第四幕 無敵なマネージャー

 午後の授業に入っても、真琴の奇妙奇天烈な言動は続く。


 例えば、五時間目、地理の授業の時も…….


「――申し訳ござらぬ。羽州うしゅうはどこにござる?」


「えっ?」


出羽国でわのくににござるよ。どこにも書いてないのでござる」


 真琴は地図帳の日本地図のページを開き、となりの席の男子に見せながら尋ねる。


「ん? おい、近藤。なにしゃべってるんだ?」


 それに気付き、板書をしてた30代、鉄っちゃん・・・・・(乗りテツ)の教師・伊能忠雄いのうただおが振り返って注意するのであったが……。


「ああ、先生、それがでござるよ。この日本ひのもとの地図、なんだか変ではござらんか?」


 逆に真琴は渡りに船とばかり、悪びれもせずに伊能へ訊き返す。


「変? ……変ってどこがだ? 何か誤字でもあったか?」


「いや、それがしの故郷、出羽の地がどこにも見当たらぬのでござる。他にも聞き慣れぬ地名ばかりで、どこがどこやらさっぱりわかりませぬ。大阪や奈良、京の都はちゃんと書いてあるようにござるが……」


 伊能の問いにどこからどう見てもいたって普通な日本地図をよく見えるように高々と掲げ、真琴はそれを指差しながら自身の疑問を説明する。


「でわ? ……おお、旧国名の出羽国か。それなら今の山形と秋田の一部だな……って、今やってる授業と関係ないだろ? それにおまえ、山形の出身だったか?」


「山形? ……ああ、ここでござるな。なんと、今の出羽はそんな名の御家中が治めておられるのでござるか? なれば我が家中は何処へ……ああ、そういば江戸はどこでござる?」


 さすが地理教師。彼女の言わんとしていることをなんとか理解し、現在の出羽の位置を親切にも教えてやる伊能であったが、真琴の方はまだどこか微妙に勘違いしているようである。


「江戸って、そりゃ、東京に決まってるだろ?」


「東京? ああ確かにそこら辺の場所にそう書いてあるでござるな。まあ、西の京に対して、江戸は東の京と呼べなくもないでござるが……しかし、畏れ多くも天子様のおられる場所こそがやはり京の都にござろう? これでは庶民に誤解を生みまする」


「天子様て……もしかして、いまだに東京へは正式な遷都がなされていないとか、そういう京都人が主張しているような話か?」


「せんと? ……もしや、都を江戸に遷したのでござるか!?」


 そんな感じで、いつまでも真琴と伊藤の会話は噛み合わなかった――。


 さらに、六時間目の地学の授業でも……。


「――なんと! 空の星が動いてるのではなく、この大地の方が回っているでござるか! 以前、地球儀なるものを蘭学者に見せられて、大地が球のような形をしているという話は聞いたことござったが……なるほど。これはまた新たな驚きにござる」


「……近藤、おまえ、コペルニクス以前の人間か?」


 またも勝手に教科書を読みながら独り大声で騒ぐ真琴を、ちょっとメタボな地学の教師・渋川春樹しぶかわはるきは変な目で見つめていた――。





 そして、その日の放課後、部活動でのことである……。


「――ヤァァァァーッ!」


「面ぇぇぇぇぇぇーん!」


 いつもの如く黒ジャージに着替えた真琴と民恵は、剣道場の片隅で道具の手入れをしたり、試合形式で行われる稽古のタイムキーパーをやったりしながら、部員達が竹刀で打ち合う姿をなんとはなしに眺めていた。


「………………」


 いや、なんとなくなのは民恵一人で、真琴の方の眼差しはいたって真剣だ。んまあ、真琴の場合、そんな時はたいてい松平の姿をその目で追っていると相場が決まっているのであるが、今日の彼女はやはりいつもとどこか違う……。


 忙しなく動く真琴の瞳はまるで分析でもするかのように、部員達一人一人の動きを微塵も余すところなく追っている……また、だんだんと時間が経つにつれ、彼女は足を貧乏揺すりさせたり、そわそわと体を動かしたりして、なんだか妙に落ち着かない素振を見せ始めている。


