第十幕 ドキドキなお見舞い
「――さ、ここだ」
一際輝いた夕日もそろそろ沈もうとする、橙色の光と薄暗い影が混ざり合う、昼夜どっちつかずの曖昧な時間帯。
なかなか時代を感じさせる、けっこう立派な純日本家屋の前で堀田が背後の二人に告げた。
「なんか、レトロというか、
日新高校から歩いて一五分くらいの所にある、民恵のコメントが現すように今時珍しい、黒っぽい木の塀に囲まれた古風な一軒家……それが、松平の自宅である。
ピンポーン…。
堀田は戸惑うことなくその家の門を潜り、飛石の置かれた玄関までのわずかな距離を速やかに進むと、引き戸の脇に取り付けられているインターホンを押した。
「おじゃましまーす……」
その後を、真琴と民恵もおそるおそる、左右をキョロキョロと覗いながらついてゆく……もちろん、彼女達がこの家を訪れるのは初めてのことだ。
部活終了後、松平のお見舞いに行くことにした真琴と民恵は、彼の親友である堀田に松平の家の場所を尋ねた。
すると、堀田もやはり心配にしていたのか、今日行くつもりだったというので、そういうことならと三人は一緒にお宅訪問することとなったのである。
「おお、やはり松平殿も武士にござったか!」
その昭和な雰囲気を持ちつつ、江戸時代の武家屋敷をも思わせる純和風家屋を見て勘違いしたのか、堀田と民恵には見えないものの、ちゃんと真琴に憑いて来ている喜十郎も昂揚した様子で口を開く。
「ちょ、ちょっと、ややこしくなるから姿消してて!」
真琴は二人を気にしながら、聞こえないよう小声で喜十郎に注意する。
「はーい、どなたあ?」
と、そんなことをしている内にも家の中から女性の声が聞こえてきて、わずかの後、古風な玄関の引き戸がその割にはガラガラと滑りのよい音を立てて開いた。
「あら、堀田君いらっしゃい。もしかして、お見舞いに来てくれたの?」
出て来たのは40代後半くらいの、品の良い感じのする綺麗な女性だった。この人が松平の母親なのであろう、どことなし顔の雰囲気が彼に似ている。
ちなみに真琴と民恵が勝手にイメージしていたように小粋な和服姿ではなく、白のニット・カーデガンにワインレッドのロングスカートという、よく街中で見かけるような年相応のおとなしい目な洋装である。
「ええ。まあ、そんな大したもんじゃないっすけどね。あ、これ、つまらないものですけど」
「まあ、悪いわね。そんな気は使わなくていいのに」
そんな松平の母に答え、堀田が途中で買って来たお見舞いのフルーツ盛り合わせを渡すと、彼女は笑顔で礼を言ってから、優しげな視線を真琴達の方へと向ける。
「そちらのかわいいお嬢さん達は?」
「ああ。こっちは剣道部のマネージャーで、佐々木さんと近藤さんです。二人もお見舞いしたいってんで、今日は一緒に来たんですよ」
「あ! どうも佐々木です!」
「こ、近藤です」
明るい声で挨拶をする民恵に続き、真琴も慌ててペコリと頭を下げる。
「まあまあ、よく来てくださったわね。さ、どうぞ上がって」
「はい。そんじゃあ、おじゃましま~す」
「お、おじゃましまーす」
そして、促す松平母の声に従い、真琴達は慣れた堀田を先頭にして引き戸を潜ると、すでに照明の点けられている黄昏時の玄関へと足を踏み入れた。
「貴ちゃんは二階の自分の部屋で寝てるわ」
淡い白熱球の光に包まれた、なんだかノスタルジーを感じさせる和洋折衷の玄関で靴を脱いでいると、松平母がそう言って玄関脇の階段の方を見上げる。
貴ちゃん……。
その呼び方に普段とは違う私的な松平の姿を垣間見て、真琴はちょっとカワイイな…と思うと、人知れずその顔を皆には悟られないよう綻ばせた。
「で、どうなんですか? 具合は?」
真琴がそうして恋する乙女な感想を抱いている間にも、すでに廊下へと上がっていた堀田が松平母に尋ねる。
月並みなお見舞いの挨拶とはいえ、ずいぶんさらっと訊いてくれたものだが、真琴にとってはそれが一刻も早く聞きたかった半面、聞くのが大変怖いものでもある。
