第二幕 不思議な骨董店

「――じゃ、民ちゃん。あたし、お母さんに頼まれたCD買ってきたいからこれで」


「うん。わたしも付き合いたいのは山々だけど、ちいとばかし野暮用があるんで失礼するわ。そんじゃね、真琴。いい? ちゃんと先輩へのバースデープレゼント考えとくんだよ!」


 学校最寄りの駅前での別れ際、民恵はもう一度念押しするようにして真琴に言い聞かせる。


「は~い……」


 先程から再三再四、民恵に延々とお説教をされ続け、さすがの真琴も抵抗を諦めたのか、嫌々ながらに弱々しく返事をする。


「じゃ、また明日!」


「うん、また明日ぁ……」


 去り行く民恵に力なく手を挙げると、真琴はよく行くCDショップ「卒塔婆そとばレコード」のある商店街へと足を向けた。


 そこは駅前の大通りを少し行って、脇道に入った所にある。ここら辺では一番お店が集まっている繁華街であり、真琴も学校帰りに民恵や他の友人達とちょくちょく寄っていったり、休日にもよく買い物に行く、地元の者には定番の遊び場&道草スポットだ。


 駅前の大通りを折れ、いつものように「三河通(みかわどおり)商店街」と書かれたアーチを潜って脇道へと入る……。


 夕刻のオレンジ色に染まるそのあまり広くはない路地は、真琴と同じく学校帰りに立ち寄った学生や帰宅途中のサラリーマン、OL、夕食の買い物に来た主婦などでごった返していた。


 行き交う通行人とぶつからぬよう、注意して商店街の通りを進む……そうして人の波を掻い潜りながら、真琴は先程の民恵との約束を思い出していた。


 ……ハァ……民ちゃんの強引さに押し切られちゃったけど、先輩へのお誕生日プレゼント、どうしようかなあ? ……先輩、ちょっと趣味が他の人と変わってるから、何あげればいいのかなんてわからないよお……もし何かあげてもよろこんでくれなかったら嫌だしなあ……いや、それ以前にあたしなんかがプレゼントして、迷惑そうな顔されちゃったらどうしょう……そんなことになったら、あたし、気まずくてもう部活なんか行けないよう……。


 そのあどけなさの残る顔に憂鬱な表情を浮かべる真琴は、人混みの中でもう一度、大きく深い溜息を吐く。


 ……でも、プレゼントしないと民ちゃんに怒られるしなあ……先輩、どんな物もらえばよろこぶのかな? そういえば、さっき堀田先輩には日本刀が欲しいとか言ってたような……でも、そんなの高くて、あたしの財力じゃ買えないしなあ……というか、誕生日プレゼントに日本刀あげる女子ってのもどうかと思うし……昨今の某刀剣ゲームにハマってるヲタ女子だと誤解されそうだな……。


「あ、そうだ! ここはなんにも知らない振りをして訊いちゃえば……」


 そうしたことをつらつらと考えつつ、人混みの中をとぼとぼと歩いていた真琴は、ふと明暗を思い付くと、立ち止まって鞄の中からスマフォを取り出す。そして、若者を中心にして人気なSNSアプリ〝LIGNEリーニュ〟を立ち上げると、「日新高剣道部」で作ってあるグループの全員――つまり部員全員にメッセージを送って質問をした。


[同い年のいとこの男の子が今度誕生日なんだけど、この年代の男の子って、どんなものプレゼントされたらよろこぶのかな?]


 もちろん、いとこが誕生日などというのは真っ赤な嘘である。


 そんな嘘で一般論的な質問を装い、その多数の回答の中に紛れた本命である松平の要望を密かに聞き出す……奥手で引っ込み思案な真琴にしては大胆な、否、だからこそ思い付いた、彼女にとっては精一杯の知恵と勇気を振り絞った作戦である。


「来た!」


 質問を投げかけるやいなや聞き慣れた着信通知音が鳴り、下校途中で手が空いているためか、すぐさま次々にコメントが返って来る。


[うーん…無難にハンカチ]

 

[洋服とか?]