「ん? 真琴、どうしたの? もしかしてトイレ?」


 その様子に、世間一般的な解釈からそう尋ねる民恵であったが……。


「ええい! もう我慢ならん!」


 突然、大声でそう言い放つと真琴は勢いよく立ち上がる。


「……そ、そんなに我慢してたの?」


 と、びっくりして民恵はもう一度尋ねるが、彼女はまるで聞こえていないようにそれを無視し、予備に置いてある竹刀の一本を掴むと稽古する部員達の方へ向かって行く。


「お頼み申ぉーす! それがしとも一手お相手願いたい!」


 そして、何を思ったか、いきなり大音声だいおんじょうを張り上げると稽古中の部員達に試合を申し入れた。


 突然のよく通る大声に、激しく竹刀をぶつけ合っていた部員達もぴたりとその動きを止め、一斉に同じ動作で彼女の方を振り返る。それまでの騒音が止み、しーんと静まり返った空気が広い道場内を一瞬にして包み込む……。


「ん? どうした近藤? ひょっとして、おまえも剣道やりたくなったのか?」


 その剣道場独特の静寂の中、唖然として立ち尽くす集団から一歩前に出た部長の松平が、汗ばむ面の中から真琴に尋ねた。


「その通りにござる! 皆々様のお姿を拝見いたしておりましたら、それがしも久々に剣を振るいたくなり申した」


「おお! そうか! ついに近藤も剣道の魅力に目覚めてくれたか! …っていうか久々って、本当は前に剣道やってたりしたのか? いや~その武士みたいな言葉使いもいいなぁ~。なんだか近藤とは趣味が合いそうな気がするよ!」


 授業の時同様、真琴が時代がかった口調でそう答えると、松平は面の格子越しに瞳をキラキラと輝かせ、なぜだかやけに感動している。


「まさか……例の恋する別人格がまたも登場!? ……でも、これって、もしかして、そのおかげで実はイイ感じだったりする?」


 そんな時代劇がどストライクゾーンの松平の様子に、独り遠くから見守っていた民恵は真琴の恋の行方を思い、どこか興奮の面持ちで人知れずにそう呟く。


「遠慮はいりませぬ。誰からでも、どんどんかかってきてくださりませ」


「よし! いい心意気だ! それなら軽く試合をしてみようか。確か女子用の予備の防具があったはずだな。おい! 誰か女子の部室行って取って来てくれ」


 自信満々、ただのマネージャーとも思えぬ大口を叩く剣道素人の真琴に、松平は怒るどころかむしろ嬉々とした笑みを浮かべ、彼女のための防具を用意するよう指示を飛ばす。


「あ、わたし取り行ってきます!」


 その声に答えたのは、他でもない同じくマネージャーの民恵であった。


 ……フフフ…ここは真琴の恋が叶うかどうかの大事な勝負所……わたしも最大限、協力してあげなくっちゃ!。


 心の内にそう呟き、松平とはまた違ったベクトルで目を輝かせながら、民恵は友の幸せと、そして、自分のミーハーな好奇心を満たすために部室へと走った――。


「――よし。いつでもいけるでござる」


 それからわずかの後、民恵が女子の部室から防具を取って帰り、それを真琴がジャージの上へ装着すると、いよいよマネージャー対正規の剣道部員という前代未聞の試合が幕を上げる。


 民恵の記憶が正しければ、普段、他人がするのを見ているとはいえ、真琴はこれまでに一度も自分自身に防具を着けたことなどなかったと思うのであるが、彼女はやけに手慣れた手つきで、垂れ、胴、面、籠手…と、各々の防具をなんの迷いもなくスムーズに身に着けていく……。


 そして、最初の対戦相手とお互いに礼をし、蹲踞そんきょをして、正眼せいがん――即ち中段に竹刀を構えるという一連の動作も、妙にさまになっているといおうか、とても初めて剣道をやる人間の所作とは思えないほどの見事さであった。


 ……真琴、もしかして、この日のために隠れて練習してたとか?


 と、民恵が思うほどの型の美しさである。


「うん。さすが言うだけのことはあるな……よし! 始めっ!」


 審判役を買って出た松平も真琴のその身のこなしを異存なく褒め称えると、溌剌とした声で試合開始の合図を口にする。


「キェェェェーッ!」


 対戦相手に選ばれた白の道着に赤い胴を着けた女子部員は、竹刀の先を微妙に揺らしながら気合いの籠った奇声を上げる。


 しかし、対する真琴の方はそれには応じず、しばし相手を静観すると、独り言のように面の中で呟く……。


「フン……最初の相手は女子おなごにござるか。それがしも舐められたものでござるな……が、女子と言えど、なかなかに筋は良いと見た。先程から拝見してるに、この道場の流儀は北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう……以前、廻国修行中、江戸に立ち寄った際に一度習ったことがござる。おもしろい! 我が流派・森羅万刀流しんらばんとうりゅうの妙技、とくとごろうじろ!」


