第7夜 セクハラの基準

 セクハラという概念が世に浸透して久しい。

 昔、その言葉の意味はもっと直接的なものだったように記憶している。

 だが昨今ではその意味合いは大きく様変わりしてしまった。

 例えば、女性に電話番号や連絡先を聞く行為はセクハラに該当する。

 好意を持った女性に対しメールを何度も送ったり、しつこく付きまとった男が逮捕されるのは時々ニュースで耳にする。


 いくらなんでもやり過ぎだ。

 そんなんだから男はますます萎縮して草食化するのだ。

 以上のような意見もよく聞く。


 だが筆者としてはその意見には反対だ。

 女性の立場に立ってみればよく分かる。


 数年前、仲の良かった同僚の女性から相談された。

「仕事が終わって駐輪場に向かっていたらAさんが待ち伏せしていて、いきなり私の電話番号を聞いてきたの。その場は何とか逃げたんだけど、もしかしたら今日もいるかも。無下に断るのもあとで怖いし……。ねえ波里さん、私はどうすればいい?」

 見目麗しい彼女は完全に怯えていた。

 Aというのは三十代の男性で、職場の変人として知られていた。

「ああ、前はモテていたのにこの職場じゃモテないなぁ~」

 が口癖。

 昼の休憩時間になると、男性更衣室にて一人で昼飯を食べる。

 ズボンを脱いで下半身だけパンツ一丁になって。


 妙なヤツだとは思っていたが、とうとうやらかしたか。

 すぐに筆者は彼女と共に上司に報告。

 次の日の朝礼にて、女性に電話番号や連絡先を聞く行為はそれだけでセクハラになるので気をつけるようにとの注意。

 この事件はたちまち職場で噂になり、Aはいたたまれなくなったのかいつのまにか辞めてしまった。


 一応の解決はしたが、彼女のたっての願いでしばらくは駐輪場までボディガードをしていた。

「仕事上、絶対必要になるからお互いの連絡先を交換しましょう」

 彼女に言われ、その通りにした。

 筆者から連絡先を聞いたわけではないので、これは断じてセクハラではない。

 今ではお互いその職場を離れたが、時々メールで近況報告はしている。


 話は変わるが、筆者は柔道整復師の専門学校を出ている。

 人の肌に直接触れる機会が多いので、学生時代はセクハラについての注意事項をよく聞かされた。

 ある日、先生が”往診時にセクハラにあった時の対処法”を話していた。

 クラスの女子たちは真剣に聞いていたが、筆者を含めた男たちは笑って聞き流していた。

「おい、お前たち! 笑っているけど他人事じゃないぞ。往診を依頼する患者の中にはな、体重が百五十キロで柔道五段のホモがいるんだ。ウソじゃない。たしか板橋区に住んでいるはず」

 先生の言葉に男たちは戦慄。もはや笑っている生徒は誰もいなかった。


 また、次のようなありがたいアドバイスを受けた事もあった。

「波里くん、セクハラ防止には会話を続けるのが一番だ」

 専門学校の柔道部のエースである彼は筆者にそう言った。

「なぜ会話が防止になるんだ?」

「俺も君も体が大きい。俺たちは若い女性のお尻を揉むこともしょっちゅうだ。いいか、よく考えてくれ。でかい男が若い女性のお尻を黙々と無言で揉む状況を。女性の患者にとっては想像できないくらいの恐怖なんだ」

「なるほど」

「会話の内容は何でもいい。シラケても構わない。沈黙は敵だ。声を発していればいい」

「音楽やラジオを流すのではダメか?」

「音楽やラジオは基本だ。その上で会話をする。そうだな、例えば患者の名字が木村なら『あなたは木村沙織の親戚ですか?』とか、吉田なら『吉田沙保里の親戚ですか?』ってな感じでやってみるといい」

「大いに参考になったよ。ありがとう」


 持つべきものは友。

 とても素晴らしいことを聞いたので、この会話術をいつか試そうと思った。


 ほどなくして、とある治療院で働く日がやってきた。

 筆者が担当した患者は若い女性だったので、話して話して話しまくった。

 会話は盛り上がり、筆者も患者も大満足。


 その日の業務が終わり、後片付けをして帰ろうとしたら院長に呼ばれた。

「君ねぇ、困るんだよ! 治療中は治療に集中してもらわないと! 患者さんとお喋りしたかったら施術が終わった後にしなさい」

 院長のお叱りを頂戴してしまった。

 所変わればなんとやら。

 鶴の一声によって、友の助言は役に立たなくなった。

 その時は世の理不尽さを感じたが、今では笑って話せる。


 その後、色々あって現在は治療の仕事には就いていない。

 時々、趣味でカクヨムに駄文を投稿している。

 そして、昔の職場で連絡先を交換してくれた彼女にメールを送った。

『カクヨムというサイトに小説を投稿しました。あの職場を舞台にしたので、もしよければ読んだ後に感想が聞きたいです」

 それに対する彼女の返信は、

『波里さんは小説を書かれたんですね。私の身の回りが落ち着いたらじっくりと読んでみます。今からとても楽しみです』

 という内容。


 ああ、それなのに彼女からの音沙汰はなし。

 筆者としては催促をしたくてしょうがない。

 しかし理性がそれを押し止めている。

 

 催促のメールをしつこく送ったらそれこそセクハラになってしまうではないか。

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