第7話 バイバイレミー
俺の中の戦争は終戦を迎えようとしているようだった。
気の早い勝鬨が、強制的に俺を起こす。
自分の血が目に沁みた。額が熱い、触るとぱっくりと横に割れていた。裾で目の周りの血を拭い、視界を確保する。最初に飛び込んできたのは真っ赤に汚れた油軒LOVEの文字だった。デブの頭は見当たらない。
俺はリボルバーを拾い、外に出ようとしたが、足が引っかかっている。無理矢理、足をひきぬく。骨がきしみ、鋭い金属の突端に太股の肉が少し持っていかれたがまあ仕方ない。
割れた窓から這い出る。
漏れた燃料がアスファルトに黒い水たまりをつくっている。
俺が小突いたトラックは、カーブ手前の電信柱を倒して、停まっていた。
木々の間から、沈みゆく夕陽が見えた。
オレンジ色の半円が輪郭を揺らし、死者の町を茜色に染めている。
柄にもなく俺は見とれてしまった。
「明日美、大丈夫か!」
変声期特有の裏がえった声が抒情に浸る俺の邪魔をした。
トラックの開け放たれたドアから少年がレミを抱えて出てきた。
「よお」
俺はリボルバーに弾を一発だけこめ、足を引きずりながら、二人に近づく。
少年は、ハッと俺の方に振り向くと眉間にしわを寄せた。
「来るな!」
少年は、拳銃を俺に向けた。
はい、わかりましたって、素直に聞くようなバカに見えるか?
少年が発砲する。
素人が片手で撃ちやがって、どんなに近くても当るわけがない。
すぐに弾が底をつくと、少年は拳銃を俺に向かって投げ、身動きしないレミを強く抱きしめた。
道路を滑る拳銃を見送って、俺は、少年の前で足をとめた。
「ぶっ殺してやる、明日美にした事を全部お前にしてやる」
少年は、威勢よくわめくと俺を睨みつける。
「レミって明日美って言うんだ」
旋盤工場に連なる民家の表札に麗美って書いてあったから、俺達はレミと呼んでいたのだ。
「まあ、いいけどさ」
この状況で睨み続ける少年の眼光に感心しながら、銃口を鼻先に押し当てて引き金を引く。
カチリと弾倉が回転する。
「意外と好きだよ、死んだ恋人を愛し続けるみたいな、そんなロマンティックな感じ、俺」
俺は自分のこめかみに銃口を向ける。
引き金を引けば、俺の頭が弾ける。
さっき、弾丸の尻が見えてしまったんだ。
銃声が響く。
俺の腹が真っ赤に染まっていく。
「おま…ん…」
振り返ると、迷彩柄のジープに乗った青白い顔の榊が俺に小銃を向けていた。
「よお、親友…」
血が止まらない腹を押さえながら俺は、リボルバーをこめかみから離し、榊に向けた。
「わかったよ、介錯してやるよ」
俺と榊はほぼ同時に引き金を引いた。
俺の一発の弾丸が榊の眉間を貫き、榊の三発の弾丸が俺の身体に着弾した。
脂汗が全身から噴きだす。流石にこれはきつい。俺は膝をつく。
裏返った悲鳴が聞こえた。
「なんで、明日美、なんで!」
泣きそうな顔をした少年は腕をおさえ、口の周りを血で汚して咀嚼を繰り返すレミから離れる。
「なんでって、ゾンビだからだよ」
俺はつい笑ってしまう。
重たくなる身体を無理矢理起こして、少年の元へ行く。
少年は呆然と俺を見上げる。未来予想図が現実にぶつかってもろくも崩れてしまった絶望を表すには的確でナイスな面だ。
俺は、彼の腕を掴み、綺麗な血液が滲む噛み傷を確認する。
同じ場所だ。
俺は袖をめくって、あの日の旋盤工場でレミに噛まれた傷跡を少年に披露した。
「兄弟ってやつか、違うか」
笑う俺を少年は見つめる。未知の生物を見つけた様な顔だ。
俺だけじゃない、さっき息を引き取った榊も、工場で喰い散らかされた奴らも、活動死体に噛まれるなり、引っ掻かれるなりして、とっくの昔に感染している。
俺は、少年の腕に注射器を刺し、透き通った緑色の液体を注入した。
「活動死体化抑制剤の試験薬だ、効き目は俺が証明だ」
感染した俺達の死亡届は速やかに受諾されて、実験動物としてこの町で生きる事を強制された。
薬は抜群の成果を見せたが、副作用として強い暴力衝動が発現した。
俺達は衝動と理性の狭間で苦しみ、活動死体を遊び殺し、レミを凌辱する事で衝動を晴らしていた。
【千羽鶴の儀】は、殺した者達の供養とレミに対する感謝を形にして、正当化する事で、ぼろぼろの理性を保とうと、隊長が発案したものだった。
「軽トラの中にナップサックに詰めるだけの抑制剤がある、何本無事か分からんが後で回収しろ」
意識が遠のく。血と一緒に流れ出る抑制物質の空白に、黒いものが溜まっていく。俺の細胞が変換され、違うモノに変わっていくのを実感する。
俺は、意識の隅で踏ん張り、戸惑う少年に語りかける。
「この町を脱出するんだろ、プランは万全なのか」
少年は表情を曇らせる。ガキはガキだ。レミを…いや、明日美を助ける事しか頭になかったのだろう。
「ここにいたら、人間どもが駆除しに来るぞ」
俺は茜色の空を飛ぶ無人偵察機の機影を指さしながら言った。
「なあ、あのピコピコはまだ鳴らせるんだろう」
少年は頷き、カーゴパンツのポケットからスマートフォンを取り出して、実際に電子音を鳴らしてみせてくれた。
この町の四方は五メートルの「壁」に囲まれて、封鎖されている。少しでも近付こうものなら、自動機銃が咆哮をあげて、あっという間に蜂の巣だ。
油軒の通りを直進したところに物資の搬入口がある。そこが唯一、外と繋がっている場所だ。
「そこに、この町にいる全ての活動死体を集めろ…要はお前が工場を襲撃したのと同じ事をやればいいんだ」
少年は、俺の提案について顎に手を置き思考を巡らした後、大きく頷いた。
「…ありがとう」
少年は、礼を言うと、さっさと明日美のもとへ走っていった。
俺はアスファルトに横たわり、遠のく足音を聞いた。
息が荒くなる。鼓動のテンポが速くなっていく。
「ありがとうって…ガキはバカだな」
まったく、我ながら無茶なプランを立てるものだ。
いくら活動死体を盾にしても数十機の自動機銃の攻撃が防ぎきれるか?
例え、防げたとしても増援がこない可能性は?
なんとか、搬入口に辿りついたとしても、当然、厳重にロックされているだろう。ボタンひとつで開いた工場の鉄扉のように簡単にいくか?
奇跡的に、脱出が成功したとしても、外に出た途端に攻撃が止むような甘いセキュリティーなわけがないだろう?
しかし、%で言えば小数点以下に0がたくさんつくような割合であっても、もうすぐ息絶える俺には充分だ。
一縷の希望を少年に託し、歩く死者で埋めつくされる世界を夢見て死ねるのだから。
その夢が、抑制剤の副作用が見せるのか、それとも、俺自身が描いたのか、もう。わからない。
バイバイレミー 東京廃墟 @thaikyo
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