[あたしは断然、ケーキ! あ、でも男の子か]


「年頃の男子なら、そりゃあもちろん……スミマセン! セクハラでした!」


 どれも月並みだったり、平凡すぎてつまらなかったり、中にはそんなお年頃だけあってスケベなものもあったりと、役に立たぬ意見ばかりであるが、そんなものはどうでもよい。


「せ、先輩からだ!」


 その内に、予告もなく淡々と、ついに大本命からのコメントも他の者に混じって液晶画面に表示される。


[うーん……やっぱり日本刀だな]


「だあ……」


 しかし、その相変わらずなコメントを見て、思わず真琴はコケそうになった。


「これじゃあ、グループLIGNEリーニュで訊いた意味ないじゃん……」


 どうやら妙案だと思った真琴の作戦も、まったくの徒労に終わったようである。


「ハァ……また振り出しに戻るだよ……何かいいものどこかに置いてないかなあ……」


 そうして深い溜息を吐きながらまた歩き出し、なんとはなしに見慣れた商店街の店舗に並ぶ商品を物色していた真琴であったが、その時ふと、彼女は奇妙な感覚に囚われる。

 

 奇妙な感覚――それは特にこれといって取り上げるほどのことでもないのだが……今、自分の目に映っている、ウインドウ越しに並ぶその店の品々にまるで見憶えがなかったのだ。


 この商店街にはよく来ているので、どの店の店先でも必ず一度は見ているはずだ。それなのに、このショーウィンドウに関しては今日初めて目にしたような気がする……つまり、見慣れたはずの商店街にあって、この店先の景色だけはこれまでに見た記憶がまったくないのである。

 

 新しくできたお店?

 

 真琴は一瞬、そう思ったのであるが、その考えは即座に否定される。


 新しい店にしては店構えがやけに古いのだ。


 いや、古いなんてもんじゃなく、江戸か明治の頃にでも建てられたかのような、商家風の古めかしい木造日本建築である。文化財にでも指定されているか、もしくは時代劇のロケにでも使用されていそうな、そんな感じの風情である。


 それに、そこだけは新しく設けられた店先のショーウィンドウの向こう側に並ぶ品々も、これまた皆、建物の雰囲気にお似合いのたいそう古臭い物ばかりである。


 古色がかった白い釉薬のけっこうお値段張りそうな瀬戸物の大皿だとか、少々錆びついた時代を感じさせる金属製の手鏡だとか、黒く煤けた由緒ありそうな古い仏像だとか、そんなような古道具ばかりがそこには並んでいる……察するに、どうやら骨董屋か何かのようだ。


 真琴はショーウィンドウから目を離すと、何気に頭の上へとその視線を向けてみる。

 

 すると、入口の引き戸の上には「時空堂」と太い筆字で大きく墨書された、やや朽ち気味の木の看板が掛けられていた。


「じくうどう?」

 

 夕暮れ時の商店街の往来の中、真琴はその店名を思わず口に出して読み上げる。


そして、それとともにもう一つ、奇妙なことに気付いた……それまで自分の周囲に満ちていた往来の喧騒が、いつの間にやらすっかり消えてなくなっているのである。

 

 真琴は慌ててキョロキョロと辺りを見回す……だが、辺りに人がいなくなったというわけでもないらしく、通りには先程と変わらず多くの人々が忙しなく行き交っている。


 ただ、なぜだかその通行人達の足音や話し声などは、真琴の耳にまったく聞こえてこないのである。


 例えるならば……そう。まるで無声映画の世界にでも迷い込んでしまったかのような、そんな不思議な感じだ……。

 

 なんだかキツネにでも抓まれたかのような面持ちで、真琴は再び頭上の看板を見上げてみる。

 

 時空堂……こんなお店、前からあったっけ? あたし、今までぜんぜん気付かなかったんだけど……なんか、変だな……。

 

 真琴は不意に薄気味悪くなる……しかしその半面、彼女はこの店に惹かれる自分というものも心の奥底に感じていた。


 そして、そこはかとない恐ろしさが背中の辺りを過りながらも、どうしてもこの店の中に入ってみたいという衝動が込み上げてくる……。


 なぜそう思うのかよくわからないのであるが、この店なら自分の探しているものがきっと見付かるような、そんな気がしたのである。


 ガラッ…。

 

 気がつくと、真琴はもうすでに入口の引き戸を開いていた。


「いらっしゃーい」


 すると、中からは年老いた男性の穏やかな声が聞こえてくる。


 彼女は声のした方向――店の奥に設けられた、手前の土間より一段高くなった古風な商家風の帳場へと視線を向ける……。


 そこには、草色の着物に茶の袖なし羽織を纏い、同じく茶系のイスラム帽をかぶった一人の老人の姿があった。


 丸い頭にジャストフィットした半円型のニット帽の下には、水戸黄門のように白く立派な顎髭を蓄え、小ぶりな丸メガネを鼻にかけた、なんとも柔和な顔をこちらに向けて覗かせている……どうやら、この老人がこの店の主であるらしい。


