第4話

 わたしは急いでルリに通信した。デスクの上に3Dの静止した姿が浮かび上がる。仕事中などはリアルな姿で出るし、プライベートな時は静止画像、これが通話のマナーだ。個室で寛いでいる姿は誰も他人に見せたくないものだ。


『ハイ、リナ。どうしたの? 今晩は先約があるのよ』


『ごめん、ちょっとだけ。あのね、今日出頭命令が来たのよ』


 数秒間ルリは沈黙したが、すぐに返事がくる。


『そぉ……寂しくなるな。でもごめん、今日は会えないんだ。明日の朝は早いんだよね?』


 男と約束があるのだとすぐに解った。


『うん、明日会いに行く時間はないと思う』


『そっか。じゃあ悪いけど、これで最後になっちゃうね。今まで付き合ってくれてありがと。またいつか、どこかで』


 最後の台詞はセンターへ呼ばれた者への別れの常套句にしている、と以前彼女は言っていた。それを自分が言われる日が今日になったとは、不思議な感じがした。


『うん、私もありがとう。またいつかどこかで』


 わたしも同じ事を言って通信を切った。これが親友との別れ。今までに何度も経験してきた似たようなワンシーン。ただ、自分が去りゆく側になったのが初めての事だというだけだ。


 それから、仕事関係の上司や色々な相手に連絡をし、引き継ぎを済ませた。明日やるつもりでデスクに残してきた書類。今携わっている企画は結構やり甲斐があって張り切っていたところだけに、やり残してしまうのは残念な気がする。でも仕方がない。これも皆が当たり前に経験する事だ。引き継いでくれる人がきちんと仕事をしてくれて都市の役に立つのならそれでいいのだ。




 わたしは一番いい服を着てミックの店に行った。わたしにとっては幸い、他に客はいない。リナとしての最後の夜をゆっくり過ごせそうだった。


「わたし、明日センターに行くの」


 フードをゆっくりと口に運びながらそう言うと、ミックは形の良い眉をぴくりと上げて、


「そうですか……残念です」


 と言った。


「残念?」


 わたしは予想外の返事に軽く驚く。誰か知人がセンターに行くのは、寂しい事ではあっても悪い事ではない。その人にとって一番良いとセンターが判断した時に清浄化を受けるのだから、本人にとってはむしろ良い事であり、残念などと言うのは相手にとって失礼にあたる。


「あっ、すみません! そういう意味ではなくて、リナさんは一番の常連さんでしたから、いらっしゃらなくなると益々成績が落ちるなあと思ってしまったもので」


 なるほど、そういう意味での残念か、とわたしは納得する。ミックはこんな風に口を滑らせて本音を出す事があるので、敬遠する客も多く、最近店の成績は振るわないらしい。


「こんな調子じゃ、きっとぼくは25歳になったらすぐに呼ばれそうです。でも、その方がいいのかも知れない」


「適性はあった筈なのにね」


「やはり個体差がありますからね。次はきっと別の職に就かされる気がします」


「まだあと4年あるじゃない、頑張りなさいよ」


 こうしていつものようにカウンター越しに話していると、これが最後だなんて思えなかった。ミックは店を閉め、わたしは奥の部屋で彼と朝まで過ごした。お気に入りだった映画を観て、あとはセックス、そのあとはお喋り。


「今日、ドームの壁を見てきたの」


 とわたしは言った。最後にした小さな冒険について、話せる相手がいたのは良かったと思った。


「壁ですか? ぼくはまだ行った事ないなあ。それで、どうでしたか?」


「それはもう、この壁が私たちを守ってくれているんだな、って感動したわ。でも……そうだ、変わったものを見たわ」


「何ですか?」


「わからないの。黄色くて薄くて飛ぶものよ。昔、教育を受けた時に何かの資料で見た気がしたんだけど。思い当たらない?」


「う~ん?」


 ミックは考え込む。


「昔の世界には、そういう飛び回る生き物がいたと学びましたね」


「そういえばそうね。でも今は人間以外の生き物は絶滅しているんだから、それな筈はないわ」


「ぼくは昔の生き物に結構興味があったので、今も資料を持っていますよ。見てみましょうか」


 そう言うとミックは起き上がり、部屋の隅の机の引き出しからから小さな端末を出してきた。これで自分の個室にあるメインのデータボックスに繋いで中身を呼び出す事が出来るのだ。この事を調べる時間はもうないと思っていたので嬉しくなる。もっとも、ついさっきまでこの事自体を忘れていたのだけれど。


 ミックが端末を操作していくと様々な項目が音声と画面で案内される。


「飛ぶと言えば、虫とか鳥とかいうものがいましたね」


「そうね、毒があったり人間の領域を荒らしたりする、害のある生き物ね。でも、そんなに悪いものには見えなかったわ」


 ミックはいくつか、『黄色くて飛ぶもの』を選び出して画像を映し出してくれた。


「これじゃない……こんな形でもない……」


 わたしはミックが一生懸命わたしの為に探してくれているのが嬉しい気がして、細かく記憶を引き出そうと一生懸命考えた。


「平たかった……弱々しくて、色紙が舞っているような……」


 言いながら、もしかしたら本当にあれはただの色紙だったのかも知れない、とも思えてきた。その時ミックが、


「これはどうですか?」


 と言って出した画像は、まさにわたしが見たものだった。それはこんな名前だった。


『モンキチョウ』


「虫の仲間のようですね」


 とミック。


「こんなものが都市にいる訳ないわ。誰かが作ったんでしょうね。でも、何の為にかな?」


「さあ……こういうものを作る工作キットみたいなものがあるのかも知れませんね。趣味の為の」


 とりあえず、わたしが見たものの名前が判った。それだけで充分満足だった。ミックは、どうしたらそのキットが買えるのかを更に調べているようだったが、わたしはもうそれ以上その事に関して知りたいとは思わなくなった。どうせあと数時間したらセンターに行くのだから。


「もういいじゃない。調べてくれてありがとう」


 わたしはミックの肩に腕を回して裸の胸を押しつけた。ミックは顔を上げると微笑んで、端末をオフにした。


 そして朝が近づく頃には、わたしはこれでもう何もかも満足したと思えるようになった。




 夜明けにはミックに別れを告げてわたしは自分の個室に戻った。私物は残しておいても次の住人が入居する前に係が全て処分する。リナとしてのこれまでの全てが詰まった個室を眺め、見納めをする。特別な感慨はない。今度はどんな人生が待っているのか、わたしはなるべく未来を考えて楽しむ気持ちになろうとした。


 ちょっと考えて、一番着慣れた仕事用の白のブラウスと紺のスカートに着替えた。これがいつものわたし。そして最後のわたし、リナ。プリントアウトした通知を愛用のバッグに入れて肩にかけ、わたしは振り向かずに個室をあとにした。

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