第6夜 俺は気なんて信じない

 それは清掃のバイトをしていた時の事だった。

「俺は気なんて信じない。あんなのはインチキだ」

 清掃チームの中でも理屈っぽい葉山(仮名)が大きな声を出した。


 気が信じられないだって!?

 聞き捨てならない言葉だった。

 なぜなら筆者は気を扱う武術を習ってきたし、おまけに鍼灸師の資格も持っている。当然、東洋医学は気の概念なくしては成り立たない。

 つまり気を否定されるのは筆者の努力と人生を否定されるのも同然だった。


「さっき、気が信じられないと言っていたのを耳にしたけど、本当かい?」

 たまらず、発言主の葉山に問いただしてみた。

「ああ、本当だ。気で人を飛ばしたり、気の力で病気を治すなんてあり得ない。逆に聞くが、波里は本当に信じているのか?」

 葉山の返しに何も言い返すことが出来なかった。

 この場で彼の言っている気とはもちろん概念的な気ではなく、確かな効果のある測定できるエネルギーとしての気であるのは明白だった。


 大東流合気柔術だいとうりゅうあいきじゅうじゅつ、合気道。

 これらの武術には名称に気の文字が入っている。

 中国武術の意拳いけん

 これは站椿功たんとうこうという修行で気の力を養い、強くなることを目指す拳法。

 ただ、いずれも気の力だけで相手を飛ばすことは教えていない。

 少なくとも筆者は習わなかった。


 鍼灸においては経絡けいらくを整え気の通りを良くするのが肝要。

 だが、手をかざして気を出す治療は分野が違う。

 それは気功家の領分だ。鍼灸師は手から気は出せない。


 葉山の言う通り、気だけで人は飛ばせないし、直接気の力で病を癒せない。

 世界の何処かにはいるかも知れないが、筆者自身は出来ない。

 だからこそ彼に言い返せなかったのだ。


 ところで、気の正体は何なんだろうか?

 その答えは人によって様々だろう。

 しかし東洋医学では一応だが気を定義している。

『気は生命活動のエネルギー源で休みなく活動する精緻な物質』

 簡潔にまとめるとこうなった。


 ちなみに気は飲食物などから作られる。

 さらに言えば、気が赤く液体状に変化したのが血になる。

 なので気の流れの良し悪しは血行の良し悪しでもある。


 もう一つの疑問。

 気は測定出来るのだろうか?

 その昔、著名な気功師が来日した際、日本の科学者は気を測定しようと協力してもらった。

 様々な測定器に囲まれた中で、その気功師が気を手から出す。

 結果として遠赤外線、磁気、低周波が測定されたそうだ。

 やがては科学の力で気を再現できるのだろう。


 と、このように気の話は尽きることがない。

 しかし、筆者の気力が尽きてしまった。

 また気が向いたら、気の話を続けるかもしれない。

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