「ほう。若いお嬢さんとは、これはまた珍しいお客さんじゃの。どんな物をお探しかな?」

 

 帳場に置かれた黒い文机ふづくえを挟んで座るその老人は、鼻メガネの隙間から真琴のことを覗うと、その目を優しげに細めて愉快そうに声をかけた。


「……は、はい……あ、い、いいえ! 別に何か欲しいというわけじゃ……」


 どこか浮世離れした老人の姿にしばし心を奪われていた真琴は、その言葉で我に返ると慌てて返事を返す。


 先程、店に入る時には何か自分の探している物がここにあるような、なんだかそんな気がしていた真琴ではあるが、よくよく考えてみれば特に骨董好きというわけでもないし、この店に自分の欲しがるような物がこの手の店にあるようにはとても思えない。


「ほう。そうかね、そうかね。ま、どうぞ気軽に見て行ってくださいな。うちは品揃えがいいからの。何か欲しい物が見つかるかもしれんよ」


 だが、真琴の心情とは裏腹に、老人は先程来の柔和な微笑みを湛えたまま、他人の話など聞いちゃあいない様子でそのように勧めてくる。


「は、はあ……」


 なぜ自分がこの店に入ってしまったのかもよくわからない彼女は、そんな生返事を口にすることしかできない。それでもせっかく入ったのだし、普段あまり目にすることのない古道具達に少し興味も惹かれたので、とりあえずは老人の言葉通り、店内を見て回ることにする。


「………………」


 改めて、店内をぐるっと見回してみる……店の中はまるで時が止まってでもいるかのような、なんともいいようのない静かで厳かな空気で満たされていた。

 

 さっき、店の前で感じたのと同じ静寂がここにも流れている……。


 そんな時が止まったかのような静けさの中、売り物なのか? それとも趣味で置いてあるだけのものなのか? 店先の壁に掛けられた古い振り子時計のコチコチと時を刻む音だけが唯一この無音の空間に空気の振動を生み出している……むしろ逆に、その単調な機械音がよりいっそうこの静けさを強調しているようにも感じられた。


 焼き物やら漆器やらアンティーク・ドールやら、棚やテーブルに雑多に置かれた品々を真琴はゆっくりと歩きながら眺める……まあ、みんな普通に骨董品と呼ばれる代物である。


 その古めかしく日常生活ではあまりお目にかからない、だが、それでいてどこか懐かしく、不思議と愛着を感じる珍しき品々は、見てる分にはおもしろいのだが特に買う気も真琴にはないので、なんだか雑多に展示物の置かれた博物館か美術館でも訪れているかのような、そんな気分である。


「…………?」


 そうして、なんとはなしに様々な商品を見物していた真琴であるが、店の奥まで来た所で、思いがけず非常に関心を惹く代物が彼女の目に映った。


「……あっ!」

 

 真琴は小さく声を上げる。

 

 彼女の目に映った物……それは二振(ふり)の長い日本刀であった。


 黒い鞘の物と赤い朱鞘の物が一本づつ上下に並んで刀掛に置かれている。しかも、その下には「特価! 1000円 ※お一人様一本まで」と書いてあるではないか!

 

 それを見た瞬間、真琴の脳裏には自然と〝先輩への誕生日プレゼント〟という言葉が浮かぶ。


 こんな骨董屋に自分の欲しい物などあるわけがないと思っていた真琴であるが、そういえばこれ・・があったのだった……。


 董屋に日本刀が置いてあるのは当たり前といえば当たり前なのだが、なぜか今までそれとこれとを結びつけては考えていなかったのだ。


 ま、そもそも誕生日プレゼントと日本刀自体がなかなか結び付くものではないので、それもやむからぬことである。


 そっか。さっき、この店に入れば自分の探しているものが見付かるような気がしたのはこれだったのか……。


 それでもあるいは潜在意識の奥底で、真琴はそのことを考えていたのかもしれない。


 日本刀……世間一般から見て、極めて特異でマニアックなプレゼントではあるが、これならば本人の希望とも完全にマッチした、確実に松平がもらってうれしい代物だ。


 しかもなんと特価千円である! このお値段ならば、平凡な女子高生である真琴の財力でも充分に手が出せる。


 ……でも、いくらなんでも安すぎじゃない?


