第6話
新しい肉体への期待感が次第に高まってくる。今度はどんな人間として生きるのだろう? 大丈夫、これは今までにも何度も経験した事の筈だ。ただ、記憶にないだけ。リナとしての人生は幸福で何の悔いもないものだった。前の人生もそうだった筈だし、次の人生も当然そうあるだろう。
「では、これより、皆様は『劣化体処理区画』へとお進み下さい」
アンドロイドは相変わらず愛想の良い声で続けた。劣化体……その言葉は少しだけ心地よくなさを感じさせた。劣化したから清浄化を受けるのだとは無論充分理解していたが、今のこの私、WA-Oh76-k3692-y5271、通称リナの肉体はまだ私にとっては愛着のある大事なものだ。それをいよいよ捨てるのだという現実に、初めて私は一抹の寂しさを覚える。
正面にまた通路の入り口が音もなく現れる。
「5列にお並び下さい」
さっきと同じように私たちは並ばされる。
「あのっ、荷物はどうしたら……」
私の傍にいる一人の女性が声を上げる。
「皆様の衣服や所持品は全てこちらで回収・処分致しますのでご心配なく」
アンドロイドの答えに誰かが、
「そうだよ、ばかだなぁ、荷物なんか持って行ける訳ないだろ」
と混ぜ返す。数人がそれに呼応して小さく笑った。女性は赤くなって俯いたが、
「だって、恋人の写真くらい持って行けるかと思っていたんだもの」
と小声で呟いた。
「恋人くらいまた新しい肉体になっていくらでも作ればいいのに、おかしなひとね」
別の女性が聞こえよがしに言っている。私も同じ事を思ったが、しかし、最初の女性の気持ちも解らないでもない。未練、という言葉の意味は今ひとつ理解しがたいものだが、リナの肉体を捨てる瞬間に、リナでいたしるしを何か身につけていたい、というような感覚だろうか。除去された筈の感情が微かに心を横切る瞬間なのかも知れない。しかし、それは無駄なものなのだ。
ふと私は、アンドロイドが手元の入力装置に何かを記録しているのに気付いた。
「不適格思想……元人類番号WB-Ka79-o7990-k4671」
誰の人類番号? アンドロイドは恋人の写真を持って行きたがった女性を見つめていた。彼女のものに違いない。アンドロイドの呟きを、当の本人を含めて殆ど誰も気にとめていない。相変わらず、次はどんな肉体がもらえるのか、どんな職につくのか、そんな事を傍の人間と呑気に言い合いながら列に並んでいる。
「危険因子……消去……」
消去? 消去って? わからない、どういう意味? 考えようとするとずきんと頭が痛んだ。……やめよう、考えたって意味がない。どうせもうすぐ新しい肉体をもらって何もかも忘れて、違う生を生きるのだから。
『考えなければだめだ! 自分の頭で考えるんだ』
不意にその時、そんな声が自分の頭の奥底に響いた気がした。私は思わず周りを見たが、そんな言葉を発したらしき人はいない。声と共に、何かのイメージが脳裏をよぎった。なんだっけ……ああ、そうだ、黄色いひらひらした……。
「元人類番号WA-Oh76-k3692-y5271!」
呼ばれて私はびくっと我に返る。アンドロイドが、足を止めて列を乱した私を冷たい目で見ている。
「あ、すみません」
反射的に謝ると、アンドロイドは下を向き、さっきの機器にまた何かを入力する。今のも不適格行為だったのだろうか? 消去……私の胸に不安が……微かなものではあったけれど……走った。
「あなたの番です」
言われるままに進み出る。丸い円盤の上に素足を乗せると、ぶしゅっと何か冷たいものが頭上と足元から吹きつけた。霧状の薬剤が目にしみたが、アンドロイドは目をこすっている私を気遣う風もなく、
「簡易消毒済み。次へ」
と先へ進むように促した。心なしか、アンドロイドの態度が素っ気なくなってきている気がする。でも……考えちゃだめだ、と、私はさっきの声とは逆に思う。考えるのは不適格行為。考えるのは消却に繋がる。それがどういう事かも解らなかったけれど、なぜかはっきり確信出来た。
やがて全員が簡易消毒の処置が済み、また別の大部屋に入る事になった。
「『劣化体処理区画』へようこそ。ではこれより、劣化体の処理についてご説明致します」
アンドロイドが言う。いよいよ、この肉体と離れる時が来たのだ。どうやって、肉体を取り替えるのだろうか? そんな当たり前の疑問を、今ここに至ってようやく私は抱き始めていた。
目の前には何十台もの装置が置かれている。人一人が入って横になれるくらいの大きさで、幾本ものチューブがその箱に繋がっている。その使い道を想像し、人々はこそこそと囁き合ったが、悲壮感はない。
「元人類番号を呼ばれた方から順に、あの装置へ入って頂きます。横になられてナビゲーションの通りに、中の電極を頭部に繋いで下さい。間もなく電気刺激により皆様の意識は失われます。その後、劣化体は速やかに自動的に、物理的処置と薬液にて分解処置がなされます。意識はありませんので、苦痛はございません。成人された皆様の肉体は、髪の毛から爪に至るまで、様々な用途に応じて再利用されます。これが、管理機構に対して皆様に返して頂く『借り』という事になります。肉体の主な部分は、都市住民の為の『フード』として再生されます。皆様も今朝まで召し上がって来られた筈です。このようにして劣化体は無駄にならず、都市の運営の循環の中で利用されて参ります。お喜び下さい」
げっ、と誰かが言った。今まで毎日食べていた『フード』は、劣化体……人体から作られていたのか。それは、あまり気持ちのよい話ではなかった。だが、それを知ったからと言って、今更どうしようもない。私たちはフードによって健康に生かされてきたのだし、次の肉体を受け取って次の生を歩む時には、今得た情報は忘れているのだから。古い肉体は焼却されるのかと、何となく思っていた。それよりも、都市の役に立ててもらえるのならば、むしろ有り難いくらいだ。
その時、誰かが言った。
「あのぅ、それで、いつの段階で新しい肉体に移行できるのですか?」
この質問を、アンドロイドは予期していたようだった。この段階に来ると、大抵誰かがする筈の質問、皆が一番知りたい問いかけだ。
「電極を通して地下の新しい肉体に繋げられるんだ、きっとそうだぜ」
傍にいた男が得意げに自分の推理を披露した。数人が、そうだろうと頷いた。
私は見た。アンドロイドの無機質な顔の上を、確かに嗜虐の笑みが通り過ぎるのを。
「新しい肉体は地下の『新生体管理区域』に用意致してございます。移行は、皆様方御自身で行って頂きたく存じます」
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