第八幕 乙女な悩み

「――ふぁ~あ…」


「どうしたの? なんだかやけに眠そうだね。目の下にクマできてるし……」


 登校途中、人目も憚らず大あくびを上げる真琴に、そのとなりを並んで歩く民恵が顔を覗き込むようにして尋ねる。


「んん? ……ああ、うん。ちょっとね……」


 真琴は朦朧とした眼差しで、心ここにあらずというように歩きながら答えた。


 今日の彼女は朝からものすごく眠かった。その遠因は昨日の放課後、訊いた民恵本人の発した軽い冗談にあったりなんかする――。





「――まさか、民ちゃんが言ったようにあなたが犯人じゃないでしょうね!?」


 トイレと偽って道場を飛び出し、人気のない校舎の裏へと向かった真琴は、喜十郎に姿を現すように告げると唐突に彼を詰問した。


「な、なんでござるか藪から棒に……いったいなんの話でござる?」


 いつになく…いや、最近ではよくなのだが、鋭い目つきで睨む真琴に喜十郎は困惑しながら訊き返す。


「なんの話も何も、さっきあなたも聞いてたでしょ? 例の暴漢の話よ! あたしの知らない間に、あなたが勝手に体使ってやってるんじゃないかって訊いてるの!」


 喜十郎に尋ねられた真琴は、いっそう興奮した声でもう一度、改めて問い質す。


「何を申されるか! そのような卑劣な真似、それがしがするわけないでござろう? それに真琴殿との約束もしかと守っているでござる」


 頭から疑ってかかる信じる気ゼロな真琴に、喜十郎は失敬だといわんばかりにその疑惑をきっぱりと否定する。


「かようにいきなり下手人扱いとは……何か、それがしに疑わしい点でもござると申すのか?」


「だって、うちの部みたいな黒いジャージに日本刀持ってるっていうし、それに明倫高の小谷って人や造士高のなんとかいう剣の達人を倒しちゃうくらいのスゴイ腕なんだよ? 自分で言うのもなんだけど、あなたに憑依されたあたしは、なんか、ものすごく強いらしいし…」


「強いだなどとそんな……真琴殿、そんなに褒めないでくだされぇ~」


「褒めてないっ!」


 思いっきり勘違いする喜十郎に、真琴は速攻でツッコミを入れる。


「とにかく! そんな刀使って人を襲うような人間そうそういるわけないし、となれば、その人物像にどんぴしゃなあなたが一番怪しいってことになるじゃないの!」


「うーん……そうでござるかなあ? 別に野党や狼藉者の類ならば、刀を振り回すのも珍しくないと思うでござるが…」


「今の世の中、そんなの珍しいのっ!」


 時代錯誤な見識で首を傾げる喜十郎を、真琴は目を吊り上げて再び怒鳴り上げる。


「それに約束のことだって、昨日の部活みたいな前例があるしね……あたしが眠っている間にこっそり体を使って…なんてことしたんじゃないでしょうね!?」


「真琴殿! そこまで無礼なことを言われるならば、いい加減、それがしも怒りまするぞ! よいでござるか? 今朝も申した通り、武士たるものは民の生活を安んじめるのがその職分。辻斬りが如き民を苦しめるような真似をするなど言語道断! 武士の面目に誓って、それがしは断じてそのようなことしてはござらん!」


 そう断言されても疑い晴れぬ真琴であるが、その犯人扱いに喜十郎の方もついに堪忍袋の緒が切れたらしい。


「わかったわ! そこまで言うんだったら、こうしましょう? これからしばらく、できる限りあたしは起きてるようにするし、寝る時も部屋のドアや窓には紙で封印をしておくから。そうすれば、あたしが意識のない内に外に出るようなことがあっても、その時はすぐにバレるからね。これでもしもまた事件が起こったら、あなたは犯人じゃないってことで無罪釈放よ。でも、それで事件がピタリとなくなるようなことになれば、それは……やっぱり、あなたが犯人だったってことよ!」