 相手の竹刀の動きにそう判断を下すと、真琴も同じように剣先を揺らす構えを見せる。


 この日新高校剣道部で行われている剣道は別に北辰一刀流でも、また、その他の古流剣術流派でもなく、ただ普通に〝現行剣道〟なのであるが、確かにその今一般にスポーツとして行われている現行剣道の中核をなす部分は、江戸末期に千葉周作の開いた北辰一刀流を元に作られている。そのため、彼女の…否、彼の・・目にはどうやらそのように映るらしい……。


「森羅万刀流は古今東西あらゆる武芸諸流派の剣を修めるのがその流儀……北辰一刀流の剣筋とて、すでに我がものとしてござる…」


「キェェェーッ! 面えぇぇぇぇーん!」


 真琴がそんな無駄口を叩いている間にも、相手は「隙あり」と思ったのか気合一声、真正面から面を打ち込んでくる。


 パァァァァァァーン…!


「フッ……勝負あったでござるな」


 だが、次の瞬間、相手の竹刀が真琴の面に触れるよりも早く、逆に振り抜かれた彼女の竹刀が相手の胴を薙ぎ払っていた。


「い、一本! 胴あり! ……近藤、実はおまえ、すごかったんだな!」


 その素早い一撃に、審判役の松平は驚きの表情を浮かべて真琴側の手を高々と上げる。


「これでは物足りのうござる。さあ、腕に覚えのある者は、休まずどんどんかかって参られよ!」


 速攻で相手から一本先取した真琴だが、まだまだ不満だとでもいわんばかりに他の部員達の方を向いて催促をする。


「よし! それじゃあ、端から順に近藤と一本勝負だ!」


 真琴の要望と、そして、たった今、目の当たりにした彼女の知られざる剣の才に、その後、剣道部の全員が一人づつ試合を挑んでいくこととなったのであるが……。


「――面ぇぇぇーん!」


「タアッ!」


 パァァァーン…!


「――籠手ぇいっ!」


「ハアッ!」


 バシィィィィーン…!


「――胴っ!」


「セヤッ!」


 パっコォォォォォーン…!


 真琴に立ち向かう者達はいとも簡単に、次から次へと速攻で打ち負かされていってしまう……しかも、その中には一年や二年の補欠ばかりではなく、大会の団体戦に出場する三年レギュラーも…それも県大会でかなりいいところまでいっている選手までもが含まれているのだ。


「なら、今度は俺が相手だ!」


 そして、部員全員が軒並み彼女の剣の前に倒されてしまうと、最後に残った審判役の主将・松平が、ついに日新高剣道部最強の腕を持って対戦することとなった。


「堀田、悪いがちょっと審判やってくれ」


「あ、ああ。わかった……」


 先程、同じく真琴に完敗した堀田に審判を頼むと、松平は素早く面を着け、真琴の前へと静かに進み出る。


「セヤァァァァーッ!」


 正眼で真琴と向き合った松平は、それまでの者達同様、気合とともに竹刀の切先きっさきで真琴を威嚇する……ただ、他の者と松平の違う点は、彼にはまるで隙がないというところだ。さすが、県大会個人で二位になっただけのことはある。


「なるほど。他の者より頭一つ抜きん出てはいるようでござるな……」


 松平の完全無欠な正眼の構えに、真琴も彼の力量を素直に称賛する……しかし、相手に隙を見い出せないでいるのは松平の方とて同じであった。

 

 ……ダメだ……動けない。まさか、近藤がこれほどの腕を持っていたなんて……この勝負、先に隙を見せた方の負けだ……。

 

 松平は心の中でそう呟くと、改めて中段に構える竹刀の切先に意識を集中させた。

 

 ……あちら同様、これではこちらも動けぬか……このままでは埒が明かぬな……。

 

 対する真琴も、心の内でそう嘯く。


「なれば、別流派の技を使わせてもらうとしよう……」


 そして、今度は実際にそう口に出すと、彼女は不意に剣先を下げ、やや前のめりな姿勢で下段に構えるのだった。


「なっ…!?」


 突然の意表を突くその動きに、面の中で松平は目を大きく見開いて驚く。


 ど、どういうつもりだ? この状況でいきなり下段だと? ……面を誘っているつもりか? けど、まるで隙だらけじゃないか!?


