第五幕 亡霊なサムライ

 ――バンっ…!


 真琴は家に飛び込むや否や、慌ただしく玄関のドアを閉めた。


 あの後、あることを思い出した彼女はすぐさま松平達に部活の早退を願い出ると、理由を訊く民恵に答える間もなく、大急ぎで家へと帰ったのだった。


 理由は他でもない。その、思い出したあること・・・・を確かめるためにである……。


 学校指定のローハーを玄関に脱ぎ棄て、真琴は階段を一気に駆け上がると、二階にある自分の部屋へと火の弾のように転り込む。


 そして、机の脇に立てかけておいた藍色の細長い袋を、まるで強盗か何かのように乱暴な仕草でひっ掴んだ。


 その袋の中には、昨日、あの奇妙な骨董屋で買った超特価の摸造刀が入っている……。



〝あとは侍の怨霊かなんかに取り憑かれているかだよ!〟



〝いきなり、あんな侍みたいな口調になっちゃうなんて…〟



 真琴の脳裏に、先程、民恵の口を吐いて出た言葉が蘇る。


 侍の怨霊……そうだ。昨日の夜、この刀を抜いてみた時に、刃の中に何かお侍さんみたいな人が映ったような気がしたんだ……ううん。それだけじゃない。思い出してみれば、あのお店で抜いた時だって、後から誰かに見られてるような、なんだか変な感じがしてた……あの時は気のせいだと思って放っといたけど、もしも、あれが気のせいじゃなかったとしたら……。


「ゴクリ……」


 真琴は険しい表情で唾を呑み込み、袋から取り出した刀の柄にゆっくりと手をかける。


 カチャ…。


 そして、昨夜と同様、その右手に力を込めると、鞘の口から微かな金属音を立てて、刀身の根元が少しだけ姿を現す。


「……うううっ…えいっ!」


 そのわずかに見える刃根元をしばしの間見つめた後、真琴は意を決して一気呵成に刀を抜き放った。


 夕闇に包まれた薄暗い部屋の中、鈍い銀色の輝きを帯びた刀身がその全容を再び顕わにする。


 そのまま休まず、抜いた重たい刀を両手で持って顔の前に立てると、真琴はそのシルバーのボディを隅から隅まで、まじまじと注意深く見つめていく……。


 だが、刀身の上に映るぼやけたこの世界の鏡像には、どこを探しても彼女が予想していたような者の姿を見つけることはできなかった。


「……お侍さんなんか、どこにも映ってないよね……やっぱり、あれはただの気のせいだったんだ……」


 そのことを改めて確認し、真琴は大きく溜め息を吐く。


「ハァ…もう、何やってんだろ、あたし……バっカみたい。そんなの気のせいに決まってるじゃない。民ちゃんがあんなこと言うから思わずその気になっちゃったけど、そんな侍の怨霊なんかに取り憑かれるわけ…」


 だが、真琴が冷静さを取り戻し、そう独り言を呟きかけたその時。


「お探しになっている侍とは、もしや、それがしのことにござるか?」


 彼女の背後で、不意にそんな男の声がしたのである。


「えっ……?」


 その聞こえるはずのない声に、真琴は思わず、考える間もなく後を振り返る……するとそこには、長身でがっしりとした体格の若い男が、いつの間にやら平然と腕を組んで立っていたのだった。


「キャァァァァ~っ!」


 見た瞬間、真琴は衣を劈くような悲鳴を夕闇の中に上げる。


 自分の部屋に見知らぬ男が立っていたのだから、それももっともなことではあるが、真琴を驚愕させた理由はそれだけではない。


 なんと、その男は頭に丁髷ちょんまげを結い、紺色の着物に灰色の袴を穿いて、腰には大小二本の刀を差している……つまり、昨日、彼女が日本刀の中に見た侍と同じ格好なのである。

 

 歳は真琴より少し上ぐらいか? 奇麗に剃り上げた月代さかやきの下に覗く顔は、まあ、それなりにけっこうなイケメンではあるが……って、そんなことはどうでもいい! なんなんだ!? この侍は!


