ。9ヶ月もの間のんびりと過ごせるし、3ヶ月間の種付けもずいぶんと慣れたし、楽になった。更に頼れる先輩に可愛い甥っ子と息子がいるし、それに牧場の人も親切だ。

「いやもう、何であなたの初年度産駒がたったの6頭なんですかね」

「アオイホシノオトコ君?」

「やられましたよ、僕の息子があなたの息子に」

「ごめんね」

「でもまあ、次は勝ちますよ!」

 そして、また別の子どもが勝ったという報告も入って来る。その様子を直に見ようとか聞こうとか思わないのはもう仕方がない、おいらはおいらなんだから。でも、この平和な日常の中でふと頭をかすめることもある。


――――おいらは一体、どれだけの馬の幸せを奪って来てるんだろうか――――


 そう考えると、決して威張ったり自慢したりする事はできない。おいらは平穏だけを求め続けて来たはずだった、でもそれを掴むために一体何頭の馬を直接的・間接的に踏み越えて来たんだろうか。

「君の事も踏み越えなければならないんだろうか」

「まあ、上等ですよ。お互い様です、お互いそんなに大した存在じゃないんですから」

 アオイホシノオトコ君は元気だ、そんな存在がすぐ隣にいるというおいらはやはりラッキーなんだろう。

「罪とか争いとか、気にする必要はないんですよ」

「でも」

「僕が気にし過ぎているだけですから」

 アオイホシノオトコ君は、スターヴァンガードが現役だった時からおいらに変わって気にかけていてくれた。甥っ子だから叔父の面倒をうんぬんとか言う前に、父親の真似事をしてみたかったのかもしれない。そんな風に考えるのは、やはりおかしいんだろうか。

「今の僕を見たら父さんは怒るかもしれません、笑うかもしれませんけど」

「アハハハ」

 シンエンノサキニさんが息子に何を求めているのか、おいらは知らない。でももし、自分の様になる事を求めているのならばそれはあまりにも酷な話だと思う。

「子どもにはおいらの真似をして、もっと平穏をむさぼってもいいと思ってるんだよ。しなくてもいいけど」

「それでいいんですよ叔父さんは」

 でもその酷なやり方を選んで、成功する馬もいる。そしておいらのようなやり方を、たぶんシンエンノサキニさんは取れない。って言うか、合わないだろう。その事だけは、会った事もないのにわかる。勘違いかもしれないけどね。


 あの怠け者と呼ばれたおいらの産駒の戦勝報告が、次々と届いてくる。あのコウウンノセンシがサマーマイルシリーズとかってのの王者になり、GⅠで3着。そして年末までに2歳牡馬が重賞を3つ取り

「フリートプリンセスだ!スターヴァンガードだけって誰が決めた!またもやヨウセイプリンスがシンエンノサキニを打ち破った!」

 フリートプリンセスって牝馬が阪神ジュベナイルフィリーズを勝った。それから他にも期待の2歳馬がいるらしい。

「2歳リーディングサイアーに決まったようですよ」

「もらえたらいいね」

「まったく、世の中捨てたもんでもないな」

 そう口にするアオイホシノオトコ君とテンカノエイケツさんの顔は明るい。二頭とも、産駒が朝日杯フューチュリティステークスとホープフルステークスって言うGⅠレースを取ったからだ。大晦日も間近、雪が一杯で寒いけどみんなの顔はめちゃくちゃに明るくて暖かい。

「でもこの結果どうなるかな、まずテンカノエイケツさん増えるでしょ」

「だといいがな」

「でも父さんも相当に増えますよ」

「大丈夫かな」

「大丈夫ですよ、オーナーさんが配慮してくれてるから」

「知ってますよアオイホシノオトコさん、父さんの今年付けた牝馬って20戦以上した馬も3勝以上した馬も1頭もいないんでしょー」

「そう、そういう牝馬が回ってくるようにオーナーさんも配慮してるんだよ」

 オーナーさんはおいらと言う存在をおいら以上によくわかっている。今年の種付けの時、一度だけ気分が悪くなった時があった。スターヴァンガードが種付けしていた、アメリカのGⅠ馬の臭いを嗅いだせいらしい。結局おいらはそういう存在だ、そう割り切ってしまったのがこの結果なのかどうかは、多分関係ないだろう。

 やがて年が明け、ようやく寒さが和らいでくる時期が来た。オーナーさんから、数字が届く。

「やはりこれってそういう牝馬の集まりなのかな」

「多分そうでしょう、父さんは完全に中小牧場の味方。そういう方向で売り出して行くんだと思いますよ。まあこっちは父さんが一流牝馬にも慣れる日を、オレハマッテルゼって感じですから」

 2歳リーディングサイアーなんて物になったから、一刻も早くお金を稼ぎたいそういう牧場にはうってつけと言う事か。なるほど、種付け料700万円で一流牝馬たちを集めたスターヴァンガードとは全く違う道なんだろうなと思う。この前、また別の子どもが重賞を取ったという話が飛び込んで来た。それで最初の予定からさらに数が増えたらしいけど、まあやってやれない数でもないし、よし始めようか。


 おいらの名前はヨウセイプリンス、競走成績4戦0勝。勝ち鞍、なし。

 種付け料100万円。不受胎及び産駒誕生まで母馬死亡の場合全額返還、牝馬誕生時30万円返金、産駒が1年以内に死んだ場合は50万円返金。

 前年度種付け数123頭、今年度種付け数181頭。この子たちがどのようになるかは責任は取りません、おいらのように競争を好まない子どもになるかもしれませんが、その時はどうかあしからず――――――――。

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