エピローグ

 夕陽が草原を紅く染めてゆく。私は干した洗濯物を籠に入れている。昼間充分に蓄えられた日の匂いが洗濯物には染みこんでいる。


「リナママ~!!」


 遠くから、はしゃいだ幼い声がみっつ、大地を駆ける軽い足音と共に近づいて来る。


「あんたたち、遅かったじゃないの! もうすぐ日が暮れる! 探しに行こうかと思ってたとこよ!」


 私は、はぁはぁ息を切らせながら大きな籠を抱えて駆け寄って来た三人の子ども達に向かって怒鳴った。


「見て見て~! こんなに栗が採れたよ!」


「キノコもあるよ!」


 子ども達は私の怒った様子には気付かないふりをしながら嬉しそうに今日の獲物を見せる。


「あらっ、確かに大漁ね」


 籠の中の森の恵みに、私も思わず笑みがこぼれ、それ以上叱れなくなる。まだ陽は落ちていないし、本当は子ども達だって夜の森の危険はきちんと弁えているのも解っている。……何しろ、この子達の本当の両親は、夜の森で道に迷い、崖から落ちて亡くなったのだから。あれはもう、三年前のことだ。


「子ども達は帰って来たのか、リナ?」


 背後の木造住居の扉が開いて、ローリーが現れた。


「ええあなた、見て、たくさん採ってきたわ」


「おお、この栗は半分、明日ケンの所に持って行って干し魚と交換してもらおう。よく頑張ったな、お前達」


「えへへ!!」


「じゃあ、夕食の支度をするわね」




 私たちが家族になったのは、都市から出て二年目、そして今から三年前の事だ。


 村の住民として受け入れられた後、皆はとても親切にしてくれたが、それでも生活習慣の余りの違いに、全てを受け入れ、自分のものにするのはとても難しかった。食べ物には徐々に慣れた。何であろうと私たちは食べないと生きていけないのだし、元々味覚がないので、形に慣れてしまえば料理する事も覚えられた。


 森には自然があり、動物がいて魚もいる。狩りは力のある男たちの仕事、女は植物を採取したり、それを加工したりして、日々を暮らす。時には昔の暮らしを思い出して、擦り傷の多い硬くなった掌に溜息をつく事もあったが、殆どの時間は私にとって新鮮な喜びと共にあった。私は生きている。人間同士で支え合って、自分の力で生きている。こんな素晴らしい事が起こるなんて!


 ただ、ひとつだけ馴染めないものがあった。家族……赤ん坊。自然な生殖は命の危険を伴う、下等でおぞましいものだと繰り返し刷り込まれた――思えば、センターで人間を生産している事に僅かにも疑問を持たないように特に厳しく教育されたのだろう――私たちにとって、これは生理的に中々受け入れられないものだった。他人とひとつの家で暮らす、という事も、ずっと個室で完全なプライベートを保ってきた私たちには最初は耐えがたく思われた。たくさんの人々が、暫く自分たちの家で暮らしてよい、と善意で勧めてくれたが、私たちは断り、自分の家を建てられるようになるまで(勿論皆が力を貸してくれた)、屋外で寝袋を使って眠ったものだ。誰かと一つ屋根の下で暮らすより、その方がまだ落ち着けると思ったからだ。


 それでもなんとか新しい生活に馴染んできて、それぞれの家に落ち着いた頃、ケンが驚くべき事を言い出した。


「私はアンナと結婚しようと思う」


 村の女性と結婚の約束をしたと言うのだった。私たちは、そんな暮らしが出来る筈がない、と最初ケンを説得しようとやっきになった。彼女の事が好きならば、恋人でいればいい、いつだって逢えるのだし、何も一緒に生活する必要はないだろう、と。


「アンナは子どもを望んでいる。赤ん坊が生まれれば、両親が結婚していないと子どもにとって不都合だと言う。私は彼女の願いに応えたいと思う」


 とケンは説明した。赤ん坊……? 私は混乱した。都市の人間だった私たちが子どもを持つなんて、考えた事もなかった。けれども、子宮を除去されている私と違い、ケンたちは、村の女性と子どもを作る事が出来るのだ。


「それはいくら何でも行き過ぎだよ……俺たちが子どもを……? 信じられない、都市での暮らしが一番長かったあんたが、そんな事を言い出すなんて!」


 この話に最も拒否反応を示したのは、何故か一番若いレイだった。今でも、あの時の彼の気持ちは、解るような解らないような、そんな感じだ。若いが故の潔癖さ……? あの時、彼にも村に恋人がいたのだが、彼は決して恋人を自分の家には入れなかった。自分の領域を保たなくてはいけない……そんな感覚を一番強く残していたのだろう。私とローリーも恋人関係にあったが、互いの家を行き来していた。


「なぜいけないのか? レイ、きみは都市の悪習をまだ忘れられないのか。先史時代のその昔から続いてきた、そしてここの民が受け継いできた、『家族』という制度を受け入れられないと?」


 静かに問うたケンに向かってレイは、


「受け入れられない! 何を受け入れ、何を受け入れないかも、また個人の『自由』ってヤツだろう? やっぱり……俺には無理なんだ。俺はここにはいられない。薄々は感じていたんだ。俺はあんた達程適応出来ていないと」