「そうねえ~……なんだかよくわからないんだけど、体がひどくだるいらしいのよね」
堀田と民恵の後で真琴が固唾を飲んで見守る中、その質問に母親の顔が俄かに曇る。
「お医者さんの話だと、ただの疲労だから心配いらないみたいなんだけどね。でも、最近は若い世代の鬱病とかも流行ってるっていうし……まあ、あの子の性格からして、そんなこともないと思うんだけどね」
そう言って微笑んでは見せているものの、その笑顔の端にはどこか不安な表情を覗かせている。やはり、親としては心配なのだろう。
しかし、今の話を聞く限り、どうも辻斬り魔に襲われて怪我をしたとか、そんな感じではなさそうである。
とりあえず、真琴達の悪い予感は早々に外れたみたいだ……それに、何にしろ重症という感じでもないらしい。
「ふう…………」
それですべての不安がなくなったというわけではなかったが、真琴はひとまずホッと一息、心の中で胸を撫で下ろした。
「そんな感じで別に寝込んでるわけでもないから、ゆっくりしてってね。あの子も久しぶりにみんなの顔を見ればよろこぶと思うわ。あとでお茶を持って行くわね」
「はい。ありがとうございます。あ、でも、どうぞお気遣いなく」
お茶の用意に廊下の奥へと立ち去る松平母へ礼を述べると、堀田は慣れた足取りで階段を二階へと上がって行く。
その後に、民恵と真琴も先程同様、キョロキョロと家の中を興味深げに観察しながら従う。
トントン…。
「おーい、松平。わざわざ見舞いに来てやったぞー」
階段を上り切り、すぐの所にある彼のものらしき部屋の前へ立つと、やはり純日本家屋然りとした、その部屋と廊下の間を仕切る襖を堀田はまるでドアを叩くようにノックした。
「ああ、堀田か。よく来たな。入れよ……」
すると中からは聞き慣れた…しかし、どこかいつもより力なさげな松平の声が聞こえてくる。
「じゃ、入るぞ……」
そして、堀田によって開けられた襖のその向こうには……
「や、やあ……」
若干、痩せこけたようにも見える血色の悪い松平が、布団の上に半身を起して、その場所にいた。
「ああ、なんだ、近藤と佐々木も一緒に来てくれたのか……」
肌蹴た浴衣姿の松平は、やはり力の抜けたような声で真琴達を見やりながらそう答える。
「おい、大丈夫かよ? なんか、やけにゲッソリした顔してるぞ?」
部屋の中に入るなり、真琴達が挨拶をする間もなく、顔をしかめた堀田はそう言って松平のもとへ歩み寄る。
「先輩……」
その普段見慣れたものとは違う弱々しい彼の姿に、真琴は目を見開き、震える声でそう呟いた。そのとなりでは民恵も同じように驚きを隠せないでいる。
「い、いやあ、医者の話だと特になんともないようなんだけど、どうにも体がだるいんだよな……限界以上に体動かした時みたいにさ。なんか、何もしてないのに筋肉痛にもなってるし……」
「筋肉痛って……それは具合悪いのに無理して素振りとかしてるからじゃないのか?」
力なく答える松平の疲労した顔に、堀田はひどく疑うような目を向けて尋ねる。
「いや、それがまるで憶えがないんだよな……っていうか最近、急に意識を失うように眠くなることがよくあって、気付いたら朝だったりもするから、もしかしたらその間に無意識のまま何かしてるのかもしれないけど……」
「はぁ? なんだそれ? それってつまり、夢遊病みたく寝ながら稽古でもしてるってことか? んにしたって、筋肉痛になるほどっつったらそうとうなもんだろ? そんなアホみたいな話、聞いたことないぞ?」
「うん。まあ、そう言われるとそうなんだけどな……」
堀田にそのかなり無理のある点を指摘されると、松平は自分でもなんだかよくわからないといったような様子で、うまく説明できないもどかしさをその蒼白い顔に浮かべながら答えた。
「ああっ! もしかして、それって…!」
だがその時、部屋の入口で二人の遣り取りを見守っていた民恵が、いまだショックを受けて立ち尽くす真琴のとなりで突然、大きな声を上げる。
「な、なんだよ? 佐々木、いきなり……」