 一瞬、そのお買い得プライスに心の揺らいだ彼女ではあったが、当然、その直後にそんな疑念が湧いてくる。


 確かに「特価! 1000円」とは激烈に安すぎだ。真剣じゃなく模造刀にしたって、こんな値段、普通ならばあり得ないだろう?


「あ、あのう……この刀、ちょっと触ってみてもいいですか? あ! いえ、別に骨董が趣味とか、最近流行りの〝刀剣女子〟だとか、そういうんじゃないんですが……」


 真琴はその疑惑を確かめるべく、振り返って老人に許可を求めた。


 訊いた後で「女子高生が日本刀触らせてくれだなんて、きっと痛い子に思われるだろうな」と後悔したが、最早、後の祭である。


「ああ、それかい。いいとも。いいとも。お嬢さん、なかなかいい物・・・に目を付けたね。それは掘り出し物だよ。贋物まがいものじゃないからね」


 だが、老人は特に奇異の眼差しを真琴に向けることもなく、柔和な顔に付いた二つの目をさらに細めて愉しそうに答える。


「あ、ありがとうございます……ゴクン…」


 許可を得た真琴はおそるおそる左手を伸ばし、刀掛の上段に置いてある黒鞘の方の刀を小さく色白な指でむんずと掴んだ。


 持ち上げると、そのズシリとした重みが鞘の中程を握った手を通して腕全体に伝わってくる……どうやら、少なくとも竹光とかそういう非金属でできたハリボテの類ではないらしい。

 

 ……でも、さすがに真剣じゃあないよね?

 

 そう思いつつ、今度は空いている右の手で黒い組紐の巻かれた刀の柄を掴むと、その手に少し力を込めて真横にぐっと引いた。


 ガチャ…。


 すると、金具の擦れる音とともに、その刀身が鞘の口から徐々に姿を現し始める……。


「…っ?」


 と、その瞬間。真琴の背中に何か冷たいものでも浴びせられたかのような、不気味な悪寒が突然走ったのだった。


 ……な、何? 今の? なんか、後に誰かいるような……。


 彼女はその感触に慌てて背後を振り返る……だが、そこには当然、真琴以外の者は誰一人としていない。


 いや、そもそも店内には真琴を含めて二人の人間しかいるはずがなく、そのもう一人の人物――店主の老人もそこからは少し離れた帳場の床に座ったままだ。

 

 ……誰か後にいるような気がしたんだけど……気のせいかな?


 一瞬、何か異様な感覚に囚われる真琴であったが、それもすぐに消えたのでそれ以上は気にすることもなく、彼女は再び手にした刀の方へと注意を向ける。


 そして、改めて鞘からゆっくり刀身を引き抜き、ようやく全身像を現わにしたその白刃を、隅から隅までまじまじとくまなく見渡してみた。


「………………」

 

 その刃は幾分錆びているせいか、時代劇や博物館で見る刀のように鏡みたく輝いてはいない。むしろ灰色に近いような、少し黒ずんだ鈍い銀色である。

 

 けっこう重たいは重たいけど……この色からしてやっぱり真剣じゃないんだろうな……。

 

 それでも金属の塊だけあって、普段はあまり味わないような重みを真琴が右手に感じていると、老人が再び声をかけてくる。


「どうだね? なかなかのもんじゃろ? これで千円はお得じゃよ。いかがかね?」


 なかなかのものって、なんかちょっと錆びてるみたいだけど……まあ、この値段だからなあ……それでこんなに安いんだな…っていうか、こんなに安いってことは、やっぱり本物の刀じゃなくて摸造刀なのかな?