「? 何を言ってる? 私の結婚を受け入れないのは確かにきみの自由だ。だがどうしてそれが、『ここにはいられない』になってしまうんだ?」


「俺はみんなと違う! 駄目なやつなんだ!」


 そう叫ぶと、彼はその場を走り去ってしまった。その時は私たちはただ、彼は混乱して自宅に戻ったのだろうとしか思わなかった。だが、それが彼の姿を見た最後になってしまったのだ。彼はそのまま姿を消してしまった。


 村中総出で探した。


「まさか都市へ戻ったんじゃ……」


 私が震えるとローリーは優しく宥めるように、


「いいや、あいつは都市と反対側の草原に向かって走っていくのを子どもが見てたらしい。みんなと違うから駄目……結局あいつは、そんな教えの呪縛を解けずに、心の『自由』を得られなかったんだ。だから身体だけでも自由に……一人で生きようと、きっとそう思ったんだろう」


 結局彼は見つからずじまいだったが、私は彼が一人で自由に生き延びているのだと信じる事にした。一人でいる選択をする事もまた自由なのだ、とローリーは言った。そして、


「だけど、俺は一人では生きられない。リナ、俺と結婚してくれないか」




 私は彼の求婚を断り続けた。ケンの話を聞いて以来、私の精神は不安定になっていた。この村で、子宮を奪われた私だけが、『母親』になれない。私と結婚しても、ローリーは『父親』になれない……。私は人類管理から逃れた『人間』になったつもりでいたけれど、センターに改造された私の身体だけはどうしようもないのだと……。


 切除された脳の前頭葉については、村長の思念波の力を借りて、僅かに残存していた脳細胞から再生してきていた。感情の面においては、私たちは生来の姿に近づいてきていた。だが、除去された子宮だけはどうしようもないと、村長に告げられていた。


「子どもなんて出来なくてもいいんだ。俺はリナと『家族』になりたいだけなんだ。いつも同じ家で暮らしたいんだよ」


 ローリーは何度も言ってくれたけれど、私は、彼の幸せを思うなら、彼は村の女性と結婚する方がいいのだ、という頑なな思いから抜け出せずにいた。


 そんな時だった。三人の子どもを持つ夫妻、ジョセフとレイラが事故で亡くなったのは。随分お世話になった二人だったし、私はかなり泣いた。遺されたのは、5歳・3歳・1歳の子ども達。村長が言った。


「リナ。ローリーと一緒に、あの子達を育ててくれないかい?」


 村長はずっと、思念波で私の悩みを共有してくれていた。誰かに知って欲しい、と私が願っていたから。


 亡くなった二人の為に、子ども達の為に、私に出来る事があるのならば。そんな風に自分に言い聞かせ、私はローリーと結婚し、子ども達を引き取った。自分が幸せになる為じゃなくて、人の役に立つ為だから、と、何度も自分に言い聞かせたのも、今になってみればただの言い訳だった。本当は私は、『自由』なだけではなく、『心から幸せ』になりたかったのだという願いが、傲慢なものに思えていたから。都市で殺された幾多の人々を差し置いて、私だけがそんな幸せを享受していい訳がないのだと。


 後にケンが私の気持ちを聞いて言った。


「驚いたな。レイの事では私も随分罪悪感に苛まれたが、都市の人々の事をそんな風には考えていなかった。センターの戒めから逃れられない気の毒な人々、としか。きみはやはり、完全に人間性を持っているんだな……自分より他者を尊重する心を」




「リナママ-! 早くご飯食べさせて!!」


 子ども達の賑やかな声が私を現実に引き戻す。


 実の親の死のあと、下の二人はともかく、5歳だった男の子のリオの扱いには戸惑った。


「ママを、パパを、待つんだもん。おうちには入らない」


「勝手な事言わないでよ! 折角作ったご飯なのに、食べさせないよ!」


 そんなリオと私が互いに受け入れられるようになるまではかなり時間がかかったけれど。


「リナママ、ぼく、栗の皮むくね!」


 子ども達は私を、ママではなく、リナママと呼ぶ。下の二人はリオに倣っているだけだけれど、リオには、本当のママとは別なのだという気持ちがあるんだろう。


 だけども、それでいい。リオの母親のレイラの事だって、忘れてはいけないのだから。忘れなくても、家族になれるのだから。


「リオ、一緒にやろう」


「ありがとう、ローリーパパ!!」


「きちんとむいてよね」


 言いながら、私たちは私たちの家に入る。沈む太陽の残光が、くすんだドーム都市を照らしているのがいつものように見える。私たちの後も、村長は救助活動を続けていて、時々逃れてくる人がいるが、都市自体はまだあのままだ。


「……ごめんなさい」


 私は小さくひとりごちた。


「私、自由で幸せになったよ」


「リナ-? 何してるんだ?」


「はいはーい! 今行くわ!」


 家に入り、ぱたんと扉を閉める。暖炉には暖かい火が燃えている。下の二人の女の子は、床に座り込んでキノコのきれいなものをより分けている。


 私は、家族を得た。そして、自由で幸せなものになった。管理されていない、自分自身になれたのだ。

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