「その自分の憶えてない内に何かしちゃうのって、真琴がひいてたっていう風邪と同じ症状じゃないですか!? ねえ、真琴!」
まん丸く目を見開いて振り返る堀田に答えた民恵は、間髪入れずに真琴の方を向いて同意を求める。
「えっ……あ、ああ、うん……あ! ああ……アレね……」
いきなり振られた真琴は初めなんのことだかわからず、そんな曖昧な返事を一応返したのであったが、それが以前自、苦し紛れに吐いた、でまかせもいいとこの言い訳であることに時間差を置いて気づいた。
「ああ、そういや、なんかそんなこと言ってたな。高熱が出てどうとかこうとか……」
堀田も天井を見つめ、思い出しながら呟く。
「え? そうなのか近藤? やっぱり俺みたいに疲れたり、筋肉痛になったりしたのか?」
さらに松平までが、疲れきった顔を俄かに色めき立たせて真琴に訊いてくる。
「え!? ……あ、い、いやあ、まあ、身に覚えのない筋肉痛になったりはしましたけどぉ……それが先輩の症状と同じかどうかはなんとも……」
確かに真琴も意識を失ったり、その間に無理に体を動かされて筋肉痛になったりはしたが、それは風邪や何かの病気などではなく、喜十郎という侍の霊に取り憑かれたのがその原因である……が、「本当はそういうわけで、風邪というのは真っ赤な嘘でした」などと、今更、松平達に言うわけにもいかない。
「何言ってるの! もう完全に一緒の症状じゃない! いや~先輩も真琴と同じ風邪をひくだなんて、なんか、お二人とも仲がよろしいですなあ~」
さりげなく、なんとかはぐらかそうとする真琴を他所に、民恵はいつものイヤラしい目つきで彼女を見つめながら、ありがた迷惑にもそう囃し立てくる。
どうやら先程の彼女の発言には、最初からそこに持って行きたいという目的もあったらしい。
「ちょ、ちょっと、民ちゃん、こんな時に何を…」
「そうかあ。近藤もそんな風邪ひいてたのかあ……それじゃ、俺のもきっと、その風邪なんだな……ハァ…なんだあ、それを聞いて安心したよ」
しかし、真琴や民恵の意図とはまた別に、松平はその嘘の原因を知って、なぜだか明るい笑みをその顔に浮かべている。
「軟弱者だと思われたくなくて平静を装ってたけど、じつは内心、もしかして変な病気になったんじゃないかって俺も心配してたんだ。でも、近藤もひいたただの風邪だっていうなら、もう安心だ」
「えっ…?」
その思わぬ反応に、真琴は松平の方へと視線を移す……。
今なおやつれた顔のままではあるが、ここへ来た時よりはずいぶんと生き生きした表情を見せている……。
まあ、例えそれが本当のことだとしても、それはそれで明らかに変な病気に違いないとか、いろいろツッコミどころはあるが、どうやら松平も完全に真琴のでまかせを信じてしまったらしい。
……でも、それでもまあ、いいか。
と、真琴は思い直し、そして微笑んだ。
それで、彼が少しでも元気になってくれるのなら……と。
「まあ、まあ、まだそんな所で立ち話していたの?」
ちょうどそへ、お盆にお茶とお茶菓子を乗せた松平の母親が階段を上がって来る。
「貴ちゃん、お客さんなんだから、ちゃんと座っていただきなさい?」
「ん? ああ、そういえば立ったままだったね。近藤、佐々木、散らかってるけど、さあ、入って。堀田もそんな突っ立ってないでどっかその辺に座れよ」
塞がった部屋の入口で立ち往生する母親にそう言われ、松平は気付いたように皆を促す。
そうして一同は、彼の部屋でお茶を飲みながら座談することとなった。
「さっき高熱も出たって言ってたけど、そうなのか?」
皆が畳の上に敷かれた座布団に座り、一口、お茶に口を付けて落ち着いたところで、先程の話の続きを松平が再開する。
「あ、ああ、はい……た、確かそんな感じだったかと……」
訊かれた真琴は嘘なのでそうともそうじゃないとも断言できず、そんな微妙な答え方をする。
「そうなのかあ……俺は熱出てないんだよなあ……だとしたら、やっぱ違う病気なのかな?」