 真琴はそう言って、サスペンスドラマの探偵か何かのようにビシっと前に伸ばした人差し指を喜十郎の鼻先に突きつけた。


「それで罪人と決め付けられるのは理不尽な気もするでござるが……よいでござろう! その賭け乗り申した! しかし、それでもし、それがしが無罪とわかったならばどうするでござるか? ここまで人を疑っておいて、ただですむということはござりませぬぞ!」


「ええ、いいわよ! もしあなたが無罪だったら、その時はあなたの言うことをなんでも聞いてあげるわよ!」


「おお! 左様にござるか? なれば、それがしが無罪とわかった折には、また体を借りて剣の稽古をさせてもらうにござる!」


「ええ、けっこうよ! 体でもなんでも貸してあげようじゃない! でも、もし有罪だった場合にはどうしてくれるわけ?」


 ここが学校であるということも忘れて加熱する言い争いに、真琴はそんな無謀な賭けまでしてしまう。


「もしそうであったならば、武士として潔く切腹して果てるにござる。しかし、それがし肉体のない身ゆえ、その時は真琴殿、申し訳ないがお体をお貸しくだされ」


「わかったわ! じゃあ、その時はあたしの体を使って切腹……って、それじゃあたしが死んじゃうじゃないの!」


 喜十郎の提示する武士らしい賭けの条件に、興奮気味の真琴は思わず一人ボケツッコミをしてしまう。


 そうして、女子高生と侍の霊との奇妙な言い争いは、学校の怪談も真っ青に夕刻の校舎の裏でしばしの間続いた――。





――とまあ、そんなわけで、昨夜から喜十郎を…というより自分の体・・・・を監視することとなった真琴であるが、出入り口に封印を施したとはいえ、いつ喜十郎が自分の体を乗っ取って犯行に赴くのかと考えると気が気ではなく、明け方までなかなか寝付くことのできなかった彼女はものすごく睡眠不足なのである。


「ふぁ~あ…」


 真琴はもう一度、路上で大きくあくびをする。


「………………」


 となりを歩く民恵は気付くこともないが、そんな真琴の背後を他人には見えない喜十郎の霊体が不機嫌そうに腕を組んで憑いて行く。


 ……とりあえず、今のところ体を使われてはないみたいね。


 眠気眼を擦りつつ、真琴は昨夜から今朝までの記憶を振り返りながら、そのことを再度、改めて確認した。


 二度も高校生が襲われたということで、昨日の夜には学校から注意するよう家に連絡網メールが回ってきていたし、新聞やテレビニュースなどでもその事件のことが取り上げられるなどしていたが、それらの話を総合するに、どうやら二回とも犯行のあった時刻は夜の8時~9時代にかけてのことらしい……。


 その最も怪しい時間帯、真琴はずっと寝ずに起きていたのだが、一昨日の授業中や部活の時のように、どこかで記憶がとんでいるというようなことも特にはなかった。


 それから眠る時、細長い紙に「ふういん!」と自筆で書いて部屋のドアや窓の隙間に貼っておいた封印も、今朝起きた時に見た限りではどれ一つとして破られたり、取られたりなどした形跡は見られない。


 つまり昨夜、喜十郎が勝手に自分の体を使うようなことはなかったというわけだ。

 

 ハァ……しかし眠いな。これじゃ喜十郎が犯人かどうか確かめる前に、こっちの方がまいっちゃいそうだよ……。


 真琴は思わず変な賭けをしてしまったことに、心の中で大きな溜息を吐く。


 こんなバカげたことに労力を使うなど、これまでの真琴ならばまず考えられない行為である。なのにふと気づいたら、このように厄介な状況を自分で作りだしたりなんかしている……喜十郎に取り憑かれてからというもの、真琴のリズムは狂わされっ放しである。


「真琴殿、そのように半眠りで歩くと危のうござるぞ?」


 襲い来る睡魔に、朦朧とした意識のまま歩く真琴の背後から喜十郎が声をかける。


「……んん?」


 その声に、半開きの眼で振り向こうとする真琴であったが……。

 

 ガン!