 

 なまくらな色の刃に視線を落とし、心の中でツッコミを入れる真琴だったが、老人のその言葉に先程からの疑念の答えがわかったような気がした。

 

 ……それに本物の刀を買う時って、確か役所に届け出とかすると思ったんだけど……あのお爺さん、そんなこと何も言わないし、第一、あたしみたいな女子高生に真剣の刀を買えなんて勧めるわけないよね? ってことは、やっぱり本物じゃないんだろうな……いや、摸造刀でも女子高生に勧めるのはどうかと思うけど……。


 しかし、そうであっても真琴の心には「この刀を買おうかな?」という衝動がじわじわと湧いてきてる。いや、真剣でない方が買うには何かと気軽だし、それ以前に彼女にとっては「真剣であるか? 摸造刀であるか?」などという違いはさほど関係ない。


 彼女にとって大切なこと――それは、これが松平の欲しがっている〝日本刀の形をしたもの〟であるという、ただその一点だけなのだ。


 しかも、特価千円……あたしのお財布と相談しても余裕で買える。これ、誕生日プレセントに送ったら、先輩、よろこんでくれるかなあ……。


「それは超特価品じゃからの。もう残るはあと二本だけじゃよ? 早くしないと売り切れちゃうよ?」


 揺らぎ始めた真琴の心に追い討ちをかけるかのように、老人がそんな殺し文句を言ってくる。


 うーん……どうしようかなあ……買っちゃおうかなあ……いつも、やっぱりやめようと思って買わないと、後ですっごく後悔したりするからなあ……。


「――すみません。これ、ください」


 いつもながら優柔不断に長いこと悩んだ末、結局、真琴はそう老人に向かって答えていた。


「はい、毎度あり」


 購入したのは黒鞘と朱鞘の二本の内、さっき真琴が手にとった黒鞘の方である。


 と言っても特に選んだのに拘りはなく、ただ派手な朱鞘よりはシックな黒鞘の方が松平に似合うかなあと思った程度である。


「お嬢さんには特別サービスじゃ。これもおまけに付けてあげよう」


 商品・・と財布から取り出した千円札を帳場で手渡すと、老人はそう言って少々くたびれた藍色の細長い布袋にその刀を入れてくれる。


 おまけにもらってもあまりうれしいとは言えないような代物ではあるが、それでも裸のままこの刀を持って帰るわけにもいかないので、その点では大いに助かる。


「……あ、ありがとうございます」


 一応、礼を言って、真琴は古い布袋に包まれた刀を重そうに受け取った。


「ホッホッホッ。どうじゃね? ちゃんと探し物が見付かったじゃろう? うちは品揃えがいいからの。また何か心より欲しいもの・・・・・・・・ができたら、ここへおいでなさい」

 

 そして、愉しげに笑う老人の声に見送られながら、真琴はどこか夢でも見ているかのような心持でその店を後にした。


「……ハァ…思わず買ってしまった……」


 店を出た後、真琴は改めて、今、買ったばかりの刀の袋を見つめながら大きく溜息を吐く。


 衝動買いを…しかも日本刀なんて代物を買ってしまうなんて、いつも「どうせ、あたしなんか…」とネガティブに考えてしまう後ろ向きな真琴としては、信じられないくらいポジティブな彼女らしからぬ行動である。骨董店に満ちる不思議な雰囲気にでもてられたのか? 今日の真琴は少し変になってしまっているのかもしれない。


 ……でも、これで先輩へのプレゼントもできたし、民ちゃんにも怒られなくてすむな……それに、これなら先輩もよろこんでくれるかもしれない。そして、もしかしたら、あたしのことも……。


 やはり今日の真琴はいつもとどこか違い、そんな前向きな考えを持てるようになっている。


 ……それにしても、あのお爺さんが言った通り、ほんとに〝何か欲しいもの〟が見付かっちゃった……品揃えがいいのかなんなのか、なんか不思議なお店だったな。

 

 そんなことを思いつつ、もう一度振り返って「時空堂」の看板を見上げてから、真琴は夕日に染まるオレンジ色の商店街をもと来た大通りの方へと歩き出した――。





「――ただいいまあ!」


 いつになく浮き浮きとした様子で、真琴は玄関のドアを開ける。


「あら、お帰りなさい。どうしたの? 今日はやけに楽しそうね。何かあったの?」


「あ? …ん、ううん。な、なんでもない。なんでもない」


 出迎えた母・珠子にその明らかな変化を見咎められると、彼女は慌てて持っていた布袋を背中の後に隠し、手をバタバタと振ってその場を誤魔化そうとする。


「ふうん……なんだか変な子ね。あ! そうそう。それより、お母さんの頼んでた『バクフノオワリ』のニューアルバム買って来てくれた?」


「ああっ! ご、ごめ~ん! すっかり忘れてた。明日、学校の帰りに必ず買ってくるから今日のところは許して!」


 母に言われ、真琴は今更ながらにそのことを思い出す。そのCDを買うためにわざわざ商店街まで行ったものの、あの骨董屋を見つけたせいですっかり忘れてしまっていたのである。