「そ、そうかも知れませんね。なので、もう一度、ちゃんとお医者さんに診てもらったりとかした方がいいんじゃないかと思います……」
先程はそれでもまあいいかと思った真琴であったが、それで納得されてはやっぱりマズイと思い返し、そこはかとなく正しい解決方法の方へ導こうとする。
「ああ、そういえばこの前、近藤が部員全員を叩きのめしたあれ! あれも高熱が原因で未知の潜在能力が発揮されたとかなんとか言ってたよな?」
ところが、そんな真琴の複雑な心情を察することもなく、堀田がまた余計なことを口にしてくれる。
「え? そうなのか、近藤?」
当然、それには松平も目を輝かせて喰いついて来る。
「え!? ……あ、ああ、はい。えっと……ど、どうやら、そうみたいでして……アハ、アハハハ…」
真琴は自分が吐いた
「じゃあ、もう今はあの時みたいに剣は振れないのか?」
「え、ええ…まあ、そういうことで……」
「なんだあ~そうなのかあ~……せっかく体調良くなったら、また近藤に稽古つけてもらうの楽しみにしてたのになあ……」
一番触れられたくないその話題になんとも気まずそうに答える真琴だったが、反面、松平はなぜかがっくりと肩を落として大いに落胆している。
「え…!?」
もしかして、自分に負けたことで松平がショックを受けているのではないか? とずっと不安に思っていた真琴は、その予想外の反応に目をパチクリさせて驚く。
「まあでも、潜在能力だったら、またその内に腕が復活するかもしれないし……近藤、おまえもマネージャーだけじゃなく、よかったら剣道やれよ」
「はあ……」
続けて優しくそう誘う松平に、真琴はポカンとした顔のまま生返事をする。
「あ! そうか。俺と近藤が同じ風邪だとしたら、俺もその内、近藤みたく剣の奥儀を開眼することもあったりして……だとしたら、むしろこの風邪を悪化させて高熱出した方がいいのか? …うーん、悩むところだ……」
そして、松平は真琴の返事を待たずに、今度は腕を組んで勝手に考え込んでしまった。
……それは、真琴のよく知る、いつもの、剣道バカの松平の姿である。
「おい! なにバカなこと言ってんだよ? 治さなきゃいけねえに決まってんだろ?」
「そうですよ、先輩! でないと真琴も心配します!」
そんな無邪気な彼に、眉を吊り上げた堀田と民恵が二人してお説教をする。
「えっ? ……ダメ?」
「ダメだろ!」
「ダメに決まってますよ!」
「フッ……」
そんなコントを演じる彼らの様子を眺めながら、真琴は思わずおかしげに笑みを零した。どうやら彼女の心配は取り越し苦労だったみたいである。
真琴はずっと、自分が松平に勝ってしまったことを心苦しく思っていたが、彼は微塵もそんなことを思っていないどころか、むしろそれをよろこんでいてくれのだ。
それに、まだ疲労の色を残してはいるものの、どうやら元気そうではあるようだし、いつもの明るい表情もその顔の端々に覗かせている……医者ではないし、素人意見ではあるが、見る分にそれほど重症というわけでもないらしい。
「ハァ…………」
そんな自分のよく知る彼の姿を見つめ、真琴はもう一度、大きく溜息を吐くとともにその胸を密かに撫で下ろす。
そして、やっぱり自分はこの人が好きなんだなあ…と、改めて真琴はそう思った。
それからしばらく、お茶を飲みつつ雑談を交わしていた一同であったが、堀田がふと、松平の部屋の中を見回しながら呟く。
「しっかし、いつ来ても時代錯誤な部屋だなあ、ここは」
「おい、それを言うなら趣味のイイ部屋って言えよ」
堀田の失礼な発言に、松平は不服そうにそう申し立てた。
改めて見ると、その純和風の部屋の中には、そこかしこに時代劇にでも出てきそうな大道具・小道具…というか、骨董品やら、そうした物のレプリカやらが置かれ、とても現代の高校生が住んでいる部屋のようには見えない。むしろ、江戸時代の家だと言われた方がよっぽどしっくりとくる。
今はおとなしく姿を隠しているが、もし喜十郎が出てきていたならば、きっとこの異国文化をまるで感じさせない部屋を絶賛していたに違いない……と、真琴は密かに思う。