 真琴は、そこに立つ交通標識の棒に真っ正面からぶつかった。


「痛っっっっっっ…」


「ちょ、ちょっと大丈夫!?」


 赤くなったオデコを抑えて屈み込む真琴に、民恵も驚いた表情で立ち止まる。


「ハハハ…だから危ないと言ったでござるよ」


 一方、そんな真琴のマヌケな姿を喜十郎は笑いながら、さもおかしそうに傍らで眺めている。


「くぅ~っ……あんたが変なとこで声かけるからでしょう!」


 真琴は民恵には答えず、その代わり誰もいない(…と、他の者の目には映る)方向に向かって悔し紛れにそう怒鳴った。


「真琴……やっぱあんた、なんか変な病気なんじゃない?」


 なんだか知らないが一人芝居を演じている今日もおかしな親友に、どこか怯えるような面持ちで民恵は心配そうに呟いた――。


「――先輩、まだお休みなんですか?」


 お節介な喜十郎に「師の講義中になんたるだらけた態度!」などと苦言を呈されつつも、授業中の居眠りでなんとか眠気も解消したその日の放課後。真琴は赴いた剣道場で、今日も松平の姿を見付けることができなかった。


「ああ。そうなんだよ。これで三日目だから、俺もちょっと心配になって、昼間電話かけてみたんだけどさ」


「で! どうでしたか!?」


「きゃっ…」


 答える道着姿の堀田の目と鼻の先に、真琴は一緒にいた民恵も押し退けてぐいっと詰め寄る。


「……あ、ああ。まあ、声は暗かったが、別に心配ないって言ってたぞ」


 その民恵もびっくりな真琴の喰いつきようを見て、堀田も少々面喰っていたが、気を取り直すとそんな答えを彼女に返した。


「なんか、体がだるくて学校行くのがおっくうみたいだったな。まだ熱があるんじゃないかな? あいつ、風邪ひいても大人しくしてなさそうだから、きっとこじらせたんだろう……ああ、そう言えば近藤、おまえも風邪で高熱出たとか言ってたけど、もう大丈夫なのか?」


「え? …ああ、は、はい! あ、あたしは大丈夫です! そうですかぁ……松平先輩、そんな感じなんですねぇ……」


 突然、前に吐いた嘘の話題が持ち上がって慌てる真琴だったが、それをなんとか誤魔化そうとする内に、彼女の表情は段々と暗く沈んでゆく。


 先輩、やっぱり本当に風邪なのかなあ……。


 もしかしたら、自分に剣道の試合で負けたことに松平が落ち込んでいるんではないかと心配していた真琴であるが、今の堀田の話からすると、どうやら本当に具合が悪いらしい……。


 なので、それを聞いて彼女が抱いていた罪悪感というものは多少なりと薄らいだのではあるが、すると今度は彼の身を案じる不安な気持ちというものが胸の中で徐々に増大してくる。


 ……民ちゃんが言うように、RIGNEリーニュしてみようかなあ……でも、どんな返事が返って来るか怖いし、スルーされたらヘコむし、具合悪いのにそんなことして嫌われちゃったらやだし……ああっ、心配だけど、どうすることもできないよう……。


 そんなに心配なら連絡してみればいいようなものだが、それもいろいろと気になって、真琴は二の足を踏んでしまう。やはり、恋する乙女……何かにつけて悩みは尽きないらしい。


