第2話
私とアリカは暫く遠ざかっていたお気に入りのカフェに行った。緑を基調にした静かな配色の装飾の少ない空間。店にはいつも客はそう多くはない。リフレインされる静かな音楽には何だか癒やされる気がする。
流れる音楽は、旧時代のものだ。今の都市には、音楽を奏でる職業はあるが、新しく曲を作る職業はない。許可されていない。新しいものは、秩序を乱す可能性がある。旧時代のメモリーに残っているもの(勿論センターが厳選したもの)だけで、味わい終えないくらいだから、新しいものなんて、勿論必要はない。
「あらっ、変わった?」
アリカが声をあげた。店の外装はそのままだが、内装が変わっている。明るい白と紫の色調。音楽も、静かな『クラシック』ではなく、『ポップ』が流れている。
「いらっしゃい!」
マスターらしき男性が大きな声で言ったので、私たちはそのまま店に入るしかなかった。
前のマスターは43歳の物静かな男の人だった。必要な事以外は話しかけてこない。柔らかな物腰と温かい瞳。こちらから話しかければ、他愛のない世間話にも付き合ってくれていた。
今のマスターは若く、張り切っている感じだ。16歳。勿論、そうに決まっている。前のマスターはセンターに呼ばれ、16歳になって学習期間を終え、新しく成人した人があとを継いだのだ。珍しくもない事だ。
私たちはカウンターに座った。前のマスターは、私と同じ『種B』、黒髪に黒茶の目だったが、新しいマスターは『種A』、金髪に青い目だ。アリカと同じ。種による差別はない。見かけが違っても、全く平等な権利を持った市民なのだ。昔は種が違う事による闘争もあったらしいが、今はセンターのおかげで、勿論そんな事はない。
「マスター、変わったのね。どう、仕事慣れた?」
アリカが気安く話しかける。
「いつの間に変わったの?」
と私。
「まあ、少しずつ慣れていってます。先月からですよ。この店が空いて、配属されたんです」
店というものは、他の業種に変わる事はない。センターが統括して、地区に必要な分、効率良く配置されている。経営者はセンターに任命され、センターに呼ばれていなくなれば、新しく成人した者の中から適性があっている者がまた任命されてあとを継ぐ。この新しいマスターは、接客態度も申し分なく、まさに適任のようだ。センターが配属したのだから当たり前の事ではあるけど。
話しながらもてきぱきと動いて、数分も待たずに私たちの前に、皿とコップの乗ったトレイが出される。
皿の上には『フード』が盛られている。どこの店に入ろうと、『個室』で配給窓から受け取ろうと、朝昼晩、食事の内容は同じ。私たちを養ってくれる、センター支給の素晴らしい食物だ。立方体の固形物。おなかを空かせていた私とアリカは待ってましたとばかりにフォークとナイフを使って食べ始める。
昔の人間には、味覚というものがあって、それぞれ食の好みがあり、毎回の食事で違うものを作って食べていたらしい。なんて面倒な、労力の無駄遣いだろう! 私たちは、味覚などという無駄なものは持ち合わせていない。不要な感覚はすべてセンターが除去してくれている。空っぽの胃が満たされてゆく幸福感に浸りながら私たちは、味はないが生きていく上で完璧な食物である『フード』をかき込んだ。
客は、私たちだけだ。私たちが食べ終わり、トレイを片付けると、若いマスターは意味ありげな視線を私たちに送った。
「今日はもう店じまいしてもいいんです。一日のノルマは果たしましたから」
店でも会社でも何でも、仕事にはノルマがあり、成績が悪いと若いうちにセンターに呼ばれる事になる。割り振られた仕事に対してセンターの期待度に答えられる程の能力がなければ、早めに清浄化してもらって新しく一からやり直した方が、都市全体にも本人の為にもなる。
私とアリカは23歳。オフィスの仕事は好きだし、楽しい。成績も悪くはない筈だ。でも、選別は成績だけで行われる訳ではない。いつ呼ばれるかは、誰にも予測出来ないのだ。
「お二人とも、とてもお綺麗ですね。良かったら、奥へ寄って行きませんか?」
奥へ……これは、どこの店でもある、セックスのサービスを意味する。客から要求する場合もあるが、店が忙しければ断られる事もある。忙しくなければ、こうして店の方から誘ってくる事もある。サービスが気に入れば、店へ通う頻度が高くなり、マスターの成績が上がる。
「マスター、まだ仕事に慣れてないんでしょ? あたしは今日は疲れたし、遠慮しとく」
アリカはあっさりと言った。アリカは『種C』黒い肌の体格のよい男性が好みなのだ。
「リナ、どうする?」
「う~ん、じゃあ私はもう少しいようかな」
新しいマスターは特に好みのタイプではないが、二人とも断ったら何だか気の毒だ。
「そお。じゃあ先に帰るね。また明日ね」
そう言って、アリカはさっさと帰って行った。
「では、こちらにどうぞ」
マスターがカウンターの向こうから出て来て私の手を取った。私は導かれるままに、奥の部屋へ入った。
「通称は何と仰るのですか?」
「リナよ。あなたは?」
「ミックです。さあどうぞ」
大きなベッド。これは前のマスターの時から変わっていない。多分、もっと前のマスターの時からも。勿論、シーツ等は新しくなっているが。前のマスターは、滅多に自分から誘ってくる事はなかったが、求めれば応じてくれた。歳上の男性の優しいリードがとても良かった。
不要な感覚は除去された私たちだが、性欲や性感は持っている。昔は、『倫理』『性病』『妊娠』とかで、不特定多数の相手とセックスするのはよくない事だったらしい。でも今、この素晴らしい都市では、『性病』なんてないし、生殖器官とやらは取ってもらっているので、おなかに赤ん坊が入り込む危険もない。『倫理』って何だろう? セックスは気持ちがいい。なぜいけないと思われていたのか、理解できない。
私はベッドに横たわり、マスターは私の服を丁寧に脱がせて色々なサービスをしてくれた。私は客なので、何もしなくていい。まだ不慣れな印象は拭えないが、一生懸命さは伝わってくる。二度絶頂を味わった。店主の仕事は大変だな、と思う。私は適性がなくてよかった。
オフィスの仕事でも、上司から求められる事はある。喜んで応じる事もあれば、成績を上げる為に渋々応じる事もあるが、どうしても嫌という事もない。良い時もあれば、どうって事もないって時もある。ただそれだけだ。それもしょっちゅうという訳でもないから、こういう店主よりはずっと楽だと思う。
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