 今、下段に構えている真琴の面はそれまでの正眼に構えていた時とは大きく異なり、何も遮るもののない、完全に無防備な状態にある。まさに面を打ってくださいと言わんばかりだ。


 ……あからさまに面を打たせておいて、じつはせんを取って籠手でも打とうっていう魂胆だな……でも、それは少し、俺の腕を甘く見すぎちゃいないかいっ!?


 ダッ…!


 先に動いたのは松平だった。


「面ぇぇぇぇぇぇーんっ!」


 渾身の力を込め、松平が一気呵成に面を叩き込む。その電光石火の速さを持って放たれた打突は、一直線にブレることなく真琴の面へと向かっていく。


 もらった!


 松平は確信した。




 パァァァァァァーン…!




 竹でできた刀が防具をしたたかに打つ、剣道経験者ならばよく聞きなれた音が道場内に木霊する……。


「ゴクン……」


 部員達は皆、固唾を飲んでその勝負の行方に注目する……。


 …………だが、実際に小気味の良い音を道場内に響かせたのは、わずかに早く真琴の放った、出端でばなを挫く籠手の方だった。


 ガタッ…。


 右腕を強打され、松平は堪らなく竹刀を床に落とす。


「……こ、籠手あり一本っ! 勝負あり!」


 一拍置いて、審判の堀田が気を取り直すと手を上げて判定を下す。


「おおおおおおおー!」


 パチパチパチパチ…。


 その声に、試合を見守っていた部員達の間からも大きな歓声と割れんばかりの拍手が巻き起こった。


 ……まさか、後の先を取りにくるのはわかってたのに……それなのに、こんな簡単に籠手を取られるなんて……。


「今のは柳生新陰流の理論を用いた、陰の内に陽を、静の内に動を思う技にござる。いや、なかなかの剣の腕にござるな。久々におもしろき試合ができもうした」


 大喝采の中、竹刀を落したまま呆然と立ち尽くす松平に、真琴は満足げな笑みを面の中に浮かべ、まるで剣の道を説く師匠ででもあるかのように声をかける。


「真琴すごいじゃない! 団体戦レギュラーはおろか、あの松平先輩にも勝っちゃうなんて! わたし、真琴がこんなにも剣道得意だったなんてぜんぜん知らなかったよ! もしかして、本当に前から剣道やってたとか?」


 するとそこへ、今度は道場の隅で勝負を見守っていた民恵が、驚きと感嘆の色を見開かれた瞳に浮かべて駆け寄って来る。


「まあ、容赦なく打ち負かしちゃったのはちょっとマズかった気もするけど、これで先輩、きっと真琴のこと気になりだすと思うよ? ひょっとしたら、そこから恋が芽生えるなんてことだって……ウフフ…」


 そして、声のボリュームを限界まで落とすと、周りには聞こえないよう、面の隙間から彼女にこっそりと耳打ちする。


「うん? なんの話でこざるか?」


 だが、民恵のその囁きに真琴は訝しげな表情を金属製の格子越しに浮かべると、その面の重みがかかる小さな頭を若干、横に傾けた――。





 ……フフフ。これで松平先輩と真琴の関係も、ただの部活の先輩・後輩から、もっと特別な深い関係に……。


 試合の後、道場正面に座る真琴とその前に一同並んで正座する部員達の姿を眺めながら、民恵はそんな、これから親友と先輩との間に始まるロマンチックな展開を妄想する。


 すると、そうした民恵の心の声を知ってか知らずか、松平を先頭に居並ぶ部員達が、真琴に向かって一斉に声を揃えて頭を下げる。




「先生と呼ばせてください!」




 …って、んな師匠と弟子の関係じゃダメじゃん!


 その思っていたのとはなんか違う展開に、民恵は独り、手の甲で払うベタな仕草を交えながらツッコミを入れた。


「近藤先生! これからはこの日新高校剣道部の師範として、俺達部員一同に稽古をつけてください!」


「是非、先生の門弟の一端にお加えください!」


「いや、それがしはまだまだ修行中の身……すまぬが、弟子をとる気はござりませぬ」


 一方、人知れず一人漫才を演じる民恵を他所(よそ)にして、瞳に熱いものを宿す部員達から剣の師となることを請われる真琴であったが、彼女は考える間もなく、その願いをきっぱりと断った。