「な、なんでござるか、急に……そんな化け物でも見たように叫ばずともようござろう?」


 だが、対する男の方も、彼女の悲鳴に少々驚いた様子でいる。


「……あ、あ、あ、あなた、い、いったい誰? な、な、なんで、あたしの部屋にいるの?」


 血の気の失せた顔に驚きと恐怖の色を浮かべる真琴は、それでもなんとか声を振り絞り、その得体の知れぬ男に途切れ途切れながらも果敢に尋ねる。


「ん? それがしでござるか? おお、そう言えば、まだ名乗ってござらんかったな。拙者、羽州うしゅう松岡藩藩士、森本喜十郎もりもときじゅうろうと申す」


 真琴に問われて男はそう名乗ると、姿勢を正して律儀に頭を下げた。まことに礼儀正しくはあるものの、なんだかこの状況にはそぐわぬ仕草である。


「も、もりもと……?」


「なぜ、ここにいるのかと問われれば、そうでござるな……それがし死して後、ずっとその、そこもとが昨日買われた我が愛刀に憑いているからにござるかな?」


 続けて男はさらりとそのように述べ、真琴の握っている刀の方を指差す。


「死して後? ……こ、この刀に憑いてって……じゃ、じゃあ、やっぱりあなた……侍の…怨霊……」


 真琴は自分の手に握る刀を見つめながら、震える声でもう一度改めて男に問う。


「怨霊とは失礼でござるな。ま、もう死んでいるので霊には違いござらぬがな。ハハハ」


「キャァァァァ~っ!」


 平然とそう答えて暢気に笑う侍の霊に、真琴は再び甲高い悲鳴を上げた。


「……真琴~っ? 帰ってるの~っ? どうかしたの~っ?」


 するとそこへ、その悲鳴を聞きつけた彼女の母・珠子が、心配して一階から階段を早足で上がって来る。


 トントン…。


「真琴? 何かあったの? 開けるわよ?」


 そして、彼女の身を案じる母は一応ノックしてから、返事も聞かぬ内に部屋のドアを開けた。


「ああ、真琴、やっぱり帰ってたのね…」


「お、お母さん! さ、侍の霊が!」


 ドアが開かれるや否や、涙目の真琴は自分の正面を手にした刀で指し示しながら、震える声を振り絞って母に訴える。


「え? お侍さん?」


 だが、彼女の母は部屋の中を覗いても、別段、何か驚いているような素振りを微塵も見せようとしない。


「いったいなんのこと? それより、その手に持ってる刀はどうしたの?」


「へ…?」


 予想外の母の反応に、真琴はキョトンとした顔で声を漏らす。


「だ、だから、ほら、そこに変な侍が……」


 そう言って、真琴はもう一度、侍の霊のいる方を指さすが、それでも母はなんのことだかさっぱり理解できぬ様子で小首を傾げている。


「変な侍? ……ああ、わかった! 時代劇か何かのお芝居の稽古ね。なに? 学園祭で剣道部がやるの? その刀もその小道具ってわけね。まあ、熱心なのはいいけど、あんまし大声出すとご近所迷惑だから、ほどほどにしときなさいよ?」


 そして、勝手にそんな解釈を下すと、母はさっさと部屋を出て行ってしまう。


「……もしかして、あたし以外の人には見えてない?」


 そこで、真琴はようやくそのことに気がづいた。


「うむ。どうやらそのようにござるな」


 そのとなりでは、腕を組む侍の霊も納得といった様子で頷いている。


「……う、うむじゃないわよっ! な、なんで、そんな侍の霊がここにいるのよ!?」


 気を取り直し、恐怖よりも疑問と納得のいかぬ感情の方が勝る真琴は、もう一度、改めて侍の霊を問い質す。


「だから、さっきも申したでござろう? その刀はかつて我が愛刀であった胴田貫正国どうたぬきまさくに作の名刀にござってな。それがしはその刀に憑いているのでござるよ。で、そこもとがその刀を買ったので、それがしも一緒にここへ着いて来た……とまあ、そんな具合にござるな」


「……ひ、ひぁあ」


 ガタン…。


 今、自分の手にしている物がそうした恐ろしいものであったことを思い出し、真琴は持っていた刀を慌てて床に放り投げる。


「あ、こら! 武士の魂に何をするでござるか! 使わせていただいている体の持ち主といえど、無礼な行いには容赦いたしまぜぬぞ!」


 真琴にしては已む無きこととはいえ、その武士にとっては我慢ならぬ非礼な行動に、侍の霊は不意に真顔になると厳しい口調で彼女に怒った。


「使わせていただいてる? ……って、じゃあやっぱり、昼間、あたしが気付かない内にいろいろ変なことしてたのは、みんな、あなたがあたしに取り憑いて……」


 だが、意外やその怒号に怯えることなく、それよりも今、男が何気に口にした言葉の中に非常に引っかかる部分を耳聡く拾い、真琴はその忘れかけていた本題を確かめるべく、再度、侍の霊を問い質す。


