第三幕 「ござる」な女子高生
「――真琴~っ! もう学校行く時間よ~! 早く起きないと遅れるわよ~っ!」
今朝も近藤家のダイニングに、母・
「お姉ちゃん今日も寝坊か。まったく、高校生にもなってだらしないなあ」
食卓の椅子に腰掛け、朝食のトーストをかじる小六の弟・
…………と思いきや、この日の朝はいつもとほんの少し、どこかが違っていた。
「あら? 真琴、起きてきてたの? 今朝は早いのね」
キッチンで洗い物をしていた珠子が、食堂の入口に立つ真琴の姿に目を丸くする。
「しかも、もうすっかり制服に着替えてるし。今日は学校に早く行く用事でもあるの?」
加えて、いつになくセーラー服をビシッと着込み、すでに学校へ行く準備も万端に済ませた真琴にそう問いかける母であったが、彼女はそれには答えず、代わりにペコリと斜め45度に背を曲げると、やけに行儀正しく朝の挨拶を述べた。
「母上、お早うございまする」
「えっ?」
珠子は一瞬、何が起きたのかわからず、ポカーンとハトが豆鉄砲を食らったかのような顔をして立ち尽くす。
それは、同じく真琴の方へまん丸く見開かれた目を向ける弟の庄司も同様である。
「……お、お姉ちゃん、ど、どうしちゃったの?」
トーストを口に咥えたまま動きを止めていた庄司は、わずかの後に気を取り直すと、慌てて言動のおかしな姉を問い質す。
「えっ? どうしたって何が?」
しかし、訊かれた真琴本人はなんのことだかまるでわからぬとでもいうような様子で、怪訝そうに小首を傾げながら訊き返してくる。
「何が……って、今の挨拶はいったい……」
「はあ? 何言ってるの? 朝〝おはよう〟って言うのは当たり前じゃない。朝っぱらからわけわからないこと言って、あんたの方こそどうかしてるんじゃないの?」
もう一度、口をパクパクとさせて尋ねてみる庄司だったが、やはり真琴は訝しげに眉をひそめ、むしろ庄司の方が変な目で見られてしまう。
「………………」
その奇妙な姉の反応に庄司は仕方なく、何か言いたげな表情をその幼顔に残したまま、再びトーストをかじる作業へと戻っていく。
「いただきまーす」
一方、当の真琴もそんな弟のとなりの席へと着き、何事もなかったかのように自身も朝食をとり始めた……のだったが、彼女のけったいな言動はそれだけに終わらなかったのである。
「こ、これはっ? 母上、なぜ、かような
真琴は皿に乗せられたトーストやら、ハムやら、サラダやらを見つめ、突然、驚きの表情とともに大声で叫ぶ。
「へ……?」
「い、いてき?」
無論、それには母も弟も再びポカン顔である。
「……ど、どうしてって、いつもそうじゃない……もしかして、今朝は和食が食べたかったの?」
それでもなんとか気を取り直し、再び尋ねる母であったが、すると真琴は今度も自分ではよくわかっていないように、キョトンとした顔で小首を傾げて見せる。
「ん? ……ああ、そういえば、いつもそうだったか……あれ? なんであたし、今そんな風に思ったんだろ?」
「お、お姉ちゃん、ほんと大丈夫? ……なんか言葉使いも変だし……」
「え? あたし今、何か変なこと言った?」
庄司もその不可解な言動に改めて尋ねるが、やはり自分の口を吐いて出た言葉に彼女は気付いていないらしい。
「言ってたよ! なんか時代劇に出てくる侍みたいな台詞を……あ! ひょっとしてお姉ちゃん、まだ寝惚けてるな?」
「失礼ね! 別に寝惚けてなんかないわよ! ……でも、確かに今朝はなんか変な感じがするんだよなあ……」
弟の疑いを即座に否定する真琴であったが、そう言いつつも自分自身、どこか違和感を抱いている様子である。
「ん? なんだ真琴、今日はずいぶんと早いんだな」
と、そんなところへ父の
