ソレイユの森 3 訪問販売


「ごめんください」


 来客の訪問は突然だった。


 長い間、誰とも話さず一人だったため、周一は声の出し方を忘れていた。


「……はぃ、なんで、しょうか」


 声はかすれていたが、なんとか出るということが分かってほっとした。


 実験記録用のレポート用紙を、周一は小脇に挟んだまま、天井の高い玄関ホールで、久々に人と会話した。


 髪は耳より下に伸び、白髪も目立ち、白衣は土に汚れている。


 そんな主人を見ても、訪問者の顔はにこやかだった。


「実は、こちらのお宅へ、お薦めの商品がございまして、お伺いさせていただきました」


 セールスマンだった。黒いスーツを着て、揃えた両手でアタッシュケースを持っている。


 三十代半ばごろの、自分より十歳ほど若そうなその男は、断りの返事をしようと開きかけたこっちの口よりも、素早く、その口を動かした。


「電気代が、今よりずっとお安くなりますよ。それよりも、さらにお得です。わたくしどもの商品を買っていただけますと、月々の収入にもなるんです。この、太陽発電のソーラーパネルを屋根に設置するだけで、エネルギーが発電され、家中の電力をまかなえます。また、余った電力は売ることができ、とても経済的でございます。いかがでしょう、パンフレットだけでもお受け取りくださいませんか」


 半月に細めた、猫のような目の笑顔で、アタッシュケースから薄い冊子を差し向けてくる。


 周一は微動だにせず、「必要ない」とだけ、言った。


 セールスマンは目を伏せて、慣れたような手つきで冊子をケースに入れ戻した。


 そして真顔を周一に向け、「日当たりがいいのにもったいない」と小声で言った。


「一つ大切なことをお教えします、お客様。後々のことを考えるなら、初めの投資が肝心ですよ。今は少し高くても、元は取れるようになりますから」


 周一は「そんなことは知っている」と、ぶっきらぼうに言い放った。


 私はもう、将来のために投資した。この家がまさにそうだ、と思っていた。


 セールスマンは「でしたらなぜ……」と言いかけたが、途中でやめた。


 そしてまた、あの作り笑いを顔に浮かべ、帰る間際にお辞儀をしながら、こう言った。


「また来ます」


 周一は内側から玄関に鍵をかけた。


 これまで人の気配がしなかったので、あまり気にしていなかったが、用心のため、毎晩鍵をかけることにした。


 と同時に、こんな山奥まで商売に来るやつがいるなんて、と、何か執念のようなものを感じて、不安になった。


 セールスマンが帰ったあと、玄関の床に、一枚の紙切れを見つけた。


 名刺だった。


 会社名と名前が記してある。名前は、「丸本」。


 周一は持っていたレポート用紙の間に、記憶にとどめておくように、それを挟んだ。


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