「変なこと? ……ああ、あの勉学の最中、師に逆らう不逞な輩を懲らしめたことや、炊事の時に大根を宙に投げて斬ったことにござるな? いや~面目ない。あれはついつい調子に乗ってしまったでござる」


 すると、侍の霊は頭を掻き掻き、ちょっと気恥ずかしそうにあっさりとその容疑を認めた。


「にしても、この日本がメリケンや西欧の国々と親しく交わり、学問所でエゲレスの言葉を習うのが必修とは驚きましたなあ。それどころか、建物や人々の格好までが異国風になっておるし、町には黒船も真っ青な勝手に動く駕籠や輪の付いたカラクリの馬までが走ってござる。まさか、それがしがあの古道具屋で眠っている内に、かように世の中が変わっていようとは……」


「勝手に動く駕籠? ……ああ、自動車のことね。輪の付いた馬ってのはバイクのこと言ってるのかな? ま、そんなものなかった江戸時代の人から見れば、確かにそういう風に表現できるかもしれない……って、そんなことはどうでもいいの! やっぱり授業中にいろいろやらかしてくれたのはあなただったのね!? それに部活の時にみんなに勝っちゃったのも……」


 時代を超えた異文化交流に一瞬、脱線しそうになる真琴であったが、再び本題を思い出すと、さらに侍の霊を追求する。


「ああ、剣術の稽古ではどうにも我慢がならず、思わず皆様に一手お相手を願ってしまい申した。それがし生前、剣の道を志しておりましたゆえな。ハハハハハ」


「わ、笑いごとじゃないわよ! なに勝手に人の体使ってんの!? どうしてくれんのよ!? おかげであたし、みんなに変な目で見られるようになっちゃったじゃない!」


 真相を知った真琴は相手が死者の霊であることも忘れ、恐れ慄くどころか、思わずその怒りを顕わにする。


「っていうか、なんで、その刀に取り憑いてるはずのあなたが、あたしの体にくっ憑いて学校に来てるわけ? おかしいじゃない? 刀は家に置いてあるのに!」


「ああ、それについてはこれまでの経験則上、どうやらこの刀の持ち主が誰か現れた時点で、今度はその持ち主の体に取り憑くこととなっているようにござる。それゆえ、今は刀を買い求めたそこもとに憑いていると、まあ、そういう次第にござるよ」


 頭に血が上ってる割には意外と冷静に考察して矛盾を指摘する真琴に、侍の霊は悪びれるでもなく、平然とその迷惑極まりないメカニズムを説明してみせる。


「そういう次第って……冗談じゃないわよ! 出てって! 今すぐあたしからも、あたしの家からも出てって!」


 真琴は顔を真っ赤にして侍の霊に怒鳴る。だが、侍はその激昂にも何食わぬ顔でさらっと言って退ける。


「そう言われても、それは無理というものにござるよ。それがしはその刀の持ち主に憑くようになっているでござるからな。だから、そこもとがこの刀を持っている以上、例え自らが望もうとも、それがしはどこへ行くこともでき申さん」


「じゃ、じゃあ、この刀を捨てればいいのね?」


「いや、それでも駄目にござる。例え捨てたとしても、誰かが拾って自身のものとしない限り、それがしが他の者に憑くことはござらん。ちなみに、もしこの刀が壊され、消えてなくなるようなことがござれば、それがしは宿る依代よりしろをなくし、永遠にそこもとに取り憑くこととなるでござろうな」


「そ、そんなあ……」


 一瞬、この迷惑千万な霊を退ける方法が見付ったとよろこぶ真琴であったが、それも侍にあっさりと否定され、さらに恐ろしいことまで言われてしまう。


「そういえば、昨日のそこもとの独り言をお聞き申すのに、そもそも我が愛刀を買い求めたのは誰かに礼物として渡すためだったのでござろう? なれば、その御仁ごじんにお渡しすれば、それがしも刀とともにそちらへ移るでござる。それほど取り憑かれるのが嫌でござるなら、それで万事解決にござるよ」


「ダメっ! ぜったいにそれはダメっ! 霊が取り憑いてる刀なんて、先輩にあげられるわけないじゃない!」


 親切にもしてくれた侍のその提案に対し、真琴は断固として首を横に振る。


「なんだかわがままでござるな」


「どこがわがままよ!」


 顔をしかめる侍に、真琴はまたも怒鳴り声を上げる。


 ……こんな変な霊に取り憑かれるってわかってて、先輩にあげられるわけないじゃない! ……ううん、先輩だけじゃない。他の人にだってあげられない。捨てたら誰が拾うかもわからないし、それにもしゴミとして処分されちゃったら、あたしは一生、こんなヤツに憑きまとわれる羽目に……あああっ! あたしはいったいどうしたら……。