「ええ~! そうなの? もう、ほんとに今日はどうしちゃったのよ? あ、もしかして、好きな人からプレゼントもらったとか?」


「な? ……そ、そんなことあるわけないじゃない! ほ、ほんとになんでもないんだったらあ!」


 訝しがる母の当らずとも遠からず、微妙にニアミスな冗談に真琴はさらに慌てふためくと、背後の細長い布袋をなんとか隠すよう努力しながら、二階にある自分の部屋へと一目散に逃げ込んだ――。




「――よし、あたしも離脱ストンプっと……ふぁ~あ…さて、そろそろ寝ようかな……あ、でも、その前にもう一度……」


 自分の部屋に潜んでほとぼりを覚ました後、表面上はいつものように夕食を家族とともにとり、お風呂に入り、だらだらとなんとなくテレビを見たり、スマフォを弄ったりして過ごした真琴は、就寝前にふと、もう一度、例の刀が見てみたくなった。

 

 淡いピンクのパジャマ姿に着替えている真琴は、自身の部屋のカーペットの上にちょこんと座り、くたびれた藍色の布袋を見つめながら独りニヤける。


「……先輩、よろこんでくれるかなあ?」


 あの骨董屋でこの刀を買って以降、彼女はそのことばかりを考えている。基本ネガティブ・シンキングな真琴であるが、今日はなぜだか自然とその顔には笑みが零れてきてしまう。


「先輩、刀が欲しいって堀田先輩に言ってたからなあ……これあげたら、もしかして先輩、あたしのこと……」


 さらにいつもの彼女らしからぬ妄想を膨らませると、頬を桜色に染めて買ってきた刀を布袋から取り出す。


 ガチャ…。


 そして、夕方、あの骨董店でした時と同じように、右手を黒い組紐の巻かれた細長い柄にかけ、ゆっくりとその刀身を鞘から引き抜いてみた。


「やっぱ重っ! ……こんなの、よくお侍さん達は振り回してたな……」


 前回同様、ズシリとした金属の重みが柄を掴んだ右手を介して伝わってくる。


 この本物の刀っぽい重さ……これなら摸造刀でも、先輩よろこんでくれそうだな。


 そう思い、よりいっそう顔をだらしなくニヤニヤさせる真琴は、黒漆塗りの鞘を床に置き、両手で柄を握って真っ直ぐに刀身を立てると、まるで鏡でも覗き込むかのようにその刃をまじまじと眺めてみた。


 若干錆び付き、やや黒ずんだ鈍い銀色の刃……鏡のようにはっきりとは映らず、ぼんやりとその表面に自分の顔が浮かんでいる……


「…っ?」

 

 と、その矢先のことである。刃を見つめる真琴の視界の隅に異様なものが映ったのだ。


 それは、ぼんやりと鏡像を映す刃身の中……真琴の背後に紺色の着物に灰色の袴を穿き、腰には二本の刀を差した丁髷ちょんまげ頭の男が立っていたのである。


「ハッ…?」


 真琴は慌てて背後を振り返る……だが、今見た男の姿は部屋のどこにも見あたらない。


 そこでもう一度、刀の方に視線を戻してみるのだったが、その刃の中にも今の侍の姿を再び見付けることはできなかった。


 ……気の…せい?

 

 まるでキツネかタヌキにでも化かされているかのような、どこか納得いかないものを残しながらも、常識的に考えればそうとしか思えない。


 この現代の日本に…それも、ごく一般的な中流階級の家の、ごくごく平凡な女子高生の部屋の中に、丁髷結ったお侍なんかがいるわけがない。こんな日本刀なんか持ったりしてるから、きっと前に見た時代劇の一シーンか何かを脳が無意識に思い出して、そんなおかしな幻影を誤って見せたのだろう……。


「あたし、疲れてるんだな……なんか今日は変なお店に行ったり、こんなマニアックな買い物したりしたからなあ……」

 

 とりあえずそのように結論づけると、不思議と体が本当にだるくなり、両の瞼もとろんと重くなってくる。


「ふぁ~あ…明日も学校だし、もう寝なきゃ……」


 急に眠気のさしてきた真琴は刀をもとのように袋へ納めると、早々、ベットに潜り込んで夢の世界へと旅立って行った……。



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