「ん? うん……なんか今朝はすんなり起きれたんだよね。どうしてだろ? ……ま、いいか。なんだか今日はトーストって気分じゃないし、そろそろ学校行くかな……それでは、父上、母上、学校へ行って参りまする」
そして、自分でも気付かぬ内にそんな時代がかった台詞を再び言い残すと、彼女はどこか違和感を覚えたまま、学校へと出かけて行くのだった。
「……あ、ああ。行ってらっしゃい………」
後に残された父と母、そして弟は、ただただ呆然と口を半開きにしたまま、その背筋をピンと伸ばしてダイニングを後にする、いつにない彼女の凛々しい後姿を見送った――。
「――まっこと~! おっはよ~っ!」
昇降口を入った所で、朝からテンションの高い声を駆け寄った民恵かけてくる。
「ああ、これは佐々木殿、お早うござる」
その声に真琴も彼女の方を振り返ると、自身も礼儀正しく朝の挨拶を返した。
「………………」
そう述べるや丁寧にペコリとお辞儀をする真琴の姿に、民恵も真琴の家族同様、その場で大きく目を見開いて固まってしまう。
今日会ったら開口一番、例の誕生日プレゼントの件で弄ってやろうと企んでいた民恵であるが、そんなものも一瞬にして吹っ飛んでしまうほどのインパクトだ。
「……ん? どうしたの民ちゃん? 変なものでも見たような顔しちゃって」
しかし、ここでも真琴は自身の言動にまるで気付いていない様子で、逆に硬直している民恵に対して不思議そうに問いかける。
「……へ、変なもの見たんだよ! あんたこそどうしたの? 朝っぱらから妙な言葉使いしちゃって。もしかして熱でもあんの?」
「え? ……あ! ひょっとして、あたし、また変なこと言ってた?」
「うん。ひょっとしなくても言ってた。なんか時代劇調っていうか、武士みたいな言い方で〝お早うござる〟とか……あんた、時代劇ファンだったっけ? あ! そうか。なるほど。時代劇好きの松平先輩の気を引こうとして、それで…」
「きゃぁぁぁ~っ!」
民恵がそこまで言いかけると真琴は大慌てで彼女の口を手で塞ぎ、
「な、何言ってんの民ちゃん! そんなんじゃないって! ……でも、なんか今日は朝から変なんだよね。家出る時もやっぱりそんな感じだったみたいだし……自分じゃ意識ないんだけど、ほんとあたし、今日はどうしちゃったんだろ? 民ちゃんの言う通り熱でもあるのかな?」
真琴はそう呟き、民恵の口を拘束したまま、空いているもう片方の手を自分の額に当ててみる……しかし、掌に感じるのはほんのりとした温かさだけで、普段より熱っぽいというわけでもなさそうだ。
「……ぷはっ! ……ははーん…それはただの熱じゃなくて、恋の病のお熱ってやつじゃないの~?」
そんな真琴のほんとに少々赤らんでいる顔を、ようやく彼女の猿轡から解放された民恵はいつものイヤラしい眼つきで下から覗き込むようにして見つめる。
「きっと松平先輩に振り向いてもらいたくって、本当の自分が無意識にそうさせてるんだよ。カーッ! ほんっとにもう! 恋する乙女はカワイイんだからん!」
「もお、やめてったらぁ! そんなんじゃないって言ってるでしょお! そういうことばっか言う民ちゃんなんか嫌い!」
からかわれ、フグのように膨れる真琴は、今日もワイドショー好きなオバちゃん化している民恵を残してそそくさと歩いて行く。
「アハハハ。ごめんごめん。あんまりにも恋する乙女がカワイイもんだからさ。あ、ちょっと真琴、待ってったらあ~」
肩を怒らせて前を行くそのカワイらしい背中を、民恵は笑いながら愉快そうに追った――。
そんな風にして始まった真琴の一日は、その後も自分の意志とは関係ないところで奇妙な出来事が続くこととなる。
例えば、一時間目、国語の時間……。
「――子、曰く。学びて時にこれを習う。また楽しからずや……これは『論語』の冒頭に出てくる最も有名な一節ですね」
初老の国語教諭・