「おい! みんな知ってるか!?」


 そうして真琴が思い人のために心を砕いていたその時、一人の男子部員が興奮した様子で道場内へと駆け込んできた。


「どうしたの永倉君? そんなに慌てて?」


 その部員に、皆とともに振り返った民恵が一番に尋ねる。


「…ハァ…ハァ……また昨日も出たらしいぜ? 例の辻斬り魔・・・・!」


 すると、彼は息急く声を弾ませて、そんな重大ニュースを仲間達に伝えるのだった。


「ええーっ!? あの辻斬り魔が?」


「おい、それはガチでか!?」


「今度はどんなやつがやられたんだ? やっぱ、どっかの高校生か?」


 そんな驚きと好奇の声が、部員達の間から次々とそれぞれの言葉で湧き起こる。


 〝辻斬り魔〟とは、二日前から明倫高の剣道部員、造士高の示現流同好会員と連続で襲っているくだんの暴漢のことである。その日本刀で襲ってくる手口が江戸時代の〝辻斬り〟に似ているという理由から、自然とそう呼ばれるようになったのだ。


 厳密に言えば、両者が同一の性格のものといえるのかどうか? その辺はよくわからないところではあるが、巷ではすでにその通り名がほぼ公式名称として定着し始めている。


「ああ、ガチらしいぜ。さっき野暮用があって職員室行ったら、そんな連絡が警察から回ってきててさ。先生達の話してるのをリアルタイムで聞いちまったんだよ」


 その男子部員・永倉は、皆の顔を順々に見回しながら、いたく真剣な眼をしてそう答える。


「でも、今度の被害者は高校生じゃないんだよな。なんでも、どっかの居合の道場に通ってる有段者が、その道場からの帰り道で襲われたらしい。今度もやっぱ斬られたわけじゃなく、前の二件と同じに打撲と骨折程度ですんだみたいだけどな。でも、やっぱりその被害者も持ってた摸造刀で応戦したにも関わらず、辻斬り魔はいとも簡単に打ち負かしちまったらしいぜ?」


「おい、県大会優勝者と示現流の達人の次は居合の遣い手かよ!? 辻斬り魔、いくらなんでも強すぎじゃね?」


 永倉の話す内容に、他の部員が驚愕の面持ちでそんなコメントを入れる。


「でも、辻斬り魔の目的ってなんなんだろうね? 私、最初は高校生ばっか狙ってるから、何か学校に恨みでも持ってるやつなのかなあ? とか思ってたんだけど、今回はそうじゃないみたいだし……」


 また別の、今度は白い道着を着た三年生女子部員が怪訝そうに自分の推理と疑問を口にする。


「あ! それ、あたしも思ってました! でも、そうじゃないとすると……やっぱり名刀の切れ味を試したいっていう本物の辻斬り? あ、でも、実際に斬ってるってわけじゃないんだよねえ……」


 その女子部員の言葉を継いで、目を嬉々と輝かせた民恵も会話に参加する。


「ああ、そこだよ。なんで刀で襲ってるのに被害者斬ってないんだ? って話だ。もしかして、得物は真剣じゃなくて実は摸造刀なのか? それかもしくは〝峯打ちでござる…〟ってヤツとか?」


「さあ…? んでも、どっちにしろ愉快犯ってことでいいんじゃない?」


 さらにまた別の者達も各人の見解をその口に上らせ、そうして道場内はしばし辻斬り魔の話題で持ち切りとなる。


「ま、まさか、そんな……」


 しかし、そんな興味本位にざわめく皆の中で、ただ独り真琴だけは心の底より愕然とした表情を見せていた。


「それじゃあ、喜十郎の他にそんなふざけたやつが……」


 ……そう。昨夜、再び辻斬り魔が現れたのだとしたら、それは喜十郎の――彼が真琴の体を勝手に使った犯行ではありえない。それは真琴の記憶や部屋の出入り口に施しておいた封印によっても明らかである。


 ということは、彼女の推理に反し、このふざけた辻斬り魔騒動には誰か他に犯人がいるということになる……。


 つまり、この時点で真琴は喜十郎との賭けに完全に負けたことになってしまうのである!


「だから申したでござろう? それがしではござらぬと。さて、賭けはそれがしの勝ちにござるな。約束はちゃんと守ってもらうでござるよ?」


 気がつくと、いつの間にやらとなりに姿を現わしていた喜十郎が、得意げに腕を組んで、ニヤリと口元を歪めながら真琴にそう告げていた……。

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