「でしたらせめて、剣の腕を上達させるコツだけでもお教えください!」


「お願いします!」


「一言だけでもいいですから!」


 しかし、それでも松平達は諦めず、しつこく真琴に剣の指導を仰ぐ。どうやら思いがけぬ彼女の力量を目の当たりにして、皆、大そう感服してしまっているようだ。


「うーん…そうでござるな……なんとうか、貴公らの剣は刀で相手と斬り結ぼうとしているのではなく、初めから竹刀という棒切れで叩き合おうとしているように感じられ申した」


「棒切れ……?」


「左様。いくら竹刀稽古とは言え、それでは真の剣の道とは申せませぬ。時には実際に真剣を振るってみて、本物の刀ならば如何いかに扱わねばならぬのか? という、実戦に即した感覚を身に付けるのもまた、剣の上達に必要なことなのではござりませぬかな?」


 師になることは即座に断った真琴であるが、真摯な態度で教えを請う松平達に絆され、しばし考えた後にそのような助言を彼らに与える。


「なるほどぉ……なんとなくわかりました。ご指導、どうもありがとうございます!」


「さすが近藤先生! おっしゃられることが違います!」


「すっごく為になりました!」


 そのありがたいお言葉に、松平以下剣道部員達はさらに感動し、目をキラキラと輝かせては真琴に礼を述べる。


「うむ。まあ、後は武士として、平時にあっても常に乱を忘れぬ心構えでござるかな? いや、充分に楽しませていただいた。今日はこれにて失礼いたそう……」


 そんな松平達に、真琴もたいそう満足げな笑みを浮かべてそう答えるのだったが、直後、彼女はガクンと、まるで憑きものでも落ちるかのようにその首を項垂うなだれる。


「……あれ? あたし、今、何してたんだろう? ……えっ!? なんで、あたし防具なんか着けてるの!? …っていうか、どうしてこんな所に座って……」


 そして、次に顔を上げた時にはそれまでの彼女とはまるで別人のように…というか、いつものよく見慣れた真琴に戻っていたのだった。


「あ、あの、皆さん、これはいったい……」


 真琴は自分の身に着けている防具や、目の前にずらりと居並ぶ部員達の顔をぐるっと見回した後、何がなんだかさっぱりわからないといった様子でおそるおそる尋ねる。


「………………」


 だが、部員達の側にしても、皆、訝しげな顔をして真琴の方を見返している。


「た、民ちゃ~ん……あたし、ここでいったい何してるの~?」


 仕方なく、真琴は道場の片隅に民恵の姿を見付けると、潜めながらもちゃんと届くように張り上げた中途半端な声で、唯一、自分の味方になってくれそうな彼女に助けを求めた。


「何してるのて……真琴、もしかして、今のこともぜんぜん憶えてない……とか?」


 どうやら素でそんなことを言ってるらしい真琴には、さすがに付き合いの長い民恵も驚いているみたいだ。


「もしかしなくても、ぜんぜん憶えてないんですけど……」


「あ、あんた……もしそれが本当だったら、やっぱぜったいにおかしいよ! 今の今まであんだけみんなと試合しておいて、それも全員打ち負かして、しかも松平先輩にまで勝っちゃったっていうのに……それをぜんっぜん、憶えてないだなんて……」


「え? 勝った? ……って、ひょっとして剣道の試合でってこと!? このあたしが? しかも松平先輩にまで? まさか、そんなことあるわけ……」


 そこまで聞いてもまるで記憶がない様子で、真琴が疑うように松平達の方を無意識に覗うと、部員全員、尊敬の眼差しを彼女に向けて、うんうんと頷いている。


「ええ~!? …うそお……」


本気ガチで憶えてないの? ……真琴、あんた、やっぱどうかしてるよ。一度、医者に診てもらった方がいいんじゃない?」


 ここへきて、最初は半分おもしろがっていたところもある民恵も、どうやら本気で心配し始めたようである。


「い、医者って……」


「だって、もう完全に多重人格だよ? もしそうじゃなきゃ、あとは侍の怨霊かなんかに取り憑かれてるかだよ! ああ! そう、それだよ! それ! よく考えてみれば、いきなりあんな侍みたいな口調になっちゃうなんてありえないもん。なら医者じゃなくて神社か寺でお祓いか、さもなきゃ霊能者のとこだ!」


「ちょ、ちょっと待ってよ民ちゃん! そんな怨霊だなんて怖いこと……あたし、怨霊に取り憑かれるような身に憶えは…」


 本気で心配し始めるや興奮して取り乱す困った親友の民恵に、そう反論しかける真琴であったが。


「ん? 侍の怨霊? ……って、まさか!?」


 ふと、彼女の脳裏に、ある嫌な予感が過ったのであった……。

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