「この一節は孔子の開いた塾の名声が高まり、大勢の弟子達に囲まれながら学問していた時の充実した生活ぶりを語ったものとも、また、晩年の孔子の心境を述べたものだとも言われています……ん、コラッ! 水野っ! 授業中にマンガ読んでるとは何事だっ!」
黒板の前で朗々と講釈を垂れていた林は、そのメガネの端に隠れて某マンガ雑誌を読んでいる生徒の姿を目聡く見付け、不意に振り返るとしわがれた声を荒げた。
その水野なる生徒の席は教室の窓際一番後なのに、そんな辺境の悪事さえも見逃さぬとはさすがベテラン教師である。
「………………」
しかし、水野は林の叱責を完全に無視し、平然と下を向いたままマンガを読み続けている。
この水野、明るい金色に染め上げ髪をトサカのようにツンツンと尖らせ、制服も常にだらしなく崩しているといった、その見た目同様の反抗的でケンカっ早い問題児なのだ。
「コラッ! 聞いてるのか水野! とっととマンガをしまえ!」
そんな教師を完全に舐め腐った水野の態度に、メガネの奥の目を吊り上げた林はツカツカと黒板の前から彼の方へと歩み寄って行く。
「水野! 今はマンガではなく漢文を読む時間だぞ? それをしまえと言っとるのがわからんのか!」
「チっ…うっせーな。んなの俺の勝手だろうが。いちいちイチャモンつけんじゃねーよ。ロンゴだかコンロだか知んねーが、んなつまんねー話、聞いてられっかよ」
だが、水野は態度を改めるどころか、ウザったそうに暴言を吐く。
「……な、なんだとっ! それが教師に向かって言うこ…」
不遜にもほどがある水野の言動に林の怒りもついに頂点へ達し、まるで茹でダコのように真っ赤な顔をして怒鳴り声を上げようとするのだったが。
「なんだその態度はっ!」
それよりも先に、いきなり林とは違う怒号が別方向から聞こえてくる。しかも、男のような口調ではあるが、それは明らかに女子の声だ。
「……?」
予期せぬ声に驚いて、林も、水野も、そして他の生徒達もその声のした方を振り返る……すると、そこには腰に手を当てて仁王立ちし、憤怒の形相で水野の方を睨む、いつにない真琴の姿があったのだった。
「そなた、師に向かってその言い様はなんだっ!」
呆気にとられる皆を他所に、真琴はピンと背筋の伸びた妙に姿勢の良い足取りで水野のもとへと静かに歩み寄る。
「しかも、孔子先生の『論語』を侮辱するとは許せん! 我が手で成敗してくれるっ!」
そして、唖然と立ち尽くす水野の金髪頭の天辺に、ゴツンと一発、なんの躊躇もなしに思いっきりゲンコツをお見舞いする。
「痛っ! ……痛ってなぁ~…いきなり何しやがんだ、近藤っ!」
なんだか普段と様子の違う真琴に面食らう水野であったが、殴られた彼は当然、怒りを顕わにする。
が、それでも真琴は怯まない。札付きのバッドボーイを前にして、いつもの真琴ならばまず考えられない大胆で勇猛な行動だ。
「何するも何もない! それになんだ? その頭の色は? か様に異人の真似などしおって……貴様、それでも武士の子弟か?」
怯まないどころか、いっそう彼を激しく叱責すると、真琴はさらにもう一発、ゴツンと水野の頭に二発目の鉄槌を食らわした。
「痛っ! てめ、近藤! 何が武士だ? なんだか知らねえがナメてんじゃねーぞ、コラっ!」
なぜか二度も殴られ、ついにブチ切れた水野は真琴を突き飛ばそうと力任せに右手を前へ突き出す。
「フン!」
しかし、彼女はそれを逆に掴むと、いとも簡単に捻じ上げてしまう。
「痛ててててて…」
関節をきめられた水野は真琴に腕を取られたまま悲痛な呻き声を上げる。
「それがしに喧嘩を売るとはいい度胸でござるな。だが、憶えておけ。武士が喧嘩を売る時は、例えその喧嘩にて死するとも誰にも文句は言えぬということをな……さ、わかったら貴様のような武士の風上にもおけぬ腰抜けは、キャンキャン吠えずにおとなしく先生のありがたいお話を聞いておれ!」
ドガッ…!