「そうだ! それなら、あたしが買ったあの骨董屋に持ってって返すってのはどう? もともとはあのお店の物であったわけだし、そうすれば持ち主はあの骨董屋ってことになって!」


 しばらく考えあぐねた末、真琴はふとそんな妙案を思い付き、一応、確認をするために侍の霊に尋ねた。


「うむ。それならば元通りに戻るだけでござるよ。まあ、あの店にいる時はなぜだか刀の中で眠ってしまうらしく、それがしとしてはあまりおもしろ味がないでござるがな。目を覚ますのは店の主か店に来た客がそれがしの刀を手に取ってくれた時くらいのものでござるし、その時もこうして姿を現すことまではできず……」


「ふーん…そうなんだ。ま、あなたがおもしろかろうがおもしろくなかろうが、そんなのあたしには関係ないし。むしろ、そういう所だって言うんなら、こっちとしてはなおさら好都合よ。わかった。それじゃ、これからあの骨董屋へ返しに行きましょう!」


 そのどこか気乗りのしない様子ながらも肯定的な答えに、対する真琴は意気揚々と、床に落とした彼の愛刀を黒塗りの鞘に納めた――。





「――おかしいな? 確かこの辺だったと思うんだけど……」


 だが、侍の霊が取り憑いた刀を布袋にしまい、早速、夕暮れの街へと飛び出した真琴は、再び訪れた三河商店街で予想外にも途方にくれていた。


 勢い勇んで商店街まで来てみたはいいものの、昨日、刀を買ったあの骨董店がどうしても見付からないのだ。


 おそらくはここら辺だったと思う場所に行ってみるのだが、見慣れた他の店はちゃんと軒を並べているというのに、昨日見たあの骨董屋の姿だけはどうしても見当たらない……もしや、通りの反対側かと振り返ってみるも、やはりそんな店はどこにもない。


 それならば自分の勘違いで、もうすでに通りすぎたか、あるいはもっと先かと商店街の通りをもとに戻ったり、また行てみたりと何度も繰り返してはみるのだが、それでもあの骨董屋――〝時空堂〟は見付からなかった。


 そんなこんなで彼女はもう、かれこれ30分ばかり、この通りを行ったり来たりしている。


 頭上に覗く商店街の路地の形に切り取られた空は、すでに日が沈み切る間際の一際輝く夕日の色に染まっていた。


「やっぱりなんかおかしい……どうして見つからないの? 確かに昨日はこの辺にあったはずなのに……」


 昨日、骨董屋のあったと思われる場所にひっそりと存在する、店舗と店舗の隙間のごくごく細長い空間を見つめながら、真琴はやや血の気の失せた顔で誰に言うとでもなく呟く。


「やはり……そう簡単にはあの店に行けぬようでござるな」


 すると、いつの間にやら傍に立っていた侍の霊が、そんな彼女の呟きに答えた。


「きゃっ! ……ちょ、ちょっと何出てきてんのよ!? 人が見たらびっくりするじゃないの!」


 そのどこからどう見てもただの通行人には見えないサムライ然りとした姿を目にし、真琴は思わず悲鳴を上げると彼に文句を言う。


「大丈夫でござるよ。ほら、お母上の時と同じく、それがしの姿は他の者には見えぬでござるゆえ」


 だが、暢気な口調で彼がそう言う通り、どうやら商店街を行き交う人々に場違いな侍の姿は見えないらしく、むしろ頓狂な声を上げた真琴の方が好奇の目で見られてしまっている。


「ああ、なるほど……って、そういう問題じゃないっ! あたしだってびっくりするでしょ!? いや、そんなことより今言ってたのはどういうこと? 簡単にあのお店には行けないとかどうとか……」


「ん? ああ、そのことにござるか。それがしもよくは存ぜぬのだが、前に店の主から聞いた話によると、どうやらそういうことになってるようにござるのだ。どういう理由かは知らぬが、あの骨董屋を見つけられる時もあれば見つけられぬ時もあり、そして、見つけられる時の方が極めて少ないらしく…」


「じゃ、じゃあつまり、あたしが昨日、あのお店に入れたのは極めて稀な出来事で、もう一度この刀を返しに行こうと思っても今度はなかなか行けないってこと!?」


 侍の霊が話し終えるよりも前に、真琴がやや怒り口調で口を挟む。


「まあ、そういうことになるでざるかな」


「どうしてそれを先に教えてくれなかったのよ! わざわざここまで出かけて来て、こんなに探し回ったってのにまるで無駄骨じゃない!」


 まったく悪びれる様子もなく、何食わぬ顔でさらりと今更ながらにその重要情報を伝える侍に、真琴は人目も憚らずに大声で怒鳴りつける。


 その様子を往来の人々が、また奇異な物でも見るような眼差しで横目に眺めながら通り過ぎてゆく。


 他の者には侍の霊が見えず、真琴が独りで騒いでいるようにしか映らないのだ。

 

