おにぎりとコーヒーの味

作中語られる「おにぎりとコーヒーの味」についておもった。
うんそうだよね、と。

そんなふうに、とても「ただしい」小説として読んだ。

吸血鬼とヤクザの関わるディストピア活劇だと思うのだけれど、
第二部からアクションシーンが迫力を増すのと同時に
ポスト終末を描く作品が背負うテーマやストーリーも浮き彫りになる。
それは「人間」そのものであり、
同時に「人間扱いする」ということだ。
この作品に「人間」でないものは存在しないにも関わらず
それでも「人間扱いされない」ことが存在する。
弱肉強食ではなく適者生存を生物の系譜の公式として当てはめるならば
適者とは「人間扱いされる側」なのか「人間扱いされない側」なのか。

「人間扱い」をそのまま「ただしい」と言い換えてもいいと思う。
「ただしい」小説をより正確に表現するならば「ただしさを問う」小説だ。

答えはなにもない。
答えを出すべき小説でもない。
でもときどき、考え、思いだす。
それぞれに「ただしさ」を携え生きた人間やヤクザや吸血鬼や
その間に幾星霜と存在した関係のことを。

そしてたったひとつ間違いのないこと、
この小説で一番印象に残っているシーンは、
「おにぎりとコーヒーの味」はそうであること、その告白シーンだ。

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