勝手にいろいろと嘯き終わると真琴は水野の腕をようやくにして放し、その反動の勢いに任せて彼の席へと突き飛ばす。
「うぐっ…」
自分の席に沈んだ水野はよく「ぐうの音も出ない」などという〝ぐうの音〟を上げて、机の上へ上半身へ放り出して突っ伏している。
とりあえず〝ぐうの音〟は出たようであるが、いつにない真琴の言動への驚きと、今の遣り取りで判明したその挌闘における歴然とした力の差に、最早それ以上、彼に反撃するだけの気力は残っていない。
油断なく、そうして完全に戦意を喪失した水野の姿を鋭い眼差しで確認すると、真琴は居住いを正し、林に満足げな笑顔を見せて催促をする。
「さ、先生。これで不逞な輩はおとなしくなり申した。授業を再開してくだされ」
「あ、ああ。ありがとう……」
そんな真琴の姿に、林はポカンと口を開けたまま、気のない謝辞を述べた――。
また、二時間目の英語の授業でのこと……。
「――Inazou say “It is true courage to live when it is right to live,and to die only when it is right to die…」
「先生っ!」
授業開始早々、教科書の英文を読み上げる女性教師に、突然、いたく真剣な表情をした真琴が挙手をして質問をする。
「あ、はい! 近藤さん、どうかしたの?」
「先生、なぜ、かように我が国を侵略せんとするエゲレスやメリケンの言葉を学ばねばならぬのでござりまするか?」
「め、めりけん? ……ああ、アメリカの古い呼び名ね。あと、エゲレスはイギリスのことね。いや、なぜ学ぶのかといきなり訊かれても……まあ、今や英語はどの国行ってもだいたい話せる人がいる共通語的な言葉だし、グローバル化したこれからの世の中を生きていくためには、日本人でも英語話せるようになっていた方がいいというか……」
突然の珍妙な質問に円らな瞳をパチクリとさせて、かなり面喰った様子の美人英語教師・
「なんと! それがしの知らぬ間にエゲレス語がそのようなことに……」
すると、それを聞いた真琴は寝耳に水を注がれたかのような表情をして、初めてその事実を知ったとでも言わんばかりに驚きの声を上げる。
「ええ。そうよ……っていうか、それくらい普通に生活してればわかるでしょ? いや、その前にエゲレス語って、あなたいったいいつの時代の人よ……」
「……まさか、かようなことに……だが、なぜ、フランスの言葉ではないのだ? 確か幕府はフランスを手本に軍制改革を行うなど、エゲレスよりもかの国とのよしみを通じていたはず……もしや、フランスとの戦にエゲレスが勝利したのか?」
「あの……近藤さん? 話、聞いてる?」
なぜか大きなショックを受け、ぶつぶつと独り呟きながらいたく深刻そうに考え込むおかしな女生徒を、終始、置いてけぼりな高野はひどく不審そうに円らな瞳を細めて見つめた――。
はたまた、三時間目の日本史の授業……。
「――おおおお…なんと言うことだっ!」
またしても突然、教科書を黙って読んでいた真琴が大きな声で嘆き出す。
「こ、近藤、いったいどうしたんだ?」
彼女の予期せぬ行動に、まだ若き歴史の教師・
他の生徒達も今日これで三度目となる真琴の奇態に、またしても目を丸くして彼女を見つめている。
「本居先生! ここに記されている幕府が倒れ、朝廷と薩長連合が新たな国を作ったというのは
「あ、ああ。その通りだが……って、それぐらい中学の社会科でも習うだろう? それに近藤。今、先生が話してるのは古墳時代についてだ。明治維新をやるのはまだまだ先だぞ?」
黒板に円墳や方墳、前方後円墳などの絵を描いて古墳の種類を説明していた本居は、真琴の質問に驚きつつも、今やっている授業に集中するよう彼女を諭す。
……が、真琴はその話をまるで聞いちゃあいない。
「しかもその後、日本はメリケンとの戦に敗れ、一時はかの国の属領となり果ててしまうとは……この学問所はおろか街の人々までが異人の着物なぞ着ておるし、いくら幕府の欧化策だとて、さすがに変だとは思うていたのでござる……それにしても、この畏れ多くも天子様を頂く神国日本の地が、よもや野蛮な異人どもによってこうも蹂躙されてしまおうとは……やはり、ぺルリの黒船如きに臆して国を開き、夷敵の文化なぞを受け入れたのがそもそもの間違いだったのだあぁぁぁっ!」
「近藤……もしかしておまえ、熱烈な攘夷派維新志士好きの歴女か?」
人目も憚らず、大声で嘆き喚く真琴の姿に、まるで奇妙な珍獣でも見るかのような視線を本居は教壇から送り続けた――。