 しかし、激昂する真琴はそんなことお構いなく、侍の霊とのやり取り――傍から見れば、路上パフォーマーのような独り芝居を続ける。


「いや、もしやということもあるでござるからな。その是非を分ける理がわからぬ以上、実際に行ってみなくてはどうなるかはわからぬでござるよ」


「それにしたって、説明くらいしといてくれてもいいでしょう?」


「いや、それは別に訊かれなかったゆえ…」


「訊かれなくても普通言うでしょうに! それより、あなた! あの店にずっといたんなら、何かあの店に行くための方法について心当たりくらいあるでしょう? ほら、今度はちゃんと訊いてるんだから早く教えなさいよ!」


「そう申されても、それがしのような一介の武士に左様なことはわかりかねまする」


 一縷の望みを託し、真琴は改めて尋ねてみるが、侍の霊はきっぱりとそんな風に言い切ってくれる。


「ああ、もう、まったく役に立たない武士ね。っていうか、あなた、武士じゃなくて武士のでしょうに! ハァ…なんであたし、こんな生きてもいない存在とこんなとこで怒鳴り合ったりしてるんだろう? もう、ほんっとバカらしくなってきた……帰る!」


 真琴は吐き捨てるようにそう言い放つと骨董店を探すのを諦め、ドカドカとうっぷんを晴らすかのような荒い足取りで商店街を後にする。


 普段は大人しく、あまり感情を表には現さない真琴であるが、昨日今日で自分を襲ったこのあまりにも非現実的でふざけた出来事に、彼女もついにぶちキレてしまったみたいである。


 しかも、普通だったらぜったい恐れ慄くような幽霊に対してまで、怖がるどころか怒鳴り散らしたりなんかしている。


 しかし、もう何がなんだかわからぬこの状況に憤慨する彼女は、そんな自分の性格の変化にもまだまるで気が付いてはいないのであった――。


「――うーん。未熟な己にはまだまだ早いと、これまでは敢えて触れずにきたんだが……やっぱり、真剣での稽古が必要かぁ……」


 そうして真琴と、それから彼女に取り憑いた侍の霊が帰るのと入れ違いになるようにして、もう一人の人物がここ三河商店街を訪れていた。


「とは言え、真剣なんて高校生が買えるほどお手軽な代物じゃないしなあ……まあ、摸造刀でもいいんだが、それだって稽古に使えるようなちゃんとした作りの物はそれなりにするし、急に思い立っても今の懐具合じゃあなぁ……やっぱり、もっと早くに居合も始めとくべきだったかぁ……」


 腕を組み、悩ましげな顔で歩くその人物とは、誰あろう真琴の憧れる先輩・松平貴守である。


 ご他聞に漏れず、彼も部活帰りによくこの商店街に立ち寄ったりするのであるが、先刻、部のマネージャーである少女に完膚なきまでに打ちのめされ、その師と仰ぐことにした少女から「時には真剣での稽古も必要」と教えられた松平は、部活が終わった後もずっとそのことについて考えていた……。


 そして、特に用があったというわけでもないのだが、気が付くと、いつもの癖でこの商店街に足が向いていたのである。


「おっと。考え事してる内にこんなとこまで来ちまってた……ああ、そうだ。ここの商店街って、なんか安い摸造刀売ってるような武道具屋とか古道具屋とかってあったっけ? ……いや、そんな店、都合良くあるわけないよな。今までにそういったのは見かけたことないし……せっかくだし、もしあるんだったらちょっと覗いて行くんだけど……」


 ふと立ち止まると独白し、賑わう商店街を宛もなく見回す松平であったが、ちょうど今立っている場所の真横に面する店に目を向けると、予想外のものが彼の目に映る。


「お、おお…おおおお! あ、あれは……」


 彼の目に映ったもの――それは、これまでに一度も見かけた記憶のない、古めかしい道具達の並ぶ骨董屋のショーウィンドウであった。


「……ほんとに都合良くあったよ」


そして、そのガラス越しに見つめる彼の視線の先には、骨董屋の一番奥に置かれる「特価1000円」の値札の付いた朱鞘の日本刀が、その優美な姿をひっそりと覗かせていた……。

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