「さすが先輩! 時代劇ヲタなことだけはありますねえ~」
民恵が、そんな褒めてるんだか
「いやあ、そんな褒めないでくれよ。ただ歴史と古い物集めるのが好きなだけだって」
どうやらその発言を褒め言葉と取ったらしく、松平は頭を掻き掻き、ハニカミながら照れた。
「へえ~先輩、骨董品とかも好きだったんですねえ……」
照れる松平の言葉に、真琴も首を回して、その部屋の中に満ちる数々の古道具達を眺めやる……年代物の衣装箪笥に着物の掛った衣文掛け、使いようがないだろうに、なぜか煙草盆なんかまで置いてある。
そうと知っていれば、なにも日本刀でなくとも誕生日プレゼントになる品々があの骨董屋にはよりどりみどりだったというのに……。
「……?」
そんな中、ふと、気になるものが真琴の目に留まる。それは、部屋の一方の壁に掛けられた、いくつかある能面や紙製のお面の中に混ざって、ひっそりとそこにあった。
大きく口の裂けた恐ろしげな蒼白の表情に、その額から伸びる二本の細く曲がった鋭い角……そう。それは般若の面である。
あれって、般若のお面? ……確か、辻斬り魔は黒ジャージにその般若の面をかぶってるんだとか言ってたけど……それって、まさか……。
真琴の脳裏に、予想もしなかった嫌な疑惑が浮かんでくる。
……いや、でも、まさか……先輩はこんな容態だし……。
だが、真琴はそのおもしろくもない考えを、病床のやつれた松平の姿に打ち消した。
……そうだ。何を考えてるんだあたし。そんなことがあるはずないじゃない……。
「なあ、最近なんか新しく仕入れたもんとかあんのか?」
真琴がそんな嫌な疑念に取り憑かれている中、同じく部屋を眺め回していた堀田が松平に尋ねる。
「ああ、あるぜ。超目玉商品が。今、見せてやるよ……」
すると、松平は疲労した体で幽霊のように弱々しく立ち上がり、衣装箪笥の所まで行って一番上の引き出しの中から何か細長いものを取り出した。
「ほら、これだよ」
そして、ふらふらと戻って来ると、それを皆の方に突き出すようにして見せる。
「なっ…!?」
それを見た瞬間、真琴は息を飲む。
その、どこか見憶えのある鮮やかな朱色の鞘……忘れるべくもない。それは、真琴が喜十郎の憑いた刀を買ったあの〝時空堂〟で、もう一つ、その刀とともに売られていた日本刀だったのである!
「お! 日本刀か? けっこう古そうだが……もしかして本物か? 高かったろう? よくそんなもん買う金があったな?」
それを見て、堀田も真琴とはまた違った一般的な意味で関心を示す。意外な代物を見て驚いてはいるが、彼には真琴の知る事実など知る由もないであろう。
「いや、それがさ。この前、三河商店街に行ったら、今まで気付かなかった骨董屋を偶然見付けてね。そこ覗いたら、なんと! 特価1000円でこれが売ってたんだよ。こいつは
「へえ~そいつはいい掘り出し物を見付けたな。そんじゃ、これで俺がおまえの誕生日に日本刀買ってやる必要もなくなったってわけだ」
「ああ、残念ながら間に合っちゃったよ」
冗談混じりに感想を述べる堀田に、松平も冗談っぽく笑顔で返す。
「あ~あ…真琴、せっかく誕生日プレゼントにいい品だったのに先越されちゃったね」
二人の遣り取りを聞いていた民恵が、そう小声で言って真琴の脇腹を肘で小突く。
彼女もまた、真琴が実は同じ店で、同じような日本刀を買ったなどという小説よりも奇なりな事実を知らないでいる。
「…あ……う、うん……そうだね……」
残念がる民恵に咄嗟に頷いては見せたものの、真琴はあまりの予期せぬ展開に最早、心ここにあらずである。
「……ま、まさか……もしかして、先輩の症状って………」
薄暗い夕暮れ時の部屋に灯された蛍光灯の煤けた光の下、その怪しく輝く鮮やかな朱色の鞘を、真琴はじっと、険しい表情で見つめていた――。
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