それから四時間目、家庭科の調理実習では……。
「――はーい、準備はいいですかあ~? 今日は皆さんにブリ大根を作っていただきたいと思いま~す♪」
家庭科の女性教師・
「はーい!」
それに答え、生徒達も女子・男子の別を問わず、満面の笑顔で一斉に愉しげな声を返す。
やはり自分達で料理を作り、それを実際に食べられる調理実習というのは、今も昔も生徒達にとって大人気な授業であるらしい。
……だが、その中でただ独り、なぜか真琴だけはものすごく不服そうな表情で、カワイらしい眉間に深い皺を刻んでいた。
「ううむ…古来より〝男子厨房に立つべからず!〟と申すのに、なぜ、それがしがかような格好をして、このようなことをせねばならぬのだ?」
エプロンの裾を引っ張りながら、真琴は誰に言うとでもなく、そんな文句を口にする。
「男子って……あんた女子でしょうに。それに、今は男も女も関係なく家事をする時代だよ? あんた、いつからそんな古風な女性になったのさ?」
その呟きを拾い、となりにいた民恵が反射的に的確なツッコミを入れる。
「女子? ……ハッ! なんと! それがしは
「……真琴、あんた、今朝なんか悪いもんでも食った?」
男女関係なく、全員エプロン姿のクラスメイト達を見回し、自分が女子であることを今更知ったかのように驚く真琴を、民恵は白けた目を細めてまじまじと観察する。
「さっきは自分から楽しそうにエプロン着てたってのに、いきなりどうしちゃったのさ? やっぱ今日の真琴、ちょっと…いや、かなり変だよ?」
突然、人が変わったかのように豹変し、なんだかわけのわからぬことを口走ったり、普段とはまるで違う行動をとったりする明らかにおかしな様子の親友に、それまではちょっと怖くて切り出せなかった民恵もついに覚悟を決めて問い質すことにする。
「ほんとにどうしちゃったの? もしかして、松平先輩のことで何かあった?」
「松平? ……どこの御家中の松平様にござる?」
「はい?」
「こらこら、そこのお二人さん。授業中の私語はいけませんよおー」
しかし、民恵のその詰問にもまたわけのわからぬことを真琴が答えていると、どこか間の抜けた四條の声がそんな二人の間に割って入る。
「あ、すみま…」
「も、申し訳ござりませぬっ!」
注意され、慌てて謝ろうとする民恵だったが、そのとなりで体を「く」の字に折り曲げて詫びる真琴の大声に、思わずビクリッ! と体を仰け反らせてしまう。
「またも驚くべき事実が判明したとはいえ、講義を妨げ、師の注意を受けるとはなんたる不覚……お許しくださりませ! 以後、かような失態のなきよう悔い改めまする!」
さらに時代がかった台詞をすらすら噛まずに述べると、真琴はよりいっそう深々と頭を下げ、なぜだか必要以上に悔い改めている。その尋常ならざる大袈裟な謝り方に生徒達は全員ひきまくりだ。
「はい。大変素直でよろしい。それじゃ、一緒に楽しくお料理しましょうね♪」
しかし、教師の四條だけは相変わらずおっとりした調子で、そんな真琴にニッコリほのぼのと微笑みかける。
この四條、聞くところによると先祖は公家に通じる良家のお嬢様らしく、そのせいなのか、普段よりどこか浮世離れしている。
現在の真琴同様、どうにも世間とは少しばかりズレたその言動であるが、むしろ同じような者同士、相通じるところでもあるのだろうか? 今の四條の言葉には真琴もかなり感動した様子である。
「おお! 不出来な教え子に対してなんと温かいお言葉! さすがは婦女子の道を説いておられる先生! なんと〝
「……なんなんだ、この間の抜けた学園ドラマみたいな寸劇は……」
そんな時間と空間を超越した二人のやり取りを、親友の民恵は他の生徒達とともに引きつった顔で見つめていた。
「はい。それでは皆さん。先ずは大根を輪切りにして、皮を桂剥きにしましょう!」
その寸劇に完全に置いて行かれてしまっている生徒達を他所に、四條はまるで何事もなかったかのように授業を再開する。
「む、輪切りでござりまするか? それがし、あまり料理というものはしたことないでござるが、刃物の扱いならばお任せくだされ!」
すると今度は何を思ったか? 真琴は率先して俎板の前に立ち、右手に包丁、左手にまるまる一本の白い大根をむんずと掴む。
「タアッ!」
そして、その大根を宙に放り投げたかと思いきや、右手の包丁を閃かせ、空中で大根をスパスパと輪切りにしていく。
スパン! スパン! スパン! ……バラバラバラ…。
目にも留まらぬ包丁捌きで見事に切り分けられた輪切りの大根は、下に置かれた水切り籠の中へと、うまい具合に落下する。
「おおおお!」
パチパチパチパチ…!
その妙技を目の当たりにすると、それまでひき気味だったクラスメイト達からも思わず拍手と歓声が沸き起こる。
「フッ…また、つまらぬ物を斬ってしまった……」
その声に気を良くしたのか、真琴は目を瞑って包丁を握り締めたまま、どこかで聞いたような台詞を口にポーズまで決めている。
しかし……
「あらあら。近藤さん、切り方は見事ですけれど、そんな風に包丁を振り回したら危ないからダメですよ。めっ!」
四條は
「あいや、これは申し訳ござりませぬ。それがし、ちょっと調子に乗りすぎたようでござるな。ハハハハ……」
四條にカワイく怒られた真琴は、その顔に照れ笑いを浮かべながら、恥ずかしそうに三角巾の巻かれた頭をぽりぽりと掻く。
「もう、どうにでもしてくれ……」
そんな、自分のよく知る親友とは思えない真琴の姿を、民恵は白けた眼差しで諦めたように眺めていた――。
そして、その調理実習で作ったブリ大根を一品に添えてのお弁当の時間……。
「――ええーっ! うそおっ! あ、あたしがそんなことしたのっ!?」
いつものように民恵と机を向い合わせて昼食をとっていた真琴は、突然、大きな声を教室内に響かせる。
だが、授業中に見せていた大胆な態度はどこへやら、直後、すぐに彼女は周囲を気にして、今更ではあるが口に手を当てた。
「嘘も何も……ほんとに憶えてないの? 水野の時なんか、マジで映画のアクションシーンみたく鮮やかに腕を捻じ上げちゃったんだから。ほら、こんな感じで……あっ! 痛っっっ…腕つったあ~っ!」
そう言って、自身の右腕を使っての自虐的再現シーンを交えながら語る民恵に、真琴はこっそり、教室の窓際一番後の席に座る水野の方を覗ってみる。
「……チっ…」
すると、どうやらあちらも真琴のことを気にしていたらしく、予期せず彼女と目が合うと気拙そうに立ち上がり、ズカズカと乱暴な足取りで教室を出て行ってしまう。
「な、なんか、ものスゴイ顔であたしのこと睨んでたよ? ……怖いよ~。仕返しとかされたらどうしよう~……」
「ま、その点は心配ないと思うよ。あの時の真琴を見るに、もし仕返しされたとしても逆に叩きのめしちゃうんじゃない?」
札付きのワルにガンをつけられ、本気で怯えている真琴であるが、民恵はまるで心配などしてないといった様子で、お弁当の厚焼き玉子を突つきながら、まるで他人事のように答える。
「そ、そんなあ……あたし、そんなことした記憶がまったくないんだよう……」
「ねえ、ほんんんーっとに、何も憶えてないの?」
ここまで言ってもまだ知らぬ存ぜぬと言い張る真琴に、民恵は不意に真面目な顔つきになると、もう一度、改めて尋ねてみた。
「……う、うん」
いきなり真顔で訊かれた真琴は自分も畏まってコクリと頷く。
「もし、ほんとに憶えてないんだとしたら、今日のあんた、やっぱおかしいよ? だって、あんな真琴、今まで一度も見たことないもん。まるで人が変わっちゃったっていうかさ……水野の時もそうだし、他の授業の時だって時代劇の台詞みたいになんだかわけのわからないこと口走って……もしかして、多重人格とかってヤツだったり?」
「ま、まさか! そんなこと、今までに誰からも言われたことないし、自分でもそういった心当たりはぜんぜん……あ、でも、確かに今日は朝から思い当る節があるようなないような……」
そう答えはしつつも真剣な表情で民恵に言われると、真琴もその可能性を完全には否定できなくなってしまう。
「あ! わかった! きっとあれだ。松平先輩に対する恋の悩みが過剰なストレスになって、そんな第二の人格を生み出しちゃったんだよ! 真琴が豹変した時の話し方も先輩が好きそうな時代劇調だったし。うん。間違いない。きっとそれだ!」
「え~! まさか、そんなことで……」
「うん。それだ。それに違いない」
その仮説に思い至った民恵は自信満々の面持ちで腕を組み、いたく納得したという様子でうんうんと大きく頷いている。
「ま、要するに、詰るところは〝恋の病〟っていうやつよ。お医者様でも草津の湯でも恋の病は直りゃせぬ~♪ ってね。この病の治療法はただ一つ。こうなったらもう覚悟を決めて、さっさと先輩にコクっちゃうしかありませんなあ」
そして、なんだかやけに楽しそうな顔つきになると、そういう要らぬお世話まで付け加える。
「ねえ、民ちゃん……あたしのこと、本気で心配してくれてる?」
そんな民恵に、真琴は目を線のように細めると疑いの眼差しを向けて尋ねる。
「え……?」
民恵は満面の笑みをその顔に浮かべながら、短くそう声を発した。
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